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武村街道から山寺街道に入って、半里ほど歩くと、街道は立石川を渡り右岸に沿って通るようになった。
街道の左岸は山が迫り、山肌の広葉樹は、赤く色づき始めていた。
山寺立願寺のものらしき鐘が昼八つを告げる。
日の出とともに小沢村を発ち、途中東山宿の開端寺で弁当を使ってから、二人は二時以上歩き続けていた。
「之ぼう、少し休むか」
三田宗助は、道之(どうし)のことを親しみを込めて「ユキボウ」と呼んだ。
道之は小沢村の商家高田屋の二代目高田清右衛門の長男として生まれ、その年、一二歳になった。
一方、三田宗助は、道之の母、八重の親せき筋にあたり、仙台の、同じく商家の長男として生まれ、後に松島の俳人として名声を博する松島湘風のことである。
歳は、道之よりもちょうど一回り上だった。
今回の山寺への小旅行は、宗助が道之の俳諧の修行という申し出を受けたもので、宗助の仙台への見送りも兼ねていた。
滅多に許されることではなかったが、道之の母、八重の勧めもあって実現したのだった。
道之の父、二代目高田清右衛門も、この旅に反対したわけではなかったが、奉公人の手前、敢て出立する日取りについて注文を付けた。
そういった訳で、年貢米の皆済で村々もひと段落する十月末に出立することが決まった。
「疲れてはないですが、あにさん、川面が奇麗ですねえ」「ちょっと」
そう言うや言わずで、道之は、草むらをかき分け立石川の河原に下りて行った。
両親を早くに亡くした宗助は、身代を守るために、早くから江戸や京へ商いに出ていた。
その傍ら俳諧に興味を持ち、十八歳で談林派の門を叩き、俳諧を学んだ。
両親のことがあって以来、何かと世話になった道之の母、八重を宗助は叔母と慕い、度々小沢村を訪れたが、それは商いのためでもあった。
高田屋は、当代でこそ紅花の商いで江戸や京に、その名を轟かせていたが、初代は禁制の商いで財を成したのではないか、という説もあった。
村の東部にある小沢銀山の鉱山労働者への金貸しはもちろん、採掘にも関係しているという噂があったというのだ。
高田屋の祖先は、源義経の家来で武士だった。
もともとは加賀の出であり、義経が平泉に落ち延びた際に奥州に入った。
それがいつのころからか、小沢村の西部の山間に移住し、何代か後に刀を捨て、小沢村の中心部、武村街道沿いに、高田屋を創業したという。
その当時の小沢村は、村の北東部にある小沢城の支配であった。
小沢銀山は江戸初期に金沢の商人によって発見されたといわれる。
高田屋が鉱山の採掘に関係しているという噂は、どうやらそのあたりに端を発しているようだった。
その金沢の商人と高田屋の創業者の祖先は遠縁にあたるという者があったのだ。
火のないところに、ではある。
それらのことを調べ回っていた者の陰には、どうやら花山藩主の田沢忠政がいるようだった。
事実や噂は、区別されることなく全て、小沢城主、小沢明光経由で、つまるところ田沢忠政の耳に入ることになった。
高田屋についての秘密裏の調べが、どこまで進んでいたのか明らかではないが、小沢村の民の間で噂が上るほどだから、かなりのところまでは調べがついていたと言っていいかもしれなかった。
しかしその折しも、お家騒動が明るみに出て、花山藩主、田沢氏の改易があった。
高田屋についての真相は分からずじまいになったが、もしも噂が事実であったなら、高田屋は命拾いをしたことになる。
事の真相はさておき、なぜか田沢氏改易の後の高田屋の商いが、それまで以上に土地の諸産物の仲買に重きを置くようになっていったことは、遺された記録により明らかであった。
後に三代目高田清右衛門は、その遺言に次の一項を記した。
それは、あるいは戒めだったのかもしれない。
「鉱山および材木山経営は一切行なわない」
「ここで一句だな、之ぼう」
宗助が言うのに、道之はしばし考えて詠んだ。
「くれないを、映して流る、山寺路」
道之が俳諧の世界に傾注していくきっかけとなったのは、全て三田宗助、後の松島湘風の影響だったと言っても過言ではない。
加えて宗助は、道之の商人としての師匠でもあった。
生涯、職業俳人とならなかった宗助の在り方は、そのまま俳人としての高田道之の生き方にも繋がっていったと言えるだろう。
宗助の句を待っていた道之の期待は外れた。
「之ぼう、私と江戸、京に行かないか」
「はい」
道之は目を輝かせた。
「江戸や京は、商いはもちろん、俳諧を学ぶにも持ってこいだ」
「あにさん、ぜひに」
それから三年後、寛文六年(一六六六年)皐月の頃、高田道之は、三田宗助に伴って武村街道を江戸へ向けて旅立った。
街道の左岸は山が迫り、山肌の広葉樹は、赤く色づき始めていた。
山寺立願寺のものらしき鐘が昼八つを告げる。
日の出とともに小沢村を発ち、途中東山宿の開端寺で弁当を使ってから、二人は二時以上歩き続けていた。
「之ぼう、少し休むか」
三田宗助は、道之(どうし)のことを親しみを込めて「ユキボウ」と呼んだ。
道之は小沢村の商家高田屋の二代目高田清右衛門の長男として生まれ、その年、一二歳になった。
一方、三田宗助は、道之の母、八重の親せき筋にあたり、仙台の、同じく商家の長男として生まれ、後に松島の俳人として名声を博する松島湘風のことである。
歳は、道之よりもちょうど一回り上だった。
今回の山寺への小旅行は、宗助が道之の俳諧の修行という申し出を受けたもので、宗助の仙台への見送りも兼ねていた。
滅多に許されることではなかったが、道之の母、八重の勧めもあって実現したのだった。
道之の父、二代目高田清右衛門も、この旅に反対したわけではなかったが、奉公人の手前、敢て出立する日取りについて注文を付けた。
そういった訳で、年貢米の皆済で村々もひと段落する十月末に出立することが決まった。
「疲れてはないですが、あにさん、川面が奇麗ですねえ」「ちょっと」
そう言うや言わずで、道之は、草むらをかき分け立石川の河原に下りて行った。
両親を早くに亡くした宗助は、身代を守るために、早くから江戸や京へ商いに出ていた。
その傍ら俳諧に興味を持ち、十八歳で談林派の門を叩き、俳諧を学んだ。
両親のことがあって以来、何かと世話になった道之の母、八重を宗助は叔母と慕い、度々小沢村を訪れたが、それは商いのためでもあった。
高田屋は、当代でこそ紅花の商いで江戸や京に、その名を轟かせていたが、初代は禁制の商いで財を成したのではないか、という説もあった。
村の東部にある小沢銀山の鉱山労働者への金貸しはもちろん、採掘にも関係しているという噂があったというのだ。
高田屋の祖先は、源義経の家来で武士だった。
もともとは加賀の出であり、義経が平泉に落ち延びた際に奥州に入った。
それがいつのころからか、小沢村の西部の山間に移住し、何代か後に刀を捨て、小沢村の中心部、武村街道沿いに、高田屋を創業したという。
その当時の小沢村は、村の北東部にある小沢城の支配であった。
小沢銀山は江戸初期に金沢の商人によって発見されたといわれる。
高田屋が鉱山の採掘に関係しているという噂は、どうやらそのあたりに端を発しているようだった。
その金沢の商人と高田屋の創業者の祖先は遠縁にあたるという者があったのだ。
火のないところに、ではある。
それらのことを調べ回っていた者の陰には、どうやら花山藩主の田沢忠政がいるようだった。
事実や噂は、区別されることなく全て、小沢城主、小沢明光経由で、つまるところ田沢忠政の耳に入ることになった。
高田屋についての秘密裏の調べが、どこまで進んでいたのか明らかではないが、小沢村の民の間で噂が上るほどだから、かなりのところまでは調べがついていたと言っていいかもしれなかった。
しかしその折しも、お家騒動が明るみに出て、花山藩主、田沢氏の改易があった。
高田屋についての真相は分からずじまいになったが、もしも噂が事実であったなら、高田屋は命拾いをしたことになる。
事の真相はさておき、なぜか田沢氏改易の後の高田屋の商いが、それまで以上に土地の諸産物の仲買に重きを置くようになっていったことは、遺された記録により明らかであった。
後に三代目高田清右衛門は、その遺言に次の一項を記した。
それは、あるいは戒めだったのかもしれない。
「鉱山および材木山経営は一切行なわない」
「ここで一句だな、之ぼう」
宗助が言うのに、道之はしばし考えて詠んだ。
「くれないを、映して流る、山寺路」
道之が俳諧の世界に傾注していくきっかけとなったのは、全て三田宗助、後の松島湘風の影響だったと言っても過言ではない。
加えて宗助は、道之の商人としての師匠でもあった。
生涯、職業俳人とならなかった宗助の在り方は、そのまま俳人としての高田道之の生き方にも繋がっていったと言えるだろう。
宗助の句を待っていた道之の期待は外れた。
「之ぼう、私と江戸、京に行かないか」
「はい」
道之は目を輝かせた。
「江戸や京は、商いはもちろん、俳諧を学ぶにも持ってこいだ」
「あにさん、ぜひに」
それから三年後、寛文六年(一六六六年)皐月の頃、高田道之は、三田宗助に伴って武村街道を江戸へ向けて旅立った。
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