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第2章 魔塔編

【32】主人

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その日、午後になって突然訪ねてきたシェラルクは「ついて来てください。」とだけ言って歩き出した。

どこへ向かっているのか、こいつに聞いた所で無言で返されるだけだろうから黙ってついていく。自分が言えた事ではないがこいつは最低限のことしか話さないため、雑談すらない。

そしてシェラルクは一つの扉の前で足を止めた。
質素なその扉は両開きになっていて、シェラルクが両手でガチャリと開けた。中は真っ暗闇だった。今はまだ昼間で、ここまで歩いていた廊下は明るいのにその中はまるで黒く塗りつぶされたように少しの先も見えなかった。

「この先です。」

シェラルクはそれだけ言うと闇の中へ進んでいった。そして闇に溶け込むようにその姿は見えなくなる。今更ここで怖気付いてもしょうがないためその後に自分も続く。

しかし、見た目と違ってその中はすぐに明るい場所に繋がっていた。天井は吹き抜けているかのように高くそして明るく、床からズラッと本棚が続いている。

不思議な気配が前方からひしひしと感じるが、それに敵意はない。

ただこれまでに感じたことのない強烈な“何か”の気配だった。



シェラルクはいつのまにか俺と距離を取り、その空間の中央に置かれた執務机の後ろに、まるで騎士のように姿勢を正して佇んでいた。

そして執務机には知らない老人が一人。しかし体つきには全く老いが見られなかった。マントに隠れて見えないが、公爵家の騎士にも珍しいほどがっしりとした体である事は間違いなかった。

「...お主が、イーゼルか。」

若くもなく、しわがれてもない声が響く。
俺はその老人と対面していた。

なんとなくこの人が魔塔主だと感じる。そうか、先ほどから感じるこの気配は膨大な魔力か。

長い髭を顎に垂らした老人は席を立ち、ゆっくりと俺に近寄って来た。その紫色の瞳が俺をまっすぐ貫く。

魔塔主は俺の目の前まで来る。
年老いているが、身長は俺より頭ひとつ分以上大きいため、屈むようにして顔が覗き込まれる。
そして顎髭を撫でながら老人はこう言った。

「聞いていた通り相当な魔力量じゃのぉ。ほぅ...これは将来有望。覚醒が楽しみじゃなぁ。」

ほほ、と柔和に笑った魔塔主は執務机の椅子に戻りながら俺に問いかけた。

「お主、ディラードの甥らしいの。」

「ああ。」

父上すら呼び捨てにするこの人は一体どれだけの権威を有しているのだろうか。
魔法理論ばかりユノ先生に習っていて、魔法史はまだ全てを網羅できていないため詳しい関係性や力関係は見当がつかない。と言っても魔塔主の素性はそのほとんどが秘匿されているため知る術もないのだ。

「ディラードによく似とるの。しかし彼奴よりは器用なようだ。魔法を扱う器量がある。」

「......そうか。」

かつて、褒められるたびに微妙な顔をしてしまう俺に父上が「相手がどんな考えで言っていようと、褒められたのなら素直に受け取っておけ。」と教えてくださった事を思い出して返事をする。
ただアステル以外からの褒め言葉は心の底から信じられないのが現状だ。それは両親にも申し訳なく思っている。

思考が若干道を外れてきた時、魔塔主は一呼吸置いてからこう言った。

「お主、魔法が覚醒したらそのまま魔塔所属にならないかの。」

魔塔主のその言葉に、後ろにいたシェラルクの表情が驚愕に染まる。
魔法史がまだ不完全な俺でも分かる常識だが、確か最年少で魔塔所属になったのは、俺よりも5つ年齢が上の人間だった気がする。

そして、魔法覚醒よりも前に勧誘を受けるなんて事は前代未聞。

つまりこの魔塔主の言葉が本心なのだとすると、俺は魔塔所属の最年少記録を塗り替える事になる。

だが、

「断る。」

と即答する。

「は?」

すぐに断った俺にシェラルクが声を上げたが、魔塔主は分かっていたようにふぉふぉっと穏やかに笑っていた。見透かされているようで気に食わないが、俺の答えは揺るがない。

「理由を聞こうかの。」

「魔塔に所属した所で、俺に得はない。」

「自分の力が認められるのじゃぞ?」

「望んでない。」

「地位は。」

「十分過ぎるほどある。」

「金は。」

「それも俺には勿体ないくらいある。」

「先達の教えも受けられるぞ。」

「知らない事の方が多い俺には、過ぎたものだ。...それに、俺の居場所は別にある。守りたい人がいる。」

頭によぎるのは俺の世界の全てであるアステル。そして家族。公爵家を支える人たち。
そこが俺の居場所だ。

「しかし限界はあるじゃろう?」

「そもそも、俺は魔法が上手くなりたいわけじゃない。高みを目指したいわけでもない。大衆のための研究も興味がない。俺は守りたい人を守れれば良い。」

「矛盾じゃの。守りたいものがあるなら、強くなるべきじゃろう。」

「そうだ。だが、俺は色々な方法で大切な人を支えるつもりだ。魔法はその中の一つに過ぎない。」

「...ふむ。一理あるの。」

やっと納得したのか、魔塔主は満足そうに頷いた。

「それに公爵家には優秀な教師がいる。俺にはそれで十分だ。」

そう言った俺の言葉にシェラルクは苦虫を噛み潰したような顔で殺気を放ち始めた。

「ほぉ...。ユノも面白い子を見つけたのぉ。彼奴は鼻がいいからな。」「ふざけるな。」

魔塔主の言葉に被ったシェラルクの低い声が俺の耳に辛うじて届いた。



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