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* * *

 長く、陰気に降り注ぐ雨を睨んだ。
 梅雨は嫌いだ。じめっとして、気分も落ち込む。今週から梅雨入りをした。これからまだまだ雨が続いて行くと思うと、思わず大きなため息が出た。
 傘を差して帰ったはずなのに服はびしょ濡れで、部屋に入りすぐに服を脱ぎ捨てた。肌にくっつくこの感じは、夏の汗で張り付くシャツとは違う感覚だ。嫌な感じ。
梅雨とは関係ないが、雨が降ると必ず胸のあたりが痛んだ。傷もないのに、なぜだろうといつも不思議に思っていた。濡れた身体の胸のあたりに手を這わせる。何もない。ひっかき傷ひとつない。でも痛むのはなぜか。

「夏芽さぁ」
「ちょっと! 変態っ!」

 上だけ下着姿なのに、突如翔が現れてびっくりして濡れた服で隠す。

「え?」

 とぼけた顔をしている。

「え? じゃないでしょ。どういうつもりなの。着替えてるのに」
「あ、ああ……そっか」

 私の身体にそこまで魅力がないのか。着替えていることさえも、どうでもいいとは。なんて失礼な奴。

「悪い悪い。気が付かなかった」

 気づかないなんて、もっと最悪だ。

「何、なんか言いかけたでしょ」

 私だけ意識しているなんて、恥ずかしくなって話題を変えた。さっさとジャージに着替えて、パソコンの電源を入れる。ゼミに提出する課題が、全く終わらない。

「俺、最近気づいたことがあるんだ」
「気づいたこと?」

 いつものようにベッドに寝転がる翔をよそに、パソコン画面に集中して、話は大体右から左へ流してしまう。

「傷が、あるんだよ」
「傷ねぇ……」

 ほとんど真っ白のままのパソコン画面を見て、絶望した。書けない。全く、恐ろしく何も書けない。小説家の頭の中は、一体どんなふうになっているのだろう。覗けるものなら、覗いて見たい。

「なんていうのかな、傷って普通の傷じゃないんだ。死んだ俺にしか、見えない傷」

 翔が話していることがいつもと違うとそこで気が付いた。内容がない、馬鹿みたいな話ではなくて、何かちょっと違う話だった。

「翔にしか見えない傷ってこと?」

 パソコンからベッドにいる翔へ視線を移す。翔はむくっと起き上がって、座りなおし、大きく頷く。

「真一の身体に、大きな傷があるんだ。あんな傷、見たことないよ。人目に付くなんてレベルじゃない。何かに切り裂かれたみたいな、深い傷なんだ」

 確かに、何度か海へ行って真一の身体は見ているが、翔が言うようにそんな深い傷があるなら誰だって気づくだろう。

「その傷は、なんだろうね」
「俺、思ったんだ。それって、俺が死んだことで真一にできた傷なんじゃないかって」
「どういうこと?」
「つまり、心が傷つくと実際人の目には見えなくても傷ついてるってこと」

 心が傷つくとき、確かに胸のあたりが痛い気がする。ぎゅっと誰かに心臓でも掴まれているみたいな、潰されるような痛み。心に傷ができたとして、それは誰にも見えない。自分にだって見えない。だけど、生きている人には見えない傷で、生きていない人、翔のように死んだ人には見えるのかもしれない。

「そんなこと、ないよ」

 真一を傷つけてしまっていると、翔は落ち込んでいるのだろう。いつもの元気がない。
 仮に真一は翔が死んだことに傷ついて、傷を負ったとしても、それは翔のせいではない。翔は死んだ今も、こんなにも親友を想っている。

「どうしたの、いつもの馬鹿元気は」

 なんにも答えず、俯いている。翔もこんなふうに弱くなるんだな、と思った。

「……翔?」

 全く反応がない。だから私も翔の隣に座った。こんなとき、どうしてあげるのが正解なんだろうか。話始めるまで、ただ黙って待ってあげた方がいいのだろうか。それとも、何か冗談でも言おうか。手を握ってあげられたらよかった。触れないことがこんなにも、遠くて寂しいなんて。目の前にいるのに。
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