12 / 25
十一 堂平へ
しおりを挟む
(どうだいらへ)
霜が降りた。
初雪に会うのも、この二、三日のうちであろう。
翌朝になって、小手姫の腹痛は止んでいた。
熱も下がっている。
十分な休息と、秦の者たちが持っていた、大陸渡りの気付け薬が効いたのかもしれなかった。
この辺りは、台地であるため、人目につきやすい。
潜伏するには、誰の目にも不向きに思える。
「柴田までは無理にても、山河があるところが良かろう」
糠手子の意見に、みな賛同した。
「母様、さあ」
蜂岡皇子は、母をおぶってあるき出した。
「すみませぬ」
人目には、気恥ずかしい小手姫であるが、内心は嬉しかった。
皇子の心には、このような孝行ができるのも、もう何度も無いだろう、という感傷があった。
そして、実際におぶってみると、思いの外軽く、それは少女のようであった。
やはり、都を離れさせるべきだはなかったか、と皇子の心は後悔に沈んだ。
この日、十月二十一日は、小雪である。
もはや、北行も限界であった。
旅も中断せざるを得ない。
今年最後の旅路。
申の刻(午後三時頃)に、湯日(現、福島県二本松市油井辺り)に到着した。
ちょうど、阿武隈河に湯日河が流れ込むあたりであった。
河の畔で、一行は、しばし、休息を取った。
「今日はここまでであろうかのう」
糠手子がそう問う。
秦忍勝は少し考えて答えた。
「このまま北上しますと、信夫国に入ります。この辺りと違いまして、朝廷の監視の目が厳しいと思われます。それよりも、この阿武隈河の上流の方角に進み、山地を住処とするのが好ましいと存じます」
「そうすると、あの山の方を目指して、本筋よりも東に進むということかのう」
「さようでございます。そうしますと、これからは山道ゆえ、お言葉どおり、今日のところは、この辺りに野営するのがよろしいかと存じます」
一行は、湯日河を少し遡り、森の中に入った。
「母様、あの土手、見てください」
錦代が土手を指さして言った。
いつの間にか、旅慣れた錦代は、もはや皇女然とはしていない。
農民、平民の娘のようであった。
湯日河の右岸一面に、ヤマグワが群生していて、それを見つけて駆け出したのである。
何気ない、この発見は、後に重要な意味を持ってくる。
当初、蝦夷の国へ逃れるということを企図して、かの地で何を生業にすれば良いかということが話された。
何をして生きていけば良いか、と。
しかし、それは意外にすぐに答えらしき事が見つかった。
すでに蝦夷の国に入って、鉄の採掘などを行っている秦の者らから、彼の国では、ふんだんに桑(山桑)が群生している、という情報がもたらされたからである。
すなわち、蚕を育て、絹の糸をとれる。
養蚕である。
そもそも、このことが裏付けられて後、北行が現実味を帯びてきたのであった。
「この国にても、お蚕さまを育てられるということでしょう」
錦代が走って取ってきた桑の葉を見て、小手姫が明るく言った。
それは望みの光であった。
翌朝、一行は北北東に進んだ。
そして、巳の刻(午前十時頃)にまた、道は再び阿武隈河に出会う。
河岸は大岩がむき出しの渓流である。
この辺りで、一休みをしようとした時であった。
騎馬が二騎、近づいてくるのが見えた。
「その者たち、どこから来たのか」
糠手子が立ち上がって、用意していた言葉を返す。
「我らは、近江からの開拓民です。朝廷の命にて、北の毛人の地へ探索に向かう途中にございいます」
「何、北のエミシ」
「さようにございます」
「それにしては、方角が違うではないか」
「はは、昨日湯日に野営しまして、かなりの寒さで、時期ゆえ、さすがにこれ以上の北上は無理であろう、と判断しまして、越冬の地を探して、こちらに参ったのでございます」
「朝廷の命を受けているのであれば、この国は、杉ノ目様の御領であることを知っておろうな」
「はは、存じております」
「して、了承は得ておるのか」
ここは、迷わずよどみ無く答えるしか無かった。
「いえ、内密の探索であるゆえ、杉ノ目様の了承は得ておりませぬ」
「そうか。それでは、このまま通すわけには行かぬ。待て」
尋問した男が、もう一騎のほうに歩み寄り、何かを話して戻ってきた。
「その方らを、これより連れ行く。付いて来い」
一行は、騎馬に付いて、そこから半刻(約一時間)、北北東に歩いた。
そして、堂平(現、福島市立子山堂平)というところに到着。
杉ノ目の領主その人ではなかろうが、いずれその配下の管理権限がある者の面前に出され、尋問を受けたのである。
「北のエミシの地を目指していると聞いたが、どのような任にて向かうのか」
「はは、まず、鉄にございます。西方の産鉄地はほぼ明らかに成っておりますが、北のエミシの地は未開。お聞き及びかも知れませぬが、すでに我らが同族の者らが先行して入っておりまして、すでに産鉄を始めております。この後は、製鉄のためにさらに人手が要ります。よって、その先行隊として参るのでございます。加えまして、農事の開拓にございます。朝廷は、開拓を足ががりにして、北のエミシの地を支配下に置くことを目指しております。この女たちは、その中でも、蚕の養育技術の伝授のために派遣されます」
尋問者にはすぐに分かった。
この者たちが平民ではないことをである。
まず、言葉遣い。
然るべき、知識がなければ、このように淀みなく説明できるわけがなかった。
あるいは、身分を偽っていて、その実は高貴な者の出かも知れぬと、内心判じたのであった。
「その方、名を何と申す」
「はい、秦峯能と申します。この者らもすべて秦の者にございます」
「何か、証拠となるものはあるか」
秦忍勝が担いできた綿の布袋から何やら出して手に持ち、進み出た。
「これは、蚕からとった糸でございます」
忍勝は尋問者に、絹糸を渡した。
尋問者は、目を見張った。
「これが、絹というものか」
話には聞いたことはあるが、実物を見るのは初めてである。
忍勝は更に、布袋から絹布を出して、差し出した。
「これは絹糸を織った布にございます」
「なんと」
それは、螺鈿のような輝きであった。
もはや尋問者は歓喜の笑みすら浮かべている。
「分かった。領主に報告する故、これらをしばし預かってもよろしいか」
「はい、それらを杉ノ目様に献上いたしますが、一つだけお願いがございます。それらは朝廷のご禁秘の物でございますので、くれぐれも差し上げたことはご内密に願います」
「あい、分かり申した」
こうして、一行は、この堂平に留め置かれることに成った。
粗末だが、小屋を与えられたので、越冬の寒さの心配は無くなった。
この後二日間、杉ノ目の判断が下るまで、糠手子らは辺りを散策する内に、みな確信した。
この地は、ヤマグワが大変に多い、ということをである。
杉ノ目の領主は、流石に強かであった。
領地滞在を認める代わりに、この地にも絹織の技術を伝授するように言ってきたのだ。
また、尋問者が報じたのであろう。
朝廷の命であることは、まず間違いないだろう、ということをだ。
その後、一行はまさに厚遇といえるまでの扱い受けたのである。
住処を造るための資材も十分与えられ、必要とあらば、蚕を養育するために必要な物は、何でも申請せよ、ということであった。
また、その手伝いをする領民も十名ほどあてがわれた。
そして、粟や稗などの食料も惜しみなく提供されたのである。
結果的に、捕縛されたことが、幸いとなった。
そして、堂平に少し遅い、その年の初雪が降った。
小雪を過ぎた十月二十四日。
都を離れて、一月と三日のことであった。
霜が降りた。
初雪に会うのも、この二、三日のうちであろう。
翌朝になって、小手姫の腹痛は止んでいた。
熱も下がっている。
十分な休息と、秦の者たちが持っていた、大陸渡りの気付け薬が効いたのかもしれなかった。
この辺りは、台地であるため、人目につきやすい。
潜伏するには、誰の目にも不向きに思える。
「柴田までは無理にても、山河があるところが良かろう」
糠手子の意見に、みな賛同した。
「母様、さあ」
蜂岡皇子は、母をおぶってあるき出した。
「すみませぬ」
人目には、気恥ずかしい小手姫であるが、内心は嬉しかった。
皇子の心には、このような孝行ができるのも、もう何度も無いだろう、という感傷があった。
そして、実際におぶってみると、思いの外軽く、それは少女のようであった。
やはり、都を離れさせるべきだはなかったか、と皇子の心は後悔に沈んだ。
この日、十月二十一日は、小雪である。
もはや、北行も限界であった。
旅も中断せざるを得ない。
今年最後の旅路。
申の刻(午後三時頃)に、湯日(現、福島県二本松市油井辺り)に到着した。
ちょうど、阿武隈河に湯日河が流れ込むあたりであった。
河の畔で、一行は、しばし、休息を取った。
「今日はここまでであろうかのう」
糠手子がそう問う。
秦忍勝は少し考えて答えた。
「このまま北上しますと、信夫国に入ります。この辺りと違いまして、朝廷の監視の目が厳しいと思われます。それよりも、この阿武隈河の上流の方角に進み、山地を住処とするのが好ましいと存じます」
「そうすると、あの山の方を目指して、本筋よりも東に進むということかのう」
「さようでございます。そうしますと、これからは山道ゆえ、お言葉どおり、今日のところは、この辺りに野営するのがよろしいかと存じます」
一行は、湯日河を少し遡り、森の中に入った。
「母様、あの土手、見てください」
錦代が土手を指さして言った。
いつの間にか、旅慣れた錦代は、もはや皇女然とはしていない。
農民、平民の娘のようであった。
湯日河の右岸一面に、ヤマグワが群生していて、それを見つけて駆け出したのである。
何気ない、この発見は、後に重要な意味を持ってくる。
当初、蝦夷の国へ逃れるということを企図して、かの地で何を生業にすれば良いかということが話された。
何をして生きていけば良いか、と。
しかし、それは意外にすぐに答えらしき事が見つかった。
すでに蝦夷の国に入って、鉄の採掘などを行っている秦の者らから、彼の国では、ふんだんに桑(山桑)が群生している、という情報がもたらされたからである。
すなわち、蚕を育て、絹の糸をとれる。
養蚕である。
そもそも、このことが裏付けられて後、北行が現実味を帯びてきたのであった。
「この国にても、お蚕さまを育てられるということでしょう」
錦代が走って取ってきた桑の葉を見て、小手姫が明るく言った。
それは望みの光であった。
翌朝、一行は北北東に進んだ。
そして、巳の刻(午前十時頃)にまた、道は再び阿武隈河に出会う。
河岸は大岩がむき出しの渓流である。
この辺りで、一休みをしようとした時であった。
騎馬が二騎、近づいてくるのが見えた。
「その者たち、どこから来たのか」
糠手子が立ち上がって、用意していた言葉を返す。
「我らは、近江からの開拓民です。朝廷の命にて、北の毛人の地へ探索に向かう途中にございいます」
「何、北のエミシ」
「さようにございます」
「それにしては、方角が違うではないか」
「はは、昨日湯日に野営しまして、かなりの寒さで、時期ゆえ、さすがにこれ以上の北上は無理であろう、と判断しまして、越冬の地を探して、こちらに参ったのでございます」
「朝廷の命を受けているのであれば、この国は、杉ノ目様の御領であることを知っておろうな」
「はは、存じております」
「して、了承は得ておるのか」
ここは、迷わずよどみ無く答えるしか無かった。
「いえ、内密の探索であるゆえ、杉ノ目様の了承は得ておりませぬ」
「そうか。それでは、このまま通すわけには行かぬ。待て」
尋問した男が、もう一騎のほうに歩み寄り、何かを話して戻ってきた。
「その方らを、これより連れ行く。付いて来い」
一行は、騎馬に付いて、そこから半刻(約一時間)、北北東に歩いた。
そして、堂平(現、福島市立子山堂平)というところに到着。
杉ノ目の領主その人ではなかろうが、いずれその配下の管理権限がある者の面前に出され、尋問を受けたのである。
「北のエミシの地を目指していると聞いたが、どのような任にて向かうのか」
「はは、まず、鉄にございます。西方の産鉄地はほぼ明らかに成っておりますが、北のエミシの地は未開。お聞き及びかも知れませぬが、すでに我らが同族の者らが先行して入っておりまして、すでに産鉄を始めております。この後は、製鉄のためにさらに人手が要ります。よって、その先行隊として参るのでございます。加えまして、農事の開拓にございます。朝廷は、開拓を足ががりにして、北のエミシの地を支配下に置くことを目指しております。この女たちは、その中でも、蚕の養育技術の伝授のために派遣されます」
尋問者にはすぐに分かった。
この者たちが平民ではないことをである。
まず、言葉遣い。
然るべき、知識がなければ、このように淀みなく説明できるわけがなかった。
あるいは、身分を偽っていて、その実は高貴な者の出かも知れぬと、内心判じたのであった。
「その方、名を何と申す」
「はい、秦峯能と申します。この者らもすべて秦の者にございます」
「何か、証拠となるものはあるか」
秦忍勝が担いできた綿の布袋から何やら出して手に持ち、進み出た。
「これは、蚕からとった糸でございます」
忍勝は尋問者に、絹糸を渡した。
尋問者は、目を見張った。
「これが、絹というものか」
話には聞いたことはあるが、実物を見るのは初めてである。
忍勝は更に、布袋から絹布を出して、差し出した。
「これは絹糸を織った布にございます」
「なんと」
それは、螺鈿のような輝きであった。
もはや尋問者は歓喜の笑みすら浮かべている。
「分かった。領主に報告する故、これらをしばし預かってもよろしいか」
「はい、それらを杉ノ目様に献上いたしますが、一つだけお願いがございます。それらは朝廷のご禁秘の物でございますので、くれぐれも差し上げたことはご内密に願います」
「あい、分かり申した」
こうして、一行は、この堂平に留め置かれることに成った。
粗末だが、小屋を与えられたので、越冬の寒さの心配は無くなった。
この後二日間、杉ノ目の判断が下るまで、糠手子らは辺りを散策する内に、みな確信した。
この地は、ヤマグワが大変に多い、ということをである。
杉ノ目の領主は、流石に強かであった。
領地滞在を認める代わりに、この地にも絹織の技術を伝授するように言ってきたのだ。
また、尋問者が報じたのであろう。
朝廷の命であることは、まず間違いないだろう、ということをだ。
その後、一行はまさに厚遇といえるまでの扱い受けたのである。
住処を造るための資材も十分与えられ、必要とあらば、蚕を養育するために必要な物は、何でも申請せよ、ということであった。
また、その手伝いをする領民も十名ほどあてがわれた。
そして、粟や稗などの食料も惜しみなく提供されたのである。
結果的に、捕縛されたことが、幸いとなった。
そして、堂平に少し遅い、その年の初雪が降った。
小雪を過ぎた十月二十四日。
都を離れて、一月と三日のことであった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる