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飼えるの
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薪割り後に、ジョウビタキが来るようになった。
割った木から出る虫が目当てなのだろう。オレンジのお腹を見せて、尾っぽを震わせながら囀るのが愛らしい。
ダルマストーブがようやく温まってきた。前の住人の置き土産。
マコトがその空き家に住むようになって二回目の冬を迎えた。
都内から、急に田舎暮らしになってもすぐに慣れたのは、もともとが北関東の山育ちだからだろう。
裏の小さな畑で、ストーブにあたりながら、小鳥を観るのが、仕事がない日のマコトの楽しみとなった。
しかし、その朝は、マコトの心はざわついていて、心からくつろげない。昨夜届いたメールのせいだ。
別れた妻からのショート・メール。
二度と関わることはないと思っていた妻が連絡を取ってくるのだから尋常なことではない。携帯のショートメールとは、それを可能にするから、ある意味厄介な代物なのだ。
末期がん。
入院するから娘のリコを預かってほしい、と言う。
マコトは、離婚の影に、男が居ると思いこんでいたから、この十年ほどの年月の間に、きっと彼女は再婚をしていると踏んでいた。
それが、マコトの思い込みだったようだ。つまり彼女は単に、元ヤクザ者のマコトとの生活に嫌気がさしただけなのかもしれなかった。
いや、そんな事はこの際関係なかった。
(どうするよ)
昨夜返信メールを打った後になって、何度も、マコトはそう心の中で自分に問いかけている。
しかし、どうするも何も、良く考える余裕もなく「分かった」と返信をしてしまったのだった。
(そう言うしかないもんな)
よく訳も訊かずに事を起こすのは、マコトの悪い癖だった。
我に帰ると、とっくにジョウビタキは去り、百舌鳥が取って代わっていた。
今マコトは、外構の仕事をしている。
いわゆる「一人親方」というやつだが、一人では手に負えないような仕事が入ったときには、仲間の「一人親方」に加勢を頼む。その逆もあって、仕事が成り立っていた。
この神奈川の田舎に引っ越してから、完全に昔の稼業とは縁が切れそうだった。まあ、もっとも「しのぎ」自体が成り立たない世の中なのである。そんな時代の必然で足を洗わざるを得ない話を近年よく耳にしたマコトである。
さらに、昔の仲間に頼まれて、朽ち果てかけた空き家に住むことになり、思いがけず手に入れた田舎暮らしがようやく軌道に乗った、このタイミングで妻からの突然の報せである。
まるで、全部お見通しだ、と冷や水を浴びせられたような気持ちだった。
実際、不平を言っている時間もない。
ただ、不幸中の幸いで、仕掛りの仕事は、ブロック塀の修繕で比較的仲間に引き継ぎやすい仕事であった。
マコトは、スマホを取り出し、一番近くに住む仲間の一人に電話を掛けた。
彼は、マコトの五つくらい年下の一人親方で、自分は無理だが、頼む宛があると言ってくれた。
そういうわけで、月曜の朝、依頼主に正直に事情を説明、当座の引き継ぎを済ませると、マコトは軽トラを走らせた。
マコトの元妻、サキコは、川崎の大きな病院に入院していた。
春休みを前にして、急遽小学校を休んだリコが母親の面倒を診ていた。
四人部屋の右手前がサキコのベッドだった。
マコトが病室に入っていくと、昼ご飯後で、リクライニングを少し上げた状態のサキコがすぐに振り向き、気がついた。
「おお」
少しだけ前に出るマコト。言葉がない。
リコは動きを止めたまま、マコトを見上げていた。
「リコ、売店で缶コーヒーを買って来てくれない。あなたも何か好きなもの買って来ていいよ」
「うん」
リコが病室を出ていくと、マコトは持ってきたバラの花束をベッド横のテーブルに置いた。
「ありがとう、お見舞いは慣れたものよね」
「いや、久しぶりで。病院って、こんなに明るかったっけ」
「最近の病院はみんなこうよ。暗くならないように気を配ってるのね。座って」
マコトは丸イスを引いて座った。
「ごめんなさい。急にこんな事をお願いして。勝手言って。どうしてって思ってるでしょうね」
マコトは返す言葉を探す。
「顔色、悪くないじゃない」
「あ、そう。これから治療すれば、大変になるんだって」
「そうか」
「リコ、大きくなったでしょ」
「そうだな」
「あの子が、パパのところが良いって言ったのよ」
「え、だって・・・」
サキコが遮る。
「そう、あなたのことは、ずっと死んだことにして育ててきたから。病気が分かってから、リコは、あなたが本当は生きていることを初めて知ったの。私が嘘をついてきたことも」
「そうか」
「お母さんが生きていれば、そんな話をしなくて済んだけど、お父さんの事が、ほんと嫌いなの。私の影響だと思うけど。絶対におじいちゃんのとこには行かない。一人で家に居るって、泣くから」
「そう・・・、分かった」
「それで、仕方なく。ほんと、ごめんなさい。でも、こうするしか、もうやりようがないから。昔の写真見せてね、あの子に。そしたら、パパのところに行きたいって。不思議なものね、怖がらないの、知らないおじさんなのに。顔も少しいかついのに。変に肝が座ってる、私に似て」
「そうか、いま何年生」
「四年生」
その時、リコが売店からから戻った。
マコトとサキコが別れたのは、リコが一歳に成る前だった。さらに、里帰り出産だったから、マコトがリコと居た期間はほとんど無かった。
当時のマコトの稼業のこともあって、離婚の原因は一通りではないが、マコトが出産に立ち会えなかった事が、決定打となってしまったのだった。
産後もサキコは実家から戻らず、マコトが遂に迎えに行くと、いきなり離婚を切り出され、マコトはそれを止められなかった、というわけであった。
次の日曜日にまた来る約束をして、マコトとリコは病院を後にした。
途中、リコの希望でドライブスルーの牛丼を買った。買い終えて、国道に出た時、これが一回やってみたかったんだ、とリコが言った。
二人は、居間の電気炬燵で向かい合って、言葉少なに牛丼を食べた。
あっという間に食べ終わり、マコトが台所で片付けている間、リコは少し家の中を歩いて回った。
「明日、布団を干すから、今晩は炬燵に寝て。明日からは、好きな部屋に寝ていいよ」
「うん・・・、一人で住んでるの」
「そうだ。明日仕事に行くから、留守番してもらわないといけないけど・・・」
「大丈夫」
「現場近いから、昼は一旦帰る。それで、買い物行って来よう、スーパーで。食べるものや飲み物や」
「うん」
マコトは米を研ぎ始める。
「明日の朝は、ご飯と味噌汁しかないけど」
「大丈夫」
リコはダイニング・テーブルの横に立って、マコトが米を研ぐのを眺めていた。
そして、米が研ぎ終わる頃、口を開いた。
「ここ、一軒家ですよね」
急に丁寧な言葉遣い。
「そう、借り物だけどね」
「あ、そか。じゃあ、無理か」
「う、どうして」
「いや、やっぱ何でもない」
マコトは米をセットして、冷蔵庫を開け、中を確認する。確認しながら、リコが言いかけたことが、気になったままだ。
「俺、しゃべるの苦手だし、何ていうか、人の気持ちって良く分からないから、はっきり言った方が良い。そうしないと駄目だと思う、俺は」
少し考えて、リコは再び話しだした。
「本当にお父さんなの」
「うん、まあ、血はつながってるよ、きっと」
「なんて、呼べば良いの」
「いや、好きに呼んだら良い」
「じゃあ、ママのことはママって呼んでるんだから、パパだよね」
「そうか。良いよ」
正直、恥ずかしいマコトだったが、否定する理由がない。
「それなら、パパ」
「はい、何ですか」
今度はマコトの言葉遣いが変になった。
「ネコ、飼える。ここ、一軒家なら。前にママにお願いしたら、一軒家じゃないから無理って言われたから」
本当は、オーナーの許可が必要だろうが、彼が反対するわけがないし、わざわざ、そんなことをお伺い立てるような間柄でもない。
だから、これもまた、否定する理由も無かった。
「あ、飼えるよ」
「え、ほんとっ。じゃあ、飼って良い」
「うん、良いよ」
「やったあ」
リコは声を弾ませて、本当に心から嬉しそうに、笑った。
割った木から出る虫が目当てなのだろう。オレンジのお腹を見せて、尾っぽを震わせながら囀るのが愛らしい。
ダルマストーブがようやく温まってきた。前の住人の置き土産。
マコトがその空き家に住むようになって二回目の冬を迎えた。
都内から、急に田舎暮らしになってもすぐに慣れたのは、もともとが北関東の山育ちだからだろう。
裏の小さな畑で、ストーブにあたりながら、小鳥を観るのが、仕事がない日のマコトの楽しみとなった。
しかし、その朝は、マコトの心はざわついていて、心からくつろげない。昨夜届いたメールのせいだ。
別れた妻からのショート・メール。
二度と関わることはないと思っていた妻が連絡を取ってくるのだから尋常なことではない。携帯のショートメールとは、それを可能にするから、ある意味厄介な代物なのだ。
末期がん。
入院するから娘のリコを預かってほしい、と言う。
マコトは、離婚の影に、男が居ると思いこんでいたから、この十年ほどの年月の間に、きっと彼女は再婚をしていると踏んでいた。
それが、マコトの思い込みだったようだ。つまり彼女は単に、元ヤクザ者のマコトとの生活に嫌気がさしただけなのかもしれなかった。
いや、そんな事はこの際関係なかった。
(どうするよ)
昨夜返信メールを打った後になって、何度も、マコトはそう心の中で自分に問いかけている。
しかし、どうするも何も、良く考える余裕もなく「分かった」と返信をしてしまったのだった。
(そう言うしかないもんな)
よく訳も訊かずに事を起こすのは、マコトの悪い癖だった。
我に帰ると、とっくにジョウビタキは去り、百舌鳥が取って代わっていた。
今マコトは、外構の仕事をしている。
いわゆる「一人親方」というやつだが、一人では手に負えないような仕事が入ったときには、仲間の「一人親方」に加勢を頼む。その逆もあって、仕事が成り立っていた。
この神奈川の田舎に引っ越してから、完全に昔の稼業とは縁が切れそうだった。まあ、もっとも「しのぎ」自体が成り立たない世の中なのである。そんな時代の必然で足を洗わざるを得ない話を近年よく耳にしたマコトである。
さらに、昔の仲間に頼まれて、朽ち果てかけた空き家に住むことになり、思いがけず手に入れた田舎暮らしがようやく軌道に乗った、このタイミングで妻からの突然の報せである。
まるで、全部お見通しだ、と冷や水を浴びせられたような気持ちだった。
実際、不平を言っている時間もない。
ただ、不幸中の幸いで、仕掛りの仕事は、ブロック塀の修繕で比較的仲間に引き継ぎやすい仕事であった。
マコトは、スマホを取り出し、一番近くに住む仲間の一人に電話を掛けた。
彼は、マコトの五つくらい年下の一人親方で、自分は無理だが、頼む宛があると言ってくれた。
そういうわけで、月曜の朝、依頼主に正直に事情を説明、当座の引き継ぎを済ませると、マコトは軽トラを走らせた。
マコトの元妻、サキコは、川崎の大きな病院に入院していた。
春休みを前にして、急遽小学校を休んだリコが母親の面倒を診ていた。
四人部屋の右手前がサキコのベッドだった。
マコトが病室に入っていくと、昼ご飯後で、リクライニングを少し上げた状態のサキコがすぐに振り向き、気がついた。
「おお」
少しだけ前に出るマコト。言葉がない。
リコは動きを止めたまま、マコトを見上げていた。
「リコ、売店で缶コーヒーを買って来てくれない。あなたも何か好きなもの買って来ていいよ」
「うん」
リコが病室を出ていくと、マコトは持ってきたバラの花束をベッド横のテーブルに置いた。
「ありがとう、お見舞いは慣れたものよね」
「いや、久しぶりで。病院って、こんなに明るかったっけ」
「最近の病院はみんなこうよ。暗くならないように気を配ってるのね。座って」
マコトは丸イスを引いて座った。
「ごめんなさい。急にこんな事をお願いして。勝手言って。どうしてって思ってるでしょうね」
マコトは返す言葉を探す。
「顔色、悪くないじゃない」
「あ、そう。これから治療すれば、大変になるんだって」
「そうか」
「リコ、大きくなったでしょ」
「そうだな」
「あの子が、パパのところが良いって言ったのよ」
「え、だって・・・」
サキコが遮る。
「そう、あなたのことは、ずっと死んだことにして育ててきたから。病気が分かってから、リコは、あなたが本当は生きていることを初めて知ったの。私が嘘をついてきたことも」
「そうか」
「お母さんが生きていれば、そんな話をしなくて済んだけど、お父さんの事が、ほんと嫌いなの。私の影響だと思うけど。絶対におじいちゃんのとこには行かない。一人で家に居るって、泣くから」
「そう・・・、分かった」
「それで、仕方なく。ほんと、ごめんなさい。でも、こうするしか、もうやりようがないから。昔の写真見せてね、あの子に。そしたら、パパのところに行きたいって。不思議なものね、怖がらないの、知らないおじさんなのに。顔も少しいかついのに。変に肝が座ってる、私に似て」
「そうか、いま何年生」
「四年生」
その時、リコが売店からから戻った。
マコトとサキコが別れたのは、リコが一歳に成る前だった。さらに、里帰り出産だったから、マコトがリコと居た期間はほとんど無かった。
当時のマコトの稼業のこともあって、離婚の原因は一通りではないが、マコトが出産に立ち会えなかった事が、決定打となってしまったのだった。
産後もサキコは実家から戻らず、マコトが遂に迎えに行くと、いきなり離婚を切り出され、マコトはそれを止められなかった、というわけであった。
次の日曜日にまた来る約束をして、マコトとリコは病院を後にした。
途中、リコの希望でドライブスルーの牛丼を買った。買い終えて、国道に出た時、これが一回やってみたかったんだ、とリコが言った。
二人は、居間の電気炬燵で向かい合って、言葉少なに牛丼を食べた。
あっという間に食べ終わり、マコトが台所で片付けている間、リコは少し家の中を歩いて回った。
「明日、布団を干すから、今晩は炬燵に寝て。明日からは、好きな部屋に寝ていいよ」
「うん・・・、一人で住んでるの」
「そうだ。明日仕事に行くから、留守番してもらわないといけないけど・・・」
「大丈夫」
「現場近いから、昼は一旦帰る。それで、買い物行って来よう、スーパーで。食べるものや飲み物や」
「うん」
マコトは米を研ぎ始める。
「明日の朝は、ご飯と味噌汁しかないけど」
「大丈夫」
リコはダイニング・テーブルの横に立って、マコトが米を研ぐのを眺めていた。
そして、米が研ぎ終わる頃、口を開いた。
「ここ、一軒家ですよね」
急に丁寧な言葉遣い。
「そう、借り物だけどね」
「あ、そか。じゃあ、無理か」
「う、どうして」
「いや、やっぱ何でもない」
マコトは米をセットして、冷蔵庫を開け、中を確認する。確認しながら、リコが言いかけたことが、気になったままだ。
「俺、しゃべるの苦手だし、何ていうか、人の気持ちって良く分からないから、はっきり言った方が良い。そうしないと駄目だと思う、俺は」
少し考えて、リコは再び話しだした。
「本当にお父さんなの」
「うん、まあ、血はつながってるよ、きっと」
「なんて、呼べば良いの」
「いや、好きに呼んだら良い」
「じゃあ、ママのことはママって呼んでるんだから、パパだよね」
「そうか。良いよ」
正直、恥ずかしいマコトだったが、否定する理由がない。
「それなら、パパ」
「はい、何ですか」
今度はマコトの言葉遣いが変になった。
「ネコ、飼える。ここ、一軒家なら。前にママにお願いしたら、一軒家じゃないから無理って言われたから」
本当は、オーナーの許可が必要だろうが、彼が反対するわけがないし、わざわざ、そんなことをお伺い立てるような間柄でもない。
だから、これもまた、否定する理由も無かった。
「あ、飼えるよ」
「え、ほんとっ。じゃあ、飼って良い」
「うん、良いよ」
「やったあ」
リコは声を弾ませて、本当に心から嬉しそうに、笑った。
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