地方騎士ハンスの受難

アマラ

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7巻

7-2

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 領地と領民を守る義務のある貴族には、戦争や武力衝突、大規模な自然災害など、国家にとっての有事ゆうじの際に、それらと直接向き合う責任がある。そのため、一瞬で何十人もの敵を倒したり、不利な状況を一変させられたりする強力な魔法の力は、彼らにとって、その地位や名誉を保持する上で必要不可欠な要素なのだ。
 ところが、そんな権力の側に立つ貴族の中には、魔法の素養を持つ跡取あととりに恵まれないケースもあった。平民ならばともかく、これは致命的ちめいてきな事態である。そういったとき、貴族は血縁に関係なく、魔法の才能に恵まれた若者を養子として迎え入れることで、「我が家は領地と領民のために、戦う準備がある」と示すのである。
 この世界では、まったく魔法の使えない両親の間に、強力な魔法の才能を持つ子供が生まれることも珍しくなかった。その逆に、両親が強力な魔法使い同士であっても、魔法の使えない子供が生まれる場合もある。だからこそ身分の上下にとらわれず、こういった養子縁組が成立する。

「僕は身体強化魔法に加えて、魔獣を従わせる魔法を持っている。という能力設定だったからね。これほど強力な魔法も少ないと思わないかい?」

 魔獣とは、恐ろしく強力な存在だ。一頭を倒すのに、最低でも十数名もの兵士を必要とする。特に力を持つ魔獣なら、その数倍、数十倍もの人数で挑まねば太刀打たちうちできない。そんな存在を自由自在に従わせることができたなら、どれだけたのもしいか。実際は魔獣だけではなく、おおよそすべての生きとし生けるものを魅了するたぐいの能力なわけだが。

「その後は、君達のお察しのとおり、かな。戦争が起こって、私達の国が負けた。敗戦国は悲惨だよ。自分達の不幸を嘆いて、誰かのせいにしなければ生きていけないぐらいに」
「様々な場所から、敗戦したままではいられない、かたきを取りたい、なんて声が上がり始めたでしょうね」
「凄まじい勢いでね。同じ敗戦国でも、日本とは大分違うようだ。もっとも、敗戦直後の日本の状況なんて、僕は知らないけれど」

 ファヌルスもキョウジも、日本で暮らしていたときにはすでに戦争が終わって大分年月が経っていた。だから敗戦直後の日本の状況を肌で味わった経験はない。それはほかの日本人達に関しても同じである。だが、ファヌルスはキョウジ達と異なり、ハンスの国に戦争で敗れた隣国に飛ばされたわけだ。その鬱屈うっくつした空気をびるように生活してきた男の語る話だけあって、口調にも、これまでにない真実味が感じられた。

「実際、戦後賠償ばいしょうは酷いものだったからね。家族を殺され、祖国を蹂躙じゅうりんされ、生活のかてすら奪われる。報復ほうふくを考えるには十分な条件じゃないかな」
「それを叶えれば、貴方は感謝される」
「そう、とても、ね。結局、失敗しちゃったけどね」

 邪気じゃき欠片かけらもなく、愉快そうにファヌルスは笑った。

「準備には、念には念を入れたつもりだったんだけど。まさか負けるとは思わなかったよ」
「こっちもギリギリでしたよ」
「それでも勝った。そして、僕はこのとおり君達の手厚てあつい歓迎を受けている。祖国はもっと酷い有様ありさまだろうね」

 隣国は、ハンス達の国へ戦後賠償を払いつつ、なけなしの金と物資と人を注ぎ込んだ浮遊島を無残むざんにも破壊されたのだ。事のあらましを知る隣国の中枢部ちゅうすうぶの者達の士気は叩き潰されたに等しい。
 しかも、隣国の王族や貴族と深いつながりを持つファヌルスが人質ひとじちとして捕らえられているのである。その現状を熟知している彼らであればこそ、ファヌルスの身の安全を保証してもらう代わりに、ハンス達の国が要求することに従順じゅうじゅんな姿勢を取らざるをえない。
 ファヌルスのことが、好きで好きでたまらない彼らは、おそらく国が滅ぶ寸前になっても、ファヌルスを見捨てずに助けようと動くだろう。

「そこまで酷いことにはなっていませんよ。生かさず殺さず、というやつです。あまりしぼり取りすぎると、ろくなことがない」

 そもそも浮遊島での攻撃そのものが、隣国ではなかったこととされている。ファヌルスが捕まっていることも、公式には発表されていない。

「僕みたいな者が出てくるから、ね。でも、今後はそんなこともなくなるよ。祖国は向こう何十年も。あるいは百年以上、平和を享受きょうじゅすることになるだろうね」

 確かにそうだろう。これで名実めいじつともに、隣国はハンス達の国の属国となった。一国としての力は弱まるかもしれないが、背後に大国であるハンス達の国が控えているとなると、隣国に対して戦争を仕掛けてくる国もないと考えられる。そこまでのリスクを負って得られるうまみもない。
 まさに平和だ。
 もちろん、国民が幸せかどうかは別問題だが。

「さて。とりあえず一通りは話したかな。細かく聞きたいところはあるかい?」

 まるでカフェでコーヒーでも飲んでいるかのようにくつろいだ雰囲気である。キョウジは一瞬、自分が監獄で囚人を前にして尋問しているという立場を忘れそうになった。だが気を取り直して、ファヌルスの言葉を胸のうちで反芻はんすうする。
 ここにやって来るまでキョウジは、ファヌルスに一番に何を聞くべきか、いろいろと考えてきた。ところが、得体の知れぬ相手だけに質問事項が浮かびすぎて、上手くまとめられなかったのだ。
 ならば直接本人と会って思うままに話をすればいいだろう。そう結論づけていたものの、ファヌルスと向き合っていると、どうも調子が狂う。
 キョウジは、自分のことを基本的に凡人ぼんじん以下だと思っている。そんな人間が、隣国で一大軍事力を築き上げた優秀な相手と一対一でやり合おうというのだ。
 考えること、数秒――。
 早急に収穫を得ようとせずともいいだろう。そもそもが尋常な任務ではないのだ。無理は禁物きんもつ。幸い時間の余裕はある。様々な人に助言をあおぎ、再びここに来て、有益な情報を引き出していけば問題ない。
 そう決めると、キョウジは目を細めて、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「今日は、ここまでにさせてもらいます」
「うん。分かったよ。次に会えるのを楽しみにしているね」

 ファヌルスは微笑んで頷いた。
 キョウジはきびすを返し、魔法陣のような円形の紋様もんようが床に描かれた場所へ歩き始める。イツカの設置した転移トラップである。それを使って外へ出るつもりなのだ。内部の様子は常にイツカが見張っているはずなので、そこへ立てば転送してくれるだろう。
 ファヌルスは少しの間キョウジの背中を見送ると、静かに目をせた。それから、例の鼻歌を歌い始める。祖国の自室で、浮遊島で、ファヌルスがずっと歌っていたメロディだ。
 ゆったりと歌うファヌルスの姿は、みだらな美しさすら感じさせる。
 その歌声をいて、キョウジはふと足を止めた。怪訝けげんな顔で振り返ると、しばしファヌルスを見つめた。そして、すこぶる不思議そうな顔で、重苦しく声を絞り出す。

「なんでヴルドウト戦記のBGMなんですか。しかも中ボス戦って。チョイス微妙びみょうすぎるでしょう」
「へ? 知ってるの?」

 ファヌルスの顔に浮かんでいたのは、完全に意表いひょうを突かれた、ぽかんとした表情だ。それまでの超越的ちょうえつてき色彩しきさい喪失そうしつした、どこにでも転がっているような間抜まぬづら
 ヴルドウト戦記とは、キョウジのいた日本で大手ゲームメーカーが製作したソフトのタイトルである。据え置き型と携帯型ゲーム機、その両方が発売されていた。いわゆるアクションRPGに分類され、ハック&スラッシュを売りにしている。基本的には一人用だが、通信対戦も可能なシステムだった。
 キャラクターメイクや育成の自由度の評判が高く、その手のゲーム好きにはたまらないタイトルの一つである。
 ただ、ソフトを作ったメーカーがほとんど宣伝を打たず、キャラクターのビジュアルが洋ゲーっぽく日本人の好みではなかったため、売り上げはさほど伸びなかった。
 キョウジがこの世界に来る半年ほど前に発売したものであり、直前まで遊んでいたゲームである。
 どうやらファヌルスも、そのゲームのプレイヤーであったらしい。あまりに意外な共通点の発見に、キョウジとファヌルスは、いつの間にかゲーム談議だんぎに夢中になっていった。ただ大分、マニアックな話題のため、その手のゲームを実際にプレイした経験のある人でなければ、彼らについていくのは、なかなか難しいかもしれない。

「いや、僕はそうは思わないね! やっぱり軽戦士けいせんしなら鎌系統の武器で、回避かいひスキルツリー開放しつつ、攻撃力を増強した方がロマンあるよ!」
「だから、鎌系統って結局重武器じゅうぶきでしょ? 最低でも戦士じゃないと振りが遅すぎるんですよ! 一撃離脱いちげきりだつやるときとかのソロせんならいいですけど! オンラインだとダメージソースにもならないし、壁もできないし中途半端なんですよ!」

 ファヌルスは、身軽な動きを得意とするジョブのキャラクターで、鎌に分類される武器を運用するのがポリシーだったようだ。だが、キョウジはそれを非効率だとだんじている。

「じゃあ、君、ソロのときは何を使ってたのさ」
「エンジニア。ゴーレムとマシンガン系銃火器マシマシで」
「完全に趣味ビルドじゃないかっ! それどっちつかずになるパターンだよ!」
「ゴーレムは完全に壁にして使うんですよ。そうすればスキルポイントほとんど必要ないですし。アイテムはほかのオンライン用のキャラでってきます」

 二人は、そのゲームのプレイスタイルについて話しているらしい。様々なキャラクターを作ることができるようで、プレイスタイルについて意見が分かれている。

「ドワーフで重騎士の盾装備です」
「ゴリゴリじゃないか。それ逆にガチすぎて引くよ」
「実際、オンラインでタンク張るならそのくらい必要なんですよ。もっと腕のある人だったらいいでしょうけど。回避タンクとか上位でできる人限られてますよ」
「確かに僕も何度か回避タンクの上手い人と一緒にもぐったことあるけど。アレは人間の所業しょぎょうじゃないよ」

 二人の会話は、とてもかろやかにはずんでいく。最初はヴルドウト戦記というゲームの話だったが、いつの間にか別の話題へと変化している。

「いやいや。確かに実弾兵器かい! とは思いましたけど。あのアニメのロボットって、ビーム兵器無効化シールドあるじゃないですか」
「そうなんだよ! ならむしろ主人公機が実弾兵器せてるのは当たり前じゃないか! 本編でもその説明あっただろう、って!」
「ありましたねー。ただ、ミサイル系統んでませんでしたけど。あれってやっぱ、重量の関係ですかね?」
「ぶっちゃけ、機動力が命だって言ってる二足歩行兵器に、くっそ重いミサイル積みまくるのってどうよ、って話で」
「あー。分かります。戦闘機とは違うって話ですよね」
「そうなんだよ! 凄い速さでミサイルぶち込むのなら、戦闘機でいいんだよね!」

 ファヌルスのテンションはどんどん上がっていった。
 片時かたときも崩れなかった仮面のような微笑は消え、今は天真爛漫てんしんらんまんな子供の表情そのものだ。ころころと変わるそれは、日本のどこにでもいる、いわゆるオタク系に近い。妖艶ようえん美貌びぼうはこれまでどおりだが、キョウジには今の彼から、女の子にモテそうな雰囲気を一切感じなかった。
 やはり、ファヌルスの本質は、キョウジと同じ種類の人間のようである。

「ていうか、どっちでもいいと思いません? 酢豚にパイナップルって」
「あとあれね。ポテサラにリンゴ。確かに嫌がる人の気持ちも、必須ひっすだって言う人の意見も分かるけどさ。好みじゃん。もうその辺は」
「ですよねぇー。かといって、まあ、すぐ火種ひだねになることじゃないですか? 正直どっちでもいいって、言いにくくありません?」
「分かる。なんか、あるよね、そういうの。人によっては重要な問題だろうから、うそでも感想みたいなものを持たないといけないんだろうし。どうでもいいって言うと、すっごい、なんか存在すら認めてないように誤解されて非難されるのも面倒くさいみたいな……。分かるけど! くっそ、どうでもいい! みたいな」
「それよりもラーメン食いたい。的なヤツですよね」
「まさにまさに」

 はたから聞いていると、どこまでも下らない会話である。いわゆる「中身のない話」というやつだ。キョウジとファヌルスは、まるまる半日以上、そんな会話を繰り広げていた。話題は、まったく尽きない。二人の趣味はかなり近いものらしく、片方が話を振れば、必ずもう片方が食いついた。
 ようやく話が途切とぎれたのは、話すことがなくなったからではなく、二人とも喉のかわきで声ががらがらになり、体力の限界が来て、机にしたためであった。
 一呼吸置くと、ファヌルスはよろよろと体を起こし、けだるそうに薄目うすめを開けた。疲労困憊ひろうこんぱいのあまり、しっかりと目を開けていられないのだ。何が面白いのか、弱々しく笑いながら、辛そうに腹を押さえている。笑いすぎて、腹筋が痛くなっているらしい。

「あははは。もう、あれだ。言葉遊びするのも疲れたなぁ。あれだよ、僕はアレだ、元々はキモオタってやつでね。しかもコミュしょうでメンヘラだったわけだ。そんな僕が、あれだよ? 誰にでも能力で好かれるなんて状態になってみなよ。そりゃ、気も狂うさ!」
「でしょうねぇ。孤立無援こりつむえんだし。相談しても、どうせみぃーんな能力のおかげでなぐさめてくれるんでしょ? みたいな」
「ほんとだよ。どうにかして能力抑えようとか、消そうとかしたけどさ。もう、ぜんっぜんだめ! 無理!」
「あー。なるほど」

 ファヌルスと同じ姿勢で休んでいたキョウジも、だるそうに机から顔を上げた。それから重たげなまぶたを開け、妙に力のある視線を、じっとファヌルスへ向けた。

「きっと、僕もそうなりますよ。貴方と同じ立場なら」
「そうかな?」
「あるいは同じようなことをしていたかもしれません。ハンスさんとか、ケンイチさん達に出会ってなかったら」

 死んでさえいなければ、どんな病気や怪我けがもたちまち治してしまう奇跡の治療魔法。それが、キョウジの能力だ。使いようによっては途轍とてつもない悪用も可能となる。
 死にかけているところを救われれば、どれほど感謝されることか。貴族ならいくらでも金を積み、民衆なら彼を神のようにあがめ、忠誠をちかう人達も数多くあらわれるだろう。
 キョウジの能力は、そういう使い方もできるものなのだ。

「だから。貴方は少し状況が違った立場の、僕なんですよ」

 ファヌルスは眠そうにまゆをひそめて机にうずくまり、肩を小刻こきざみに震わせた。今度の笑いは先ほどのものとは種類が違っている。嗚咽おえつや涙といった極めて人間らしいもの……、これまでファヌルスが決して見せようとしなかった生の感情が、その声には入り交じっていた。
 キョウジはそれに気づかないふりをして、再び机に上半身を投げ出した。
 暫くして、ファヌルスは両手を机に置き、ゆっくりと身を起こした。それかられた喉で、うなるような声を出す。

「……そうか。確かに君は僕に似てるかもね。生まれ変わる前もボッチだったけど、ネットとかがあったから、まだマシだった。こっちに来てからは、マジで孤立無援だったからね。なんか、君と話せてよかった」

 ファヌルスは椅子に座り直し、姿勢を正す。その顔からは、それまでの超然とした微笑が消えていた。卑屈さと皮肉さをない交ぜにした歪んだ表情。おそらくそれが、ファヌルスの本来の笑い方なのだろう。

「もっと、もったいぶるつもりだったけど。君の喜びそうな、いや、喜ぶことを教えるよ」
「何ですか、一体」

 キョウジは体を起こし、少しわざとらしく、うっとうしそうな目でファヌルスをにらんだ。同族に向けるようなキョウジの視線を受け流すと、ファヌルスは口のはしり上げる。

「僕の後ろにいるヤツの話だよ。分かるだろ? いくら僕みたいなチート能力があっても、それだけじゃ、そうそう上手く公爵家なんかに取り入れないさ。手引きしてくれた連中がいるんだよ」

 キョウジは、にわかにけわしい目つきになる。確かに、幾つか考えた推論すいろんの中に、そういったケースも含まれていた。
 能力が強力だとはいえ、元々ただの農民であったファヌルスが、どうやって貴族との接触を、それも公爵という高位の貴族と繋がりを作りえたのか。
 偶然出会うこともあるだろう。だが、普通なら遠目とおめから眺めることしかできないはずだ。それがファヌルスの能力が効果を発揮する至近距離まで近づき、言葉を交わす機会に恵まれた。
 そうして公爵はファヌルスの能力にちた。
 これを単なる偶然という判断で片付けてしまっていいものか。つまり、ファヌルスは公爵と接するための何らかの助力を得ていた、とも想定されるのである。

「予想外の話じゃないだろう? 僕の能力をそれと知っていて、いろいろな有力者に会わせた黒幕がいるんじゃないかって。そうだよ、いたんだよ。僕の能力を利用したヤツと、連中が」

 ファヌルスは、どこか皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
 キョウジは僅かに目を細めて首を左右に振った。そして、ファヌルスをじっと見据える。

「ごめんなさい。大事な話だって分かってるんですけど、僕、今すんごい寝落ねおちしそうです」
「うん、正直、話し方でテンション上げて誤魔化そうとしてるけど、僕もだよ」

 二人は苦笑を漏らし、ほとんど同時に疲れきった溜め息を吐く。お互いに顔を叩いたり、目頭めがしらを押さえたりして、何とか眠気ねむけを払った。

「締まりませんね」
「実際、僕にはこっちの方が似合ってるんだろうね。元々の性分は三枚目以下なんだからさ。顔は相当イケメンだけど」
「ぶっ飛ばしましょうか」

 ファヌルスは声を出して笑った後、改めて話し始める。
 内容は、彼を後押ししてきた人物と、異世界全土に広く知れ渡った巨大な組織についてであった。



 2 手紙を受け取る男達


 ロックハンマー侯爵に呼び出されたハンスは、その居城きょじょうへ向かっていた。
 王城からハンスあてに手紙が届いたらしいのだ。本来なら、ハンス自身へ直接送られてきそうなものである。ところが、そうはならずロックハンマー侯爵の手元を経由するということは、相応の事情があるのだろう。ましてや「差出人」が王城である。つまり、国の中枢からというのがなんともきな臭い。
 もともとハンスは、有力貴族の出身だ。だが家督の継承順位は、当主の予備の予備の予備の、そのまた予備程度と、非常に低かった。
 そんな立場の故か、命も軽く扱われていた。有事の際に殉死じゅんしでもしてくれれば本家の名声の一助になると、国軍へ入れられたのだ。
 しかし本家にとって予想外だったのは、ハンスが恐ろしく優秀な兵士だった、という点である。メキメキと武人としての才覚を発揮したハンスは、絶大な戦力を有する人物に授与じゅよされる「騎士」の称号をたまわることとなった。
 これには本家も危機感をつのらせた。捨てごまにしたはずの人間が、いつの間にか大きな力を得るようになったのだ。このままいけば家を乗っ取られるか、あるいは今までの恨みにより復讐をくわだてられるか。そんなときに勃発ぼっぱつしたのが、先の隣国との戦争だった。
 ハンスは本家の思惑により、その戦いに投入され、様々な無茶な作戦を実行させられた。にもかかわらず、ふたを開けてみれば、ハンスはその任務すべてを成功させ、敵将をち取るという大金星を挙げたのだ。
 こうしてハンスは国王陛下に直接拝謁はいえつし、慣例として戦勝の褒美ほうびを賜る栄誉えいよまで手に入れたのである。しかもその内容は、一つなら何でも望みが叶えられるというものだった。
 本家としては、気が気ではなかっただろう。ハンスの願い次第では、本家は大きな打撃を受けるかもしれないからだ。
 だが、そこでハンスが希望したのは、王都から遠く離れた田舎を守る地方騎士になることだった。
 そんな異色いしょくの経歴を持つハンスである。国の中枢からの手紙という時点で身構えるのも無理はない。
 ハンスは現在、ロックハンマー侯爵領内にある街の地方騎士の立場にある。そのため、侯爵の指揮下にいる扱いとなり、何かしら要請ようせいがある場合、まずロックハンマー侯爵におうかがいが立てられることになっている。
 その後、しかるべき報告と連絡の手順をみ、ハンスの元へ手紙などで指令が下されるわけだ。
 今回の用件は、たとえば突然、地方騎士の任を解くとか、王都に出頭しゅっとうしろとか。
 つまるところ、ハンスにとって迷惑極まりない内容が予想された。できれば受け取りにも行きたくない。だが役人の辛いところで、そういう我儘わがままを言うわけにもいかなかった。


 最近、すっかり板についてしまった浮かない顔をパンパンと叩いて取りつくろうと、ハンスはロックハンマー侯爵の領主館へ足を踏み入れた。
 ハンスが案内されたのは、ロックハンマー侯爵の執務室である。以前にも何度か入る機会があり、趣味のよい調度品の並ぶ、質実剛健しつじつごうけんとした雰囲気の場所だったと記憶している。
 けれどもハンスは、その部屋に通された瞬間、唖然とした表情でこおりつくはめとなった。
 ハンスの目に飛び込んできたもの――。
 それは、部屋の至る所に浮かび上がるモニターと、様々な人物の話し声が聞こえて来る摩訶不思議まかふしぎ円陣えんじんであった。
 執務室のあるじは、それらに目を向けながらせわしなく空中に浮かんだ何かに指を走らせている。キョウジが話していたところによれば、それはキーボードと、入力した文字の確認画面とのことだった。

「ああ、騎士ハンス。呼び出して申し訳ない」

 ロックハンマー侯爵は、ちらりと旧知きゅうちの訪問者を一瞥いちべつすると、妙にこなれた調子でキーボードの端を指で突き、おもむろに席を立った。キーボードと、それに対応していたモニターが消え、円陣から響いていた音もピタリとやむ。
 ロックハンマー侯爵は、部屋の中央に置かれたテーブルとソファーまでやって来て、ハンスに座るように促した。ハンスが腰を下ろすのを確認し、自身もソファーに座る。

「先日言っていたと思うが。イツカ殿に協力をあおいで、少し改装をしてね」
「やはり、そういうことでしたか」

 機嫌のよさそうなロックハンマー侯爵とは対照的に、ハンスの顔は引きつったままだ。この部屋の主の気質を表した、かつてのおもむきは見事に失われている。


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