鬼の国の贄姫は死者を弔い紅をさす

フドワーリ 野土香

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プロローグ

芍薬、死す。

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 絹の糸のような白い髪は、毛先の方へ行くにつれ薄桃色に染まっている。まるで、彼女の名――芍薬しゃくやくそのものだった。
 芍薬は部屋の真ん中で仰向けになって倒れていた。深い眠りについたように瞼は重く、閉じられたままだ。綺麗に整えられた着物は桜模様が美しい。胸には刃物が抜き取られた跡がある。血がゆっくりと着物に染み込んでいく。部屋には花の蜜のような甘い香りが漂っていた。
 芍薬の遺体には一本の白百合が添えられていた。
 男はまだ死後間もない芍薬の遺体を強く抱きしめ、桃色の唇に自分の唇を重ねた。そっと頬を撫でると涙で濡れている。
 彼女の手は陶器のように白く滑らかだった。手を取り、耳元で囁く。

「愛している、永久とわに」

 血の匂いを嗅ぎつけて、侍女たちがいそいそと現場へやって来た。衣擦れの音がやけにうるさく聞こえた。
 きゃあっと短い悲鳴を上げ、誰がやったのかと騒ぎ立てる。

「今宵より、俺は誰一人として愛さぬ」

 芍薬の遺体を抱きかかえたまま、野次馬の方を振り返る。
 侍女たちがひそひそと小さな声で囁く中、ひとりの女――黒蝶こくちょうが声を上げた。

「誰も愛さぬのは紅玉こうぎょく様の勝手でございますが、世継ぎが産まれなければ本末転倒。ご自身の責務は果たしてもらわねばなりませんよ」

 黒蝶は銀色の長い髪を靡かせて、冷たい視線を向ける。

「俺が愛するのは、後にも先にもこの芍薬だけだ」

 そう言うと、右手の人差し指にはめていた指輪を引き抜いた。

「何をするおつもりですか?」

 男――紅玉は指輪に向かって息を吹きかけた。金色の指輪には千日紅の花の模様が丁寧に彫り込まれている。

「緋の刻印を施す」

 ざわざわと野次馬たちが騒ぐ。

「な、何を考えているのですかっ」

 金の指輪が赤く輝き、それを抱きしめた芍薬の額にそっと押した。白い芍薬の肌に、赤い千日紅が咲く。
 緋の刻印。それは鬼の中でも限られた高貴な者だけに許される特別な印だ。その印は肉体だけでなく、魂自体にも跡を残す。死んでもまた生まれ変わることがあったなら、その印が目印になる。
 緋の刻印を施す、つまり紅玉が永遠に変わらない愛を誓ったことを意味していた。
 ふん、と鼻を鳴らし黒蝶は後宮の奥へと消えた。

「いつかまた、きっと巡り逢える」

 再び強く抱擁する。ゆっくりと芍薬の身体は冷たく硬くなっていった。



 人が及ばぬ山奥の、そのまた奥深く。ここは鬼だけが住まう世界。
 この国の支配者であり鬼の帝紅玉は唯一愛した芍薬を失った。
 正室である黒蝶は、紅玉に愛されていた芍薬を恨んでいた。それは誰の目にも明らかな事実だった。当然、芍薬を殺した犯人は黒蝶ではないかと噂されたが、結局証拠は出て来なかった。紅玉の愛する芍薬の命を奪ったのは、一体誰なのか。謎は解き明かされていない。
 帝の寵愛を一心に受けていた芍薬が死んで以来、誰も帝の心を射止めていない。
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