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十七 遺言
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(ゆいごん)
「この美しき山並みの、その彼方にて」
小手姫は、目を細めて眺めやった。
御上山(後の女神山)の山頂である。
早朝より堂平を出て、休み休みの道中はおよそ二刻(約四時間)。
現在でも、頂上からの眺望は登山愛好家に褒めそやされている。
ほぼ真北に蔵王。
北西方向に奥羽の連山。
小手姫は、その彼方にあるだろう、蜂岡皇子が入山した秦黒山(後の羽黒山)を想うのであった。
陽はすっかり上り、秋晴れである。
堂平での最初の秋蚕は、八月十四日(新暦の十月四日)に収繭を無事迎えられた。
杉ノ目庄の城主、太郎信行も大層喜び、試作を重ねた機織り機もようやくできたと、自ら堂平へ機の搬入に同行してやってきた。
どんな褒美でもとらせる、と城主が問うと、小手姫は、御上山への登頂、と答えた。
堂平の養蚕は、小手姫の経験がなければ、興らなかった、と言える。
周囲が血気盛んに褒め称えるのに反して、小手姫は静かであった。
ここへ来て、小手姫はしきりに蜂岡皇子の事が気にかかるのである。
後から想えば、この時すでに、小手姫は自らの行く末のことを気づいていたのだろうか。
あるいは、荒行からの帰還の後、死の淵をさまよっていた我が子の状況を予感したのかもしれない。
母親というのは、そういうものかもしれない。
遠くに在っても、繋がっているのだった。
その後、小手姫は二度御上山に登った。
初霜が降りる九月初旬、最初の絹織物が杉ノ目城主に届けられた。
城主は、直ちに織り機の増産、そして、蚕小屋の増築を命じた。
小屋のために森は切り開かれ、用地の山側の斜面も木が伐採された。
その斜面は、桑畑にする計画である。
「桑は、挿し木にて増やします」
そう村人に説いているのは、秦田山であった。
この者は、田畑開墾の技術者である。河川の護岸にも詳しかった。
「桑の栽培を覚えておけば、後々何かと役に立ちます。都では、これを河の護岸に用います。堤の崩壊、洪水を防ぐためです」
峯能や丸津らは、新築する小屋の方を主に持ち場としている。
ただ、小予(錦代)は、機織りと小屋建築の両方を行き来していた。
小予が小屋の使い勝手や、間取りについて見ているのだ。いわゆる設計である。
丸津も、木の伐採、用地の整備をしながら、新しい小屋の方にも良くやってくる。
よく助け合う二人は、誰の目にも夫婦のように見えた。
大変に似つかわしく、馬も合うと見える。
それは無理もない。
というのも、実際に二人はすでに恋仲にあったのだから。
小予は二十三。
とうに婚期に入っている。
これまで、そういう話が出なかったのは、お家の事がいろいろとあったからだ。
丸津は、二十六。つまり、蜂岡皇子と同年であった。
小予にしてみれば、頼りがいのある兄代りのような存在なのである。
ここが都であったなら、互いの身分のこともあり、住む世界が違うが、ここはそういう制約も皆無である。
お互いが好き合えば、誰にも止められないのである。
「母様の熱が下がらないのです」
初の秋蚕の収繭直後、佐小(小手姫)は、体調を崩して床に伏した。
最初は腹痛であった。
過労であろうと、何日か安静にし、秦氏伝来の気付け薬を服用して腹痛は止んだりもするのだが、倦怠感と熱が取れないというのであった。
「峯能(糠手子)様には」
「伝えました。杉ノ目様のお耳にも入っております。近々、巫女が来られるとのことにて」
「それはよろしいことですが、気にかかります」
去る年。この堂平にたどり着く道中も、小手姫は腹痛を訴えられた。
その事が二人の頭にはあった。
繰り返し、そのような事が起こるのであれば、何かの病ではないか、と。
杉ノ目太郎信行も、これを案じて、四方手を尽くして、有力な巫女を村によこすことになったのだ。
はたして、巫女も診立ては深刻であった。
すぐに祈祷を行う。
念の為、全身を調べた。
胸部に痼りがあり、それが悪さをしているであろう、と巫女は言う。
これは、現在で言うところの「乳がん」であったろう。
病は、この一年で確実に進行していたのである。
月が明けて、十月三日(陰暦)、初雪が降った。
「山里の雪景色は、格別ですねえ」
今日は、具合が良い、というので、丸津の肩を借り、小予に支えられながら、佐小(小手姫)が散歩に出た。
すっかり白ではない、薄布を掛けたような雪化粧が、野や木々に施されていた。
「根雪までには、小屋も出来上がります」
丸津が説明した。
「それでは、来春が楽しみですねえ」
佐小は力なく微笑んだ。
「母様のお差配に掛かっておりますので、よろしゅうお願い申します」
小予は暗に、病の回復を願い、そう声を掛けた。
「いいえ、私の伝えるべきことはもうありません。この後は、皆の力でやっていかれるのです」
佐小のその返しは、妙に力がこもっており、断定的で、小予も佐小もただ押し黙るしかなかった。
誰も口には出さなかったが、佐小がもう長くない事は、火を見るより明らかであった。
痩せて、食も細くなり、脇腹だけが膨らみ、どうやら水が溜まっている、ということらしい。
そして、そのことは誰よりも本人がよく知っていた。
「丸津殿、小予を末永くお頼み申しますよ」
「そのようなことを」
丸津は、言下に反論しかけて、それがあまりにも白々しく、すぐに言葉を飲み込んだ。
小予は母を見つめ、目頭を押さえた。
「泣くことはない。早く子の顔が見たいものよ」
「母様」
小予は堪えきれず、袖で涙を拭った。
「案ずることは何もないのですよ。我と、そなたらが生きて続いていけるように、父様が全て計らってくださったのですから。我らには、その望みに応える責があります。皇子にしても、そのために皇位を捨て、修行に入られたのですよ」
もはや小予は、憚らずに声を上げて泣いている。
ついに丸津までもが、もらい泣きをしはじめた。
ヒヨドリが山の方に飛び過ぎていく。
珍しく、佐小は言葉が饒舌であった。
少し、声を潜めて続けた。
「名も変えているのだから、案じなさるな」
佐小は、再び、山里の雪景色を眺めた。
「出羽は、もっと雪が深かろうに」
自らの行く末よりも、息子のことが案じられるのだろう、と丸津も小予も思うが、応じる言葉が見つからない。
「私からの、この上の願いは一つ」
二人は、涙を拭いて、耳を傾けた。
「そなたたちが、続いていくことだけじゃ」
それは、後になって思えば、小手姫の遺言であった。
続いていくこと。
そして、二人はこの遺言を守った。
子を生み、この堂平に根を下ろしていくのである。
詮索され、追手が及ぶようなことは、ついに無かった。
それには、村人たちの必死の支えもあった。
その替わりに、数々の伝説が残った。
養蚕発祥にまつわる女神伝説である。
女神は、小手姫であり、錦代であった。
村人たちの最大の苦心は、糠手子、小手姫の死後、錦代の素性を隠すこと。
離れ離れになった許嫁を忘れられず、錦代皇女は沼に入水自殺した、というような伝説があるのはそのためである。
その伝説を真に見せかけるために、村人たちは、小予のための弔いまでをも執り行った、ということを敢えて伝えあったほどだ。
その隠蔽工作を推進したのは、取りも直さず、杉ノ目の城主であった。
そうすることを余儀なくされた事件が起こったからだ。
それは、小手姫の死後二十年以上も後の出来事であった。
そのことをこの時、小手姫が遺言をのこした時に、誰が予想できようか。
季節は本格的な冬に入っていく。
機織りの季節であった。
「この美しき山並みの、その彼方にて」
小手姫は、目を細めて眺めやった。
御上山(後の女神山)の山頂である。
早朝より堂平を出て、休み休みの道中はおよそ二刻(約四時間)。
現在でも、頂上からの眺望は登山愛好家に褒めそやされている。
ほぼ真北に蔵王。
北西方向に奥羽の連山。
小手姫は、その彼方にあるだろう、蜂岡皇子が入山した秦黒山(後の羽黒山)を想うのであった。
陽はすっかり上り、秋晴れである。
堂平での最初の秋蚕は、八月十四日(新暦の十月四日)に収繭を無事迎えられた。
杉ノ目庄の城主、太郎信行も大層喜び、試作を重ねた機織り機もようやくできたと、自ら堂平へ機の搬入に同行してやってきた。
どんな褒美でもとらせる、と城主が問うと、小手姫は、御上山への登頂、と答えた。
堂平の養蚕は、小手姫の経験がなければ、興らなかった、と言える。
周囲が血気盛んに褒め称えるのに反して、小手姫は静かであった。
ここへ来て、小手姫はしきりに蜂岡皇子の事が気にかかるのである。
後から想えば、この時すでに、小手姫は自らの行く末のことを気づいていたのだろうか。
あるいは、荒行からの帰還の後、死の淵をさまよっていた我が子の状況を予感したのかもしれない。
母親というのは、そういうものかもしれない。
遠くに在っても、繋がっているのだった。
その後、小手姫は二度御上山に登った。
初霜が降りる九月初旬、最初の絹織物が杉ノ目城主に届けられた。
城主は、直ちに織り機の増産、そして、蚕小屋の増築を命じた。
小屋のために森は切り開かれ、用地の山側の斜面も木が伐採された。
その斜面は、桑畑にする計画である。
「桑は、挿し木にて増やします」
そう村人に説いているのは、秦田山であった。
この者は、田畑開墾の技術者である。河川の護岸にも詳しかった。
「桑の栽培を覚えておけば、後々何かと役に立ちます。都では、これを河の護岸に用います。堤の崩壊、洪水を防ぐためです」
峯能や丸津らは、新築する小屋の方を主に持ち場としている。
ただ、小予(錦代)は、機織りと小屋建築の両方を行き来していた。
小予が小屋の使い勝手や、間取りについて見ているのだ。いわゆる設計である。
丸津も、木の伐採、用地の整備をしながら、新しい小屋の方にも良くやってくる。
よく助け合う二人は、誰の目にも夫婦のように見えた。
大変に似つかわしく、馬も合うと見える。
それは無理もない。
というのも、実際に二人はすでに恋仲にあったのだから。
小予は二十三。
とうに婚期に入っている。
これまで、そういう話が出なかったのは、お家の事がいろいろとあったからだ。
丸津は、二十六。つまり、蜂岡皇子と同年であった。
小予にしてみれば、頼りがいのある兄代りのような存在なのである。
ここが都であったなら、互いの身分のこともあり、住む世界が違うが、ここはそういう制約も皆無である。
お互いが好き合えば、誰にも止められないのである。
「母様の熱が下がらないのです」
初の秋蚕の収繭直後、佐小(小手姫)は、体調を崩して床に伏した。
最初は腹痛であった。
過労であろうと、何日か安静にし、秦氏伝来の気付け薬を服用して腹痛は止んだりもするのだが、倦怠感と熱が取れないというのであった。
「峯能(糠手子)様には」
「伝えました。杉ノ目様のお耳にも入っております。近々、巫女が来られるとのことにて」
「それはよろしいことですが、気にかかります」
去る年。この堂平にたどり着く道中も、小手姫は腹痛を訴えられた。
その事が二人の頭にはあった。
繰り返し、そのような事が起こるのであれば、何かの病ではないか、と。
杉ノ目太郎信行も、これを案じて、四方手を尽くして、有力な巫女を村によこすことになったのだ。
はたして、巫女も診立ては深刻であった。
すぐに祈祷を行う。
念の為、全身を調べた。
胸部に痼りがあり、それが悪さをしているであろう、と巫女は言う。
これは、現在で言うところの「乳がん」であったろう。
病は、この一年で確実に進行していたのである。
月が明けて、十月三日(陰暦)、初雪が降った。
「山里の雪景色は、格別ですねえ」
今日は、具合が良い、というので、丸津の肩を借り、小予に支えられながら、佐小(小手姫)が散歩に出た。
すっかり白ではない、薄布を掛けたような雪化粧が、野や木々に施されていた。
「根雪までには、小屋も出来上がります」
丸津が説明した。
「それでは、来春が楽しみですねえ」
佐小は力なく微笑んだ。
「母様のお差配に掛かっておりますので、よろしゅうお願い申します」
小予は暗に、病の回復を願い、そう声を掛けた。
「いいえ、私の伝えるべきことはもうありません。この後は、皆の力でやっていかれるのです」
佐小のその返しは、妙に力がこもっており、断定的で、小予も佐小もただ押し黙るしかなかった。
誰も口には出さなかったが、佐小がもう長くない事は、火を見るより明らかであった。
痩せて、食も細くなり、脇腹だけが膨らみ、どうやら水が溜まっている、ということらしい。
そして、そのことは誰よりも本人がよく知っていた。
「丸津殿、小予を末永くお頼み申しますよ」
「そのようなことを」
丸津は、言下に反論しかけて、それがあまりにも白々しく、すぐに言葉を飲み込んだ。
小予は母を見つめ、目頭を押さえた。
「泣くことはない。早く子の顔が見たいものよ」
「母様」
小予は堪えきれず、袖で涙を拭った。
「案ずることは何もないのですよ。我と、そなたらが生きて続いていけるように、父様が全て計らってくださったのですから。我らには、その望みに応える責があります。皇子にしても、そのために皇位を捨て、修行に入られたのですよ」
もはや小予は、憚らずに声を上げて泣いている。
ついに丸津までもが、もらい泣きをしはじめた。
ヒヨドリが山の方に飛び過ぎていく。
珍しく、佐小は言葉が饒舌であった。
少し、声を潜めて続けた。
「名も変えているのだから、案じなさるな」
佐小は、再び、山里の雪景色を眺めた。
「出羽は、もっと雪が深かろうに」
自らの行く末よりも、息子のことが案じられるのだろう、と丸津も小予も思うが、応じる言葉が見つからない。
「私からの、この上の願いは一つ」
二人は、涙を拭いて、耳を傾けた。
「そなたたちが、続いていくことだけじゃ」
それは、後になって思えば、小手姫の遺言であった。
続いていくこと。
そして、二人はこの遺言を守った。
子を生み、この堂平に根を下ろしていくのである。
詮索され、追手が及ぶようなことは、ついに無かった。
それには、村人たちの必死の支えもあった。
その替わりに、数々の伝説が残った。
養蚕発祥にまつわる女神伝説である。
女神は、小手姫であり、錦代であった。
村人たちの最大の苦心は、糠手子、小手姫の死後、錦代の素性を隠すこと。
離れ離れになった許嫁を忘れられず、錦代皇女は沼に入水自殺した、というような伝説があるのはそのためである。
その伝説を真に見せかけるために、村人たちは、小予のための弔いまでをも執り行った、ということを敢えて伝えあったほどだ。
その隠蔽工作を推進したのは、取りも直さず、杉ノ目の城主であった。
そうすることを余儀なくされた事件が起こったからだ。
それは、小手姫の死後二十年以上も後の出来事であった。
そのことをこの時、小手姫が遺言をのこした時に、誰が予想できようか。
季節は本格的な冬に入っていく。
機織りの季節であった。
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