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米と梅干し(三人称視点)

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 世界の色は、太陽が決めている。
 空を晴れやかな青に染めてみたり、帰り道をあかね色に照らしてみたり。

 かつて、日の丸弁当の高橋と呼ばれた男――高橋陽一よういちは、輝ける何かになりたかった。雲に覆われようとも、自分はここに居るぞと力強く主張し続ける……太陽のような人間に。
 思っても言葉にできない口下手な男。だからこそ行動で示そうとする。決めた事を、ただひたすら真っ直ぐ。

 地球にダンジョンが現れたとき、何故か自然と体が動いたのは、何か言い表せない使命感に駆られたからだろうか。
 当時十七歳だった彼は、実家の米農家を継がずにモンスターを倒す道を選択した。
 父親を早くに亡くし、なおかつ一人っ子だ。母親が反対するのは必然。しかし、決意を秘めた瞳が意見を押し通した。
 
 肩紐かたひもくくり付けたラジオを鳴らし、モンスターを誘き寄せることで的になる。
 自然豊かな常陸ひたち大宮おおみやという地域において、かくひそむ敵を探すには相応しい手段だったのかもしれない。

 右も左も分からずなたを片手に暴れ回っていたが、運のいいことに、ドロップする装備はいつもいいものが多かった。
 頭は悪い方だろう。運動も得意ではない。特にひいでた才能のない平凡な男。だが、ひたすらに強かった。
 粗雑そざつで荒々しく、常に死に物狂ものぐるい。命の価値を賭けあって、高い方が勝つ。まさに全身全霊の戦闘。
 自分の帰りを待つ母親の元に帰らなければ――胸にいだくは一つの思い。モンスターごときがかなうはずがなかった。

 二年間戦い続け、十九歳となった男は、モンスターをあらかた掃討し終えたと判断してダンジョンの入り口――ポータルへと向かう。
 心に決めたのだ。外に出てきた敵を、その場で倒してしまおうと。
 その日から、家には帰らず、ポータルの前で二十四時間戦い続けた。疲れたら少し離れた場所で仮眠をとり、敵の足音で目を覚ます。臭い物にはふたをしろとばかりに、そんな日々の繰り返し。
 ニワトリの化け物だろうが、一つ目の巨人だろうが、次から次へと斬りせる。まるで、近づく者すべてを焼きがす太陽のように。

 肌は日に焼け、あか蓄積ちくせきしていく。皮膚は薄汚うすよごれた十円玉のような色に変わった。
 日射で痛み、砂埃すなぼこりからんだ髪はボサボサ。邪魔だと感じたときに頭の上で持ち上げて、雑に剣で切り落としていたからだ。
 仙人と称されてもおかしくない。街中を歩けば、誰しもが避けたくなる姿になっていた。

 なぜ、このような異常なまでの生活が送れたのか。背景には、朝昼晩に母親が持ってきてくれる日の丸弁当があった。
 三合の米と二粒の梅干し。炊き立ての米は白くつややかで、一口含むと太陽の味がする。
 梅干しは大粒。梅本来の旨みを感じられる、昔ながらの製法で作られた手作りのもの。塩辛く酸味も強いが、一口食べれば力が湧いてくる。
 広大な梅畑梅畑の中にあるダンジョン『梅香ばいか回廊かいろう』で、日の丸弁当の高橋は戦い続けた。
 母親の急死をきっかけに、探索者を引退するまでの二十二年間ずっと。

「行って参る」

 仏壇ぶつだんの前で手を合わせ、小さく呟く男。白髪を短く刈り上げた坊主頭。両目は吊り上がり、口はへの字にゆがんでいる。
 怒っているわけではない。元から勘違いされやすい顔というだけ。

 身にまとう派手な黄色の革鎧は、カエルに似た大型バスほどもある巨大な魔物――地龍ちりゅうを、三十八時間かけて倒したときにドロップしたもの。その上から、鬼鉄の胸当てでさらに防御を固めている。
 背負う真四角の盾は暖かな光を放ち、スケルトンやゴブリンなどの弱いモンスターであれば、照らされた瞬間に消滅してしまう。

「剣を握るのはいつぶりか……」

 高橋は、玄関に立て掛けてあった剣を手に取る。まるで、雨の日に傘を持ち出すかのように。自分でも驚くほどに自然で、ブランクなど考える必要はないなと悟った。
 外に出て、『梅香ばいか回廊かいろう』に向かって歩きだす。
 肩紐から吊り下げたずいぶんと型遅れなラジオの電源を入れると、無事にニュースが流れてくれた。日本の電化製品は丈夫らしい。
 ボリュームは当時のまま。あまりに音が大きくて、騒音を撒き散らしていた昔の自分を笑ってしまう。

 街灯一つない田舎道。視界が闇にさえぎられ、いつどこでモンスターと遭遇そうぐうするか分からない恐怖に包まれている。
 頼りとなるのは月明かり……そして、盾が放つ聖なる光。だが、周囲を染めあげる黒の前では弱々しい。
 一歩を踏み出すことすら躊躇ちゅうちょしてしまいそうな視界の中を、日の丸弁当の高橋は気にする素振りも見せずに進み続ける。

 二十四時間、二十二年間という戦いの日々が、彼の体に変化をもたらしていた。針のように研ぎ澄まされた五感により、見えるのではなく、えているのだ。
 光を取り込もうと人一倍大きく開いた瞳孔どうこう。耳は足音の広がりを捉え、どこから跳ね返ってきたのかまで把握する。
 ほほでる風、肺に送り込まれる香り、舌先で感じる空気の味……微小な変化すら感じ取るセンサーと化していた。

 聞こえるのは、茨城県内の様子を伝える騒がしいラジオと、虫やカエルの合唱くらい。しかし、何かを感じ取ったらしい高橋は、背中の盾を左手に通す。

 右手に構えるは異形の剣。燃えるような紅の鱗《りんこう》が積み重なり、刃を形成している。この武器は、口から火炎を撒き散らし、大空を飛び回るドラゴンからドロップしたもの。
 たまたまその場に居合わせた話好きな探索者が、まるで英雄譚えいゆうたんでも語るように言い触らしたことで、日の丸弁当の高橋という二つ名が茨城中に知れ渡った。

「来たか」

 ……地震だろうか。いや、何かが来る。大量の何かが。
 足裏に伝わる微振動びしんどう。祭りの会場に近づいたかのような、大人数で奏でる和太鼓わだいこに似た音が鼓膜に伝わる。
 常人では知覚できないほどの小さな異常に、彼は気づいていた。

 少し歩けば道が開けるのは分かっている。だが、足を止めたのは両脇が林に囲まれた細い道路。一見戦闘には不利に思えるこの場所を、あえて選択したらしい。

 迫り来る足音は二十を超えている。モンスターがここまでの群れを形成して襲ってくるなど、前例がない。
 この規模が街を襲っている……想像したその一瞬で、高橋のひたいに冷たい汗がにじむ。

「……ィイイ」

 モンスターの鳴き声が聞こえる。ガラスに刃物を押し当て、傷をつけるが如く耳障りな音。
 地を揺らす足音はとどろ雷鳴らいめいと化す。
 ……敵は近い。

 ラジオからは、ひたちなかの惨状さんじょうを伝えるニュースが流れている。どうやら、モンスターを退ける力を持った優秀な探索者が少ないようだ。
 高橋は、奥歯を強く噛み締めた。助けに行ってやりたいが、自分の体は一つ。手の届く範囲しか守れないことを理解している。
 仲間を信じるしかない……昔もそうであったから。

 フゴフゴと鼻を鳴らす音。緩やかに曲がる道を通り、現れたのはオークの大群であった。
 しかし、普通のオークとは体色が違う。瞳は赤く、夜闇から浮き出すような純白の毛皮をまとっている。
 臭いも声も異なる未知のモンスターが押し寄せてくるのだ。早くから警戒していたのは当然だろう。

「ビギュィイイイイイイイ!」

 高橋を見つけるやいなや、白い二足歩行の獣は横一列に並び、天に向かって甲高かんだかえる。その数は五体。道幅みちはばぎりぎりの面となって走りだす。
 オークとは比べ物にならないほどに速い。下層……いや、深層のモンスターと言われても納得してしまうほどに。

「ふぅ……」

 肺に溜め込んだ空気をゆっくり吐き出した男は、射殺さんばかりの眼光を白いオークの群れに向ける。迫り来る肉の壁を前にしても、微動だにしない。小柄な体で受け止めようとでもしているのだろうか。
 いや、違う。どうやら、攻めに転じるタイミングをうかがっていただけのようだ。
 囲い込もうとしたのか、左右のオークが少し前に出たことで、一文字いちもんじの陣形が八の字へと変化する。その少しの隙間を、高橋が見逃すはずがない。
 盾が放つ光が、暗闇の中で直線を描く。それほどの鋭い踏み込みで、左のオークに接近。目の前の老人を捕まえようと伸ばされた毛むくじゃらの両腕は、体勢を低くして潜り込んだ高橋に軽々とかわされてしまう。

「ぞあっ!」

 気合いとともに振り抜かれた龍鱗りゅうりんの剣が、オークの右脇を深々と斬り裂く。傷口からは、鮮血……ではなく、炎が噴き出した。
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