11 / 26
一章 呪われた額の痣
第十話
しおりを挟む
玉代は険しい表情で、正殿の奥にある間へ急いで緋花を連れて行った。
「大変なことになったね」
「……大変な、こと?」
緋花は玉代が言っている意味もわからず首を傾げる。それよりも、緋花は母の化粧箱を黒蝶に取られてしまったことが一大事だった。
「化粧箱が……」
「化粧箱の心配より、自分の心配をしなさい」
そう言って玉代は緋花の両頬を軽く叩く。叩かれて緋花はぶるっと身体を震わせた。
「緋花、お前を化粧師にと言った黒蝶様は帝の后であらせられる」
「と、いうことは……皇后……様? それでは、あの男性の方は……」
「紅玉様、鬼の国の帝だ」
なんとなく緋花はそんな気がしていた。緋花はとんでもない役職についてしまったのだ。
「で、ですが、私はこの国に生贄として……」
緋花が想像していた展開とは全く違っていた。鬼とは人を喰らうもの。生贄とはそういう意味なのだと思っていたからだ。緋花だけではない。村の人たちも皆そうだ。
「十五年前、鬼ノ口村から来た生贄は私だ」
玉代は緋花の目をしっかりと見つめてそう言った。
「え……? 十五年前?」
「そうだ。生贄とは、鬼の住む国でその命尽きるまで奉公することを意味していたんだ。鬼は人を喰わない」
ええ、と緋花は言葉を失くす。
だから鬼ノ口村から来たことも、お菊さんのことも知っていたんだ。でも、鬼は人を喰わない? 鬼の国で死ぬまで奉公する?
それはどういうことなのか、と緋花は混乱した。
「普通、生贄としてやって来ると水場の仕事を任される。それ以外の特例をこれまで十五年間見たことがなかった」
「で、ではなぜ、私は化粧師を……」
「お前の腕を気に入ったからか、化粧箱をすぐに渡さなかったことへの腹いせか。もしくはその両方かは、わからない」
それから声をうんと潜めて「黒蝶様は侍女をいびるのが趣味みたいなものだ、人間のな」と言った。
「そんな……」
こんなことになるとわかっていたら絹さんに化粧箱をあげればよかった、と緋花は後悔した。しかし、そんな後悔をしてももう遅い。大切にしてきた化粧箱は黒蝶の手の中だ。
「まずは、鬼たちについて話しておく必要があるね」
玉代は腕を組み、うーんと唸る。
「鬼たちは、日光を浴びることができない。だから水場を任されている私たちが、昼間にこの宮殿の細かな仕事を行う。川から水を運んだり、洗濯をしたり、食材の調達をしたり。まあ、雑用だね」
「鬼は、日光を浴びられないのですか?」
「そうだ。浴びると肌が焼ける。まるで火であぶられたみたいになるそうだ」
緋花にはとても信じられなかった。でも、先ほどの街中の賑わいようを思い返してみればわかる。鬼たちにとって夜は活動できる時間帯なのだ。
「私は十五年働いてようやく、新たにやって来る娘たちの教育を任される立場になった」
緋花は玉代を見た。なぜか、緋花の視界は霞んでいた。
「あ……れ……」
緊張の糸が切れたのか、緋花は大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。それを見て、玉代はすぐに緋花を抱き寄せる。玉代の胸の中は温かく、いい匂いがした。花のような匂いだった。
よしよしと背中を撫でられると、緋花は小さな子どものようにしゃくりあげながら泣いた。
「怖かっただろう」
怖かった。朝も昼も夜も、怖くて怖くて生きた心地がしなかった。
「辛かっただろう」
生まれてから十五年、ずっと辛かった。でも絶対に泣いてはいけないと思っていた。
「よく頑張ったな」
緋花は強く玉代を抱き締め返した。
「ほら、そんなに泣いたらせっかくの化粧が落ちるだろう」
「……はい、すみません」
緋花はすぐに謝って涙を拭う。
「でも、安心はできないんだよ。お前は黒蝶様の化粧師だ。もし失態でもしたら……どうなるかは私にもわからない」
鬼の国で生贄たちが一生奉公することを、光延様はご存じなのだろうか。
ふと、緋花は光延の言葉を思い返しながら考える。だがそれも、緋花には確認するすべはない。知っていたとしても、一生この鬼の国で奉公するのなら生贄として捧げられたも同然。二度と故郷へは帰れないのだ。
「私が黒蝶様の化粧師となっても、玉代様とお会いすることはできますか?」
「ああ、できる」
「それならば、私は大丈夫です。今から、私にとって玉代様が私の故郷です」
緋花はそう言って、玉代に頭を下げた。玉代は嬉しかったのか少し微笑んだが、すぐに笑顔を消した。
「お前には教えることがたくさんありそうだからな。同じ生贄だった身でも、容赦はしないぞ」
「はい。よろしくお願い申し上げます」
緋花の言葉に、玉代はまた笑った。
「大変なことになったね」
「……大変な、こと?」
緋花は玉代が言っている意味もわからず首を傾げる。それよりも、緋花は母の化粧箱を黒蝶に取られてしまったことが一大事だった。
「化粧箱が……」
「化粧箱の心配より、自分の心配をしなさい」
そう言って玉代は緋花の両頬を軽く叩く。叩かれて緋花はぶるっと身体を震わせた。
「緋花、お前を化粧師にと言った黒蝶様は帝の后であらせられる」
「と、いうことは……皇后……様? それでは、あの男性の方は……」
「紅玉様、鬼の国の帝だ」
なんとなく緋花はそんな気がしていた。緋花はとんでもない役職についてしまったのだ。
「で、ですが、私はこの国に生贄として……」
緋花が想像していた展開とは全く違っていた。鬼とは人を喰らうもの。生贄とはそういう意味なのだと思っていたからだ。緋花だけではない。村の人たちも皆そうだ。
「十五年前、鬼ノ口村から来た生贄は私だ」
玉代は緋花の目をしっかりと見つめてそう言った。
「え……? 十五年前?」
「そうだ。生贄とは、鬼の住む国でその命尽きるまで奉公することを意味していたんだ。鬼は人を喰わない」
ええ、と緋花は言葉を失くす。
だから鬼ノ口村から来たことも、お菊さんのことも知っていたんだ。でも、鬼は人を喰わない? 鬼の国で死ぬまで奉公する?
それはどういうことなのか、と緋花は混乱した。
「普通、生贄としてやって来ると水場の仕事を任される。それ以外の特例をこれまで十五年間見たことがなかった」
「で、ではなぜ、私は化粧師を……」
「お前の腕を気に入ったからか、化粧箱をすぐに渡さなかったことへの腹いせか。もしくはその両方かは、わからない」
それから声をうんと潜めて「黒蝶様は侍女をいびるのが趣味みたいなものだ、人間のな」と言った。
「そんな……」
こんなことになるとわかっていたら絹さんに化粧箱をあげればよかった、と緋花は後悔した。しかし、そんな後悔をしてももう遅い。大切にしてきた化粧箱は黒蝶の手の中だ。
「まずは、鬼たちについて話しておく必要があるね」
玉代は腕を組み、うーんと唸る。
「鬼たちは、日光を浴びることができない。だから水場を任されている私たちが、昼間にこの宮殿の細かな仕事を行う。川から水を運んだり、洗濯をしたり、食材の調達をしたり。まあ、雑用だね」
「鬼は、日光を浴びられないのですか?」
「そうだ。浴びると肌が焼ける。まるで火であぶられたみたいになるそうだ」
緋花にはとても信じられなかった。でも、先ほどの街中の賑わいようを思い返してみればわかる。鬼たちにとって夜は活動できる時間帯なのだ。
「私は十五年働いてようやく、新たにやって来る娘たちの教育を任される立場になった」
緋花は玉代を見た。なぜか、緋花の視界は霞んでいた。
「あ……れ……」
緊張の糸が切れたのか、緋花は大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。それを見て、玉代はすぐに緋花を抱き寄せる。玉代の胸の中は温かく、いい匂いがした。花のような匂いだった。
よしよしと背中を撫でられると、緋花は小さな子どものようにしゃくりあげながら泣いた。
「怖かっただろう」
怖かった。朝も昼も夜も、怖くて怖くて生きた心地がしなかった。
「辛かっただろう」
生まれてから十五年、ずっと辛かった。でも絶対に泣いてはいけないと思っていた。
「よく頑張ったな」
緋花は強く玉代を抱き締め返した。
「ほら、そんなに泣いたらせっかくの化粧が落ちるだろう」
「……はい、すみません」
緋花はすぐに謝って涙を拭う。
「でも、安心はできないんだよ。お前は黒蝶様の化粧師だ。もし失態でもしたら……どうなるかは私にもわからない」
鬼の国で生贄たちが一生奉公することを、光延様はご存じなのだろうか。
ふと、緋花は光延の言葉を思い返しながら考える。だがそれも、緋花には確認するすべはない。知っていたとしても、一生この鬼の国で奉公するのなら生贄として捧げられたも同然。二度と故郷へは帰れないのだ。
「私が黒蝶様の化粧師となっても、玉代様とお会いすることはできますか?」
「ああ、できる」
「それならば、私は大丈夫です。今から、私にとって玉代様が私の故郷です」
緋花はそう言って、玉代に頭を下げた。玉代は嬉しかったのか少し微笑んだが、すぐに笑顔を消した。
「お前には教えることがたくさんありそうだからな。同じ生贄だった身でも、容赦はしないぞ」
「はい。よろしくお願い申し上げます」
緋花の言葉に、玉代はまた笑った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる