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一章 呪われた額の痣
第十一話
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黒蝶の肌は白く艶やかで、緋花がこれまで出会ったどの女性より美しかった。黒蝶の肌に白粉を重ね、玉虫色の紅を丁寧に塗る。黒蝶の顔立ちはしっかりと化粧を施しても劣らない。むしろ逆で、より一層美しさが際立った。緋花はうっとりとしながら、黒蝶の目元に少しだけ紅を入れた。黒蝶の瞳は蜂蜜のような色で、緋花はつい見入ってしまった。白い肌には赤が映える。手の爪先にも紅を塗り、大人の色気を出す。
「黒蝶様、大変お美しゅうございます」
酷いいじめを覚悟して向かった真珠殿では、幸い黒蝶からは気に入られているようだった。おそらく、緋花が化粧上手で素直に黒蝶を褒め称えているからだろう。
姿鏡の前に立ち、自分の頬に手を当てる黒蝶。気に入っているようだ。
「緋花は村で化粧師をしておったのか?」
「いえ」
「ではなぜ、このような化粧ができるのだ」
十五年という月日の間、緋花は村でたったひとりぼっちだった。話し相手は育ての絹のみで、同じ年頃の者たちとは会うこともできなかった。そのため友達は書物ばかりで、緋花は母の化粧箱と流行りの化粧本を使って勉強していた。
「書物から学びました」
「それでは、誰かに化粧を施した経験はなかったのか?」
「……いえ」
村で亡くなった女たちに化粧を施していた、と言いかけて口を閉ざす。玉代からは、いつも黒蝶様を褒め気分を良くさせておくこと、と口酸っぱく言われていたからだ。
「よい、申せ」
緋花は感情が表情に出やすいため、すぐに何か隠していると相手に伝わってしまう。気持ちは額の痣とは違って化粧では隠せないものだ。
「実は、村で亡くなった女性たちへの餞に、化粧を施しておりました」
「な、なんだとっ」
緋花の言葉に、黒蝶の侍女頭である鈴音が悲鳴を上げる。
「そうか」
しかし黒蝶は怒らず、むしろ楽しそうに笑っていた。
「それならば、化粧師ではなく死化粧師であったか」
扇を広げくすくすと笑う。
「笑いごとではございません、黒蝶様! やはり、このような者に化粧を任せるなど」
「妾が決めたことだ。それに、この美しさ。緋花の腕は間違いではないだろう」
そう言って鈴音を見た。
「それより、その額はどうしたのだ」
緋花は化粧道具を取られてしまったため、白い布を額に当て隠していた。村で嫌われていたこの痣は、緋花にとって人に見せられないものだった。
「ここに傷がございまして、黒蝶様の目に触れぬようつけさせていただきました」
「そうか、それも化粧で隠していたのか」
「はい」
黒蝶様は怖いと思っていたけれど、話してみたらそんなことはない。化粧箱は残念だけれど、黒蝶様の美しいお顔に化粧を施す機会をもらえたのだから、それはそれでいいことかもしれない。
緋花はそんなふうにのんきに考えていた。
けれど、緋花をよく想わない者は大勢いた。真珠殿の侍女たちだ。特に、緋花の前に黒蝶に化粧を施していた侍女は毎日のように緋花をいじめていた。緋花にだけ食べ物を与えないようにしたり、緋花の衣を裂いたりと隠れてこそこそとするいじめや、直接「化粧以外何もできない能無しが」と暴言を吐かれたりもした。
それでも緋花は食事が摂れず腹を空かせていても誰にも愚痴はこぼさず、侍女たちが寝静まる昼間に裂かれた衣を手縫いし、毎日黒蝶に化粧を施していた。緋花にとって、それは幸福だったのだ。それだけではない。食事を抜かれたことで、緋花には出会いもあった。凪との出会いだ。
凪は鬼で、給仕を担当している。一度お腹が空いてどうしようもなくなって、給仕場へふらふらと歩いていくと、凪がこっそり隠れてつまみ食いをしているところに出くわした。
「あなた、黒蝶様の化粧師になったっていう人間でしょ?」
鬼たちは皆日光を浴びないことで肌は白い。凪も鬼特有の白い肌に、肩より上に切りそろえた短い髪をしていた。緋花よりも幼く見える。大きな瞳は幼い子どものように無邪気に輝き、笑うと左頬にえくぼができた。
凪は米粒を口の周りにつけたまま訊ねた。
「口に……米粒が……」
緋花が自分の口元を指さしながら凪に伝えると、顔を真っ赤にして手で米粒を取る。そして口に入れた。
灯りに照らされると、凪の短い髪は少し緑に輝いていた。夏の元気のよい青々とした葉を思い出させる色だ。鬼たちの髪の色は、緋花が知る色とは全く違った。黒蝶もそうだ。銀色の髪は星を散りばめたように美しかった。
「あの、何か食べる物をわけていただけないでしょうか」
「え? お腹空いてるの?」
はい、と答えると「真珠殿にいるのに?」と凪は首を傾げた。
「真珠殿にはいつもいろんな食べ物を運ぶのに……」
そこで何か気づいたのか「そうか、そうだよね」と頷いた。
凪は自分が食べていた握りこぶしくらいの塩むすびを差し出した。緋花は「ありがとうございます」と何度も頭を下げてお礼を言った。
「お礼なんて。それに、あなたの方が私なんかよりずっと位が高いのに。敬語はやめてよね」
「そう……なの?」
「だって、黒蝶様の化粧師でしょ? 私たちは黒蝶様とお話はおろか、会うことさえ許されないのに」
そう言って凪は笑った。まだ一粒だけ右の唇の下に米粒がついていた。
「でもまあ、私の方が年上だろうけど」
「え? 年上?」
緋花には十にも満たない娘に見えたが、一体いくつなのかと首を傾げた。
「鬼はね、人より長生きなの。私はこう見えて三十歳なんだから」
「ええ?!」
緋花はつい大声を出して、口に手を当てた。凪もしーっと指を立てる。
「私、凪。あなたは?」
「緋花」
凪にもらった塩むすびは、緋花が想像したよりずっとしょっぱかった。
「黒蝶様、大変お美しゅうございます」
酷いいじめを覚悟して向かった真珠殿では、幸い黒蝶からは気に入られているようだった。おそらく、緋花が化粧上手で素直に黒蝶を褒め称えているからだろう。
姿鏡の前に立ち、自分の頬に手を当てる黒蝶。気に入っているようだ。
「緋花は村で化粧師をしておったのか?」
「いえ」
「ではなぜ、このような化粧ができるのだ」
十五年という月日の間、緋花は村でたったひとりぼっちだった。話し相手は育ての絹のみで、同じ年頃の者たちとは会うこともできなかった。そのため友達は書物ばかりで、緋花は母の化粧箱と流行りの化粧本を使って勉強していた。
「書物から学びました」
「それでは、誰かに化粧を施した経験はなかったのか?」
「……いえ」
村で亡くなった女たちに化粧を施していた、と言いかけて口を閉ざす。玉代からは、いつも黒蝶様を褒め気分を良くさせておくこと、と口酸っぱく言われていたからだ。
「よい、申せ」
緋花は感情が表情に出やすいため、すぐに何か隠していると相手に伝わってしまう。気持ちは額の痣とは違って化粧では隠せないものだ。
「実は、村で亡くなった女性たちへの餞に、化粧を施しておりました」
「な、なんだとっ」
緋花の言葉に、黒蝶の侍女頭である鈴音が悲鳴を上げる。
「そうか」
しかし黒蝶は怒らず、むしろ楽しそうに笑っていた。
「それならば、化粧師ではなく死化粧師であったか」
扇を広げくすくすと笑う。
「笑いごとではございません、黒蝶様! やはり、このような者に化粧を任せるなど」
「妾が決めたことだ。それに、この美しさ。緋花の腕は間違いではないだろう」
そう言って鈴音を見た。
「それより、その額はどうしたのだ」
緋花は化粧道具を取られてしまったため、白い布を額に当て隠していた。村で嫌われていたこの痣は、緋花にとって人に見せられないものだった。
「ここに傷がございまして、黒蝶様の目に触れぬようつけさせていただきました」
「そうか、それも化粧で隠していたのか」
「はい」
黒蝶様は怖いと思っていたけれど、話してみたらそんなことはない。化粧箱は残念だけれど、黒蝶様の美しいお顔に化粧を施す機会をもらえたのだから、それはそれでいいことかもしれない。
緋花はそんなふうにのんきに考えていた。
けれど、緋花をよく想わない者は大勢いた。真珠殿の侍女たちだ。特に、緋花の前に黒蝶に化粧を施していた侍女は毎日のように緋花をいじめていた。緋花にだけ食べ物を与えないようにしたり、緋花の衣を裂いたりと隠れてこそこそとするいじめや、直接「化粧以外何もできない能無しが」と暴言を吐かれたりもした。
それでも緋花は食事が摂れず腹を空かせていても誰にも愚痴はこぼさず、侍女たちが寝静まる昼間に裂かれた衣を手縫いし、毎日黒蝶に化粧を施していた。緋花にとって、それは幸福だったのだ。それだけではない。食事を抜かれたことで、緋花には出会いもあった。凪との出会いだ。
凪は鬼で、給仕を担当している。一度お腹が空いてどうしようもなくなって、給仕場へふらふらと歩いていくと、凪がこっそり隠れてつまみ食いをしているところに出くわした。
「あなた、黒蝶様の化粧師になったっていう人間でしょ?」
鬼たちは皆日光を浴びないことで肌は白い。凪も鬼特有の白い肌に、肩より上に切りそろえた短い髪をしていた。緋花よりも幼く見える。大きな瞳は幼い子どものように無邪気に輝き、笑うと左頬にえくぼができた。
凪は米粒を口の周りにつけたまま訊ねた。
「口に……米粒が……」
緋花が自分の口元を指さしながら凪に伝えると、顔を真っ赤にして手で米粒を取る。そして口に入れた。
灯りに照らされると、凪の短い髪は少し緑に輝いていた。夏の元気のよい青々とした葉を思い出させる色だ。鬼たちの髪の色は、緋花が知る色とは全く違った。黒蝶もそうだ。銀色の髪は星を散りばめたように美しかった。
「あの、何か食べる物をわけていただけないでしょうか」
「え? お腹空いてるの?」
はい、と答えると「真珠殿にいるのに?」と凪は首を傾げた。
「真珠殿にはいつもいろんな食べ物を運ぶのに……」
そこで何か気づいたのか「そうか、そうだよね」と頷いた。
凪は自分が食べていた握りこぶしくらいの塩むすびを差し出した。緋花は「ありがとうございます」と何度も頭を下げてお礼を言った。
「お礼なんて。それに、あなたの方が私なんかよりずっと位が高いのに。敬語はやめてよね」
「そう……なの?」
「だって、黒蝶様の化粧師でしょ? 私たちは黒蝶様とお話はおろか、会うことさえ許されないのに」
そう言って凪は笑った。まだ一粒だけ右の唇の下に米粒がついていた。
「でもまあ、私の方が年上だろうけど」
「え? 年上?」
緋花には十にも満たない娘に見えたが、一体いくつなのかと首を傾げた。
「鬼はね、人より長生きなの。私はこう見えて三十歳なんだから」
「ええ?!」
緋花はつい大声を出して、口に手を当てた。凪もしーっと指を立てる。
「私、凪。あなたは?」
「緋花」
凪にもらった塩むすびは、緋花が想像したよりずっとしょっぱかった。
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