ベッシー、最後の仕事

沢亘里 魚尾

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ベッシー、最後の仕事

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 エリザベス・リーチ・ウィリアムソンに捧ぐ



 波の音も何も聞こえない、秋の夜長に私は、窓辺に立って行き、耳を澄ます。
 聞こえるはずのない、発情したノロジカのいななきを聴くために。
 いや、私は本当にそれを聴きたかったのだろうか。
 ただ、失われ、忘れ去られて、初めから無かったとされてしまった事どもたちが蘇って、ふとうごめき出す、その最初の一声を聞き逃すまい、と懸命に戦っていただけかもしれない。
 そんなことは無い、と知りながら。
 気づけばいつの夜も、老猫ヤン(十一歳、ブリティッシュ・ショートヘアの雑種)が鳴くだけ・・・。
 このヤンは、銘酒「トヴェドゥブ」の第十四代目「蒸留所猫distillery cat」である、いや、であった。

 文字どおり、私は「戦没者遺児」として育った。
 それは当時、決して特別なことではなかったが、かと言って、私の人生に影を落とさなかったわけではない。
 父の居ない女子としてのパーソナリティ。
 それは、何も持たない者、と同義語なのではないのか。
 すべてが終わってみれば、私は最初から「持たざる者」だった、と思うのだ。
 私は曲がりなりにも「優等生」だったので、母は苦労して私を勉学の道に進めさせてくれた。私もその期待に応えて、落第の心配など無く、必要以上にできるだけの単位を取り、一九三二年にグラスゴー大学を卒業した。
 私は、表向きは「学校の先生になりたい」と言うしかなかったが、今振り返ると、それは口上でしかなく、本当は何者になるべきか判らないでいただけだった。幸いにも、戦後の不況下で、雇用は乏しく、ましてやあの時代、女性の働き口など無かったため、私は「どうして学校の先生になれないのか」などと責められることもなかった。
 更に幸運にも、大学で興味を持って学んできた、文学や歴史、道徳学、地質学にイタリア語などとは縁遠い「保険会社の秘書」という短期間の職を得るに至った。
 それでも私は諦めず、こんなはずではない、と仕事をしながら正規雇用の口を、少しでも「先生ならずとも、先生的な」仕事を探し続けていた。
 そんな私にとって、頼りになるのは、会計士をしていた叔父ウィリーだった。
 叔父が働くオフィスには、『儲かっている成功者=いわゆる戦争成金』たちのリストがあった。私は、その中で私の学歴に見合った正規雇用を、相変わらず探し続けていたのだ。けれども、そう簡単には「これだ」という職は見つかるわけがなかった。
 そんなある日、私はまたもや叔父のオフィスに逃げ込んでいたのだが、たまたまある経営者からの手紙を開封するタイミングに居合わせたのである。
「ベッシー、このオーナーも秘書を短期で募集していると言ってきてるんだが、どうだね」
 また秘書。女と言えば秘書、なのか。
「どういう会社なの」
 せめて、その会社が何をやっている会社なのか、私は念のため訊いてみた。
「アイラ島にある、蒸留所なんだがな」
 蒸留所と言えば、ジンだが、アイラ島と言うからにはスコッチかもしれない。
「アイラ島か・・・」
 私が少し惹かれたのは、場所の方だった。その時は何だが、本土から島に渡れることが、なぜかとても魅力的に感じたからである。それはとりも直さず、逃避だったのだろう。この閉塞的な現状から抜け出す、物理的な意味合いでの。
 私は、短期間でもいいから、ここから抜け出してみることにしたのだった。
(あれが、すべての始まりであり、この末路への入口だったと・・・。まさか、それが私に与えられた召命だと、神はおっしゃるのか)
 腿に重さを感じた。
「これで、何もかも終わるのね」
 独り言ちた私を、ヤンが煽り見た。

 次の日の夕暮れ(一九七一年十月二十二日金曜日)、ベッシーは一人、町の昔なじみのバーに出かけた。
 昔は感じたことのない、どこか場違いな目線を肌で感じながら、カウンターに真っ直ぐ向かっていくベッシーに、見慣れないバーテンが声を掛けた。
「フェスカマー(こんにちは)」
 その声にカウンターの左端で一人飲んでいた男が、ベッシーよりも速く反応した。
「ベッシーか。ほんとに」
 声の主は、通称「ボッシュ」。ジェームズ・マクファーレンだった。アデノイド(扁桃肥大)は『健在』で、久しぶりに耳にしたベッシーは、一瞬、何と言ったのか聞き取れなかったが、驚きの声であることが解れば十分であった。
 店には、その他に十人ほど居たが、ベッシーが知らない人間ばかりだった。
「あら、ボッシュ、早いじゃない」
(他には、昔なじみは居ないの)という意味で訊いたのだったが、ボッシュには当然伝わらなかった。
「いや、もっと早くても良かったけど・・・」
 それでも、最後まで言い切らないデリカシーは在った。暇なのがバレバレだからね、とは。
 トヴェドゥブ蒸溜所での、ボッシュのかつての仕事は、空樽のコンディションを確認して集め、然るべきスコッチを充填し、貯蔵庫に運ぶ事であった。
 繁忙期でも、ボッシュは音を上げず仕事をこなし、重宝されていた。しかし、新体制では、そういう非効率こそ、真っ先に不必要とされた。
(いや、不必要とされなかったものは、ただ『トヴェドゥブ』の看板だけだったのじゃなかったかしら)
 そんなベッシーの心の声が聞こえたかのように、ボッシュは意味ありげな事を無意識に口走る。
「ま、俺が樽詰めしたトヴェドゥブが出される限りは、毎日来ますよ、ここに。本物があるうちはね」
 ベッシーは微笑んで、バーテンの方に目配せしたが、バーテンは、グラスを拭いていて、聞こえないふりをしているのか、まったく興味が無いのか、その表情からは伺いしれなかった。
(おそらく、本物が無くなるよりも、私のスタッフが全て居なくなる方が早いけどね)
 トヴェドゥブ蒸留所に限らず、どの蒸留所も、もとは密造酒とされた時代、女性たちが少ない食料を補うカロリー源として酒を作りはじめ、それが民間薬のような役割も兼ねて発展してきてきたことに大差はない。その中で、蒸留所はこの島(アイラ島)の労働需要を支える役割を担ってきたのである。他に少しの酪農と漁業くらいしか無かった島において、ウィスキー蒸留が基幹産業となった根本は、そういうことである。
 それが第二次世界大戦後の、自由貿易の潮流の中で、スコッチが真っ先に世界経済の渦に巻き込まれ、ビジネスの手段となっていったのである。
(なんか不思議な気がするわ。そのとおり。私が最後にテイスティングしたトヴェドゥブは、おそらく、私が死んだ後も、暫くの間飲み続けられるのだろう)
「じゃあ、私もその本物っていうのをいただこうかしら」
 バーテンは、一つ目配せをして、足の無いストレート・グラスをベッシーの前にセットした。そして、ボトルのコルクを抜き、多めに注ぐ。
 ベッシーは、間髪入れずにグラスを手に取り、香りを嗅ぎ、テイスティングした。
 ボッシュの言う通り、間違い無くそれは、本物のトヴェドゥブだった。
 独特の磯のフレーバーの奥に、複雑なコクが潜んでいる。スプレーで後付されたのでは無い、この島のピート(泥炭)の香も存在感を失っていない。
 それは当たり前である。その様に調整した結果のスコッチなのだから。ベッシーが最終的にジャッジした上で。
(これでいいのだ。時代の流れは止められない。昨日今日始まったことではないのだから)
 ベッシーは、もう一口、今度は多めに口に含み、少しずつ喉に落としていった。
 酒はじっくりと胃に落ちていき、その替わりに、古い記憶が湧き上がってきた。ベッシーは、いたたまれなくなり、手短にボッシュに挨拶をすると店を後にした。もう二度と来ることは無いだろうと自覚しながら。そして、道すがら、引き続き記憶はとめどなく脳裏を駆け巡った。

 ロンドンからまる二日の旅にはなったが、フェリーが欠航にならなかったのは幸運だと思うしかなかった。
 ポート・エリン(アイラ島南端に近い港)に降り立った私は、フェリー乗り場の係員の男に、トヴェドゥブ蒸留所までの道を訪ねて、愕然とした。
「その荷物を持ってかい。一時間はかかるな」
 訊けば、およそ二マイル(約三・二キロメートル)あるらしかった。
 見渡しても、ロンドンのように、待っていればタクシーが来るはずもなく、また、ヒッチハイクできるような車がやってくる気配すらない。
 私は、諦めて歩き始めた。
 最初の二股を右に折れ、港に沿って私は歩いていった。通りの左に建ち並ぶ白壁の家々の屋根の煙突が、きれいに整列しているのが見える。
 冬になれば、この煙突からはピート(泥炭)の煙が立ち上るはずであった。
 やがて右手に砂浜が見えてくると思いきや、草原となっている。よく見れば、砂浜が草に侵食されているよう。
 私がこれまでに見てきた街のどれとも似つかない景色だった。私はすっかり異国を旅する観光客の気分だった。悪くない気分。
 港の東、係員の男の言に従い、レノックス通りを左に折れ東に歩いた。
 ここから三十分ということだった。
 私は、一旦トランクを置き、一つ深呼吸して本腰を入れて歩き出した、その時だった、後方からクラクションを鳴らされたのだ。
 振り返ると、深緑のトラックだった。
 私を迎えに来てくれたのは、トヴェドゥブの工場敷地の整備諸々を担う、通称『マック』だ。
 よく、あのフェリーで来るのが分かったものだ、と訊ねると、フェリーはそんな何便も、毎日来るものではない、ということらしい。
 とにかく、私は思わぬ歓迎にとても嬉しかったのを覚えている。
 さしたる会話をする間もなく、トヴェドゥブに到着した。
 蒸留所の敷地に入るとトラックは左に進み、そのまま堤防横に停まった。
 『トヴェドゥブ』と白壁に黒で描かれた、貯蔵庫が見えた。
 私の雇い主は、倉庫で作業中だった。いや、後から想えば、彼は、私と最初に逢う場所は、社屋兼自宅ではなく、その倉庫だというふうに決めていたのだろう。
 とにかく、それが、私と『ダディ・ハント』(イアン・ハンター)との始まりの場所である。
「マイハー(マイスター、親方)、来ましたよ」
 マックが到着を告げると、奥の樽棚の間から声がした。
 私は、マックの後に付いて、声の方向に歩いていく。
「やっぱり、行っておいてよかったな」
 イアンは、通路に出てきた。
 想像していたよりもずっと大男だと思った。グレーのツイードのハンチング帽に濃茶のツイードのスリーピース。
 丸い鼈甲のメガネは、鼻に掛けられている。
「やあ、君か。エリザベス」
「はじめまして、ハンターさん。ベッシーと呼んでください」
「お、ベッシーね。そうするよ。マック、もう仕事に戻っていいよ、あとでな。あそうだ、ベッシーのトランクを運んでおいてくれ。あの部屋に」
「はいよ。あとでね、マイハ」
 あの初日の初見で、ダディ・ハントは、すでに私を見抜いていたのだろうか。それとも、どういう新人が来たとしても、礼儀として、蒸留所を隈なく案内するつもりだったのかしらね。
 とにかく、臨時採用の秘書であっても、あそこまで説明して回る必要があったと考えたのだろう。知っておいてもらうに越したことがないと。知らずには秘書は務まらないと。そうだ、そういう性格だったのだ。そういう几帳面さゆえ、トヴェドゥブは銘酒に成り得たのである。そういうリーダーの下で。
 秘書の仕事は極単純な経理仕事がほとんどであり、私はすぐに慣れた。ダディ・ハントは、当初、島内での製造の仕事が中心だったため、複雑な秘書仕事は、そう無かった。それに、私が蒸留所の事を全て知りつくし、従業員たちともすっかり打ち解けた頃には、元の秘書が復帰したのだ。本来の契約では、その時点で、満了となるはずだったけど、もはや誰もが、そんな事を考えもしなくなっていた。私は既に、ダディ・ハントの片腕となっていたし、蒸留所の一部になってしまっていた。更に、私の人生にとって最早、蒸留所は無くてはならない存在になっていたのだ。また、スコッチの世界マーケットも急激に増大してきていた。トヴェドゥブも増産が望まれていたのである。
「生産効率は、もっと改善できるはずです」
 私は、そうダディ・ハントに助言した。それに対して、彼は何と返したと思う。
「そうだろ。だから、君に帰ってもらっては困るんだよ」
 今思えば、あの時、私自身が時限爆弾のボタンを押したんだね。皮肉ね。
 間もなく、世界は戦争を始めて、トヴェドゥブ蒸留所も一時、軍の秘密武器庫となったけど、完全接収されること無く何とか持ちこたえた。ダディ・ハントは、私のおかげだ、と言っていたけど、そんなことは無い。幸運だっただけ。でも、その幸運は、トヴェドゥブを創業して、ダディ・ハントらが育んできたベースがしっかりしていたから、巡ってきたわけ。蒸留所は軍用地として活用されたのみならず、酒の提供によって兵士の士気を大いに向上させたのだ。
 そんな戦争が終わって、復興の好景気がやってくると、いよいよ、トヴェドゥブは増産体制を強化していったの。あの世界的な熱の勢いは誰にも止められないし、止めようとする者など居なかった。ダディ・ハントのアメリカ営業を後押ししたのは、他ならぬ私だもの。
 いや、あれらの事を今更後悔してもしょうがない。でも、本当にそうだったのかしら、とも思わずにはいられない。こうなった今となっては。
 トヴェドゥブの看板は、人の手に渡って、それまでの歴史に一旦終止符を打ったのよ。それは何を意味するのか。創業の魂、その赤い火が、青い人工的な火に変わってしまったということなの。
 海外の愛飲者の中には、新生トヴェドゥブの味しか知らない人がほとんどだろう。私たちが舌で確認して仕上げたトヴェドゥブでは無い、トヴェドゥブしか。
   トヴェドゥブには申し訳ないけど、これが、あの時から皆で始めた世界戦略の末路なの。
 こういう成り行きは、トヴェドゥブだけ、いやスコッチ産業だけに起こったことでは無いのは確かだし、不可抗力とも言えるが、だからといって、私の慰めにはならない。決して。終わってしまったこと、その事実こそが重大なの。改革の全てが落ち着いて、だいぶ経った後になって、どういう評価がトヴェドゥブに残っているかが問題だけど、多かれ少なかれ、伝統の製法を守り抜いて、世界ブランドになった、といった評価をされるに決まっている。
 その伝統の文脈に、ダディ・ハントの名前が登場しても、私の名前は登場しないかもね。どういう理由かわからないけど。
 まあ、それは良い。でも、少なくとも、善人顔のリストラ隊長の、ジョンの名前は残らないのは確か。それは良し悪しよね。
 私の関心事はそこなのに。トヴェドゥブの根底のエッセンスのどの部分が損なわれたか、彼がやったことは何か、を知る必要があるのに、世間はそれを知らずに後のトヴェドゥブを判断せざるを得ないのだから。
 人によっては、「前と変わらない味だよ」と言うし、また大半は、「前よりも人工的な味になってしまったけど、これはこれで十分にトヴェドゥブだ」と言うでしょうよ。
 でも、決定的な部分で変わってしまったことを知っているのは私だけだし、私がそれを彼らに伝授していないのだから、失ってしまうことは確実。
 それは、「スコッチの心臓」。
 文字通り「心臓」。蒸留されたスコッチのアルコール値を測定し、熟成に回して良いスピリッツとそうでないものにより分ける装置、スピリット・セイフ。この装置は、ガラスケースの中に鍵が掛かって入っており、税務署が設置を義務化して、管理しているものだ。ダディ・ハントは、私にこのガラスケースの鍵を渡した時、こう言った。
「税務署の奴らは、度数のことしか気にしていないが、この装置はそんなものだけを見てるんじゃない。ほんとに、蒸留所の『心臓』なんだよ。動脈と静脈があって、良い血と悪い血を交換してくれる。この装置の正しい、トヴェドゥブ流の調整方法は、俺しか知らない。それを君に教えるんだ」
 蒸留スピリットの良し悪しは、この装置でジャッジする。この時、数値だけではなく、味も確認するの。
 その他にも、オーナーしか知らない判断基準がいくつか存在する。そのことも引き継いだのは私。そして、今、私はそれを誰にも引き継がずに蒸留所を後にする。彼らにとって、私の受け継いだ秘伝は、取るに足らないものとし、廃棄する。そして、トヴェドゥブは永遠に、元のトヴェドゥブでは無くなるのだ。
 そして、そういう技術的な問題だけじゃない部分でのトヴェドゥブも終わる。いや、もう終わっているが。
 そもそも「トヴェドゥブ」は、どうして始まったのか アイルランドの言葉で、“tobair dubh”=「黒い泉」からの造語であり、まさに「黒い泉」を蒸留所の創業家の祖先ダンカン・ジョンストンが探し当てたという伝説から来ているの。島の蒸留所はごく近年まで、「水問題」に悩まされてきたけど、ダンカンがこの「トヴェドゥブ」の地を訪れた時、海辺で岩の亀裂を発見し、石をいくつか取り除いたところ、奇跡的に洞窟を発見。その中を探索して、泉を発見した。その泉から湧き出る清水を利用してウィスキー造りを農業の副業として始めたことが蒸留所の始まりだと伝えられている。
 「泉」を発見したことで、酒造りを始めた例は世界に少なくなく、アメリカのテネシー州「ジャック・ダニエル」も、その代表例である。
 しかし、この泉は、発見後数年でほとんど湧き出さなくなってしまった、と云う。それで、「トヴェドゥブ」村総出で、村の北東、キルブライド川上流の丘を散策して泉を探し出した。この泉の使用権を巡って、別の蒸留所(今は無い)と紛争が起こったりしたのであった。また、後に隣のラガブーリン蒸留所とも、この水源をシェアすることになった。
 そういったことを乗り越えて、「トヴェドゥブ」蒸留所は続いてきたの。時代はますます「トヴェドゥブ」のようなスコッチ・ウィスキーを求めるようになっていったからよ。
 一九〇八年、当時の「トヴェドゥブ」のオーナーの子息「イアン」=(後のダディ・ハント)が本土でのエンジニア修行を終え、島に戻り、蒸留所を受け継ぐことになった。彼の後継はすなわち、「トヴェドゥブ」が世界市場に「漕ぎ出す事を意味した。それは彼が二十一歳の時で、私が生まれる二年前の事。
  彼イアン、すなわちダディ・ハントこそ、「トヴェドゥブ」の父に他ならない。
 フレーバー、コク、抜け(後味)、これら全ての「トヴェドゥブ」を規定する基準を与えたのは、ダディ・ハント。そして、幸運にも、それを受け継いだのが、私なの。
 でも、今となっては、ダディ・ハントに、私はどう写っているかしら。失望しているか、諦めているか。分からない。
 他人は、こうなったのは、夫が売却を押し薦めたからで、私は彼に洗脳されたんだ、という向きがあるけど、決してそうではないわ。こう言うと卑怯と思われるかもしれないけど、全ては「時代」なの。世界の市場を相手にし、ブランドを残していくためには、生産効率を上げる、その一点のみが採用された。「トヴェドゥブ」の重要な部分、すべてを犠牲にして。
 
 気づけば、ベッシーは自宅(アルデニスティエル)の寝室に戻っていた。マホガニーのソファの定位置に、ヤンが寝そべっていた。
「ね、ヤン。どう、残ったんだから、許してくれるわね」
 ヤンは、首を上げて、ベッシー顔を凝視し、鳴きもせず、そのうちにまた自らの前足に顎を戻した。
 その時、狼の遠吠えのような嘶きが聞こえた。確かに、それはノロジカであった。

 ―――――――――――――――――――

 現在、残念ながら、「トヴェドゥブ」の売り文句に「ダディ・ハント」の名前はほとんど出てこない。
 全て、女性醸造家ベッシーの功績が付いて回っている。その方が時代に合っているからだ。しかし、それも、そのうちに薄れていくことであろう。
 なぜなら、ベッシー・エディションの「トヴェドゥブ」とて、有限だからである。遠からずこの世から完全に消え去るのだ。
 その時が、本当に「黒い泉」が枯れる時かもしれない。
 「トヴェドゥブ」の大リストラの指揮を執ったジョンは、ベッシーを心から気の毒に感じていた。自分が島に来てから、ベッシーがやったこととしては、アルデニスティエルで思い出の品を整理し続け、トランクに詰め込んでいるだけの哀れな老女だと判じていた。
 しかし、ベッシーはほとんどの物を処分したに過ぎなかった。「トヴェドゥブ」の核となる重要な要素が失われる事態に及んで、残すものなど何も無かったからである。
 誰も知りもしなかった事実だが、ベッシーが最後に島から持ち出した荷物は来た時と同じ、衣服や数枚の写真などが入ったトランク一個だけであった。手荷物以外で増えたのは唯一、ヤンだけであった。
 蒸留所猫ではなく、ただの老猫となったヤン。
 彼を連れ出す事が、ベッシーの最後の仕事であった。
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