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「……何か、悩んでる?」

 急に大智さんの顔が視界いっぱいに入ってきたので、びっくりして飛び上がった。

「ごめんごめん、なんか、悩んでるみたいなこと言うからさ」
「私、なんて言いました?」
「誰かのせいにできたら、楽なんだろうねって」

 声に出ていたのか。しまった。数年前と変わらず、大智さんには私が変な人にしか見えていないだろう。ハッピーターン事件は未だ忘れられない。

「ふと、昔読んだ本を思い出して」

 なんとかごまかそうとしたが、これ以上の言葉は思い浮かばなかった。

「どんな本?」

 そんなもの、知るわけがない。もう忘れてしまった。

「すっごい昔なんで、タイトルも忘れました」
「どんな話なの?」

 きょうは、この間美佳に無理やり紹介されたときとは違って、ぐいぐい話しかけて来る。一体なんなのか。なんでさっさと泳ぎに行ってくれないのか。

「確か、死んだ人があの世で小説家になって……」
「『僕たちは小説の中』だね」

 話の途中だったのに、すぐに答えた。驚いて、ポカンと大智さんを見る。

「あ、ごめん。つい。好きな本なんだ。翔に貸してたんだけど、なかなか返って来なくなっちゃって」

 翔に貸した?
 あの時、翔に言われるまま持って帰った小説は、どこにやったんだったか。確か、私がもらったはずだ。だったら、どこかにあるはず。実家か。でも全然記憶にない。

「もしかしたら、私が持ってるかもしれません」
「え?」
「……あ」

 翔とは、関係ないと言っていた。……しまった。
 大智さんは「やっぱり」という顔をして、こっちを見ている。どう言い訳しようか、考えても無駄だった。

「もし見つかったら、教えてくれるかな」

 優しい口調でそれ以上深追いせず、そのままでいてくれた。
 何も話さないで隣にいると、昔を思い出す。やっぱり、翔と大智さんは兄弟だった。本当によく似ている。細い目と、とがった唇。眉毛の形も。似てないというなら、鼻だ。翔のより、大智さんの鼻はちょっと丸いような気がする。

「夏芽ー! まだ酔ってんのー?」

 遠くで、車酔いを酔っ払いみたいに言う美佳。

「煩いなぁ」

 真一は美佳が砂に埋めていた。あの時と同じ。
 真一が願ったやりたいことは、見事次の年に叶えられた。美佳はずっと「なんでこいつも一緒なの」と文句ばかり並べていた。でも、大学二年生の夏頃には美佳もすっかり真一を受け入れていたと思う。それ以来、私たちは夏になると必ず海へ行った。誰かが決めたわけではない。ただ自然にそういう決まりになっていた。

「人って、何かを失うともう二度と失いたくないって思うのに、また大切なものを増やしてしまうんだよね」

 ふと、大智さんがそんなことを言う。視線の先には、美佳と真一の姿があった。私もきっと、いつもそんな遠い目をして、昔を思い出しているのかもしれない。ずっとずっと、遠くを見ているようだった。

「翔が亡くなって、それでも真一くんはこれまで通り僕たち家族に接してくれたんだよね。事故に遭ったこと、自分のせいだと思っているのかもしれないけど。真一くんがいると、翔が帰って来たって思うんだ。瞳のせいかな」

 美佳と真一は、桃香とのできごとからまた作ってしまった親友だ。二度と親友なんて作らない。私には作れないと思っていたもの。もう二度と、失くしたくないと思うもの。大切な人たちだ。

「いつか、必ずどこかで人と人は別れなければいけない。それは故意に別れるものばかりではなくて、ある日突然訪れる時もある。別れは、人から人へのある意味プレゼントだと思うんだよね。人って、そうやって人と共に生きる大切さを理解していくんだと思う」

 大智さんにとって、翔はもう、過去の人になっているのだろうか。そうやって、どんどん記憶からちょっとずつ薄くなっていってしまうものなんだろうか。
 そんなプレゼント、私はいらない。

「ただの別れなら、どこかで、また会えるじゃないですか。この世から唐突に消えた人は、もう戻ってこない」

 桃香も、翔も、突然私の前から姿を消した。「さようなら」と伝えられなかった。だからこれから先一生、伝えられない言葉なのだ。二度と、相手に「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか、伝えられないのだ。絶対に。

「大切な人の死を乗り越える方法って、ないと思う。そんな方法、あっても知りたくないかな。大切な人は、死んだって、大切な人に変わりないんだから」

 そんなこと、言われなくてもわかっている。大切な人には変わりない。これからも、ずっと。だけど、どうしたらいい。どうしてもまだ寂しい。桃香に会いたい。翔に会いたい。今なら、あの時よりももっとたくさん、話したいことがある。どれも全部、今ならきっと、あのときよりうまく伝えられるのに。今、いてほしいのに。

「……いつまでも悲しいのは、変ですか」

 私が訊ねると、翔みたいにそっくりな笑顔で「変じゃないよ」と大智さんは言った。

「いつかきっと、また、会えるよ」

 そんなはずないとわかっているのに、今はそう信じてみたかった。そうしたら、少しだけ、ほんのちょっとだけ、前を向いていられる。

「チョコレート味のかき氷、食べよう!」

 美佳が身体のあちこちに砂をくっつけて走って来た。
「よしというまで出るな!」と真一はそのまま埋められたまま、じっと動かなかった。それで待っている真一は、わさびと同じだ。美佳は動物が嫌いと言いつつ、犬みたいな真一を飼っている。
 初めて食べたチョコレート味のかき氷は、ちょっとしょっぱかった。でも確かに、チョコレートの味がした。
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