2 / 11
雨に暴かれる様すらも滑稽である。
第2話
しおりを挟む
目が覚めた時、まるっきり理解が出来ていなかった。見知らぬ天井が視界に写ったのは、初めてだったから。
「.......え?」
目が覚めて、ぱちぱちと2、3度瞬きをする。
ゆっくり身体を起こして、自分が服を着ている事、その服は昨夜自分が浅倉のバーに着ていった服と同じ事、そして身体に何も違和感が無いこと。
恋人に殴られた傷が痛む以外には.......。
それらを確認した夕は、ゆっくりと周りを見渡した。
「.......何処だ、ここ」
ぽそり、と呟いた自分の声しか聴こえない。
あとはチュンチュン、と楽しそうに話をしている小鳥達の声が窓の外から微かに聞こえるくらいしか家には音がなかった。ベッドから降りて目に入った黒革のソファには、大分足をはみ出して寝ている、グレーのスウェット姿の男が居た。イビキをかくことなく、腕を大胆に投げ出して眠る大男。
夕はその男の顔に唖然とした。
それもそのはず。
夕にとってその男は、『見知らぬ男』なんかじゃなかった。
少し背が伸びたんじゃないか。
高校の時は俺より幾らか上なだけだったと思う。
野球部だった彼はずっと短髪だったから、こんなに髪が伸びている姿を初めて見た。
黒髪じゃなくて、少し栗色だったんだ。
一瞬にして様々な事が頭を過った。
(.......なんで、こんな事に.......)
そしてまた一瞬にして、夕の心はずしり、と重くなった。取り敢えず、何事も無かったかのように帰らねば。
この男に目を覚まされる前に、帰らなければ。
夕は焦って、自分の荷物を探す。玄関近くに、自分の荷物が纏められてる事に気づき、慌てて駆け寄った。
駆け寄ったのがいけなかったのか。
足音を立てたつもりは無かったのだが、後ろから掛けられた声が起こしてしまった事実を現実だと教えてくれた。
「.......行光?」
懐かしい爽やかな声。
喋る度に出張った喉仏が上下する。
それを見るのが大層好きだった。
久しぶりに名前を呼ばれ、自分の胸が諦め悪く高鳴るのに気づいてしまった。
「.......ご、ごめん.......俺、バーで呑んでた.......はず、.......なんだけど.......」
辿々しい言葉を必死に紡ぎ、男に目を向けないまま荷物を握り締めた。
動けばいい。立ち上がり、荷物を持って靴を履いて目を合わせぬまま、玄関を出てしまえばいい。
そして今後、ウィスキーは半分で止めよう。
いや寧ろ呑まなくて良いだろうもう。
呑みたい時は、ほろよいの可愛らしくて甘ったるい缶にしよう。
一生分頭を回転させた気分だった。
夕は、男が近づいてくる気配を感じて身体を強ばらせる。
何も痛い事なんてされていない。
怖い事も何も無い。
だが、夕の心臓はずっと警報を鳴らしているみたいに鼓動が止まない。
(聞こえてしまいそうだ.......離れたい.......)
心の中で思いつつ、手に嫌な汗をかいていた。
「行光、どうした? 二日酔い? 具合悪いか?」
あの頃と変わらない優しさを与えてくれる。
夕は、酒に弱いが二日酔いなんてしない。
それを知らないのは、久しぶりに会ったお互いが成人しているから。
夕は必死に首を横に振った。
「だ、大丈夫.......ごめん、ごめんね」
わけも分からず夕はただただ謝る。
恐らく、自分が恐れているような過ちは犯して居ないのだと思う。
それは自分の服装が乱れて居ないのと、身体の違和感も無い。
そして相手の反応もベッドも、恐らく間違いは起きて居ないんだ。
それは理解出来ているのに、考えても見なかった相手に出会えてしまって夕の中で思考回路が渋滞してしまっていたのだ。
自分が予想だにしない事が起きると、夕は直ぐにパニックを起こす。
それで幾度となく失敗を繰り返し、親からの期待を裏切ってしまってきた。
焦って、焦って、話そうと思っても何を話せば良いのか分からない。
元来、人見知りの激しい夕には久しぶりに会ったのが知人だとしても、上手い話のネタなんて思いつかない。
だから、一秒でも早く此処から逃げたかったのだ。
夕があわあわしているのが見て取れたのか、後ろに立っていた男はクスクスと笑い声をあげた。
「行光~。お前変わんないなぁ~、そんな焦んなくても.......あれ、もしかして俺の事おぼえてなかったりする?」
急に焦った声を上げた男に、夕は慌てて振り返り首が取れそうな勢いで横に振った。
少し振りすぎて視界がクラクラした。
「..............ひ、日野.......でしょ」
小さく、小さく、ただ言葉が零れてしまっただけ、と表すのがピッタリな程、小さな声だった。
しかし、夕達以外音のないこの部屋には十分に聞こえてしまう。
男は夕の言葉に、あの頃と同じ白く並びの良い歯を思い切り見せて「おう!」と笑った。
ちかちか、と星が降ったような笑顔を見せられ夕はつい昔のように目を細める。
(あぁ.......眩しいなぁ)
直視は出来ない。
そんな事をしたら目が潰れてしまうな、と昔から思っていた。
自分なんかが隣に居れるような人じゃない。
日野はもっと、太陽だから。
俺は太陽の影に居れればそれでいいんだ。
「.......なんか、迷惑.......かけちゃったみたいで、ごめんね。帰るね」
申し訳ない、という感情を全面に出し夕は謝った。
日野は少しキョトンとしていたが、「う~ん」と考える素振りを見せる。
しかし夕はそんなの気にもせず、荷物を持ち靴を履いた。
すると、「ちょっと待った!」という声と共に夕は左腕を掴まれた。
吃驚して振り向くと、日野はおもちゃを見つけた犬のような笑顔で、夕に言った。
「久しぶりなんだしさ、もうちょい居てよ!」
その明るさは、やっぱり夕には眩しかった。
「.......え?」
目が覚めて、ぱちぱちと2、3度瞬きをする。
ゆっくり身体を起こして、自分が服を着ている事、その服は昨夜自分が浅倉のバーに着ていった服と同じ事、そして身体に何も違和感が無いこと。
恋人に殴られた傷が痛む以外には.......。
それらを確認した夕は、ゆっくりと周りを見渡した。
「.......何処だ、ここ」
ぽそり、と呟いた自分の声しか聴こえない。
あとはチュンチュン、と楽しそうに話をしている小鳥達の声が窓の外から微かに聞こえるくらいしか家には音がなかった。ベッドから降りて目に入った黒革のソファには、大分足をはみ出して寝ている、グレーのスウェット姿の男が居た。イビキをかくことなく、腕を大胆に投げ出して眠る大男。
夕はその男の顔に唖然とした。
それもそのはず。
夕にとってその男は、『見知らぬ男』なんかじゃなかった。
少し背が伸びたんじゃないか。
高校の時は俺より幾らか上なだけだったと思う。
野球部だった彼はずっと短髪だったから、こんなに髪が伸びている姿を初めて見た。
黒髪じゃなくて、少し栗色だったんだ。
一瞬にして様々な事が頭を過った。
(.......なんで、こんな事に.......)
そしてまた一瞬にして、夕の心はずしり、と重くなった。取り敢えず、何事も無かったかのように帰らねば。
この男に目を覚まされる前に、帰らなければ。
夕は焦って、自分の荷物を探す。玄関近くに、自分の荷物が纏められてる事に気づき、慌てて駆け寄った。
駆け寄ったのがいけなかったのか。
足音を立てたつもりは無かったのだが、後ろから掛けられた声が起こしてしまった事実を現実だと教えてくれた。
「.......行光?」
懐かしい爽やかな声。
喋る度に出張った喉仏が上下する。
それを見るのが大層好きだった。
久しぶりに名前を呼ばれ、自分の胸が諦め悪く高鳴るのに気づいてしまった。
「.......ご、ごめん.......俺、バーで呑んでた.......はず、.......なんだけど.......」
辿々しい言葉を必死に紡ぎ、男に目を向けないまま荷物を握り締めた。
動けばいい。立ち上がり、荷物を持って靴を履いて目を合わせぬまま、玄関を出てしまえばいい。
そして今後、ウィスキーは半分で止めよう。
いや寧ろ呑まなくて良いだろうもう。
呑みたい時は、ほろよいの可愛らしくて甘ったるい缶にしよう。
一生分頭を回転させた気分だった。
夕は、男が近づいてくる気配を感じて身体を強ばらせる。
何も痛い事なんてされていない。
怖い事も何も無い。
だが、夕の心臓はずっと警報を鳴らしているみたいに鼓動が止まない。
(聞こえてしまいそうだ.......離れたい.......)
心の中で思いつつ、手に嫌な汗をかいていた。
「行光、どうした? 二日酔い? 具合悪いか?」
あの頃と変わらない優しさを与えてくれる。
夕は、酒に弱いが二日酔いなんてしない。
それを知らないのは、久しぶりに会ったお互いが成人しているから。
夕は必死に首を横に振った。
「だ、大丈夫.......ごめん、ごめんね」
わけも分からず夕はただただ謝る。
恐らく、自分が恐れているような過ちは犯して居ないのだと思う。
それは自分の服装が乱れて居ないのと、身体の違和感も無い。
そして相手の反応もベッドも、恐らく間違いは起きて居ないんだ。
それは理解出来ているのに、考えても見なかった相手に出会えてしまって夕の中で思考回路が渋滞してしまっていたのだ。
自分が予想だにしない事が起きると、夕は直ぐにパニックを起こす。
それで幾度となく失敗を繰り返し、親からの期待を裏切ってしまってきた。
焦って、焦って、話そうと思っても何を話せば良いのか分からない。
元来、人見知りの激しい夕には久しぶりに会ったのが知人だとしても、上手い話のネタなんて思いつかない。
だから、一秒でも早く此処から逃げたかったのだ。
夕があわあわしているのが見て取れたのか、後ろに立っていた男はクスクスと笑い声をあげた。
「行光~。お前変わんないなぁ~、そんな焦んなくても.......あれ、もしかして俺の事おぼえてなかったりする?」
急に焦った声を上げた男に、夕は慌てて振り返り首が取れそうな勢いで横に振った。
少し振りすぎて視界がクラクラした。
「..............ひ、日野.......でしょ」
小さく、小さく、ただ言葉が零れてしまっただけ、と表すのがピッタリな程、小さな声だった。
しかし、夕達以外音のないこの部屋には十分に聞こえてしまう。
男は夕の言葉に、あの頃と同じ白く並びの良い歯を思い切り見せて「おう!」と笑った。
ちかちか、と星が降ったような笑顔を見せられ夕はつい昔のように目を細める。
(あぁ.......眩しいなぁ)
直視は出来ない。
そんな事をしたら目が潰れてしまうな、と昔から思っていた。
自分なんかが隣に居れるような人じゃない。
日野はもっと、太陽だから。
俺は太陽の影に居れればそれでいいんだ。
「.......なんか、迷惑.......かけちゃったみたいで、ごめんね。帰るね」
申し訳ない、という感情を全面に出し夕は謝った。
日野は少しキョトンとしていたが、「う~ん」と考える素振りを見せる。
しかし夕はそんなの気にもせず、荷物を持ち靴を履いた。
すると、「ちょっと待った!」という声と共に夕は左腕を掴まれた。
吃驚して振り向くと、日野はおもちゃを見つけた犬のような笑顔で、夕に言った。
「久しぶりなんだしさ、もうちょい居てよ!」
その明るさは、やっぱり夕には眩しかった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

あの日の記憶の隅で、君は笑う。
15
BL
アキラは恋人である公彦の部屋でとある写真を見つけた。
その写真に写っていたのはーーー……俺とそっくりな人。
唐突に始まります。
身代わりの恋大好きか〜と思われるかもしれませんが、大好物です!すみません!
幸せになってくれな!


林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

使命を全うするために俺は死にます。
あぎ
BL
とあることで目覚めた主人公、「マリア」は悪役というスペックの人間だったことを思い出せ。そして悲しい過去を持っていた。
とあることで家族が殺され、とあることで婚約破棄をされ、その婚約破棄を言い出した男に殺された。
だが、この男が大好きだったこともしかり、その横にいた女も好きだった
なら、昔からの使命である、彼らを幸せにするという使命を全うする。
それが、みなに忘れられても_
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる