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6巻
6-2
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隣国との戦争が終わって、暫くが経つ。不平等な終戦協定を結び、隣国はかなりの苦汁を舐めさせられている。
つまり、それに対する恨みをつのらせ、再び戦争へ突入――。
という事態に発展したとしても、おかしな話ではない。
「もちろん、たとえばですが」
そう断りを入れてから、コウシロウは口を開く。
「たとえばそのファヌルス坊やが、何らかの形で日本人の能力を戦争で使おうとしていたら、どうでしょう。小さな片田舎の街で、私達のようなことができるんです。それを、国家レベルで後押ししたとしたら。どうでしょう」
ハンス達が暮らす小さな田舎街。
ケンイチ達は、その中でしか動いていなかった。物資や援助といったものも特に受けず、自分達で牧場を作り、ダンジョンを作り、ゴーレムを作り、銃を作り、現在の環境と戦力を整えた。
ロックハンマー侯爵は、彼らがすることを黙認こそしても、物資の提供などはしていない。そういったことをしなくても、彼らは勝手にあれだけのものを作り上げたのだ。
もしそれが、国家が後押しして戦力を整えさせるようなことをすれば、一体どれだけの物を生み出せるのだろうか。
直接見ていないだけに、セルジュは判然としない顔であった。
だが、ロックハンマー侯爵は表情を険しくする。
「不確定な要素が多い。それが正しいかどうかも分からない。が。どうにも私は、調べてみる価値はあるように思うのだがね」
ロックハンマー侯爵が言うとおりに、これはあくまで仮定の話だ。話を飛躍させすぎだ、と言う者も居るだろう。だが、ロックハンマー侯爵は、馬鹿げていると笑い飛ばせなかった。
「しかし、調べてみようもない、か。それこそ近づいただけでどうにかされるかも知れないってんなら。密偵も何も意味がねぇ」
セルジュは毒づく。
「仮定」通りの能力をファヌルスが持っていたとしたら、密偵などを送り込んだり情報を収集したりする行為は危険でしかない。なにしろ当人はもちろん、その周囲を調べることすら危ういのだ。
「調べる気になれば、それなりに方法はあるものですよ。たとえば、よく観察してみる、とかですかねぇ」
コウシロウは自分の目元を指先でトントンと突いた。
セルジュはそれを見て、大げさな仕草で手を叩く。
ロックハンマー侯爵は腕を組み、「ふむ」と僅かに考えるように呟いた。
「すまないが、頼めるかね。君達には、直接関わりのないことだとは思うのだがね」
確かに、現状コウシロウ達には関係のない話だと言えるだろう。国同士の戦争については多少影響はあるかも知れないが、実際に彼らが戦争に関わるようなことはない。
ファヌルスにしても、こちらのことを知っているとは限らない。むしろ、知らない可能性の方が高い。となると、コウシロウにとってファヌルスのことは対岸の火事、と言ってもいい。
だが。
「いえ。これは、勘なんですけれどね? どうもファヌルスという坊やのことといい、戦争のことといい。なにか、私達に関わりが出て来るような気がするんですよ。ただの勘、なんですけれどねぇ」
コレが、意外にあたるんですよ。
そう言いながら、コウシロウはにこにこと、いつもの笑みを浮かべるのであった。
2 島へ向かう男
ハンスの国との戦争に大敗した隣国は、非常に厳しい状況に立たされていた。
戦後結ばれた条約は、そのどれもが隣国にとって不利益なものばかり。輸出入の規制は言うに及ばず、関税、治外法権、ほかにも様々なものがある。
中には、隣国が特産としている魔法道具に関するものまであった。製作に特殊な技術と材料を必要とする魔法道具は、隣国の主要産業の一つでもある。その生産や販売先、輸出の規制。
魔法道具は、生産技術を持つ国が限られている。小国である隣国が、ハンス達の住む大国相手に戦争ができたのも、そこから来る技術差や資金力によるものだった。それを抑えつけられるのは、首に縄をかけられているのに等しい。
隣国が負わされたのは、当然それら不平等な内容の条約だけではない。戦後賠償も莫大であり、支払いは現在も終わっていない。いくら敗戦国とはいえ、隣国の状況はあまりにも酷いものだった。通常なら、ここまで一方的な扱いは受けないだろう。
何故、このような状況になってしまったのか。
実はその責任の一端は、ハンスにある、とも言えた。
先の戦は、良くも悪くも政治的、外交的なものであった。お互いの国に譲れない主張があり、その軋轢を解消する方法として、戦争という手段が選ばれたのだ。どちらに非や正義があったかを問えるような、そういう種類のものではなかった。
建前は別にしても、お互いの同意のもと、それぞれの利益のために行われたものだった。
こういった戦争は、珍しいものではない。少なくともハンス達が暮らす国と、その周辺の国々では、当たり前に行われているものだ。
戦争とは、外交上の物事を決定するための外交手段の一つ。
良くも悪くも、それがハンス達の暮らす国々周辺での「戦争」だった。
隣国とハンス達の国の戦争も、表面上はともかくとして、それ以上でも以下でもない。元来あの戦争は、お互いにほどほどの戦果を上げて収まるはずだったのである。直接戦っていた人間達の思いはどうであったとしても、それを後ろから操る者達の認識は間違いなくそうだったのだ。
実に面倒な話だが、戦争の主導権とは直接戦う者達ではなく、安全な場所から指示だけしている者達に握られるものなのである。
しかし戦争は、予定を逸脱した形で終結を迎えることとなった。一人の「騎士」が率いる「騎士団」が、突出した武勲を立て続けに上げたからだ。
この騎士というのが、〝魔術師殺し〟ハンス・スエラーである。
大国であるハンス達の国が順当に勝利し、隣国も大いに善戦した結果、隣国には不利なものの、ひとまず平等に近い条約を結ぶ――。
そんな予定は大きく崩れ去り、蓋を開けてみれば、隣国の圧倒的な敗北。
それに見合う一方的な代償を支払うという、隣国にとって最悪な状況になってしまった。
ハンス達の国には、願ってもない僥倖だった。
隣国にしてみれば正に悪夢だ。しかし条約、賠償金などの物質的なもの以外にも、もっと厄介な問題があった。
それは戦争をするために煽ってきた、国民感情である。
開戦前、隣国は国民の意思を戦争へ向かわせるため、様々な政治的宣伝をした。ハンス達の国と戦い、打ち倒すことこそが正義であり、そのために国民一丸となって戦うのだ。
そんな声が国民の大半を占めるように、様々な工作を行った。
幸か不幸か、それは見事に成功し、隣国の多くの国民は戦争を是とし、ハンス達の国との戦争へと突入したのだ。
ところが想定外の歴史的敗北は、抑圧してきた国民感情の不満を膨れ上がらせることになった。国内は大いに荒れ、貴族や王族間の統制も失われてしまった。
そして、大国であるハンス達の国の貴族達は、そういった状況でこそ本領を発揮した。隣国の国民感情を巧にかき乱しつつ、貴族や王族を懐柔して利益を搾り取り、国力を殺いでいったのだ。
何故、こんな事態になってしまったのか。
一体誰の、何のせいなのか。
隣国の民の間でその話題が上がったとき、必ず出るのが「ハンス・スエラー」の名前であった。
戦争での大敗と、自分達が苦境に立たされている原因は、〝魔術師殺し〟にこそあるのだと。
それだけとは言えないが、確かに原因の一つには間違いないだろう。
要するに隣国は現在、ハンス達の国による圧力と国民の強い不満という二つの要因が重なり、厳しい立場にあるのだ。
もはやこの状況を脱するには、もう一度戦争をするしかない。
そんな意見を言う者もいた。
もっともそうなった場合、隣国が勝つ見込みは一切なかった。つまるところ、現在の状態を解消するには滅びるしかない、というのだ。しかし「その方がましだ」と賛同する声すら上がり始めていた。
現在の隣国は、それほど混迷を極めた状態になっているのであった。
ロックハンマー侯爵、コウシロウ、セルジュの三人が会っていたのと同じ頃。
窓の外を眺めながら、ファヌルスは楽しげに鼻歌を唄っていた。
ここはリアブリュック家が所有する城にある、彼の自室である。
その窓からは、城下の街の様子が一望できた。一面に広がる屋根と、その間を走る網目のような道。民家や工房、屋台や行きかう馬車。忙しそうに歩いて行く沢山の人々。時折吹いて来る風に乗って、喧噪も聞こえて来る。
ファヌルスは目を細め、愛でるように、うっとりとその風景を眺めていた。
だがその窓からは、一つだけ異質なものが見えていた。
それは、巨大な岩山。
あるいは、小さな島のようであった。
それだけならば、単なる自然物だろう。だが問題なのはそれが、空中に浮いているという点だ。ファヌルスの居る城から見ると、街を挟んだ向こうに浮かぶそれは、数ヵ月前まではなかったものである。
ファヌルスは窓へ近づき、そっとガラスに手を当てた。それから嬉しくてたまらないといった様子で笑い声を漏らす。
そのとき、ドアを叩く音が響いた。彼は不思議そうに首を傾げると、ドアの方を振り向く。
「どうか、したのかな?」
「ファヌルス様。そろそろ、『島』へいらっしゃるお時間ですが」
城に仕えているメイドの声だった。
ファヌルスは一瞬考えるように首を捻り、すぐにぽんと手を叩く。
「ああ、そうだね。すっかり忘れていたよ。ありがとう、すぐに準備をするよ」
「分かりました。お待ちしております」
そう言葉が返って来ると、ドアの前から足音が遠ざかっていく。
普通、メイドが主人に用件があるときは、部屋の中に入ってから用件を述べるものだろう。しかし、ファヌルスは一人で部屋に居るとき、他人が入って来ることを嫌った。だからメイドは、ドアの外から声をかけたのである。貴族としては珍しいことだろうが、こればかりは仕方がない。
それ以外にも、この部屋に入らない方がいい理由があった。
見てはならないものを見た、などという理由でメイドを死なせるのは、ファヌルスの本意ではない。
ファヌルスは窓から離れると、出かける準備を始めた。といっても、コートを羽織る程度のものだ。外出は決まっていたので、すでに着替えは済ませてあった。
コート掛けから上着を持ち上げ、小脇に抱える。そのままドアの方へ歩こうとして、ファヌルスはふと足を止めた。再び窓の外を見て、宙に浮かぶ巨大な岩山を眺め、微笑む。
そして、再び鼻歌を歌い始める。
窓の外を眺めていたときと同じ旋律を刻みながら、ファヌルスはすこぶる機嫌よく、ドアを開けるのであった。
ファヌルスが城の表玄関を出ると、移動用の馬車が待っていた。その前に立つのは、利発そうな黒髪の少女。ファヌルスに保護された日本人の一人、イチゴという名の少女であった。
イチゴはファヌルスの姿を見て、笑顔で手を振る。
「ファヌルスー! あ、そっか。ファヌルス様、だった!」
しまったという顔をするイチゴに、ファヌルスは微笑む。
「呼び捨てで構わないよ。気にするような人間は、この場には居ないしね」
「ファヌルスが、えっと、サマがそう言っても、トヨカちゃんが怒るんだもんー」
唇を尖らせるイチゴに、ファヌルスは楽しそうに笑い声を上げた。
そんなファヌルスに釣られたのか、イチゴも笑い始める。
イチゴは、いわゆる転移者であった。
普通に暮らしていたはずなのに、気がついたら森の中を歩いていた。混乱して彷徨っていると、小さな村に出る。そこでお世話になっていたところ、うわさを聞きつけたファヌルスがやって来たのだ。戸惑って支離滅裂になるイチゴの話を、ファヌルスは辛抱強く聞き続けた。
そして話の内容から、イチゴは別の世界から迷い込んで来たのだろうと結論付けたのである。
驚いているイチゴに、ファヌルスは自分の秘密を打ち明けた。自分も、生まれる前は日本人であり、いわゆる転生者である、と。結局、イチゴはファヌルスに保護されることとなった。
まったく知らない場所で、自分を助けてくれた。それも、故郷を同じくする人物。
イチゴにとってファヌルスが特別な存在になったのは、当然のことだろう。
「なら、気にしなくてもいいさ。トヨカは今、島に居るんだろう?」
「そうなんだけどー。ずっと呼び捨てだったから、慣れておかないと」
「呼び捨てでもいいと思うんだけどね。それこそ、ずっとそうだったんだから」
肩を竦めるファヌルスを見て、イチゴはにっこりと微笑む。
イチゴは、ファヌルスがこの世界で最初に出会った日本人だ。ほかの日本人が現れるまでの間、イチゴと同じ立場の者は居なかった。イチゴがファヌルスに親しげに接しようと、呼び捨てにしようと、誰にも咎められなかったのである。
二人だけの期間は数ヵ月程度だったが、イチゴにとっては、大切な思い出だった。
「そういえば、どうしてわざわざこっちに来たんだい?」
「だって、ほら! 私が居た方が速いと思って!」
イチゴは両手を大きく開いて見せた。その掌は、淡い燐光を放っている。それは、イチゴが魔法を使える証拠であった。
この世界に転移して来た日本人は、そのすべてが特殊な能力を持っている。イチゴのそれは、様々なものを強化できる「強化魔法」だ。
それを使えば、馬は通常よりも何倍も速く走ることができ、馬車の車輪も滑らかに回るようになる。つまりイチゴは、自分の能力を使って素早く移動をしようと言いたいらしい。
ファヌルスは目を大きく見開くと、どこか楽しそうに苦笑する。
「イチゴ。そんなに速く走れないよ? 街の中では徐行運転、だろう?」
「あ、そうだった!」
人通りの多い街の中では、馬車や馬はすぐ止まれる速度で走らなければならない。それは、この国の法律の一つだ。
イチゴは「そうだった!」という顔をして、面目なさげに頭を掻く。
「まあ、いいさ。一緒に行こう」
ファヌルスが馬車の扉を開けると、イチゴは満面の笑みを浮かべながらファヌルスの後に続いた。
城を出た馬車は街中を抜け、街外れへ進んでいく。目指すのは、空に浮かぶ巨大な岩山のような物体だ。近づくにつれて、徐々にその全貌が見えてくる。
それは丁度深皿に似た形状をしていた。遠目では分かりにくいのだが、徐々にそれが岩と土で出来た島だと分かる。
馬車が暫く進むと、いくつかの建築物が目に入ってきた。近くには、様々な木箱や布袋などが積み上げられた集積場がある。その周りでは軍服を着込んだ者達が忙しそうに動き回っていた。
建物群のうち、大きな倉庫のようなひときわ目立つ建物が島から少し離れた位置に建っていた。しかし、それがただの倉庫でないことは、一目見て判断できるだろう。なにしろ、建物の中から延びたケーブルが、空に浮かぶ島と繋がっているのだ。ケーブルには、大きな箱型の物体――ゴンドラが吊り下げられており、ゆっくりと上昇していく。まるでロープウェイのようだった。
つまり、その建物は空に浮かぶ島と地上を繋ぐ、ロープウェイの駅の役目を果たしていた。
ファヌルスとイチゴを乗せた馬車は、駅の近くに停車した。ほかにもいくつか馬車や馬が停められていることから、そこは馬繋場らしい。
二人は馬車を操っていた御者に礼を言うと駅の入口に向かう。
島の底辺は、地上から二十メートルばかり離れていた。ケーブルが繋がっているのは、島の中ほどの部分だ。高い位置なので、ケーブルの角度もかなり急だった。
駅の隣には、沢山の木箱が積み上げられていた。それらは島に運び込まれる予定の物資であった。このロープウェイは物資運搬の目的で作られたものなのだ。
「これは、ファヌルス様! お越しでしたか!」
忙しそうに働いていた軍人の一人が声をかけた。服につけられた装飾から、かなり高い地位の人物のようだ。ファヌルスがにっこりと笑顔を返すと、その軍人は小走りに近づいて来た。
「運び込みは順調に進んでいます。ただ、量が多いもので、手間取ってはいますが」
「ご苦労おかけします。皆さんが頑張ってくれているおかげで作業も順調なようですし、助かりますよ。やはり軍隊の方々は、規律正しく仕事が早い」
「恐縮です。そうだ、そろそろ御出でになるころだろうと、ニコ殿がお待ちかねですよ」
軍人の言葉に、ファヌルスは驚いた顔をする。
「彼女は、上に居るかと思ったんですが。下りて来てたんですか?」
「荷物を運び込む順番の確認のために、ね」
その声は、ファヌルスの後ろからかかった。振り返ると、そこには黒髪ショートヘアの少女が立っていた。軍服を着た可愛らしい顔立ちの、イチゴと同じ日本人である。
「やあ、ニコ。忙しそうだね」
ショートヘアの少女ニコは、大げさな仕草で肩を竦める。
「ああ、大変さ。なにしろ運び込む荷物の量が多いのに、一度に運べる量が限られているからね。上で使う効率も考えなくてはいけないから、余計に面倒だよ。これで軍隊の人達が居なかったらと思うと、冷や汗が出てくるね」
「はっはっは! お役に立てているようで、光栄です」
ニコの言葉に、軍人がおかしそうに笑う。
本来、荷物を運ぶだけなら軍人が出てくる場面ではない。労働者などを雇えば済む話だろう。だが、運び込む場所があまりに特殊だ。
なにしろ、空に浮かぶ島である。
一般の労働力を使うわけにもいかない。荷物自体に特殊なものが含まれてもいる。
ファヌルスに声をかけた軍人は、別の軍人に呼ばれその場を離れた。
作業中の軍人や職人達の邪魔にならない場所に移動し、ファヌルスとイチゴ、ニコは、改めて挨拶を交わす。
「イチゴ、仕事を投げ出して来ただろう。トヨカさんが怒ってたよ」
「あー、やっぱりバレたかぁー」
面白そうに言うニコの言葉に、イチゴはがっくりと肩を落とす。どうやらイチゴは、任された仕事から抜け出してファヌルスを迎えに行ったようだ。
項垂れるイチゴを見て、ファヌルスとニコは声を出して笑う。
「ところで、ニコ。荷物の方はどんな具合かな」
「うん。予定通りだよ。とはいっても、物がものだからね。苦労はしているよ」
ニコは、島に運び込まれる荷物の管理を任されていた。品物の種類も量も多いので、大変な仕事だがよくこなしている。雑貨や食料といった日用品から、剣や弓といった武器、防具、兵器の類、さらには魔法道具までと多岐にわたる。
これらは、リアブリュック公爵家が用意したものだけではない。貴族や王族、あるいは商人、商会など、様々なところから集められた品々だった。
「でも、島を完成させるには必要だからね。やりがいはあるよ」
ニコは空に浮かぶ島へ目を向けた。
それらはすべて、島を空中要塞として「完成」させるための資材なのだ。ファヌルスはそんなニコの様子を見て、少しだけ表情を曇らせた。
「すまないね。君の仕事は島の警備なのに、こんなことまで任せて」
「なに言ってるのさ。コレも、君達を守る仕事には違いないよ」
ニコがこの世界に来た経緯は、イチゴとほとんど同じであった。普通に暮らしていたはずなのに、気がついたら森の中を彷徨っていたのである。ただイチゴと違ったのは、最初に出会ったのが人間ではなく、魔獣だったところだ。
森の中を歩き回るニコは、人里に出る前に小型の魔獣に出くわした。小型とはいえ、相手は見たこともない化け物だ。日本で平和に暮らしていたニコにとっては、尋常でない恐怖だった。
森の中を必死で逃げ回ったのだが、人間が魔獣を振り切れるはずもない。助かったのは、たまたまファヌルス達が、その周辺の魔獣を討伐している最中だったからである。
そのときファヌルス達は、イチゴの能力により五感と体を魔法で強化して森の中を進んでいたのだという。それゆえニコの叫び声を感知して、ニコが魔獣に食いつかれる前に駆けつけられたのだった。
目の前で口を開けていた魔獣を、切り捨ててくれたファヌルスが居なかったら。
そのファヌルスを能力で強化してくれていた、イチゴが居なかったら。
ニコは生きてなかっただろう。
だから今度は、自分が二人を守らなければならない。そう、ニコは考えていた。
幸いにして、ニコがこの世界に来て手に入れた能力は、その目的に適ったものだった。「武器召喚」という名のそれは、剣や弓、銃火器などの武器を召喚できるというものだ。その銃は特殊なものであり、コウシロウが使っている魔石弾丸同様、この世界でも十二分に威力を発揮するらしい。
自らの能力を知ったとき、ニコは大いに歓喜した。
戦うための力として、これほど便利なものもない。
ニコが召喚した銃火器は、ものの見事に魔獣を打ち倒した。圧倒的な射程や破壊力は、魔法を使うような凶悪な魔獣にも有効だったのである。
それを駆使して今度は自分が、ファヌルス達を。大切なものを、守る。
それが今のニコにとって、最も重要な使命なのだ。この仕事もその一環なのである。
つまり、それに対する恨みをつのらせ、再び戦争へ突入――。
という事態に発展したとしても、おかしな話ではない。
「もちろん、たとえばですが」
そう断りを入れてから、コウシロウは口を開く。
「たとえばそのファヌルス坊やが、何らかの形で日本人の能力を戦争で使おうとしていたら、どうでしょう。小さな片田舎の街で、私達のようなことができるんです。それを、国家レベルで後押ししたとしたら。どうでしょう」
ハンス達が暮らす小さな田舎街。
ケンイチ達は、その中でしか動いていなかった。物資や援助といったものも特に受けず、自分達で牧場を作り、ダンジョンを作り、ゴーレムを作り、銃を作り、現在の環境と戦力を整えた。
ロックハンマー侯爵は、彼らがすることを黙認こそしても、物資の提供などはしていない。そういったことをしなくても、彼らは勝手にあれだけのものを作り上げたのだ。
もしそれが、国家が後押しして戦力を整えさせるようなことをすれば、一体どれだけの物を生み出せるのだろうか。
直接見ていないだけに、セルジュは判然としない顔であった。
だが、ロックハンマー侯爵は表情を険しくする。
「不確定な要素が多い。それが正しいかどうかも分からない。が。どうにも私は、調べてみる価値はあるように思うのだがね」
ロックハンマー侯爵が言うとおりに、これはあくまで仮定の話だ。話を飛躍させすぎだ、と言う者も居るだろう。だが、ロックハンマー侯爵は、馬鹿げていると笑い飛ばせなかった。
「しかし、調べてみようもない、か。それこそ近づいただけでどうにかされるかも知れないってんなら。密偵も何も意味がねぇ」
セルジュは毒づく。
「仮定」通りの能力をファヌルスが持っていたとしたら、密偵などを送り込んだり情報を収集したりする行為は危険でしかない。なにしろ当人はもちろん、その周囲を調べることすら危ういのだ。
「調べる気になれば、それなりに方法はあるものですよ。たとえば、よく観察してみる、とかですかねぇ」
コウシロウは自分の目元を指先でトントンと突いた。
セルジュはそれを見て、大げさな仕草で手を叩く。
ロックハンマー侯爵は腕を組み、「ふむ」と僅かに考えるように呟いた。
「すまないが、頼めるかね。君達には、直接関わりのないことだとは思うのだがね」
確かに、現状コウシロウ達には関係のない話だと言えるだろう。国同士の戦争については多少影響はあるかも知れないが、実際に彼らが戦争に関わるようなことはない。
ファヌルスにしても、こちらのことを知っているとは限らない。むしろ、知らない可能性の方が高い。となると、コウシロウにとってファヌルスのことは対岸の火事、と言ってもいい。
だが。
「いえ。これは、勘なんですけれどね? どうもファヌルスという坊やのことといい、戦争のことといい。なにか、私達に関わりが出て来るような気がするんですよ。ただの勘、なんですけれどねぇ」
コレが、意外にあたるんですよ。
そう言いながら、コウシロウはにこにこと、いつもの笑みを浮かべるのであった。
2 島へ向かう男
ハンスの国との戦争に大敗した隣国は、非常に厳しい状況に立たされていた。
戦後結ばれた条約は、そのどれもが隣国にとって不利益なものばかり。輸出入の規制は言うに及ばず、関税、治外法権、ほかにも様々なものがある。
中には、隣国が特産としている魔法道具に関するものまであった。製作に特殊な技術と材料を必要とする魔法道具は、隣国の主要産業の一つでもある。その生産や販売先、輸出の規制。
魔法道具は、生産技術を持つ国が限られている。小国である隣国が、ハンス達の住む大国相手に戦争ができたのも、そこから来る技術差や資金力によるものだった。それを抑えつけられるのは、首に縄をかけられているのに等しい。
隣国が負わされたのは、当然それら不平等な内容の条約だけではない。戦後賠償も莫大であり、支払いは現在も終わっていない。いくら敗戦国とはいえ、隣国の状況はあまりにも酷いものだった。通常なら、ここまで一方的な扱いは受けないだろう。
何故、このような状況になってしまったのか。
実はその責任の一端は、ハンスにある、とも言えた。
先の戦は、良くも悪くも政治的、外交的なものであった。お互いの国に譲れない主張があり、その軋轢を解消する方法として、戦争という手段が選ばれたのだ。どちらに非や正義があったかを問えるような、そういう種類のものではなかった。
建前は別にしても、お互いの同意のもと、それぞれの利益のために行われたものだった。
こういった戦争は、珍しいものではない。少なくともハンス達が暮らす国と、その周辺の国々では、当たり前に行われているものだ。
戦争とは、外交上の物事を決定するための外交手段の一つ。
良くも悪くも、それがハンス達の暮らす国々周辺での「戦争」だった。
隣国とハンス達の国の戦争も、表面上はともかくとして、それ以上でも以下でもない。元来あの戦争は、お互いにほどほどの戦果を上げて収まるはずだったのである。直接戦っていた人間達の思いはどうであったとしても、それを後ろから操る者達の認識は間違いなくそうだったのだ。
実に面倒な話だが、戦争の主導権とは直接戦う者達ではなく、安全な場所から指示だけしている者達に握られるものなのである。
しかし戦争は、予定を逸脱した形で終結を迎えることとなった。一人の「騎士」が率いる「騎士団」が、突出した武勲を立て続けに上げたからだ。
この騎士というのが、〝魔術師殺し〟ハンス・スエラーである。
大国であるハンス達の国が順当に勝利し、隣国も大いに善戦した結果、隣国には不利なものの、ひとまず平等に近い条約を結ぶ――。
そんな予定は大きく崩れ去り、蓋を開けてみれば、隣国の圧倒的な敗北。
それに見合う一方的な代償を支払うという、隣国にとって最悪な状況になってしまった。
ハンス達の国には、願ってもない僥倖だった。
隣国にしてみれば正に悪夢だ。しかし条約、賠償金などの物質的なもの以外にも、もっと厄介な問題があった。
それは戦争をするために煽ってきた、国民感情である。
開戦前、隣国は国民の意思を戦争へ向かわせるため、様々な政治的宣伝をした。ハンス達の国と戦い、打ち倒すことこそが正義であり、そのために国民一丸となって戦うのだ。
そんな声が国民の大半を占めるように、様々な工作を行った。
幸か不幸か、それは見事に成功し、隣国の多くの国民は戦争を是とし、ハンス達の国との戦争へと突入したのだ。
ところが想定外の歴史的敗北は、抑圧してきた国民感情の不満を膨れ上がらせることになった。国内は大いに荒れ、貴族や王族間の統制も失われてしまった。
そして、大国であるハンス達の国の貴族達は、そういった状況でこそ本領を発揮した。隣国の国民感情を巧にかき乱しつつ、貴族や王族を懐柔して利益を搾り取り、国力を殺いでいったのだ。
何故、こんな事態になってしまったのか。
一体誰の、何のせいなのか。
隣国の民の間でその話題が上がったとき、必ず出るのが「ハンス・スエラー」の名前であった。
戦争での大敗と、自分達が苦境に立たされている原因は、〝魔術師殺し〟にこそあるのだと。
それだけとは言えないが、確かに原因の一つには間違いないだろう。
要するに隣国は現在、ハンス達の国による圧力と国民の強い不満という二つの要因が重なり、厳しい立場にあるのだ。
もはやこの状況を脱するには、もう一度戦争をするしかない。
そんな意見を言う者もいた。
もっともそうなった場合、隣国が勝つ見込みは一切なかった。つまるところ、現在の状態を解消するには滅びるしかない、というのだ。しかし「その方がましだ」と賛同する声すら上がり始めていた。
現在の隣国は、それほど混迷を極めた状態になっているのであった。
ロックハンマー侯爵、コウシロウ、セルジュの三人が会っていたのと同じ頃。
窓の外を眺めながら、ファヌルスは楽しげに鼻歌を唄っていた。
ここはリアブリュック家が所有する城にある、彼の自室である。
その窓からは、城下の街の様子が一望できた。一面に広がる屋根と、その間を走る網目のような道。民家や工房、屋台や行きかう馬車。忙しそうに歩いて行く沢山の人々。時折吹いて来る風に乗って、喧噪も聞こえて来る。
ファヌルスは目を細め、愛でるように、うっとりとその風景を眺めていた。
だがその窓からは、一つだけ異質なものが見えていた。
それは、巨大な岩山。
あるいは、小さな島のようであった。
それだけならば、単なる自然物だろう。だが問題なのはそれが、空中に浮いているという点だ。ファヌルスの居る城から見ると、街を挟んだ向こうに浮かぶそれは、数ヵ月前まではなかったものである。
ファヌルスは窓へ近づき、そっとガラスに手を当てた。それから嬉しくてたまらないといった様子で笑い声を漏らす。
そのとき、ドアを叩く音が響いた。彼は不思議そうに首を傾げると、ドアの方を振り向く。
「どうか、したのかな?」
「ファヌルス様。そろそろ、『島』へいらっしゃるお時間ですが」
城に仕えているメイドの声だった。
ファヌルスは一瞬考えるように首を捻り、すぐにぽんと手を叩く。
「ああ、そうだね。すっかり忘れていたよ。ありがとう、すぐに準備をするよ」
「分かりました。お待ちしております」
そう言葉が返って来ると、ドアの前から足音が遠ざかっていく。
普通、メイドが主人に用件があるときは、部屋の中に入ってから用件を述べるものだろう。しかし、ファヌルスは一人で部屋に居るとき、他人が入って来ることを嫌った。だからメイドは、ドアの外から声をかけたのである。貴族としては珍しいことだろうが、こればかりは仕方がない。
それ以外にも、この部屋に入らない方がいい理由があった。
見てはならないものを見た、などという理由でメイドを死なせるのは、ファヌルスの本意ではない。
ファヌルスは窓から離れると、出かける準備を始めた。といっても、コートを羽織る程度のものだ。外出は決まっていたので、すでに着替えは済ませてあった。
コート掛けから上着を持ち上げ、小脇に抱える。そのままドアの方へ歩こうとして、ファヌルスはふと足を止めた。再び窓の外を見て、宙に浮かぶ巨大な岩山を眺め、微笑む。
そして、再び鼻歌を歌い始める。
窓の外を眺めていたときと同じ旋律を刻みながら、ファヌルスはすこぶる機嫌よく、ドアを開けるのであった。
ファヌルスが城の表玄関を出ると、移動用の馬車が待っていた。その前に立つのは、利発そうな黒髪の少女。ファヌルスに保護された日本人の一人、イチゴという名の少女であった。
イチゴはファヌルスの姿を見て、笑顔で手を振る。
「ファヌルスー! あ、そっか。ファヌルス様、だった!」
しまったという顔をするイチゴに、ファヌルスは微笑む。
「呼び捨てで構わないよ。気にするような人間は、この場には居ないしね」
「ファヌルスが、えっと、サマがそう言っても、トヨカちゃんが怒るんだもんー」
唇を尖らせるイチゴに、ファヌルスは楽しそうに笑い声を上げた。
そんなファヌルスに釣られたのか、イチゴも笑い始める。
イチゴは、いわゆる転移者であった。
普通に暮らしていたはずなのに、気がついたら森の中を歩いていた。混乱して彷徨っていると、小さな村に出る。そこでお世話になっていたところ、うわさを聞きつけたファヌルスがやって来たのだ。戸惑って支離滅裂になるイチゴの話を、ファヌルスは辛抱強く聞き続けた。
そして話の内容から、イチゴは別の世界から迷い込んで来たのだろうと結論付けたのである。
驚いているイチゴに、ファヌルスは自分の秘密を打ち明けた。自分も、生まれる前は日本人であり、いわゆる転生者である、と。結局、イチゴはファヌルスに保護されることとなった。
まったく知らない場所で、自分を助けてくれた。それも、故郷を同じくする人物。
イチゴにとってファヌルスが特別な存在になったのは、当然のことだろう。
「なら、気にしなくてもいいさ。トヨカは今、島に居るんだろう?」
「そうなんだけどー。ずっと呼び捨てだったから、慣れておかないと」
「呼び捨てでもいいと思うんだけどね。それこそ、ずっとそうだったんだから」
肩を竦めるファヌルスを見て、イチゴはにっこりと微笑む。
イチゴは、ファヌルスがこの世界で最初に出会った日本人だ。ほかの日本人が現れるまでの間、イチゴと同じ立場の者は居なかった。イチゴがファヌルスに親しげに接しようと、呼び捨てにしようと、誰にも咎められなかったのである。
二人だけの期間は数ヵ月程度だったが、イチゴにとっては、大切な思い出だった。
「そういえば、どうしてわざわざこっちに来たんだい?」
「だって、ほら! 私が居た方が速いと思って!」
イチゴは両手を大きく開いて見せた。その掌は、淡い燐光を放っている。それは、イチゴが魔法を使える証拠であった。
この世界に転移して来た日本人は、そのすべてが特殊な能力を持っている。イチゴのそれは、様々なものを強化できる「強化魔法」だ。
それを使えば、馬は通常よりも何倍も速く走ることができ、馬車の車輪も滑らかに回るようになる。つまりイチゴは、自分の能力を使って素早く移動をしようと言いたいらしい。
ファヌルスは目を大きく見開くと、どこか楽しそうに苦笑する。
「イチゴ。そんなに速く走れないよ? 街の中では徐行運転、だろう?」
「あ、そうだった!」
人通りの多い街の中では、馬車や馬はすぐ止まれる速度で走らなければならない。それは、この国の法律の一つだ。
イチゴは「そうだった!」という顔をして、面目なさげに頭を掻く。
「まあ、いいさ。一緒に行こう」
ファヌルスが馬車の扉を開けると、イチゴは満面の笑みを浮かべながらファヌルスの後に続いた。
城を出た馬車は街中を抜け、街外れへ進んでいく。目指すのは、空に浮かぶ巨大な岩山のような物体だ。近づくにつれて、徐々にその全貌が見えてくる。
それは丁度深皿に似た形状をしていた。遠目では分かりにくいのだが、徐々にそれが岩と土で出来た島だと分かる。
馬車が暫く進むと、いくつかの建築物が目に入ってきた。近くには、様々な木箱や布袋などが積み上げられた集積場がある。その周りでは軍服を着込んだ者達が忙しそうに動き回っていた。
建物群のうち、大きな倉庫のようなひときわ目立つ建物が島から少し離れた位置に建っていた。しかし、それがただの倉庫でないことは、一目見て判断できるだろう。なにしろ、建物の中から延びたケーブルが、空に浮かぶ島と繋がっているのだ。ケーブルには、大きな箱型の物体――ゴンドラが吊り下げられており、ゆっくりと上昇していく。まるでロープウェイのようだった。
つまり、その建物は空に浮かぶ島と地上を繋ぐ、ロープウェイの駅の役目を果たしていた。
ファヌルスとイチゴを乗せた馬車は、駅の近くに停車した。ほかにもいくつか馬車や馬が停められていることから、そこは馬繋場らしい。
二人は馬車を操っていた御者に礼を言うと駅の入口に向かう。
島の底辺は、地上から二十メートルばかり離れていた。ケーブルが繋がっているのは、島の中ほどの部分だ。高い位置なので、ケーブルの角度もかなり急だった。
駅の隣には、沢山の木箱が積み上げられていた。それらは島に運び込まれる予定の物資であった。このロープウェイは物資運搬の目的で作られたものなのだ。
「これは、ファヌルス様! お越しでしたか!」
忙しそうに働いていた軍人の一人が声をかけた。服につけられた装飾から、かなり高い地位の人物のようだ。ファヌルスがにっこりと笑顔を返すと、その軍人は小走りに近づいて来た。
「運び込みは順調に進んでいます。ただ、量が多いもので、手間取ってはいますが」
「ご苦労おかけします。皆さんが頑張ってくれているおかげで作業も順調なようですし、助かりますよ。やはり軍隊の方々は、規律正しく仕事が早い」
「恐縮です。そうだ、そろそろ御出でになるころだろうと、ニコ殿がお待ちかねですよ」
軍人の言葉に、ファヌルスは驚いた顔をする。
「彼女は、上に居るかと思ったんですが。下りて来てたんですか?」
「荷物を運び込む順番の確認のために、ね」
その声は、ファヌルスの後ろからかかった。振り返ると、そこには黒髪ショートヘアの少女が立っていた。軍服を着た可愛らしい顔立ちの、イチゴと同じ日本人である。
「やあ、ニコ。忙しそうだね」
ショートヘアの少女ニコは、大げさな仕草で肩を竦める。
「ああ、大変さ。なにしろ運び込む荷物の量が多いのに、一度に運べる量が限られているからね。上で使う効率も考えなくてはいけないから、余計に面倒だよ。これで軍隊の人達が居なかったらと思うと、冷や汗が出てくるね」
「はっはっは! お役に立てているようで、光栄です」
ニコの言葉に、軍人がおかしそうに笑う。
本来、荷物を運ぶだけなら軍人が出てくる場面ではない。労働者などを雇えば済む話だろう。だが、運び込む場所があまりに特殊だ。
なにしろ、空に浮かぶ島である。
一般の労働力を使うわけにもいかない。荷物自体に特殊なものが含まれてもいる。
ファヌルスに声をかけた軍人は、別の軍人に呼ばれその場を離れた。
作業中の軍人や職人達の邪魔にならない場所に移動し、ファヌルスとイチゴ、ニコは、改めて挨拶を交わす。
「イチゴ、仕事を投げ出して来ただろう。トヨカさんが怒ってたよ」
「あー、やっぱりバレたかぁー」
面白そうに言うニコの言葉に、イチゴはがっくりと肩を落とす。どうやらイチゴは、任された仕事から抜け出してファヌルスを迎えに行ったようだ。
項垂れるイチゴを見て、ファヌルスとニコは声を出して笑う。
「ところで、ニコ。荷物の方はどんな具合かな」
「うん。予定通りだよ。とはいっても、物がものだからね。苦労はしているよ」
ニコは、島に運び込まれる荷物の管理を任されていた。品物の種類も量も多いので、大変な仕事だがよくこなしている。雑貨や食料といった日用品から、剣や弓といった武器、防具、兵器の類、さらには魔法道具までと多岐にわたる。
これらは、リアブリュック公爵家が用意したものだけではない。貴族や王族、あるいは商人、商会など、様々なところから集められた品々だった。
「でも、島を完成させるには必要だからね。やりがいはあるよ」
ニコは空に浮かぶ島へ目を向けた。
それらはすべて、島を空中要塞として「完成」させるための資材なのだ。ファヌルスはそんなニコの様子を見て、少しだけ表情を曇らせた。
「すまないね。君の仕事は島の警備なのに、こんなことまで任せて」
「なに言ってるのさ。コレも、君達を守る仕事には違いないよ」
ニコがこの世界に来た経緯は、イチゴとほとんど同じであった。普通に暮らしていたはずなのに、気がついたら森の中を彷徨っていたのである。ただイチゴと違ったのは、最初に出会ったのが人間ではなく、魔獣だったところだ。
森の中を歩き回るニコは、人里に出る前に小型の魔獣に出くわした。小型とはいえ、相手は見たこともない化け物だ。日本で平和に暮らしていたニコにとっては、尋常でない恐怖だった。
森の中を必死で逃げ回ったのだが、人間が魔獣を振り切れるはずもない。助かったのは、たまたまファヌルス達が、その周辺の魔獣を討伐している最中だったからである。
そのときファヌルス達は、イチゴの能力により五感と体を魔法で強化して森の中を進んでいたのだという。それゆえニコの叫び声を感知して、ニコが魔獣に食いつかれる前に駆けつけられたのだった。
目の前で口を開けていた魔獣を、切り捨ててくれたファヌルスが居なかったら。
そのファヌルスを能力で強化してくれていた、イチゴが居なかったら。
ニコは生きてなかっただろう。
だから今度は、自分が二人を守らなければならない。そう、ニコは考えていた。
幸いにして、ニコがこの世界に来て手に入れた能力は、その目的に適ったものだった。「武器召喚」という名のそれは、剣や弓、銃火器などの武器を召喚できるというものだ。その銃は特殊なものであり、コウシロウが使っている魔石弾丸同様、この世界でも十二分に威力を発揮するらしい。
自らの能力を知ったとき、ニコは大いに歓喜した。
戦うための力として、これほど便利なものもない。
ニコが召喚した銃火器は、ものの見事に魔獣を打ち倒した。圧倒的な射程や破壊力は、魔法を使うような凶悪な魔獣にも有効だったのである。
それを駆使して今度は自分が、ファヌルス達を。大切なものを、守る。
それが今のニコにとって、最も重要な使命なのだ。この仕事もその一環なのである。
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