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閑話 三
??? イン ある日の朝のこと
しおりを挟む目を覚まし、温かい布団から体を起すと、インは眠そうに両手で目を擦った。
首に絡みつく長いプラチナブロンドを手で後ろに押しやるようにしながら、こくりこくりと頭を上下させる。
どうやら、まだ眠気が晴れていないらしい。
真っ白なシーツに、やわらかそうな羽毛と思われる掛け布団。
そこに少しの肌寒さが加われば、うつらうつらとしてしまうのも仕方ないだろう。
上等な寝具を使うインの寝巻きは、これもまた素晴らしいものであった。
濡れたように滑らかな布地は、肌触りも良さそうだ。
少しの間髪の毛を触っていたインは、不意に顔を上げ窓のほうへと目を移した。
ガラス窓を通し、白いレースのカーテンを抜け、朝日が差し込んでいる。
それを見たインは、慌てた様子で布団から這い出した。
床に下りようとしてシーツに足を引っ掛けて転んでしまうが、毛足の長い絨毯のおかげで怪我は無い。
ぱたぱたと小走りで窓に近づくと、インは確認するように上を見上げた。
探し物は、すぐに見つかる。
太陽だ。
傾き具合からまだ早い時間であることを確認すると、インはほっと安心した様子でため息を付く。
そして、ほんわりとやわらかく微笑んだ。
身長が150cmにも満たないインの外見は、一言であらわすとするならば「美少女」であった。
付け加えるとするならば、「儚げ」とか、「繊細な」とか、「深窓の」と言った所だろうか。
実際、肌は艶やかに白く、一点の曇りも見当たらない。
瞳が殆どを占めているのではないかと思われる目は、透ける様に鮮やかで、まるで宝石のような赤を湛えている。
幼い外見ではあるものの、うっすらと起伏を見せる胸元が、インが少女であることを如実に報せていた。
絵画から飛び出してきたかのような、芸術的なまでに美しい美少女。
だが、一点だけ、普通のいわゆる「少女」とは違うところがあった。
長く尖った、その耳である。
人の物としては異質な形状をしたそれが、彼女が普通の人間族では無いという証だ。
インは、「草原の民」や「疾走者」と呼ばれる種族の民であった。
小さな体躯と、異様なまでのすばしっこさが特徴の民だ。
走るのが何よりも好きで、定住はするものの、走り回るついでに狩りや採集をするような生活を送っている。
自由奔放で気侭な気性ではあるが、仲間意識は強く、情に厚い、
同種族同士で集落を作り、そこで一生を過ごす。
そんな民であった。
だが、今現在インは、同族の集落とは離れた場所で暮らしている。
止むに止まれぬ、だが、自分から選んだ理由からだ。
インはぱちりと自分の頬を叩き気合を入れると、着替えの並ぶクローゼットへと向った。
白いワンピースに、白いニットのカーディガン。
イン自身はあまり好きでは無い色だが、着るようにと言いつけられている色であった。
手早く着替え終えると、インはそっと扉を開け廊下へと出る。
美しく磨き上げられた木材と石材で作られた廊下には、絨毯が敷いていた。
少しだけ顔を出し、左右を確認。
素早く廊下へと出ると、音を立てないように扉を閉める。
本来は靴を履いて歩く場所なのだが、インはそれを両手に片方ずつ持っていた。
足音をさせないようにするには、素足が一番だからだ。
周囲を見回して誰もいないことをもう一度確認すると、インはある場所を目指して走り出した。
途中で誰にも見つからないように、周囲への警戒は怠らない。
見つかったら、捕まってしまう。
それは、とてもイヤだった。
目的の場所に着くと、インは見つからなかった事に安堵して、ほっと胸をなでおろす。
たどり着いたのは、中庭であった。
建物の中から少しだけ顔を出して中を確認すると、そこにいたのは二人の人物。
ロックハンマー侯爵と、そして、もう一人。
騎士セヴェリジェ・コールストだ。
インは目的の人物を見つけ、パッと表情を華やかせた。
「こる!」
かけられた声に、ロックハンマー侯爵とセヴェリジェは驚いたように顔を上げた。
走ってきた小さな少女、インの姿を確認すると、納得したように表情を和らげる。
両手を広げたインは、そのまま一直線に目的の人物の元へと走った。
小さな身体を受け止められ、インは嬉しそうに頬を相手へ擦り付ける。
「こる、おはよう」
「うむ。おはよう」
インの身体を受け止めたロックハンマー侯爵は、いつもと変らぬ落ち着いた口調で返した。
彼女のお目当ての人物は、ロックハンマー侯爵だったのだ。
隣になっていたセヴェリジェはインとロックハンマー侯爵のほうへと向き直ると、礼をとる。
「おはよう御座います、奥方様」
「セヴェリジェも、おはよう」
奥方様。
そう、インはロックハンマー侯爵の、奥様だったのである。
人間とは違う種族であるところのインは、見た目どおりの年齢ではなかった。
インの種族はある程度の年齢になると一切外見年齢をとらなくなるので分かりにくいのだが、立派な成人女性である。
ちなみに、実年齢的にも種族年齢的にもロックハンマー侯爵よりも上の、姐さん女房であったりする。
ついでにいうと、「こる」というのは「コルディボア・シュバイケル・ロックハンマー」というロックハンマー侯爵の本名から来ている呼び名だ。
現在の所、ロックハンマー侯爵の奥様であるイン以外誰も呼ばない呼び名である。
「また家の者をまいてきたのかね?」
「だって、こるに、最初におはようしたかった」
朝起きて一番の挨拶を、インはロックハンマー侯爵と交わしたかったのだ。
途中で執事やメイドに見つかると、はしたないからと連れ戻されてしまう。
今彼女がまとっている白いワンピースも、すぐにどこかへ駆け出してしまうインを止めるために用意されたものだった。
スカートであるから動きにくく、汚れるのを気にして激しく動く事もできないはず。
と考えられていたのだが、残念ながらインにとっては多少動きにくく感じる程度で、効果は薄いようだ。
「今日は、こどもたち、かえってくる」
インは嬉しくてたまらないというような様子でそういった。
ロックハンマー侯爵とインの間には、四人の子供がいる。
一番上は30で、一番下は18になっていた。
男二人に、女が二人。
娘達は既に全員嫁いでいるのだが、30になる長男と、18になる次男に相手がいないのだけが悩みの種だ。
二人ともしばらく領主館を離れていたのだが、どちらも今日戻ってくる予定なのである。
お腹を痛めた実の息子達が戻ってくる事が、インはたまらなく嬉しかった。
「ふむ。たしか、昼ごろといったかな。それも楽しみだが、イン。君は戻ったほうがいいと思うのだがね。メイド長にでも見つかれば、何を言われるか分からないからね」
ロックハンマー侯爵に言われて、インはそうだったというように口元を手で覆った。
ぱたぱたと手を動かして下ろして欲しいと体で表すインを、ロックハンマー侯爵はゆっくりと地面に立たせる。
「また、あとでね」
インはそういって大きく手を振ると、パタパタと慌てた様子で走り出す。
セヴェリジェとロックハンマー侯爵は顔を見合わせると、僅かに苦笑し、肩をすくめあうのであった。
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