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第1章 家族編
【5】号泣
しおりを挟む午後は座学。僕は、兄様と同じ部屋にいる。
「アステルも授業を見てみたいらしいの。よろしくね。」と母がイーゼル兄様に伝えたが、当の兄様は僕を一瞥しただけで席に着いてしまった。横顔がとても美しい。鼻の高さが際立っている。思わず拍手を送りたくなってしまう。
ベビーベッドの柱の隙間から兄様の手元を覗くがそこに書いてある文字は日本語ではなかったため読めなかった。というか見たこともない言語だった。
くそう...これではこっちの世界の文字を一から勉強しなければいけない。
そんな事を考え、しばらくして部屋に入ってきた家庭教師は僕を見ると、少し目を細めた。そりゃあ教室に赤ん坊がいたら邪魔かもしれないですけど、僕は泣かないので静かですよ!良い子なんです!
そう伝えたいが、母以外とはまだ意思の疎通ができないため何も伝えられないのが惜しい。ともかく、先生に睨まれないように大人しくしていよう。
それでも授業の方は滞りなく進んだ。
滞りなさすぎて、すらすら進む黒板の読めない文字と聞こえてくる知らない言葉のオンパレードに僕は次第に眠くなってしまった。
うむ、良い子守唄だ。前世での社会の授業を思い出す。特に歴史系。
そしてその眠気に抗えなかった僕は、こてりと寝てしまった。
たくさん頑張ってる兄様ごめんなさい。僕は先にいきます。子供は寝ることと食べることが仕事なので...........。
目が覚めたらもう先ほどまでの教室ではなくて、いつもの僕の部屋だった。しかし、なぜか兄様が僕の部屋で本を読んでいた。
その姿を目に入れた瞬間嬉しくて声を上げる。
「ぁう!」
兄様!もしかして僕に会いにきてくれたんですか!
声を出すと、兄様の無表情がこちらを向いた。これは!?まさか構ってくれる!?と思ったが、すぐに本を持って部屋を出て行ってしまった。
「あぅ~...。」
会いにきてくれたわけじゃないんですね...。
と、しょぼんとしていたら、すぐに母が入ってきて、僕を抱き上げるとこんな事を言った。
「アステル、起きたのね。私は少し用事ができてしまったのだけど、あなたの目が覚めるまでイーゼルがそばに居てくれるって言うから頼んだの。」
なんと。兄様が!僕のそばに!自分の意思で!
これは大きな進歩ではないだろうか。今までは母にも協力してもらって無理やり僕と二人きりになっていたが、今回はイーゼル兄様の意思でこの部屋に居てくれたのだ。つまり嫌われてはいないという事がはっきりした。
初めの方の仲良し作戦は悉く失敗していたと思っていたけれど、やはり一緒にいる時間を増やすと言うのは正しかったらしい。これは兄様に抱っこしてもらう日も近いかもしれない。
「あぅ!う!(明日からも授業受けます!)」
「あら!アステルは勉強熱心ね。そうだ。今日から貴方も椅子に座って私たちと一緒に食事をしないかという話が出たのよ。アステルが椅子から落ちないようにディラード様が特注で椅子も作ってくれたの。」
「う~!!」
やったぁ!!
これまでは僕のミルクの時間が不定期で父と母と食事の時間が合わなかったけれど、段々と食べられるものも固形に変わり、量も安定して来たから一緒の席で食べられるらしい。
よし!これで食事も兄様と一緒にできる!もっともっと仲良くなれる!
...と、思っていたが。
「あぅ?(あれ?)」
食事の席に、兄様は居なかった。
長い机のお誕生日席にイケメンお父様。机の角を超えて右隣にお母様。そしてその向かいに僕。しかし、僕の隣にも、母の隣にも兄様の分の食事は準備されていなかった。
「アステル、どうしたんだ?」
キョロキョロとする僕に父が問いかける。
「う、うぁう?(イーゼル兄様は?)」
疑問を投げかけながら話の通じる母を見る。
僕、兄様と一緒に食べたいんですけど...。
「...ごめんなさいね、アステル。イーゼルは...。」
と、母は悲しそうに視線を落とした。
すると父がこう言う。
「...イーゼルは、一緒に食事をしないんだ。私達は一緒に食べようと言っているのだが...どうも遠慮しているらしい。」
遠慮?家族なのに?
そう思いながら父を見つめると、いつかのように父は眉を垂らして悲しそうな顔をした。
「...ああ、イーゼルも家族だ。」
珍しく僕の言いたいことが伝わったらしい父は何やら含みのある表情と声でそう言った。
家族なら、一緒に食事をするのが普通だ。たとえ家の中で別々のことをしていても、食事には皆が集まる。
僕も前世、家族の中で浮いてしまったけど食事だけは最後まで一緒にとっていた。
だって、一人で食べる食事は味がしないから。
何も食べた気にならないから。
同じ家にいながら、明らかな“他人”になった気になるから。
...じゃあ今、兄様はひとりぼっちで食事をしているのだろうか。
「うぅ...。」
ポツンとした兄様の背中を想像して、視界が潤む。
「アステル!?」
ガタッと席を立った父に抱き上げられる。
しかしその大きな体と逞しい腕に優しく支えられながらも、僕の涙は止まらなかった。
「ぅう゛っ、ぁぁあう...!」
「どうしたんだ、滅多に泣かない子なのに...。どこか痛いのか?」
「アステルはきっと、イーゼルが居なくて寂しいのよね?」
「っアステル...。あぁ...お父様もそうだ。」
ぎゅっと抱きしめる力が強まる。
「大丈夫だ。イーゼルは私達の家族だ。だから、いつかきっと...。」
あんな寂しい思いを兄様にして欲しくない。
その為に、僕は何ができるだろうか。
僕にしかできない何かがあるはずだ。
▼
次の日も、兄様と一緒に授業を受ける。
今日は一層気合を入れて、眠らないように頑張ろう!
「レアドスでは現在ヘリオッズの輸出の方法が変化しています。どのように変化したか分かりますか?」
ハキハキした家庭教師の言葉に、兄様は冷静に答える。
「先月の特別法令改正で関税が1割削減され、ミスティア産の荷車によって運搬量が2~3倍に増えました。今後は道路整備によって更に荷物の運搬が円滑に進むことが期待されています。」
「そうですね。ではこのヘリオッズについて___。」
わぁ!兄様すごい!という思いで、パチパチと手を叩く。小さい手と弱い力ではパシパシくらいの音だったが近くの兄様には聞こえていたようで一瞬視線が投げられる。
まあすぐにその目は黒板に向いてしまったが。
授業は次第にヘリオッズの説明から、隣国の歴史に移り、またも僕は眠くなってしまった。だめだめ!兄様が頑張っているのに!必死に頭を振って眠気を飛ばすが、すぐにコクリコクリと船を漕いでしまうのを、頭を振って耐える。
コクリコクリ...ブンブンッ...コクリコクリ...ブンブンッ...コクリ...コクリコクリ、
...くてっ。
「ぁ、」
後ろへ倒れながら寝落ちた僕だが、一瞬兄様の焦った声が聞こえた気がした。
でも兄様は今、授業に集中しているはずだからきっと聞き間違いだろう。兄様の集中力はすごいんだから。
けど、もしかしたら兄様があんな声を出すこともあるのかな。
...兄様の事、もっともっと知ったら、分かるかなぁ。
知りたいなぁ。
「ふふっ、今日もアステルは寝てしまったのね。」
「...フェルアーノ様。」
「あらイーゼル。どうしたの?」
「...アステル、が、眠りに落ちる時に頭を床にぶつけて...。」
「もしかして後ろに倒れたかしら?」
「はい。」
「ふふっ、大丈夫よ。このベッドはあの子用に柔らかく作られているから。心配してくれたのね、イーゼル。ありがとう。」
「いえ...大丈夫ならそれで。では失礼します。」
in執務室
「ディラード様!イーゼルが!イーゼルの話を聞いてください!私たちの子がとっても可愛いんです!」
「落ち着けフェルアーノ。私達の子が可愛いのは今に始まったことじゃない。」
珍しく兄様に心配してもらった上、その様子を両親が嬉しそうに語っているなんて知らない僕は、すやすやと寝てしまっていた。
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