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第1章 家族編

【12】その時のこと②

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その日はおもちゃを用意してもらったのか、アステルはベッドの上で上機嫌に一人遊びをしていた。

自分で投げたボールを追いかけたり、何やらぬいぐるみと輪になって会話していたり、ぬいぐるみとおままごとをしたり。
落ちたボールを拾ったら「にいしゃ、あぃぁと。」と小声で言ってくるのとか、謎にもごもご動く柔らかそうなほっぺとか、あまりにも心を乱すことばかりが視界の隅で起こるのだ。
そのアステルの様子がどうにも気になってしまい、授業に集中できていなかった俺は家庭教師の癇に障ってしまった。


『この家に“置いてもらっている”という事を忘れないように。』


言われ慣れた家庭教師の言葉に、初めて心臓が冷えた。


アステルはまだ何を言っているかわからない歳だろうが、こんな場面を見られたくはなかった。
嘘でも虚像でも、叶わない願いでも、アステルの“兄”として少しでも長くいたかった。
生き方を選べなかった情けない俺の姿を、その美しい瞳に入れないでほしかった。

どうか、アステルがこの日のことを忘れてくれますようにと願って頭を下げながら拳を握りしめた時、...突如アステルは大声で泣いた。
先ほどまで可愛く遊んでいたおもちゃを柵の外へ投げ捨てながら、見たこともないほど大きな口で、聞いたこともないほど大きな声で泣いていた。
ついにはおでこに積み木が直撃して泣き声はさらに大きくなり、子供の小さな体のどこにそんな体力があるのか、力を使い切って死んでしまうのではないかと不安になって抱き上げる。すると今度は俺の服を握りしめて泣き始めた。

そしてアステルの泣き声を聞きつけてやってきたディラード様に状況を伝える。その後はディラード様の指示で医者を呼んだが、アステルは高熱を出して寝込んでしまった。

赤ん坊が熱にうなされていると、そのまま死んでしまいそうで本当に怖かった。何もできることがないままアステルが死んでしまうなんて、考えたくもなかった。









でも、いざ元気になったアステルが言ったのは、家庭教師の言葉に腹を立てたという事だった。アステルはあの言葉を全て理解していたのだ。理解した上で、怒ったのだ。
俺の、ために...?
俺のためにアステルはあんなに泣いて怒ってくれたのか...?
ディラード様とフェルアーノ様もそのことで本気で怒ってくれた。


「...本当に、俺のために...?」

「う!あしゅてる、にーしゃ、まもりゅましゅ!」

こんなに小さい体で、こんなに可愛い顔を苦痛に歪めて、熱まで出して、全力で俺のために怒ってくれたのか。
俺のため。俺のために。

「あしゅてる、いーじぇりゅおにーしゃまの、おとーと。」

おとうと。

...弟か。
こんなに純粋で強くて、尊い存在が弟なのか。
そう、認めてくれるのか。

それはなんて、...っなんて、幸せなんだろう。俺は不幸でいるべきなのに。いつのまにか俺の周りは温かいもので溢れている。
その心地よさに抗う方法を、俺は知らなかった。

「ぉ、俺の、弟...!アステル、っアステル...!」

「あい!」

そう笑ったアステルの、なんと可愛いことか。少し前に見た天使のような笑顔のままのアステルだった。もうそれだけで、それさえあれば全てがどうでも良いと思えた。

俺にその笑顔が向いているのなら、その他の全ては瑣末事だ。

「っあぁ、可愛いな、どうしてアステルはこんなに可愛いんだ。...俺だけのアステルにしたい。」

できればアステルは俺だけを見て、俺だけを守って、俺だけに守られていて欲しい。
俺だけを見てくれる存在を俺に依存させたい。離れて行ってしまわないように。そうすればもう俺は自分を見失わずにいられる。一生満たされたまま死ねる。

人間とは貪欲で、一度許されるともっともっと欲しくなってしまうものだ。
だからこんな独占欲すらも、甘い毒のように俺の思考を蝕む。

前までは、陰でアステルを支えられるならそれで良かったが...少し、考えを改める事にする。


アステルは、俺の弟は、誰にも渡さない。


これからは、そのために研鑽を積んでいこう。俺からアステルを奪おうとする奴らを全員なぎ払えるような純粋な力を手に入れよう。アステルが苦しむことのない世界を作ろう。

俺の生きる意味はそこにある。


今の所俺とアステルは幸運な事に“兄弟”という切っても切れない関係で縛られている。








当分はそれで満足しておこう。







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