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7巻
7-2
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領地と領民を守る義務のある貴族には、戦争や武力衝突、大規模な自然災害など、国家にとっての有事の際に、それらと直接向き合う責任がある。そのため、一瞬で何十人もの敵を倒したり、不利な状況を一変させられたりする強力な魔法の力は、彼らにとって、その地位や名誉を保持する上で必要不可欠な要素なのだ。
ところが、そんな権力の側に立つ貴族の中には、魔法の素養を持つ跡取りに恵まれないケースもあった。平民ならばともかく、これは致命的な事態である。そういったとき、貴族は血縁に関係なく、魔法の才能に恵まれた若者を養子として迎え入れることで、「我が家は領地と領民のために、戦う準備がある」と示すのである。
この世界では、まったく魔法の使えない両親の間に、強力な魔法の才能を持つ子供が生まれることも珍しくなかった。その逆に、両親が強力な魔法使い同士であっても、魔法の使えない子供が生まれる場合もある。だからこそ身分の上下にとらわれず、こういった養子縁組が成立する。
「僕は身体強化魔法に加えて、魔獣を従わせる魔法を持っている。という能力設定だったからね。これほど強力な魔法も少ないと思わないかい?」
魔獣とは、恐ろしく強力な存在だ。一頭を倒すのに、最低でも十数名もの兵士を必要とする。特に力を持つ魔獣なら、その数倍、数十倍もの人数で挑まねば太刀打ちできない。そんな存在を自由自在に従わせることができたなら、どれだけ頼もしいか。実際は魔獣だけではなく、おおよそすべての生きとし生けるものを魅了する類の能力なわけだが。
「その後は、君達のお察しのとおり、かな。戦争が起こって、私達の国が負けた。敗戦国は悲惨だよ。自分達の不幸を嘆いて、誰かのせいにしなければ生きていけないぐらいに」
「様々な場所から、敗戦したままではいられない、仇を取りたい、なんて声が上がり始めたでしょうね」
「凄まじい勢いでね。同じ敗戦国でも、日本とは大分違うようだ。もっとも、敗戦直後の日本の状況なんて、僕は知らないけれど」
ファヌルスもキョウジも、日本で暮らしていたときにはすでに戦争が終わって大分年月が経っていた。だから敗戦直後の日本の状況を肌で味わった経験はない。それはほかの日本人達に関しても同じである。だが、ファヌルスはキョウジ達と異なり、ハンスの国に戦争で敗れた隣国に飛ばされたわけだ。その鬱屈した空気を浴びるように生活してきた男の語る話だけあって、口調にも、これまでにない真実味が感じられた。
「実際、戦後賠償は酷いものだったからね。家族を殺され、祖国を蹂躙され、生活の糧すら奪われる。報復を考えるには十分な条件じゃないかな」
「それを叶えれば、貴方は感謝される」
「そう、とても、ね。結局、失敗しちゃったけどね」
邪気の欠片もなく、愉快そうにファヌルスは笑った。
「準備には、念には念を入れたつもりだったんだけど。まさか負けるとは思わなかったよ」
「こっちもギリギリでしたよ」
「それでも勝った。そして、僕はこのとおり君達の手厚い歓迎を受けている。祖国はもっと酷い有様だろうね」
隣国は、ハンス達の国へ戦後賠償を払いつつ、なけなしの金と物資と人を注ぎ込んだ浮遊島を無残にも破壊されたのだ。事のあらましを知る隣国の中枢部の者達の士気は叩き潰されたに等しい。
しかも、隣国の王族や貴族と深い繋がりを持つファヌルスが人質として捕らえられているのである。その現状を熟知している彼らであればこそ、ファヌルスの身の安全を保証してもらう代わりに、ハンス達の国が要求することに従順な姿勢を取らざるをえない。
ファヌルスのことが、好きで好きでたまらない彼らは、おそらく国が滅ぶ寸前になっても、ファヌルスを見捨てずに助けようと動くだろう。
「そこまで酷いことにはなっていませんよ。生かさず殺さず、というやつです。あまり搾り取りすぎると、ろくなことがない」
そもそも浮遊島での攻撃そのものが、隣国ではなかったこととされている。ファヌルスが捕まっていることも、公式には発表されていない。
「僕みたいな者が出てくるから、ね。でも、今後はそんなこともなくなるよ。祖国は向こう何十年も。あるいは百年以上、平和を享受することになるだろうね」
確かにそうだろう。これで名実ともに、隣国はハンス達の国の属国となった。一国としての力は弱まるかもしれないが、背後に大国であるハンス達の国が控えているとなると、隣国に対して戦争を仕掛けてくる国もないと考えられる。そこまでのリスクを負って得られる旨みもない。
まさに平和だ。
もちろん、国民が幸せかどうかは別問題だが。
「さて。とりあえず一通りは話したかな。細かく聞きたいところはあるかい?」
まるでカフェでコーヒーでも飲んでいるかのように寛いだ雰囲気である。キョウジは一瞬、自分が監獄で囚人を前にして尋問しているという立場を忘れそうになった。だが気を取り直して、ファヌルスの言葉を胸のうちで反芻する。
ここにやって来るまでキョウジは、ファヌルスに一番に何を聞くべきか、いろいろと考えてきた。ところが、得体の知れぬ相手だけに質問事項が浮かびすぎて、上手くまとめられなかったのだ。
ならば直接本人と会って思うままに話をすればいいだろう。そう結論づけていたものの、ファヌルスと向き合っていると、どうも調子が狂う。
キョウジは、自分のことを基本的に凡人以下だと思っている。そんな人間が、隣国で一大軍事力を築き上げた優秀な相手と一対一でやり合おうというのだ。
考えること、数秒――。
早急に収穫を得ようとせずともいいだろう。そもそもが尋常な任務ではないのだ。無理は禁物。幸い時間の余裕はある。様々な人に助言を仰ぎ、再びここに来て、有益な情報を引き出していけば問題ない。
そう決めると、キョウジは目を細めて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「今日は、ここまでにさせてもらいます」
「うん。分かったよ。次に会えるのを楽しみにしているね」
ファヌルスは微笑んで頷いた。
キョウジは踵を返し、魔法陣のような円形の紋様が床に描かれた場所へ歩き始める。イツカの設置した転移トラップである。それを使って外へ出るつもりなのだ。内部の様子は常にイツカが見張っているはずなので、そこへ立てば転送してくれるだろう。
ファヌルスは少しの間キョウジの背中を見送ると、静かに目を伏せた。それから、例の鼻歌を歌い始める。祖国の自室で、浮遊島で、ファヌルスがずっと歌っていたメロディだ。
ゆったりと歌うファヌルスの姿は、猥らな美しさすら感じさせる。
その歌声を聴いて、キョウジはふと足を止めた。怪訝な顔で振り返ると、暫しファヌルスを見つめた。そして、すこぶる不思議そうな顔で、重苦しく声を絞り出す。
「なんでヴルドウト戦記のBGMなんですか。しかも中ボス戦って。チョイス微妙すぎるでしょう」
「へ? 知ってるの?」
ファヌルスの顔に浮かんでいたのは、完全に意表を突かれた、ぽかんとした表情だ。それまでの超越的な色彩が喪失した、どこにでも転がっているような間抜け面。
ヴルドウト戦記とは、キョウジのいた日本で大手ゲームメーカーが製作したソフトのタイトルである。据え置き型と携帯型ゲーム機、その両方が発売されていた。いわゆるアクションRPGに分類され、ハック&スラッシュを売りにしている。基本的には一人用だが、通信対戦も可能なシステムだった。
キャラクターメイクや育成の自由度の評判が高く、その手のゲーム好きにはたまらないタイトルの一つである。
ただ、ソフトを作ったメーカーがほとんど宣伝を打たず、キャラクターのビジュアルが洋ゲーっぽく日本人の好みではなかったため、売り上げはさほど伸びなかった。
キョウジがこの世界に来る半年ほど前に発売したものであり、直前まで遊んでいたゲームである。
どうやらファヌルスも、そのゲームのプレイヤーであったらしい。あまりに意外な共通点の発見に、キョウジとファヌルスは、いつの間にかゲーム談議に夢中になっていった。ただ大分、マニアックな話題のため、その手のゲームを実際にプレイした経験のある人でなければ、彼らについていくのは、なかなか難しいかもしれない。
「いや、僕はそうは思わないね! やっぱり軽戦士なら鎌系統の武器で、回避スキルツリー開放しつつ、攻撃力を増強した方がロマンあるよ!」
「だから、鎌系統って結局重武器でしょ? 最低でも戦士じゃないと振りが遅すぎるんですよ! 一撃離脱やるときとかのソロ専ならいいですけど! オンラインだとダメージソースにもならないし、壁もできないし中途半端なんですよ!」
ファヌルスは、身軽な動きを得意とするジョブのキャラクターで、鎌に分類される武器を運用するのがポリシーだったようだ。だが、キョウジはそれを非効率だと断じている。
「じゃあ、君、ソロのときは何を使ってたのさ」
「エンジニア。ゴーレムとマシンガン系銃火器マシマシで」
「完全に趣味ビルドじゃないかっ! それどっちつかずになるパターンだよ!」
「ゴーレムは完全に壁にして使うんですよ。そうすればスキルポイントほとんど必要ないですし。アイテムはほかのオンライン用のキャラで掘ってきます」
二人は、そのゲームのプレイスタイルについて話しているらしい。様々なキャラクターを作ることができるようで、プレイスタイルについて意見が分かれている。
「ドワーフで重騎士の盾装備です」
「ゴリゴリじゃないか。それ逆にガチすぎて引くよ」
「実際、オンラインでタンク張るならそのくらい必要なんですよ。もっと腕のある人だったらいいでしょうけど。回避タンクとか上位でできる人限られてますよ」
「確かに僕も何度か回避タンクの上手い人と一緒に潜ったことあるけど。アレは人間の所業じゃないよ」
二人の会話は、とても軽やかに弾んでいく。最初はヴルドウト戦記というゲームの話だったが、いつの間にか別の話題へと変化している。
「いやいや。確かに実弾兵器かい! とは思いましたけど。あのアニメのロボットって、ビーム兵器無効化シールドあるじゃないですか」
「そうなんだよ! ならむしろ主人公機が実弾兵器載せてるのは当たり前じゃないか! 本編でもその説明あっただろう、って!」
「ありましたねー。ただ、ミサイル系統積んでませんでしたけど。あれってやっぱ、重量の関係ですかね?」
「ぶっちゃけ、機動力が命だって言ってる二足歩行兵器に、くっそ重いミサイル積みまくるのってどうよ、って話で」
「あー。分かります。戦闘機とは違うって話ですよね」
「そうなんだよ! 凄い速さでミサイルぶち込むのなら、戦闘機でいいんだよね!」
ファヌルスのテンションはどんどん上がっていった。
片時も崩れなかった仮面のような微笑は消え、今は天真爛漫な子供の表情そのものだ。ころころと変わるそれは、日本のどこにでもいる、いわゆるオタク系に近い。妖艶な美貌はこれまでどおりだが、キョウジには今の彼から、女の子にモテそうな雰囲気を一切感じなかった。
やはり、ファヌルスの本質は、キョウジと同じ種類の人間のようである。
「ていうか、どっちでもいいと思いません? 酢豚にパイナップルって」
「あとあれね。ポテサラにリンゴ。確かに嫌がる人の気持ちも、必須だって言う人の意見も分かるけどさ。好みじゃん。もうその辺は」
「ですよねぇー。かといって、まあ、すぐ火種になることじゃないですか? 正直どっちでもいいって、言いにくくありません?」
「分かる。なんか、あるよね、そういうの。人によっては重要な問題だろうから、嘘でも感想みたいなものを持たないといけないんだろうし。どうでもいいって言うと、すっごい、なんか存在すら認めてないように誤解されて非難されるのも面倒くさいみたいな……。分かるけど! くっそ、どうでもいい! みたいな」
「それよりもラーメン食いたい。的なヤツですよね」
「まさにまさに」
傍から聞いていると、どこまでも下らない会話である。いわゆる「中身のない話」というやつだ。キョウジとファヌルスは、まるまる半日以上、そんな会話を繰り広げていた。話題は、まったく尽きない。二人の趣味はかなり近いものらしく、片方が話を振れば、必ずもう片方が食いついた。
ようやく話が途切れたのは、話すことがなくなったからではなく、二人とも喉の渇きで声ががらがらになり、体力の限界が来て、机に突っ伏したためであった。
一呼吸置くと、ファヌルスはよろよろと体を起こし、けだるそうに薄目を開けた。疲労困憊のあまり、しっかりと目を開けていられないのだ。何が面白いのか、弱々しく笑いながら、辛そうに腹を押さえている。笑いすぎて、腹筋が痛くなっているらしい。
「あははは。もう、あれだ。言葉遊びするのも疲れたなぁ。あれだよ、僕はアレだ、元々はキモオタってやつでね。しかもコミュ障でメンヘラだったわけだ。そんな僕が、あれだよ? 誰にでも能力で好かれるなんて状態になってみなよ。そりゃ、気も狂うさ!」
「でしょうねぇ。孤立無援だし。相談しても、どうせみぃーんな能力のおかげで慰めてくれるんでしょ? みたいな」
「ほんとだよ。どうにかして能力抑えようとか、消そうとかしたけどさ。もう、ぜんっぜんだめ! 無理!」
「あー。なるほど」
ファヌルスと同じ姿勢で休んでいたキョウジも、だるそうに机から顔を上げた。それから重たげな瞼を開け、妙に力のある視線を、じっとファヌルスへ向けた。
「きっと、僕もそうなりますよ。貴方と同じ立場なら」
「そうかな?」
「あるいは同じようなことをしていたかもしれません。ハンスさんとか、ケンイチさん達に出会ってなかったら」
死んでさえいなければ、どんな病気や怪我もたちまち治してしまう奇跡の治療魔法。それが、キョウジの能力だ。使いようによっては途轍もない悪用も可能となる。
死にかけているところを救われれば、どれほど感謝されることか。貴族なら幾らでも金を積み、民衆なら彼を神のように崇め、忠誠を誓う人達も数多くあらわれるだろう。
キョウジの能力は、そういう使い方もできるものなのだ。
「だから。貴方は少し状況が違った立場の、僕なんですよ」
ファヌルスは眠そうに眉をひそめて机に蹲り、肩を小刻みに震わせた。今度の笑いは先ほどのものとは種類が違っている。嗚咽や涙といった極めて人間らしいもの……、これまでファヌルスが決して見せようとしなかった生の感情が、その声には入り交じっていた。
キョウジはそれに気づかないふりをして、再び机に上半身を投げ出した。
暫くして、ファヌルスは両手を机に置き、ゆっくりと身を起こした。それから嗄れた喉で、唸るような声を出す。
「……そうか。確かに君は僕に似てるかもね。生まれ変わる前もボッチだったけど、ネットとかがあったから、まだマシだった。こっちに来てからは、マジで孤立無援だったからね。なんか、君と話せてよかった」
ファヌルスは椅子に座り直し、姿勢を正す。その顔からは、それまでの超然とした微笑が消えていた。卑屈さと皮肉さをない交ぜにした歪んだ表情。おそらくそれが、ファヌルスの本来の笑い方なのだろう。
「もっと、もったいぶるつもりだったけど。君の喜びそうな、いや、喜ぶことを教えるよ」
「何ですか、一体」
キョウジは体を起こし、少しわざとらしく、うっとうしそうな目でファヌルスを睨んだ。同族に向けるようなキョウジの視線を受け流すと、ファヌルスは口の端を吊り上げる。
「僕の後ろにいるヤツの話だよ。分かるだろ? いくら僕みたいなチート能力があっても、それだけじゃ、そうそう上手く公爵家なんかに取り入れないさ。手引きしてくれた連中がいるんだよ」
キョウジは、にわかに険しい目つきになる。確かに、幾つか考えた推論の中に、そういったケースも含まれていた。
能力が強力だとはいえ、元々ただの農民であったファヌルスが、どうやって貴族との接触を、それも公爵という高位の貴族と繋がりを作りえたのか。
偶然出会うこともあるだろう。だが、普通なら遠目から眺めることしかできないはずだ。それがファヌルスの能力が効果を発揮する至近距離まで近づき、言葉を交わす機会に恵まれた。
そうして公爵はファヌルスの能力に堕ちた。
これを単なる偶然という判断で片付けてしまっていいものか。つまり、ファヌルスは公爵と接するための何らかの助力を得ていた、とも想定されるのである。
「予想外の話じゃないだろう? 僕の能力をそれと知っていて、いろいろな有力者に会わせた黒幕がいるんじゃないかって。そうだよ、いたんだよ。僕の能力を利用したヤツと、連中が」
ファヌルスは、どこか皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
キョウジは僅かに目を細めて首を左右に振った。そして、ファヌルスをじっと見据える。
「ごめんなさい。大事な話だって分かってるんですけど、僕、今すんごい寝落ちしそうです」
「うん、正直、話し方でテンション上げて誤魔化そうとしてるけど、僕もだよ」
二人は苦笑を漏らし、ほとんど同時に疲れきった溜め息を吐く。お互いに顔を叩いたり、目頭を押さえたりして、何とか眠気を払った。
「締まりませんね」
「実際、僕にはこっちの方が似合ってるんだろうね。元々の性分は三枚目以下なんだからさ。顔は相当イケメンだけど」
「ぶっ飛ばしましょうか」
ファヌルスは声を出して笑った後、改めて話し始める。
内容は、彼を後押ししてきた人物と、異世界全土に広く知れ渡った巨大な組織についてであった。
2 手紙を受け取る男達
ロックハンマー侯爵に呼び出されたハンスは、その居城へ向かっていた。
王城からハンス宛に手紙が届いたらしいのだ。本来なら、ハンス自身へ直接送られてきそうなものである。ところが、そうはならずロックハンマー侯爵の手元を経由するということは、相応の事情があるのだろう。ましてや「差出人」が王城である。つまり、国の中枢からというのがなんともきな臭い。
もともとハンスは、有力貴族の出身だ。だが家督の継承順位は、当主の予備の予備の予備の、そのまた予備程度と、非常に低かった。
そんな立場の故か、命も軽く扱われていた。有事の際に殉死でもしてくれれば本家の名声の一助になると、国軍へ入れられたのだ。
しかし本家にとって予想外だったのは、ハンスが恐ろしく優秀な兵士だった、という点である。メキメキと武人としての才覚を発揮したハンスは、絶大な戦力を有する人物に授与される「騎士」の称号を賜ることとなった。
これには本家も危機感を募らせた。捨て駒にしたはずの人間が、いつの間にか大きな力を得るようになったのだ。このままいけば家を乗っ取られるか、あるいは今までの恨みにより復讐を企てられるか。そんなときに勃発したのが、先の隣国との戦争だった。
ハンスは本家の思惑により、その戦いに投入され、様々な無茶な作戦を実行させられた。にもかかわらず、蓋を開けてみれば、ハンスはその任務すべてを成功させ、敵将を討ち取るという大金星を挙げたのだ。
こうしてハンスは国王陛下に直接拝謁し、慣例として戦勝の褒美を賜る栄誉まで手に入れたのである。しかもその内容は、一つなら何でも望みが叶えられるというものだった。
本家としては、気が気ではなかっただろう。ハンスの願い次第では、本家は大きな打撃を受けるかもしれないからだ。
だが、そこでハンスが希望したのは、王都から遠く離れた田舎を守る地方騎士になることだった。
そんな異色の経歴を持つハンスである。国の中枢からの手紙という時点で身構えるのも無理はない。
ハンスは現在、ロックハンマー侯爵領内にある街の地方騎士の立場にある。そのため、侯爵の指揮下にいる扱いとなり、何かしら要請がある場合、まずロックハンマー侯爵にお伺いが立てられることになっている。
その後、然るべき報告と連絡の手順を踏み、ハンスの元へ手紙などで指令が下されるわけだ。
今回の用件は、たとえば突然、地方騎士の任を解くとか、王都に出頭しろとか。
つまるところ、ハンスにとって迷惑極まりない内容が予想された。できれば受け取りにも行きたくない。だが役人の辛いところで、そういう我儘を言うわけにもいかなかった。
最近、すっかり板についてしまった浮かない顔をパンパンと叩いて取り繕うと、ハンスはロックハンマー侯爵の領主館へ足を踏み入れた。
ハンスが案内されたのは、ロックハンマー侯爵の執務室である。以前にも何度か入る機会があり、趣味のよい調度品の並ぶ、質実剛健とした雰囲気の場所だったと記憶している。
けれどもハンスは、その部屋に通された瞬間、唖然とした表情で凍りつくはめとなった。
ハンスの目に飛び込んできたもの――。
それは、部屋の至る所に浮かび上がるモニターと、様々な人物の話し声が聞こえて来る摩訶不思議な円陣であった。
執務室の主は、それらに目を向けながら忙しなく空中に浮かんだ何かに指を走らせている。キョウジが話していたところによれば、それはキーボードと、入力した文字の確認画面とのことだった。
「ああ、騎士ハンス。呼び出して申し訳ない」
ロックハンマー侯爵は、ちらりと旧知の訪問者を一瞥すると、妙にこなれた調子でキーボードの端を指で突き、おもむろに席を立った。キーボードと、それに対応していたモニターが消え、円陣から響いていた音もピタリとやむ。
ロックハンマー侯爵は、部屋の中央に置かれたテーブルとソファーまでやって来て、ハンスに座るように促した。ハンスが腰を下ろすのを確認し、自身もソファーに座る。
「先日言っていたと思うが。イツカ殿に協力を仰いで、少し改装をしてね」
「やはり、そういうことでしたか」
機嫌のよさそうなロックハンマー侯爵とは対照的に、ハンスの顔は引きつったままだ。この部屋の主の気質を表した、かつての趣は見事に失われている。
ところが、そんな権力の側に立つ貴族の中には、魔法の素養を持つ跡取りに恵まれないケースもあった。平民ならばともかく、これは致命的な事態である。そういったとき、貴族は血縁に関係なく、魔法の才能に恵まれた若者を養子として迎え入れることで、「我が家は領地と領民のために、戦う準備がある」と示すのである。
この世界では、まったく魔法の使えない両親の間に、強力な魔法の才能を持つ子供が生まれることも珍しくなかった。その逆に、両親が強力な魔法使い同士であっても、魔法の使えない子供が生まれる場合もある。だからこそ身分の上下にとらわれず、こういった養子縁組が成立する。
「僕は身体強化魔法に加えて、魔獣を従わせる魔法を持っている。という能力設定だったからね。これほど強力な魔法も少ないと思わないかい?」
魔獣とは、恐ろしく強力な存在だ。一頭を倒すのに、最低でも十数名もの兵士を必要とする。特に力を持つ魔獣なら、その数倍、数十倍もの人数で挑まねば太刀打ちできない。そんな存在を自由自在に従わせることができたなら、どれだけ頼もしいか。実際は魔獣だけではなく、おおよそすべての生きとし生けるものを魅了する類の能力なわけだが。
「その後は、君達のお察しのとおり、かな。戦争が起こって、私達の国が負けた。敗戦国は悲惨だよ。自分達の不幸を嘆いて、誰かのせいにしなければ生きていけないぐらいに」
「様々な場所から、敗戦したままではいられない、仇を取りたい、なんて声が上がり始めたでしょうね」
「凄まじい勢いでね。同じ敗戦国でも、日本とは大分違うようだ。もっとも、敗戦直後の日本の状況なんて、僕は知らないけれど」
ファヌルスもキョウジも、日本で暮らしていたときにはすでに戦争が終わって大分年月が経っていた。だから敗戦直後の日本の状況を肌で味わった経験はない。それはほかの日本人達に関しても同じである。だが、ファヌルスはキョウジ達と異なり、ハンスの国に戦争で敗れた隣国に飛ばされたわけだ。その鬱屈した空気を浴びるように生活してきた男の語る話だけあって、口調にも、これまでにない真実味が感じられた。
「実際、戦後賠償は酷いものだったからね。家族を殺され、祖国を蹂躙され、生活の糧すら奪われる。報復を考えるには十分な条件じゃないかな」
「それを叶えれば、貴方は感謝される」
「そう、とても、ね。結局、失敗しちゃったけどね」
邪気の欠片もなく、愉快そうにファヌルスは笑った。
「準備には、念には念を入れたつもりだったんだけど。まさか負けるとは思わなかったよ」
「こっちもギリギリでしたよ」
「それでも勝った。そして、僕はこのとおり君達の手厚い歓迎を受けている。祖国はもっと酷い有様だろうね」
隣国は、ハンス達の国へ戦後賠償を払いつつ、なけなしの金と物資と人を注ぎ込んだ浮遊島を無残にも破壊されたのだ。事のあらましを知る隣国の中枢部の者達の士気は叩き潰されたに等しい。
しかも、隣国の王族や貴族と深い繋がりを持つファヌルスが人質として捕らえられているのである。その現状を熟知している彼らであればこそ、ファヌルスの身の安全を保証してもらう代わりに、ハンス達の国が要求することに従順な姿勢を取らざるをえない。
ファヌルスのことが、好きで好きでたまらない彼らは、おそらく国が滅ぶ寸前になっても、ファヌルスを見捨てずに助けようと動くだろう。
「そこまで酷いことにはなっていませんよ。生かさず殺さず、というやつです。あまり搾り取りすぎると、ろくなことがない」
そもそも浮遊島での攻撃そのものが、隣国ではなかったこととされている。ファヌルスが捕まっていることも、公式には発表されていない。
「僕みたいな者が出てくるから、ね。でも、今後はそんなこともなくなるよ。祖国は向こう何十年も。あるいは百年以上、平和を享受することになるだろうね」
確かにそうだろう。これで名実ともに、隣国はハンス達の国の属国となった。一国としての力は弱まるかもしれないが、背後に大国であるハンス達の国が控えているとなると、隣国に対して戦争を仕掛けてくる国もないと考えられる。そこまでのリスクを負って得られる旨みもない。
まさに平和だ。
もちろん、国民が幸せかどうかは別問題だが。
「さて。とりあえず一通りは話したかな。細かく聞きたいところはあるかい?」
まるでカフェでコーヒーでも飲んでいるかのように寛いだ雰囲気である。キョウジは一瞬、自分が監獄で囚人を前にして尋問しているという立場を忘れそうになった。だが気を取り直して、ファヌルスの言葉を胸のうちで反芻する。
ここにやって来るまでキョウジは、ファヌルスに一番に何を聞くべきか、いろいろと考えてきた。ところが、得体の知れぬ相手だけに質問事項が浮かびすぎて、上手くまとめられなかったのだ。
ならば直接本人と会って思うままに話をすればいいだろう。そう結論づけていたものの、ファヌルスと向き合っていると、どうも調子が狂う。
キョウジは、自分のことを基本的に凡人以下だと思っている。そんな人間が、隣国で一大軍事力を築き上げた優秀な相手と一対一でやり合おうというのだ。
考えること、数秒――。
早急に収穫を得ようとせずともいいだろう。そもそもが尋常な任務ではないのだ。無理は禁物。幸い時間の余裕はある。様々な人に助言を仰ぎ、再びここに来て、有益な情報を引き出していけば問題ない。
そう決めると、キョウジは目を細めて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「今日は、ここまでにさせてもらいます」
「うん。分かったよ。次に会えるのを楽しみにしているね」
ファヌルスは微笑んで頷いた。
キョウジは踵を返し、魔法陣のような円形の紋様が床に描かれた場所へ歩き始める。イツカの設置した転移トラップである。それを使って外へ出るつもりなのだ。内部の様子は常にイツカが見張っているはずなので、そこへ立てば転送してくれるだろう。
ファヌルスは少しの間キョウジの背中を見送ると、静かに目を伏せた。それから、例の鼻歌を歌い始める。祖国の自室で、浮遊島で、ファヌルスがずっと歌っていたメロディだ。
ゆったりと歌うファヌルスの姿は、猥らな美しさすら感じさせる。
その歌声を聴いて、キョウジはふと足を止めた。怪訝な顔で振り返ると、暫しファヌルスを見つめた。そして、すこぶる不思議そうな顔で、重苦しく声を絞り出す。
「なんでヴルドウト戦記のBGMなんですか。しかも中ボス戦って。チョイス微妙すぎるでしょう」
「へ? 知ってるの?」
ファヌルスの顔に浮かんでいたのは、完全に意表を突かれた、ぽかんとした表情だ。それまでの超越的な色彩が喪失した、どこにでも転がっているような間抜け面。
ヴルドウト戦記とは、キョウジのいた日本で大手ゲームメーカーが製作したソフトのタイトルである。据え置き型と携帯型ゲーム機、その両方が発売されていた。いわゆるアクションRPGに分類され、ハック&スラッシュを売りにしている。基本的には一人用だが、通信対戦も可能なシステムだった。
キャラクターメイクや育成の自由度の評判が高く、その手のゲーム好きにはたまらないタイトルの一つである。
ただ、ソフトを作ったメーカーがほとんど宣伝を打たず、キャラクターのビジュアルが洋ゲーっぽく日本人の好みではなかったため、売り上げはさほど伸びなかった。
キョウジがこの世界に来る半年ほど前に発売したものであり、直前まで遊んでいたゲームである。
どうやらファヌルスも、そのゲームのプレイヤーであったらしい。あまりに意外な共通点の発見に、キョウジとファヌルスは、いつの間にかゲーム談議に夢中になっていった。ただ大分、マニアックな話題のため、その手のゲームを実際にプレイした経験のある人でなければ、彼らについていくのは、なかなか難しいかもしれない。
「いや、僕はそうは思わないね! やっぱり軽戦士なら鎌系統の武器で、回避スキルツリー開放しつつ、攻撃力を増強した方がロマンあるよ!」
「だから、鎌系統って結局重武器でしょ? 最低でも戦士じゃないと振りが遅すぎるんですよ! 一撃離脱やるときとかのソロ専ならいいですけど! オンラインだとダメージソースにもならないし、壁もできないし中途半端なんですよ!」
ファヌルスは、身軽な動きを得意とするジョブのキャラクターで、鎌に分類される武器を運用するのがポリシーだったようだ。だが、キョウジはそれを非効率だと断じている。
「じゃあ、君、ソロのときは何を使ってたのさ」
「エンジニア。ゴーレムとマシンガン系銃火器マシマシで」
「完全に趣味ビルドじゃないかっ! それどっちつかずになるパターンだよ!」
「ゴーレムは完全に壁にして使うんですよ。そうすればスキルポイントほとんど必要ないですし。アイテムはほかのオンライン用のキャラで掘ってきます」
二人は、そのゲームのプレイスタイルについて話しているらしい。様々なキャラクターを作ることができるようで、プレイスタイルについて意見が分かれている。
「ドワーフで重騎士の盾装備です」
「ゴリゴリじゃないか。それ逆にガチすぎて引くよ」
「実際、オンラインでタンク張るならそのくらい必要なんですよ。もっと腕のある人だったらいいでしょうけど。回避タンクとか上位でできる人限られてますよ」
「確かに僕も何度か回避タンクの上手い人と一緒に潜ったことあるけど。アレは人間の所業じゃないよ」
二人の会話は、とても軽やかに弾んでいく。最初はヴルドウト戦記というゲームの話だったが、いつの間にか別の話題へと変化している。
「いやいや。確かに実弾兵器かい! とは思いましたけど。あのアニメのロボットって、ビーム兵器無効化シールドあるじゃないですか」
「そうなんだよ! ならむしろ主人公機が実弾兵器載せてるのは当たり前じゃないか! 本編でもその説明あっただろう、って!」
「ありましたねー。ただ、ミサイル系統積んでませんでしたけど。あれってやっぱ、重量の関係ですかね?」
「ぶっちゃけ、機動力が命だって言ってる二足歩行兵器に、くっそ重いミサイル積みまくるのってどうよ、って話で」
「あー。分かります。戦闘機とは違うって話ですよね」
「そうなんだよ! 凄い速さでミサイルぶち込むのなら、戦闘機でいいんだよね!」
ファヌルスのテンションはどんどん上がっていった。
片時も崩れなかった仮面のような微笑は消え、今は天真爛漫な子供の表情そのものだ。ころころと変わるそれは、日本のどこにでもいる、いわゆるオタク系に近い。妖艶な美貌はこれまでどおりだが、キョウジには今の彼から、女の子にモテそうな雰囲気を一切感じなかった。
やはり、ファヌルスの本質は、キョウジと同じ種類の人間のようである。
「ていうか、どっちでもいいと思いません? 酢豚にパイナップルって」
「あとあれね。ポテサラにリンゴ。確かに嫌がる人の気持ちも、必須だって言う人の意見も分かるけどさ。好みじゃん。もうその辺は」
「ですよねぇー。かといって、まあ、すぐ火種になることじゃないですか? 正直どっちでもいいって、言いにくくありません?」
「分かる。なんか、あるよね、そういうの。人によっては重要な問題だろうから、嘘でも感想みたいなものを持たないといけないんだろうし。どうでもいいって言うと、すっごい、なんか存在すら認めてないように誤解されて非難されるのも面倒くさいみたいな……。分かるけど! くっそ、どうでもいい! みたいな」
「それよりもラーメン食いたい。的なヤツですよね」
「まさにまさに」
傍から聞いていると、どこまでも下らない会話である。いわゆる「中身のない話」というやつだ。キョウジとファヌルスは、まるまる半日以上、そんな会話を繰り広げていた。話題は、まったく尽きない。二人の趣味はかなり近いものらしく、片方が話を振れば、必ずもう片方が食いついた。
ようやく話が途切れたのは、話すことがなくなったからではなく、二人とも喉の渇きで声ががらがらになり、体力の限界が来て、机に突っ伏したためであった。
一呼吸置くと、ファヌルスはよろよろと体を起こし、けだるそうに薄目を開けた。疲労困憊のあまり、しっかりと目を開けていられないのだ。何が面白いのか、弱々しく笑いながら、辛そうに腹を押さえている。笑いすぎて、腹筋が痛くなっているらしい。
「あははは。もう、あれだ。言葉遊びするのも疲れたなぁ。あれだよ、僕はアレだ、元々はキモオタってやつでね。しかもコミュ障でメンヘラだったわけだ。そんな僕が、あれだよ? 誰にでも能力で好かれるなんて状態になってみなよ。そりゃ、気も狂うさ!」
「でしょうねぇ。孤立無援だし。相談しても、どうせみぃーんな能力のおかげで慰めてくれるんでしょ? みたいな」
「ほんとだよ。どうにかして能力抑えようとか、消そうとかしたけどさ。もう、ぜんっぜんだめ! 無理!」
「あー。なるほど」
ファヌルスと同じ姿勢で休んでいたキョウジも、だるそうに机から顔を上げた。それから重たげな瞼を開け、妙に力のある視線を、じっとファヌルスへ向けた。
「きっと、僕もそうなりますよ。貴方と同じ立場なら」
「そうかな?」
「あるいは同じようなことをしていたかもしれません。ハンスさんとか、ケンイチさん達に出会ってなかったら」
死んでさえいなければ、どんな病気や怪我もたちまち治してしまう奇跡の治療魔法。それが、キョウジの能力だ。使いようによっては途轍もない悪用も可能となる。
死にかけているところを救われれば、どれほど感謝されることか。貴族なら幾らでも金を積み、民衆なら彼を神のように崇め、忠誠を誓う人達も数多くあらわれるだろう。
キョウジの能力は、そういう使い方もできるものなのだ。
「だから。貴方は少し状況が違った立場の、僕なんですよ」
ファヌルスは眠そうに眉をひそめて机に蹲り、肩を小刻みに震わせた。今度の笑いは先ほどのものとは種類が違っている。嗚咽や涙といった極めて人間らしいもの……、これまでファヌルスが決して見せようとしなかった生の感情が、その声には入り交じっていた。
キョウジはそれに気づかないふりをして、再び机に上半身を投げ出した。
暫くして、ファヌルスは両手を机に置き、ゆっくりと身を起こした。それから嗄れた喉で、唸るような声を出す。
「……そうか。確かに君は僕に似てるかもね。生まれ変わる前もボッチだったけど、ネットとかがあったから、まだマシだった。こっちに来てからは、マジで孤立無援だったからね。なんか、君と話せてよかった」
ファヌルスは椅子に座り直し、姿勢を正す。その顔からは、それまでの超然とした微笑が消えていた。卑屈さと皮肉さをない交ぜにした歪んだ表情。おそらくそれが、ファヌルスの本来の笑い方なのだろう。
「もっと、もったいぶるつもりだったけど。君の喜びそうな、いや、喜ぶことを教えるよ」
「何ですか、一体」
キョウジは体を起こし、少しわざとらしく、うっとうしそうな目でファヌルスを睨んだ。同族に向けるようなキョウジの視線を受け流すと、ファヌルスは口の端を吊り上げる。
「僕の後ろにいるヤツの話だよ。分かるだろ? いくら僕みたいなチート能力があっても、それだけじゃ、そうそう上手く公爵家なんかに取り入れないさ。手引きしてくれた連中がいるんだよ」
キョウジは、にわかに険しい目つきになる。確かに、幾つか考えた推論の中に、そういったケースも含まれていた。
能力が強力だとはいえ、元々ただの農民であったファヌルスが、どうやって貴族との接触を、それも公爵という高位の貴族と繋がりを作りえたのか。
偶然出会うこともあるだろう。だが、普通なら遠目から眺めることしかできないはずだ。それがファヌルスの能力が効果を発揮する至近距離まで近づき、言葉を交わす機会に恵まれた。
そうして公爵はファヌルスの能力に堕ちた。
これを単なる偶然という判断で片付けてしまっていいものか。つまり、ファヌルスは公爵と接するための何らかの助力を得ていた、とも想定されるのである。
「予想外の話じゃないだろう? 僕の能力をそれと知っていて、いろいろな有力者に会わせた黒幕がいるんじゃないかって。そうだよ、いたんだよ。僕の能力を利用したヤツと、連中が」
ファヌルスは、どこか皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
キョウジは僅かに目を細めて首を左右に振った。そして、ファヌルスをじっと見据える。
「ごめんなさい。大事な話だって分かってるんですけど、僕、今すんごい寝落ちしそうです」
「うん、正直、話し方でテンション上げて誤魔化そうとしてるけど、僕もだよ」
二人は苦笑を漏らし、ほとんど同時に疲れきった溜め息を吐く。お互いに顔を叩いたり、目頭を押さえたりして、何とか眠気を払った。
「締まりませんね」
「実際、僕にはこっちの方が似合ってるんだろうね。元々の性分は三枚目以下なんだからさ。顔は相当イケメンだけど」
「ぶっ飛ばしましょうか」
ファヌルスは声を出して笑った後、改めて話し始める。
内容は、彼を後押ししてきた人物と、異世界全土に広く知れ渡った巨大な組織についてであった。
2 手紙を受け取る男達
ロックハンマー侯爵に呼び出されたハンスは、その居城へ向かっていた。
王城からハンス宛に手紙が届いたらしいのだ。本来なら、ハンス自身へ直接送られてきそうなものである。ところが、そうはならずロックハンマー侯爵の手元を経由するということは、相応の事情があるのだろう。ましてや「差出人」が王城である。つまり、国の中枢からというのがなんともきな臭い。
もともとハンスは、有力貴族の出身だ。だが家督の継承順位は、当主の予備の予備の予備の、そのまた予備程度と、非常に低かった。
そんな立場の故か、命も軽く扱われていた。有事の際に殉死でもしてくれれば本家の名声の一助になると、国軍へ入れられたのだ。
しかし本家にとって予想外だったのは、ハンスが恐ろしく優秀な兵士だった、という点である。メキメキと武人としての才覚を発揮したハンスは、絶大な戦力を有する人物に授与される「騎士」の称号を賜ることとなった。
これには本家も危機感を募らせた。捨て駒にしたはずの人間が、いつの間にか大きな力を得るようになったのだ。このままいけば家を乗っ取られるか、あるいは今までの恨みにより復讐を企てられるか。そんなときに勃発したのが、先の隣国との戦争だった。
ハンスは本家の思惑により、その戦いに投入され、様々な無茶な作戦を実行させられた。にもかかわらず、蓋を開けてみれば、ハンスはその任務すべてを成功させ、敵将を討ち取るという大金星を挙げたのだ。
こうしてハンスは国王陛下に直接拝謁し、慣例として戦勝の褒美を賜る栄誉まで手に入れたのである。しかもその内容は、一つなら何でも望みが叶えられるというものだった。
本家としては、気が気ではなかっただろう。ハンスの願い次第では、本家は大きな打撃を受けるかもしれないからだ。
だが、そこでハンスが希望したのは、王都から遠く離れた田舎を守る地方騎士になることだった。
そんな異色の経歴を持つハンスである。国の中枢からの手紙という時点で身構えるのも無理はない。
ハンスは現在、ロックハンマー侯爵領内にある街の地方騎士の立場にある。そのため、侯爵の指揮下にいる扱いとなり、何かしら要請がある場合、まずロックハンマー侯爵にお伺いが立てられることになっている。
その後、然るべき報告と連絡の手順を踏み、ハンスの元へ手紙などで指令が下されるわけだ。
今回の用件は、たとえば突然、地方騎士の任を解くとか、王都に出頭しろとか。
つまるところ、ハンスにとって迷惑極まりない内容が予想された。できれば受け取りにも行きたくない。だが役人の辛いところで、そういう我儘を言うわけにもいかなかった。
最近、すっかり板についてしまった浮かない顔をパンパンと叩いて取り繕うと、ハンスはロックハンマー侯爵の領主館へ足を踏み入れた。
ハンスが案内されたのは、ロックハンマー侯爵の執務室である。以前にも何度か入る機会があり、趣味のよい調度品の並ぶ、質実剛健とした雰囲気の場所だったと記憶している。
けれどもハンスは、その部屋に通された瞬間、唖然とした表情で凍りつくはめとなった。
ハンスの目に飛び込んできたもの――。
それは、部屋の至る所に浮かび上がるモニターと、様々な人物の話し声が聞こえて来る摩訶不思議な円陣であった。
執務室の主は、それらに目を向けながら忙しなく空中に浮かんだ何かに指を走らせている。キョウジが話していたところによれば、それはキーボードと、入力した文字の確認画面とのことだった。
「ああ、騎士ハンス。呼び出して申し訳ない」
ロックハンマー侯爵は、ちらりと旧知の訪問者を一瞥すると、妙にこなれた調子でキーボードの端を指で突き、おもむろに席を立った。キーボードと、それに対応していたモニターが消え、円陣から響いていた音もピタリとやむ。
ロックハンマー侯爵は、部屋の中央に置かれたテーブルとソファーまでやって来て、ハンスに座るように促した。ハンスが腰を下ろすのを確認し、自身もソファーに座る。
「先日言っていたと思うが。イツカ殿に協力を仰いで、少し改装をしてね」
「やはり、そういうことでしたか」
機嫌のよさそうなロックハンマー侯爵とは対照的に、ハンスの顔は引きつったままだ。この部屋の主の気質を表した、かつての趣は見事に失われている。
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