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一章 呪われた額の痣

第十話

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 玉代は険しい表情で、正殿の奥にある間へ急いで緋花を連れて行った。

「大変なことになったね」
「……大変な、こと?」

 緋花は玉代が言っている意味もわからず首を傾げる。それよりも、緋花は母の化粧箱を黒蝶に取られてしまったことが一大事だった。

「化粧箱が……」
「化粧箱の心配より、自分の心配をしなさい」

 そう言って玉代は緋花の両頬を軽く叩く。叩かれて緋花はぶるっと身体を震わせた。

「緋花、お前を化粧師にと言った黒蝶様は帝の后であらせられる」
「と、いうことは……皇后……様? それでは、あの男性の方は……」
「紅玉様、鬼の国の帝だ」

 なんとなく緋花はそんな気がしていた。緋花はとんでもない役職についてしまったのだ。

「で、ですが、私はこの国に生贄として……」

 緋花が想像していた展開とは全く違っていた。鬼とは人を喰らうもの。生贄とはそういう意味なのだと思っていたからだ。緋花だけではない。村の人たちも皆そうだ。

「十五年前、鬼ノ口村から来た生贄は私だ」

 玉代は緋花の目をしっかりと見つめてそう言った。

「え……? 十五年前?」
「そうだ。生贄とは、鬼の住む国でその命尽きるまで奉公することを意味していたんだ。鬼は人を喰わない」

 ええ、と緋花は言葉を失くす。
 だから鬼ノ口村から来たことも、お菊さんのことも知っていたんだ。でも、鬼は人を喰わない? 鬼の国で死ぬまで奉公する?
 それはどういうことなのか、と緋花は混乱した。

「普通、生贄としてやって来ると水場の仕事を任される。それ以外の特例をこれまで十五年間見たことがなかった」
「で、ではなぜ、私は化粧師を……」
「お前の腕を気に入ったからか、化粧箱をすぐに渡さなかったことへの腹いせか。もしくはその両方かは、わからない」

 それから声をうんと潜めて「黒蝶様は侍女をいびるのが趣味みたいなものだ、人間のな」と言った。

「そんな……」

 こんなことになるとわかっていたら絹さんに化粧箱をあげればよかった、と緋花は後悔した。しかし、そんな後悔をしてももう遅い。大切にしてきた化粧箱は黒蝶の手の中だ。

「まずは、鬼たちについて話しておく必要があるね」

 玉代は腕を組み、うーんと唸る。

「鬼たちは、日光を浴びることができない。だから水場を任されている私たちが、昼間にこの宮殿の細かな仕事を行う。川から水を運んだり、洗濯をしたり、食材の調達をしたり。まあ、雑用だね」
「鬼は、日光を浴びられないのですか?」
「そうだ。浴びると肌が焼ける。まるで火であぶられたみたいになるそうだ」

 緋花にはとても信じられなかった。でも、先ほどの街中の賑わいようを思い返してみればわかる。鬼たちにとって夜は活動できる時間帯なのだ。

「私は十五年働いてようやく、新たにやって来る娘たちの教育を任される立場になった」

 緋花は玉代を見た。なぜか、緋花の視界は霞んでいた。

「あ……れ……」

 緊張の糸が切れたのか、緋花は大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。それを見て、玉代はすぐに緋花を抱き寄せる。玉代の胸の中は温かく、いい匂いがした。花のような匂いだった。
 よしよしと背中を撫でられると、緋花は小さな子どものようにしゃくりあげながら泣いた。

「怖かっただろう」

 怖かった。朝も昼も夜も、怖くて怖くて生きた心地がしなかった。

「辛かっただろう」

 生まれてから十五年、ずっと辛かった。でも絶対に泣いてはいけないと思っていた。

「よく頑張ったな」

 緋花は強く玉代を抱き締め返した。

「ほら、そんなに泣いたらせっかくの化粧が落ちるだろう」
「……はい、すみません」

 緋花はすぐに謝って涙を拭う。

「でも、安心はできないんだよ。お前は黒蝶様の化粧師だ。もし失態でもしたら……どうなるかは私にもわからない」

 鬼の国で生贄たちが一生奉公することを、光延様はご存じなのだろうか。
 ふと、緋花は光延の言葉を思い返しながら考える。だがそれも、緋花には確認するすべはない。知っていたとしても、一生この鬼の国で奉公するのなら生贄として捧げられたも同然。二度と故郷へは帰れないのだ。

「私が黒蝶様の化粧師となっても、玉代様とお会いすることはできますか?」
「ああ、できる」
「それならば、私は大丈夫です。今から、私にとって玉代様が私の故郷です」

 緋花はそう言って、玉代に頭を下げた。玉代は嬉しかったのか少し微笑んだが、すぐに笑顔を消した。

「お前には教えることがたくさんありそうだからな。同じ生贄だった身でも、容赦はしないぞ」
「はい。よろしくお願い申し上げます」

 緋花の言葉に、玉代はまた笑った。
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