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「心に受けた傷は見えていないだけで、本当は身体にもできるんじゃないかなって、思った。ひとつだけじゃないんだ。たくさん、あるんだ。みんなの身体に。突然、そんなものが見えるようになった。それで……なんか怖くなって」

 突然見えるのは確かに怖い。だけどそんな変化は、これまでなかった。何かの前兆のように感じた。翔の怯えた様子に私も恐怖を感じた。何かが、変わり始めているのだと。

「その傷は……私にもある?」
「……ある」

 さっき下着姿の私に反応しなかったのは、そのせいだ。それだけ目を引く傷があったと、今ならわかる。もしかしたら、雨の日に胸のあたりが痛むのは目には見えない傷が原因なのかもしれない。桃香との最後のあの日。確かに雨が降っていた。雨の日は、心の傷が開くのかもしれない。
 今の翔には、私が親友を亡くしたことがあると、言わない方がいいと思った。翔が、真一を想ってきっともっと悲しむだろう。

「さようならって言えないまま別れるって、辛いことだと今はよくわかる。真一には、俺が今どんなにしゃべりかけたって、ひとつも届かないからさ」
「何、急に」
「考えたんだ。夏芽と俺は、生きている間に接点はなかった。でも、夏芽だけに俺が見える。つまり、夏芽には俺が必要で、俺には夏芽が必要だったんじゃないかなって」
「何を偉そうに」

 少しだけ笑えた。翔も、弱々しく笑う。

「もしかしたらこういうことって、他の誰にでもあるのかもって、思ったんだ」
「誰にでも? そんなわけないでしょ。幽霊が見えるのが他の誰にでもあることだったら、幽霊が見えても驚かないし」
「大学一年のとき、夏芽には死んだ俺からの助言が必要だった。だから、必要な人にだけ見える。ね、これ小説にしたら面白そうじゃねぇ?」
「小説書くのって難しいんだから。簡単には書けないよ。それに、助言が必要だったのは私じゃなくて、真一の方じゃない?」
「親友じゃ、ダメなんだよ。もし夏芽が真一だったら、死んだ親友に言われたことは、その通りに実行しようとするだろ?」
「まぁ、確かにね」

 桃香が私のところに出てきたら、そうすると思う。桃香に言われた通り、生きてみるだろう。

「だから、それじゃダメなんだよ。知らない人でないと。知らない人から言われたことでも、やろうと思うには強い力が必要なんだ。だから、その方がその人のためになる」
「ねぇ、何が言いたいの? さっきから複雑な話ばっかり」

 翔は、私をじっと見つめた。めちゃくちゃ顔が近い。

「何?」
「夏芽、最近よく笑ってる」
「やめてよ」

 そんなに、笑っているだろうか。思わず顔を両手で触る。そんなことしたって、わからないのに。

「夏芽は笑った方が可愛いから、その方がいいよ」

 にぃっと笑う、いつもの翔の顔があった。それを見て、ちょっと安心した。一瞬だけ、翔に別れを言われるような気がした。手にすごい汗をかいている。

「揶揄わないでよね。小説書かなきゃいけないんだから」
「小説、俺にも読ませてくれる?」
「完成したら、ね」

 書きたくない話。桃香と翔の長い長い物語を、今書き始めたばかりなのだ。まだまだ完成しない。



 この日を境に、翔は忽然と姿を消した。
 雨と一緒に、どこかへ流されて行ったようだった。まるで、春が夏を呼んで消えて行ったみたいに。
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