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熊弥がくれた御守【32】
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熊楠は、会津橋(旧)の袂、欄干の横をすり抜け、ゆらゆらと歩みを進め河原まで降りて行くと、更に上流まで歩いていった。
どの辺りと、特に考えがあったわけではないが、橋の上から通行人が例え目撃したとしても、何をしているのかが目視できない所であれば、それで良し、と思っている熊楠であった。
もっとも、生まれてこの方、この河原に足を踏み入れた記憶も、熊楠には無い。
会津橋は渡るために存し、そこを渡れば、崇峻天皇にも後鳥羽院にも縁の、出立王子があり、その社には幾度となく訪れたことはある。さらに、明治四十年に、八立稲神社に合祀されてからも、何度か会津橋を渡って、その社跡に行ったこともある。
一般的には、この会津橋は紀州三大祭の一つ、田辺祭りの笠鉾巡幸の経路であり、そのことでの方が有名である。
そのような由緒ある場所から程遠くない、会津川の河原で、かの南方熊楠が、明け方に不審火を起こすなどと、誰が考えようか。いや、例え見つかったとしても、辺りは広大で、この朝は風が全く無く、人家への類焼のおそれもない。例によって酒が過ぎた熊楠が、気まぐれに焚き火でもしたと、思うだけだ。
熊楠は持ってきた菓子箱を河原の地面に置いて、しばらく見下ろしていた。
(これだけか…)
再生を試みた粘菌図譜の原稿。もはや原稿の体をなしていないが、それにしても、いかにも些細な紙の量だった。
小康状態にあったはずの(この三ヶ月前に発狂したとされる)熊弥が暴れた勢いで破り、途中で止めたものの八割方破損した、「英国菌学会報」に連載する予定で作成した粘菌の図譜は彩色が済み、ほぼ完成していた原稿であった。
(燃やすまでもあらへん紙くずだ)
そのまま置き去りにしても、間もなくやってくる梅雨の増水で流されれば、一息に濁流の藻屑と消えるだろう。
それでも、熊楠はそのものたちをこの世から瞬時に消し去りたいと願ったのである。
(最初から無かったことにしたらええ)
熊楠は懐からマッチ箱を取り出し、一本擦り火をつけると、迷わずに箱の中にそれを放り込んだ。少しの風も遮る箱のお陰で、火は理想的に燃え上がり、紙片たちはみるみるうちに燃え、黒く炭化していく。
その様子はまるで、息子、熊弥の行く末を見ているようであった。
そんな不吉な予感を、熊楠は湧いてくるまま、抵抗するすべもなく、火を眺めている。
(やはり俺のせいなんや)
昔からそうだ、と熊楠は想う。
自分が何か事を起こせば、必ずといっていいほど、不幸な出来事も同時について回る。
いや、それは自分だけではない、とも熊楠は想う。人間すべからく、皆そういう宿命につきまとわれているものなのだ。
因果応報。
一人の一生で済む話ではない、宿命なのだ、と。
原稿は、あっという間に燃え尽きた。
修復したものに追加して執筆し、やり直せば、それでも締め切りに間に合ったかもしれない原稿だが、もはや見るのも忌まわしいと、熊楠には思えたのだった。
それで、何かが報われる訳では無いが、とにかく、今は無かったことにして、後にその報いを受ければ良い、と。
(俺はいちばん大事なものを無うしたんや)
もちろん、それは原稿のことなどではない。
息子、熊弥、のことである。
十七年間、大事に、大事に育ててきたはずの息子、熊弥。
その健やかなはずだった息子が、壊れてしまったのである。もう戻らないことは、状況を考えれば、医学の専門家ではない熊楠にも解った。
粘菌と同じなのだ。
一瞬でも同じ状態には無い。それは人間も同じである。一度、変化が進行すれば、それはもとの状態に戻ることは、法則としてあり得ない。
それは人が死んで火葬されるまで続くのである。
問題はその過程である。
自分は、熊弥の人生を狂わせた張本人であるだろうと、今度だけは思わずにいられなかった。もっとも、これまでも似たような過ちの繰り返しの人生であった。しかし、今度こそはそれを思い知らされ、目の前に突きつけられたのである。
(あいつは、俺よりも長生きできるんやろうか)
そのことが、熊弥にとって幸福なのかどうかも、考えずに熊楠は心の中でつぶやき、それはあまりにも愚かしい自問であることに気づき、ふと歩みを止めた。
そして、そうしたことで、熊楠の心は遥か昔の記憶へ飛んでいくのであった。
(なんで今、こんな事を思い出したのか。しかもあれは、フジエの生まれ変わりやったかもしれん、などと。いや、むしろ、なんであの時はそれを考えなんだのやろうか。まて、ちゃう。俺は、その事を無意識に考えたせいで、あの子猫に執着し、ほいてなんべんもなんべんも…)
熊楠には、五歳下に妹、藤枝が居た。幼少より病弱で、熊楠が渡米した翌年に十六の若さで亡くなった。その報せを熊楠が受け取ったのは数日遅れで、飲酒禁止の寄宿舎規則を熊楠が破ったことが問題となり、ミシガン州農業大学(現・ミシガン州立大学)を自主退学した後のことだった。
あれは十一月だったろう。
熊楠は、アナーバー市の郊外二、三マイルの森林に分け入り、粘菌を採取した。ところが天候が急転し、雪となった。熊楠は森を出て、家路に就く。しかし、途中の山道ですでに吹雪となった。熊楠は走り出した。ようやく平坦になった農道を走っていると、道端に子猫が佇んでいるのを、熊楠は見逃さなかった。熊楠は歩み寄り、子猫を拾い上げた。辺りに人家は無い。このままにしておいたら、凍死してしまうことだろう。熊楠は、とっさに懐に子猫を入れて再び走り始めた。しかし、揺れのせいか、あるいは、子猫がどうしても居心地が悪いかして、子猫は懐から出て、路に落ちる。熊楠はそれを再び懐に戻して走る。しばらくするとまた子猫が路に落ちる。戻す。落ちる…。これを何度も繰り返した。そのうちに、牧場の横に来た。木の柵があり、遠くに牛舎らしきも見える。熊楠は諦めて、柵の向こうに子猫を放した。そして、子猫が鳴くのも構わずに、再び家路を急いだ。
(あれは、フジエの生まれ変わりであったか)
その時は、ただの捨て猫を助けるつもりだったが、なぜ今になって、こんなことを想うのか。熊楠の陰惨な気持ちは、さらに重く、足取りも遅くなった。
すでに、すっかり明け方となった。
静寂な中でも、熊楠の脳裏にはざわざわと色々な想いが駆け巡る。
このような、不安と雑念の混乱が、狂気を生むのである。これまで、そうなると、熊楠は酒を飲んだ。それも、少しではなく、過ぎる。過ぎるなどと言う穏やかな表現では足りない。前後不覚。終いには暴れ、手がつけられない。そうして、数々の失敗を繰り返してきた熊楠であった。
それを悟り、ようやく、一年ほど前から断酒していた熊楠であった。しかし、それでも、今回の熊弥の病には間に合わなかった。
要するに、飲酒のせいだけではないのだ。何かを成し遂げようとして励み、最後の重大な局面になると、その重圧に耐えられなくなる。それが周囲に対して影響を及ぼす。それが酒であるか、暴言であるか、どういう形であれ、事を台無しにするのである。
(あの、研究所ももう終わりだ)
南方植物研究所のことである。
その発起人には、原敬、大隈重信、徳川頼倫、幸田露伴などの錚々たる著名人が三十名ほども名を連ねる重要な計画であったにも関わらず、最終的には、資金が足りず、設立が断念された。必要資金、十万円のうちの二万が熊楠の実弟で、酒蔵を経営する常楠から出資される予定であった。しかし、それが届かなかったことも設立断念の大きな原因とされている。その事が原因で、熊楠と常楠は断絶し、以降生涯、音信が絶たれたと云う。それまでの人生において、最大のスポンサーを熊楠は失ったのである。
(俺は終わりだ)
どこまでも、落ちていきそうな熊楠であった。
ふと、視線を上げると、娘の文枝の姿があった。チョボ六を抱いている。父の姿が見えないので心配となり、表で帰宅を待っていたのだろう。
熊弥の闘病は長く続く。そして、ついに熊楠よりも長く生きた。
熊楠は、死の床でも、息子、熊弥のことをうわ言に呼んだと云う。
「野口、野口、熊弥、熊弥」
※野口:熊弥の世話をしてくれていた、熊楠の高弟で、陶器商の野口利太郎
熊楠は、熊弥の病発症以降、飲酒で失敗することが無くなったようだった。
そして、昭和四年(一九二九年)、六月一日、天皇主義者である南方熊楠の、人生最良の日を、無事に成し終えた。
天皇ご進講。
その成功は、あるいは、最愛の息子、熊弥の不運が逆に熊楠の心の支えになった御蔭かもしれない。
ご進講の朝、熊楠は晴れやかな気持ちで、ちょうど庭に咲いた、紫色の楝の木(栴檀)の花を眺めた。
その姿を、縁側からチョボ六が、退屈そうに見つめていた。
どの辺りと、特に考えがあったわけではないが、橋の上から通行人が例え目撃したとしても、何をしているのかが目視できない所であれば、それで良し、と思っている熊楠であった。
もっとも、生まれてこの方、この河原に足を踏み入れた記憶も、熊楠には無い。
会津橋は渡るために存し、そこを渡れば、崇峻天皇にも後鳥羽院にも縁の、出立王子があり、その社には幾度となく訪れたことはある。さらに、明治四十年に、八立稲神社に合祀されてからも、何度か会津橋を渡って、その社跡に行ったこともある。
一般的には、この会津橋は紀州三大祭の一つ、田辺祭りの笠鉾巡幸の経路であり、そのことでの方が有名である。
そのような由緒ある場所から程遠くない、会津川の河原で、かの南方熊楠が、明け方に不審火を起こすなどと、誰が考えようか。いや、例え見つかったとしても、辺りは広大で、この朝は風が全く無く、人家への類焼のおそれもない。例によって酒が過ぎた熊楠が、気まぐれに焚き火でもしたと、思うだけだ。
熊楠は持ってきた菓子箱を河原の地面に置いて、しばらく見下ろしていた。
(これだけか…)
再生を試みた粘菌図譜の原稿。もはや原稿の体をなしていないが、それにしても、いかにも些細な紙の量だった。
小康状態にあったはずの(この三ヶ月前に発狂したとされる)熊弥が暴れた勢いで破り、途中で止めたものの八割方破損した、「英国菌学会報」に連載する予定で作成した粘菌の図譜は彩色が済み、ほぼ完成していた原稿であった。
(燃やすまでもあらへん紙くずだ)
そのまま置き去りにしても、間もなくやってくる梅雨の増水で流されれば、一息に濁流の藻屑と消えるだろう。
それでも、熊楠はそのものたちをこの世から瞬時に消し去りたいと願ったのである。
(最初から無かったことにしたらええ)
熊楠は懐からマッチ箱を取り出し、一本擦り火をつけると、迷わずに箱の中にそれを放り込んだ。少しの風も遮る箱のお陰で、火は理想的に燃え上がり、紙片たちはみるみるうちに燃え、黒く炭化していく。
その様子はまるで、息子、熊弥の行く末を見ているようであった。
そんな不吉な予感を、熊楠は湧いてくるまま、抵抗するすべもなく、火を眺めている。
(やはり俺のせいなんや)
昔からそうだ、と熊楠は想う。
自分が何か事を起こせば、必ずといっていいほど、不幸な出来事も同時について回る。
いや、それは自分だけではない、とも熊楠は想う。人間すべからく、皆そういう宿命につきまとわれているものなのだ。
因果応報。
一人の一生で済む話ではない、宿命なのだ、と。
原稿は、あっという間に燃え尽きた。
修復したものに追加して執筆し、やり直せば、それでも締め切りに間に合ったかもしれない原稿だが、もはや見るのも忌まわしいと、熊楠には思えたのだった。
それで、何かが報われる訳では無いが、とにかく、今は無かったことにして、後にその報いを受ければ良い、と。
(俺はいちばん大事なものを無うしたんや)
もちろん、それは原稿のことなどではない。
息子、熊弥、のことである。
十七年間、大事に、大事に育ててきたはずの息子、熊弥。
その健やかなはずだった息子が、壊れてしまったのである。もう戻らないことは、状況を考えれば、医学の専門家ではない熊楠にも解った。
粘菌と同じなのだ。
一瞬でも同じ状態には無い。それは人間も同じである。一度、変化が進行すれば、それはもとの状態に戻ることは、法則としてあり得ない。
それは人が死んで火葬されるまで続くのである。
問題はその過程である。
自分は、熊弥の人生を狂わせた張本人であるだろうと、今度だけは思わずにいられなかった。もっとも、これまでも似たような過ちの繰り返しの人生であった。しかし、今度こそはそれを思い知らされ、目の前に突きつけられたのである。
(あいつは、俺よりも長生きできるんやろうか)
そのことが、熊弥にとって幸福なのかどうかも、考えずに熊楠は心の中でつぶやき、それはあまりにも愚かしい自問であることに気づき、ふと歩みを止めた。
そして、そうしたことで、熊楠の心は遥か昔の記憶へ飛んでいくのであった。
(なんで今、こんな事を思い出したのか。しかもあれは、フジエの生まれ変わりやったかもしれん、などと。いや、むしろ、なんであの時はそれを考えなんだのやろうか。まて、ちゃう。俺は、その事を無意識に考えたせいで、あの子猫に執着し、ほいてなんべんもなんべんも…)
熊楠には、五歳下に妹、藤枝が居た。幼少より病弱で、熊楠が渡米した翌年に十六の若さで亡くなった。その報せを熊楠が受け取ったのは数日遅れで、飲酒禁止の寄宿舎規則を熊楠が破ったことが問題となり、ミシガン州農業大学(現・ミシガン州立大学)を自主退学した後のことだった。
あれは十一月だったろう。
熊楠は、アナーバー市の郊外二、三マイルの森林に分け入り、粘菌を採取した。ところが天候が急転し、雪となった。熊楠は森を出て、家路に就く。しかし、途中の山道ですでに吹雪となった。熊楠は走り出した。ようやく平坦になった農道を走っていると、道端に子猫が佇んでいるのを、熊楠は見逃さなかった。熊楠は歩み寄り、子猫を拾い上げた。辺りに人家は無い。このままにしておいたら、凍死してしまうことだろう。熊楠は、とっさに懐に子猫を入れて再び走り始めた。しかし、揺れのせいか、あるいは、子猫がどうしても居心地が悪いかして、子猫は懐から出て、路に落ちる。熊楠はそれを再び懐に戻して走る。しばらくするとまた子猫が路に落ちる。戻す。落ちる…。これを何度も繰り返した。そのうちに、牧場の横に来た。木の柵があり、遠くに牛舎らしきも見える。熊楠は諦めて、柵の向こうに子猫を放した。そして、子猫が鳴くのも構わずに、再び家路を急いだ。
(あれは、フジエの生まれ変わりであったか)
その時は、ただの捨て猫を助けるつもりだったが、なぜ今になって、こんなことを想うのか。熊楠の陰惨な気持ちは、さらに重く、足取りも遅くなった。
すでに、すっかり明け方となった。
静寂な中でも、熊楠の脳裏にはざわざわと色々な想いが駆け巡る。
このような、不安と雑念の混乱が、狂気を生むのである。これまで、そうなると、熊楠は酒を飲んだ。それも、少しではなく、過ぎる。過ぎるなどと言う穏やかな表現では足りない。前後不覚。終いには暴れ、手がつけられない。そうして、数々の失敗を繰り返してきた熊楠であった。
それを悟り、ようやく、一年ほど前から断酒していた熊楠であった。しかし、それでも、今回の熊弥の病には間に合わなかった。
要するに、飲酒のせいだけではないのだ。何かを成し遂げようとして励み、最後の重大な局面になると、その重圧に耐えられなくなる。それが周囲に対して影響を及ぼす。それが酒であるか、暴言であるか、どういう形であれ、事を台無しにするのである。
(あの、研究所ももう終わりだ)
南方植物研究所のことである。
その発起人には、原敬、大隈重信、徳川頼倫、幸田露伴などの錚々たる著名人が三十名ほども名を連ねる重要な計画であったにも関わらず、最終的には、資金が足りず、設立が断念された。必要資金、十万円のうちの二万が熊楠の実弟で、酒蔵を経営する常楠から出資される予定であった。しかし、それが届かなかったことも設立断念の大きな原因とされている。その事が原因で、熊楠と常楠は断絶し、以降生涯、音信が絶たれたと云う。それまでの人生において、最大のスポンサーを熊楠は失ったのである。
(俺は終わりだ)
どこまでも、落ちていきそうな熊楠であった。
ふと、視線を上げると、娘の文枝の姿があった。チョボ六を抱いている。父の姿が見えないので心配となり、表で帰宅を待っていたのだろう。
熊弥の闘病は長く続く。そして、ついに熊楠よりも長く生きた。
熊楠は、死の床でも、息子、熊弥のことをうわ言に呼んだと云う。
「野口、野口、熊弥、熊弥」
※野口:熊弥の世話をしてくれていた、熊楠の高弟で、陶器商の野口利太郎
熊楠は、熊弥の病発症以降、飲酒で失敗することが無くなったようだった。
そして、昭和四年(一九二九年)、六月一日、天皇主義者である南方熊楠の、人生最良の日を、無事に成し終えた。
天皇ご進講。
その成功は、あるいは、最愛の息子、熊弥の不運が逆に熊楠の心の支えになった御蔭かもしれない。
ご進講の朝、熊楠は晴れやかな気持ちで、ちょうど庭に咲いた、紫色の楝の木(栴檀)の花を眺めた。
その姿を、縁側からチョボ六が、退屈そうに見つめていた。
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