側妃志願!番外編

雪永真希

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侍女エルのドタバタ日記

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「エル」

 アスティさんが私の名前を短く呼んだ。その手には茶色のかつらが握られている。その意味は明白、今日もアイーダさんの代わりに仕事をしておけ、という無言の命令だ。

 アイーダさんを見てみたら、頭と肩をカクンと落としている。確か今日は詩集を丸暗記させられていたはずだ。

 それというのも、先日どこかの貴族が詩の一部を使って話しかけてきた時に、アイーダさんは答えることが出来なかったそうだ。咄嗟に気分がすぐれないと言ってその場を離れたので、何ら問題は起きなかったけれど、アスティさんはそれを許さなかった。自分の教育が至らないからだと反省したようで、昨日は休憩時間も取らずにみっちりとしごかれていた。それなのに、今日もまた詩の勉強をするらしい。

 大好きな仕事を取り上げられて、アイーダさんは落ち込んでいるみたいだった。

 ここはこのエルさんがひと肌ぬぎますかぁ!
 私は頬をぷうっと膨らませて見せた。

「ええ~っ、今日もですかぁ~?」

「何? 文句でもあるって言うの?」

 アスティさんが眉をきりりと上げた。これはやばい。今日はいつにも増してピリピリしている。
 不満を漏らして、アイーダさんを仕事に行かせてあげたいと思ったけど、アスティさんのこの怒った顔を見ると逆らえない。

 ごめんね、アイーダさん! 私も自分の命が惜しいんですうぅ!

「いえ、無いですっ。ではさっそく行ってきま~す!」

 慌てて三つ編みをほどき髪をまとめ、かつらを被ると、私は部屋を飛び出した。
 後ろから、助けを求めるアイーダさんの泣き声が聞こえた気がした……。



 着いた先は宮殿の中庭にある回廊だ。
 本当は画廊も掃除しなくちゃなんだけど、私はアイーダさんほど作業が早くない。だから先に汚れのひどい回廊を掃除して、時間が余れば画廊の方へ向かうようにしている。最近はアイーダさんも私を真似て、回廊から掃除をするようになったそうだ。
 掃除のやり方もアイーダさんに習ったので、以前よりも短時間で綺麗に仕上げられるようになった。

 今日も習ったやり方で掃除を進めると、柔らかな風が吹く。同時に何ともいい香りがして、私はブラシを持つ手を止めて、床から顔を上げた。

(どわーっ! は、白妃様っ!?)

 何と、遠くから白妃様が数人の侍女を連れてこちらを見ているのだ。白妃様は侯爵家のご出身で、とてもお美しい容姿をしている。白く真っ直ぐな髪も珍しいけれど、青とも紫ともつかない菫色の瞳はとても神秘的で、以前近くで見た時には吸い込まれるかと思ったっけ。

(わわわっ。白妃様が一人でこっちに近付いて来るーっ!)

 私は急いで隅っこに移動すると頭を下げた。

「今日はいつもと雰囲気が違っておるのう?」

 何と、白妃様が親しげに話しかけてきた。

「ふふ雰囲気が違う、でございますかっ!?」

 思わず顔を上げて聞き返してしまってから、はっとした。白妃様は、私とアイーダさんが入れ替わって掃除をしている事を知っている……!?
 やばい、これはやばい! アイーダさんが宮殿の掃除をしているとバレちゃったら、二度と掃除しちゃいけないっていう約束になっている。

「いっ、いつもと一緒です! わわ私がここの掃除をしております!」

 アイーダさんに似るように、抑揚を無くして小さな声で答えた。
 微妙に視線を外してそう答えると、あろう事か白妃様はわざわざ私の視界の中に移動してきた。瞳の色を見られたらまずい、と私は目を伏せて前髪で隠した。

「ほう? そうなのかえ?」

「そ、そうです! 私ですっ!」

 反対側に視線を外しながら答えると、白妃様は何故か笑い始めた。高貴な方なのにその笑い声は「ひゃっひゃっひゃ」といった風で、ちょっと変わっている。ようやく笑い声がおさまったかと思えば、白妃様は「くくっ」と思い出し笑いをしながら口を開いた。

「そうじゃな、そなたはいつもと同じ娘じゃ」

「そ、そうです! いえっ、そうでございます!」

「分かった分かった。掃除を続けよ。手を抜いていたと報告しても良いのかのう?」

「ええっ、それだけはご勘弁を!」

 冷や汗が出た私は、白妃様にお辞儀をしてから掃除に戻った。

 私の実家は貧乏子だくさんで、幼い頃から雑役女中として他家へ働きに出された。各家で仕事ぶりを評価され、紹介状を手にいろんな家を渡り歩いた。
 そして徐々にランクアップした結果、ようやく王宮勤めをする事が出来たのだ。おまけにアイーダさんのおかげで侍女という憧れの職業にも就けた。こんな事で職を失う訳にはいかないのだ。何たって、家には仕送りを待っている家族が居るのだから。

 一生懸命に仕事をする私をしばらく眺めて、白妃様はまた笑い声を上げながら去って行った。

 ふう、危ない危ない。もう少しでアイーダさんの秘密がバレるところだった~。
 でも、秘密は守り抜きましたよ、アイーダさん!



 その後、しゃがみ込んでしつこい汚れを磨いていると、背後からぬっと影が差した。
 振り返って見上げたら、そこにはこの国の王様が居た。王様と言えば、もちろん、この国の最高権力者様だ。

「ひゃっ! へ、陛下っ!?」

 私は驚いてすっとんきょうな声を上げてしまった。

 陛下はアイーダさんとラブラブだ。
 王妃様が離宮に移って以来、足繁くアイーダさんの部屋に通ってくる。「お帰りなさい」「……ただいま」とやり取りしている様子はとても微笑ましい。
 それまで相思相愛だったらしい王妃様には申し訳ないけれど、私はアイーダさんの味方なのでやはり陛下がアイーダさんに夢中なのは嬉しい。

 だけど私はまだ陛下の存在に慣れる事が出来ない。なぜなら、陛下がアイーダさんの部屋に来ると、私たち侍女はすぐに退室してしまうからだ。
 その後陛下とアイーダさんは……きゃーっ! 私ッたら何てはしたない事をっ!
 でも、私もいつか素敵な男性と……なーんちゃってっ!!
 はっ、いけない。早く場所を空けなきゃ……って、あれ? 陛下、私の顔をじっと見ている?

「……」
 あまりに凝視しているので、完全に移動するタイミングを逃してしまう。
 すると陛下はすぐに身を翻して行ってしまった。

 ああ、びっくりした。一体、何の用だったのだろう?
 ちゃんと仕事もしていたし、おとがめを受ける事なんてしてないけどなあ。それに道を譲らなくても、陛下は怒っている様子じゃなかったし。

 そこまで考えた私は、「あっ」と声を上げて手をポンッと叩いた。

(もしかして陛下、私をアイーダさんと間違えた!?)

 私とアイーダさんは身長も体格も似ている。後ろから見たらどっちだか分かんないもんね。アイーダさんに習ったせいで掃除のやり方や態勢もほとんど一緒だろうし。
 きっとそうだ。陛下はアイーダさんがここの掃除をしていると知っているんだ。誰にも内緒にしておけと厳命されていても、そこは相思相愛な二人なんだもの、秘密を打ち明けていても不思議じゃない。

(そっかあ、陛下はアイーダさんにに会いに来たんだ!)

 わあ、いいなあ。アイーダさんってばどれだけ陛下に愛されているんだろう!
 私もいつか誰かに愛されてみたいな~。
 あの素敵な人……トレイシヴ様。今度はいつ王宮に来るんだろう? 確か、詩の勉強をするから、しばらく経済の勉強は延期するってアスティさんが言ってたよね。
 あ~あ。アスティさんの気が収まるまではきっと来ないんだろうな~残念。

 あっ、いっけなーい。アイーダ様って呼ぶようにしないとまたアスティさんに怒られちゃうっ。
 私たちだけの時はアイーダさんって呼んでもいい決まりになっているんだけど、私はうっかり屋さんだからいつでもアイーダ様って呼べってアスティさんに言われてるんだった。
 でも、口に出した訳じゃないし、セーフだよね?

 それにしても、今日は一体何だったのかな~。
 白妃様や陛下がここに来るなんて滅多に無いのに、二人いっぺんに来ちゃうなんて。
 心臓に悪いから、今日限りにして欲しいなぁ。
ああ、いけない。さっさと掃除を終わらせて、アイーダさんにお茶でも入れて上げよう。……わが身かわいさで、アイーダさんを見捨ててしまったお詫びに。

「よーし、頑張るぞっ!」

 そう気合を入れ直してから、私は仕事へと戻ったのでした。
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