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一章 呪われた額の痣

第三話

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 月明かりに照らされて、桜の花びらが青白く夜の闇に咲く。
 昼間も綺麗だけど夜桜もいいものね、と緋花は小さく微笑んだ。
 緋花は右手に化粧箱を包んだ風呂敷、左手には小さな桶を持ち、首からは竹筒をぶら下げている。かなりの荷物だ。灯りも付けず、感覚だけで真っ暗な夜道を歩いていた。転ばないように、誰にも見つからないようにと、息をひそめている。
 村で人が亡くなると、必ず寺で一晩安置された。今朝亡くなったと聞いたので、まだ寺にいるだろう。
 もうそろそろ正子しょうしだ。寺にようやく辿り着くと、緋花は遺体を安置している部屋に慣れた様子で忍び込んだ。
 遺体は部屋の真ん中で静かに横たわっていた。頭を北向きにして眠っている。遺体の横に座り、そっと打ち覆いを取ると彼女はまるで人形のようだった。まだ若い。おそらく緋花とそこまで変わらない年頃の娘だった。
 緋花は静かに彼女の前で手を合わせた。
 そして再び彼女の顔を見る。

「とても綺麗な方」

 重なり合う睫毛は長く、天を仰いでいる。鼻筋の通った小さな鼻に、薄い唇。緋花は彼女の美しさに見惚れた。
 宮廷がある都では、町娘たちの間でも化粧が流行っていると聞いた。年頃の娘ならば、美しくありたいと願うのは当然だろう。

 緋花はまず竹筒に入れてきた水を桶に注ぎ、ぬかが入った握り拳ほどの袋を水に含ませた。水気を軽く切ると、彼女の顔をそれで洗う。そっと優しく、生まれたばかりの赤子を撫でるような手つきだ。
 洗い終わると白い手ぬぐいで顔を拭き、化粧箱を静かに開ける。白粉と三段重ねになっている陶器の入れ物を取り出した。一番下の段を取り、また水を入れる。一番下が水を入れやすいよう、少し深い造りになっていた。二段目に白粉を入れて、少しずつ水を混ぜ、丁寧に丁寧に白粉を溶く。
 白粉は少しずつ水を入れてゆっくりと溶かなければ、肌に塗ったときに色のムラができたり、艶が出なかったりする。緋花はそれをよく知っていた。
 溶いた白粉を幾度も刷く。そうやってよく伸ばすと綺麗に化粧ができる。
 次に半紙を取り出すと、眉刷毛まゆはけに少し水をつけ、半紙を彼女の頬に乗せ眉刷毛で刷いた。白粉を塗って、半紙で吸い取る作業を繰り返す。しっかり白粉を乾かすと、小さな貝殻を取り出した。貝には玉虫色の紅が塗られている。筆で紅をなぞるようにして取ると、彼女の唇に薄っすらと色を付けた。少しだけ白粉を取り、紅を取った筆で混ぜると、桜と同じ薄桃色になる。今度はそれを頬に塗った。

 遺体に怪我や傷はなさそうだった。化粧を施された彼女は、静かに眠っているだけのように見える。
 緋花は村の人が亡くなると、こうやってこっそり遺体を綺麗に洗ったり化粧を施したりしていた。身分の低い者は簡単に埋葬されてしまうし、疫病で亡くなった場合は遺体になかなか近づくことができなかった。でも緋花はどんな遺体に対しても同じ対応をした。
 生まれてからずっと生贄として育てられた緋花は、村の誰よりも死に敏感だった。自分が生贄としてこの村を出る、つまり死に行くことを意味している。自分が死んだあと、今こうして緋花がしているように綺麗に着飾ってもらいたいという願いとこの村で生かされてきた感謝を込めて、死者の身を綺麗にしていた。そうすることで、少しだけ死が怖くない寂しくないものになる気がしていたのだ。
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