水の獣(みずのけもの)

沢亘里 魚尾

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 チャラ瀬を歩きながら、守はふと視線を上げた。
 上流から吹きわたる風が、頬を撫でていった。急に音が蘇ったように、水の音がした。
 蜩が一筋鳴いた。
 最初の小滝で、十五センチの岩魚を釣りあげると、守の感覚は一気に少年のころに戻っていった。
 守は釣るのを一旦止め、左岸に上がると、減反政策で作付されなくなった田んぼの畦道を、右眼下に沢を見下ろしながら、ゆっくりと上がって行った。
  そのうち畦道を出て、細い林道を一キロも歩くと、小さな祠が見えてきた。
 それは、昔と何も変わらず、まるで守を待つように佇んでいた。
 守は、予定通り、そこで弁当を食べることにし、小さな鳥居の右横にある柳の下の、草むらの上に腰を下ろした。
 薄曇りだが、気温はどんどん上がって、三十度近いかもしれなかった。
 父に借りた釣り用の腰まであるゴム長靴の下の脚は、全体的に汗をかいてじっとりしていた。
 守は、長靴の下にジャージを履いてきたことを少し後悔した。
  弁当は、梅のおにぎりと、茄子の塩漬けだった。
 茄子の漬物は、叔母が一昨日届けてくれた。
 祖母が亡くなっても、味を継承する人がいることは有難いことだった。
 少年だった頃、夏休みに川に行くというと、祖母は急いで、大きな丸い塩おにぎりと、胡瓜や茄子の塩漬けなどを切らずに一本持たせてくれたものだった。
 懐かしい味が、守の意識をあの当時に連れて行ってくれた。
 稲の無い棚田の景色を眺めながら、守はしばし、回想に耽った。
 しかし、すぐに中断せざるを得なかった。懐かしさとともに、思い出したくない記憶も一緒に蘇ってきたからだった。
 柳が風にそよいでいた。
 守は、起き上がり、リュックサックを背負うと、祠に手を合わせ、川の方に下りて行った。
 沢の分岐までには、まだいくつかのポイントがあるはずだった。
 守は、餌箱からミミズを一匹取り出し、暴れまわるのもお構いなしに針に掛けた。
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