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太陽を宿す者(三人称視点)

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 傷口から発生した火種は、うねるように邪悪な獣を包み込んだ。立ち昇る炎が暗い道路の視界を広げていく。
 もがき苦しむ白いオークが作り出す影は、地面の上で楽しげに踊り始めた。

 恐怖に顔を歪めて後退りする残りの四体。老人を取り囲んで殺そうとしただけなのになぜ……そんな感情が読み取れる。
 どうやら悟ってしまったらしい。迫り来る口元を真一文字に結んだ男――日の丸弁当の高橋には勝てないと。

 赤く照らされた景色の中で、龍の一部を切り取ったかのような異形の剣が弧を描く。運命を受け入れて足を止めたモンスターのでっぷりと肥えた腹が大きく縦に裂け、体液の代わりに灼熱がこぼれだす。
 白いオークを次々と斬りつける高橋。炎、炎、炎。まるで死のロウソクだ。悲痛な叫び声を夜に溶かしながら、五本の火が灯る。

 地を揺るがす足踏み。ガシャガシャとこすれる金属音。敵の本隊が近い。
 高橋はラジオの電源を落とすと、ここであえて前に出た。先手を打つつもりだろう。体を前傾させながら加速していく。
 闇に消えてしまいそうなほどに速い……だが、足音も衣擦きぬずれの音すらも聞こえない。
 道を曲がろうとしたその時、小山のような大群と接敵した。
 二十を超える白いオーク。その中に、七メートルを超える個体が四体。全てが武器と防具で武装している。

 常人であれば、恐怖で足を止めてしまうだろう。だが高橋は、道幅一杯に方陣ほうじんを敷いた敵の集団に迷わず突入していく。
 高橋の存在に気づいたのは一部のオークのみ。足を止めて振り返り、「敵だ!」と鳴き声で知らせたところで、姿勢を低くして腹肉の死角に入り込んでしまった老人の姿は見当たらない。

「ブギュルルルルル!」

 前が進まず陣形が詰まる。大槌を担いだ巨大な白いオークが不満を漏らし、けたたましい咆哮ほうこうを上げたとき、中央で火柱が立ち昇った。日の丸弁当の高橋がオークを斬りつけたのだ。
 あわてふためく獣の軍団。仲間たちが次々と燃やされていく。蜘蛛の子を散らすように、群れが瓦解してしまう。

「ブギィイイイイイイイ!」
 
 戦斧を振り上げ、巨大なオークが怒気を含んだ指示を出す。何かがいる。方陣を崩すな。そんな意味合いを含んでいるのかもしれない。
 だが、いつの間にやら両足から発生していた炎が下から上へと燃え広がっていく。空気とともに取り込んだほむらが体内を焦がす。
 指揮権を持った巨体が、呼吸という生命維持に必須の機能を失い暴れ回る。ダンジョンボスとして最奥の間に現れてもおかしくない強敵が、何も出来ずに倒されてしまった。
 逃げては背を討たれ、その場で身構えようとも見えない敵に音もなく殺される。亡霊に襲われているかの如き恐怖。リーダーとも呼べる味方がこの状態では、もう集団を支えることはできない。 
 道を埋め尽くしていた白い群れが、瞬く間に壊滅してしまった。暗闇の中に佇む、ただ一人の老人により……。

「お前すげえな! 人間の中に、こんなやべえのが居るなんてよぉ。それも、ジジイってのが面白いわ。オレッチの仲間はそれなりに強いはずなんだが。はぁ……負けっかもしんねぇ……」

 遠くから仲間が焼き尽くされていく様子をただ黙って見ていたモンスター。両手を広げて二本の手斧を構えると、深く腰を落とした。
 外見から察するに、オーク……ではあるのだろう。だが、特徴を残しつつも人間的な印象を受ける。防具は雑に巻かれた腰布のみ。白い体毛は短く、肉体は引き締まっている。
 背は二メートルまで少し足りないくらいか。オークにしてはやけに小柄。しかし、雰囲気が違う。自信なさげに話しているが、口元は楽しそうに笑っている。 

「これは驚いた」

 まさか人語を喋る獣がいるとは……とまで、全ては語らない。敵と会話するなど無意味だし、馬鹿げているから。
 無意識に言葉が出てしまっただけ。

「オレッチは、魔王軍四天王。グレッヂ・ジャグワイトだ。お前は?」

 今まで倒してきた相手とは違う格上のオーラを感じ取った高橋は、盾を構えて様子を見る。
 独特なグレッヂの構えのせいで攻めにくい……が、剣を交えなければ、強さを測れないのも事実。
 大地の力強さを、植物の生命力を、生物の鼓動を。夜に溶け込んだ伊吹を胸一杯に吸い込み、体中に巡らせてからゆっくりと吐き出す。

「参る!」

 発したのは強い意志。ただ、言葉に乗せただけ。
 盾が発するおぼろげな光とともに、高橋が前に出る。

 対するグレッヂはぴくりとも動かない。老人の姿を追う漆黒の瞳には、子供のように無邪気な好奇心が宿っている。

 攻撃の間合い。
 龍鱗りゅうりんの剣がグレッヂの肩口に迫る。速度と体重を乗せたこれ以上ない一撃。

「――オラッ!」

 それを、左手の斧で振り払う。
 激しい火花と耳をつんざく金属音。
 鳴り止まぬ間に、右手の斧が横ぎに走る。軌道上にあるのは破邪の盾。あえて狙った攻撃だ。
 盾とは攻撃を受けるもの。だが、人間如き非力な存在では、その衝撃で全身が砕け散るという自信に満ちた行動である。

 ……その思惑は外れた。
 高橋は剣を振り下ろした動作のまま身をかがめ、低い位置から斧の横っぱらを叩き、軌道を斜め上にずらす。
 受け流すよりも相手の体勢を崩せる、状況に最も相応しい回避だろう。

 地をうように剣を突き入れ、グレッヂの内腿を狙う。前後左右どこへ動いたとしても追いかけることができる見事な刺突。
 ……これが、空を斬る。深く曲げた膝を伸ばして飛び上がったグレッヂは、横薙ぎの回転力そのままに体をひねり、全体重を乗せた二本の斧を振り下ろす――瞬間、刃が光った。スキルだ。

「ドッカーン! 【大破砕だいはさい】!」

 二つの斬撃が地面を叩いたのはほぼ同時。大地は縦に揺れ、大気が震える。刃が触れたアスファルトから、無数の鋭い石柱が突き出す。
 しかし、そこに高橋の姿はない。下がるのではなく、当たれば必死の攻撃を見切って前に出ていた。
 グレッヂの頭上高くまで飛び上がり、逆さの状態で剣を振る。無理な姿勢ではあったが、切先は鎖骨の少し下あたり――胸元を小さく切り裂く。

 大ダメージとはいかない傷口だが、火龍からドロップしたこの剣であれば別だ。バーナーのような高火力の火種が起こる。

「マジかよ! ……やるなぁ、ジジイ」

 咄嗟に手のひらで炎を抑え込むグレッヂ。肉が焼ける――ジャッという音が、被害を最小限にとどめたことを意味していた。

 着地してすぐに三歩ステップして距離を取り、再び盾を構える高橋。ひたいから流れ落ちた冷たい汗がほほを伝う。
 一撃を与えることには成功したが、あの時もしも後ろに引いていたら、間違いなく全身を串刺しにされて死んでいた。その事実に背筋が凍える。
 昔から運だけはよかった。じゃんけんでも、サイコロでも、神のみぞ結果を知る勝負に負けたことがない。
 今回もたまたま直感を信じただけ。紙一重の危うさであった。

「ふむ、斬れはするのか……」

 しかし、顔には出さない。あくまでも有利を信じる男を演じた。
 強さは心が支えてくれる。実力が拮抗している……いや、むしろ負けているからこそ、何かで勝たなくてはいけない。

「強がりが見えてるぜ? よかったなぁ、死ななくてよぉ?」

 相手も強者。自らを四天王と名乗る未知の魔物は、心理戦にもけているらしい。
 焼け焦げた傷跡が、みるみるうちに塞がっていく。白い体毛まで元通りだ。
 オーク特有の回復力まで持ち合わせているとは。それも驚異的な……。厄介な相手を前にして、高橋の眉間みけんにシワが寄る。
 持久戦になれば不利。手数が増えれば、それだけ死ぬ確率が増えるのだから。勝つためには、首をねるしかないだろう。

「なぁ、やっぱり名前を教えてくれよ。これからオレッチが倒す……つええ奴の名前をよぉ!」
「獣に名乗る気はない。首が飛ばされぬよう、しっかり押さえておけ」

 不利になると分かっている。だが、あえて狙いを伝えた。研ぎ澄まされた五感が勝機をとらえていたから。
 にじむ汗をそでぬぐい取り、白の四天王に向かって走り出す。
 左へ右へ、鋭く体を振るまとを絞らせない動き。モンスターと戦う際の基本である。

 すぐに攻撃の間合い。盾を掲げてグレッヂの視線を塞ぎ、その裏から連続の突きを放つ。軌道の読めない最短距離を走る技であったが、ことごとくを撃ち落とされてしまう。
 反応も、力も、スピードでさえも遥かに格上。剣を握る手が痺れている。二の腕の筋肉も悲鳴を上げている。それでも、高橋は突くことをやめない。
 自身の両目も盾の裏側しか見えていないのだが、両耳が斧の動きを教えてくれる。敵の体毛が擦れる一本一本の音まで詳細に捉えている。
 殺意を感じ取る皮膚が、苛立ちを嗅ぎ分ける鼻が、一方的な攻めを可能とさせていた。

「――であああああっ!」

 気合いとともに盾を引き、腰のひねりを加えた袈裟斬りを放つ。隠していた勝利への一撃。刃が吸い込まれるように首筋へ。
 決まれば、左脇まで切り裂いてしまうだろう。

「甘いぜぇ!」

 グレッヂは左手首を返し、手斧を器用に回転させて防いでしまった。

「――うおおおおおっ!」

 剣を受け止められた高橋は、再び叫び声を上げながら盾の下部で殴りつける。

「なんだそりゃ?」

 まったく体重が乗っていなかった攻撃は、右手の前腕で軽々と払い除けられてしまう。

「俺の名を教えてやろう……」
「もういいわ。死ねよ」

 老人は、死を受け入れたかのように小さく呟いた。
 だが、瞳の中で猛火が揺れている。

 興味を失った老人にトドメを刺そうと右の手斧を振り上げたその時、グレッヂの胸元から漆黒のショートソードが生えた。
 背中側から心臓を貫かれている。

「……ごふっ……あぁ?」

 グレッヂは、何が起こったのか分からない様子で振り返る。
 その首を、龍鱗の剣が横薙ぎにね飛ばす。

「押さえておけと言っただろう?」

 失った頭を探すかの如く火炎が舞う。
 いくら生命力に優れていようとも、欠損した部位までは再生できないようだ。火だるまと化した四天王は、膝から崩れ落ち、消えていく。

 その背後に、勝利の鍵となった男がいた。
 がむしゃらな攻撃や意味のない叫び、命懸けの捨て身でさえも、全て計算されたもの。足音を立てずに遠くから近づいてくる、この老人の存在に気づいていたから。

 ショッキングピンクの派手な眼鏡。へつらうような笑み。あまり良い印象を受けない見た目だが、どこか懐かしさを感じた。

「……助かった。感謝する」
「ここに来れば、高橋さんに会えると思ってましたよ!」
「俺を知っているのか?」
「覚えてませんか? 二枚舌にまいじたの田村です。ほら、これ見てくださいよ!」

 ショルダーバッグから取り出したスマートフォン。その待ち受けには、龍鱗の剣を持った青年と若かりし頃の高橋。
 火龍を倒したとき、しつこく話を聞かれたのを覚えている。あぁ、あの男か……懐かしい気持ちが胸を満たしていく。

「いつもの場所に行くんですよね?」
「そのつもりだ」

 ラジオをつけて、寄ってくるモンスターを倒しながら、ダンジョン『梅花の回廊』へと向かう。道中、田村が昔話に花を咲かせる。

 この男がなぜ二枚舌と冠されたのか。
 元々うわさばなしが好きな性格であった。地球にダンジョンが現れて、探索者という職業ができたのだから、話題には困らない。
 茨城県の各地を周り、目で見て、話を聞いて、強い探索者の情報を片っ端から収集したのだ。あくまで趣味というのだから恐ろしい。
 日の丸弁当の高橋という名を広げたのは田村であり、港大橋の女弁慶や五本指靴下の加藤などのあだ名をつけたのもこの男だという。
 多少の脚色とともに流した噂話を信じられないと、田村はいつしか二枚舌と呼ばれるようになった。
 しかし、英雄譚えいゆうたんとは広まるもの。尾ひれに加えて背びれまでついて、当時の探索者たちにとって絶好の酒のさかなとなったらしい。

 いつまた四天王のように強力な敵に襲われるか分からない。死と隣り合わせの状況だというのに、なんとも愉快な奴だと、滅多に笑わない高橋もつい声が出てしまった。
 探索者に人生を捧げたせいで友人と呼べる存在がいない高橋にとって、心地よい時間が流れている。

「……結構いますね」
「うむ」

 梅花の回廊に到着。相当数のモンスターを倒しながらやって来たが、まだまだポータルからは敵が溢れてくる。
 有名とはいえないが、あの時代を生きた二枚舌の田村も実力は十分。スピーカーから響くニュースに釣られて群がる魔物を、片っ端から地獄へと送り届けていく。

 あっという間に処理してしまい、木々のざわめきと昆虫たちの大合唱に包まれる。
 少し落ち着けるかと切り株に腰を下ろした高橋の隣で、田村がどさりと胡座あぐらをかく。

「もしかして、あれ日の丸弁当を食べるんですか?」
「いや、あれは無くなって・・・・・しまった」

 高橋がポーチから取り出したのは、ふんわり優しく握られたおむすび。二つの丸が、竹の皮に包まれている。

「ふぅ……」

 大きな一口で三割ほどを咀嚼そしゃくする。
 自作の米に、中身は梅干し。茨城のブランド梅だ。母親の手作りには負けるが、近い味がした。
 昔を思い出し、人生が脳内を駆け巡る。

「いろんな人に会いましたが、高橋さんが一番かっこいいですよ。今も昔も輝いてます。まるで太陽みたいに」
「そうか……」

 下を向いた高橋は、目頭を押さえた。
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