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目覚ましが鳴る。わさびが私の顔をぺろんと舐めた。「うぇっ」と思い、飛び起きる。
しっぽを振って、満足そうな顔をしていた。
きょうも暑い。梅雨が明けてから、いよいよ地球はおかしくなったんじゃないか、というくらいの暑さに感じる。これでは、外に出ただけで溶ける。
ずいぶんと、長い夢を見ていたような気がした。まだ翔も一緒にいて、真一も美佳も、毎日顔を合わせて、どうでもいい話をして、それで毎日が過ぎていく。今もまだ、あんな日々がふと、返って来るような錯覚に陥る。もう二度と、あんな日はやってこないのに。
「きょうは海ですよ、わさびさん」
ワン、と一回吠えた。今のは「わかってる、だから起こした」か「さっさとご飯を寄こせ」のどちらだろう。
海なんて、ずいぶん久しぶりだった。引き出しの奥に眠っていた水着を引っ張り出して、日焼け止めとタオルとサンダルを鞄に詰め込む。水着は服の下に着て、着替えを代わりに用意した。
「家の前にいるから、早く降りて来い」
美佳から電話がかかって来た。
「今行きますよ」
よし、行くぞとわさびに話しかけると、飛びかかりそうなくらい勢いよく走り出した。
「おは……よう」
真一が運転手で、助手席には美佳。後部座席に、なぜか大智さん。
「大智さん、泳ぐの得意なんだって」
泳ぐのが得な人なんて、世の中にごまんといる。なのに大智さんをチョイスして連れて来たのか。魂胆はミエミエだ。
「おはよう、谷口さん」
「おはようございます」
わさびは大智さんと私の間に座った。私を守ってくれているようにも思える。さすが彼氏だ。
「忘れ物はない?」
真一がくるりと振り返り、私たちに訊ねる。
「忘れたって大丈夫だから、さっさと出してよ、車」
美佳が隣で急き立てた。
「了解」
素直に従い、車が動く。
「早く行かないと、人いっぱいなんだから」
「わかったわかった。安全に、飛ばしますよ」
美佳のご機嫌を取りつつ、運転する真一。おなじみの光景だ。
「谷口さん、海好き?」
「ええ、まぁ。それなりに」
「あたしたち、学生のときは必ず毎年海に行ってたんですよ。でも夏芽、あんまり泳ぐのが得意じゃないから、きょうは大智さんにレッスンしてもらったら?」
「大丈夫、ここに犬かきのお手本がいるから」
「犬かきなんて、人間の泳ぎ方じゃないでしょ」
美佳に笑われる。
「なんて名前?」
「わさびです」
わさびはよしよしと頭を撫でられ、次第に心を許していき、喉をソフトタッチで撫でられてもうたまらん、という顔をしている。この浮気者が。
「僕も好きなんだよね、犬。特に、黒柴のこの眉毛が」
私の愛しい二つのちょんちょん眉毛を、大智さんが撫でる。そこは私しか触れないはずなのにっ!
「わさび、懐いてるじゃん。動物好きな人って、動物にはわかるんだよね」
「その点、美佳は嫌われてるけどね」
「いいの、あたしは。犬は毛だらけになるし、好きじゃないの」
キッパリ美佳に嫌いと宣言されたわさび。でも、少しも落ち込んだ様子はない。
「きょう行く海、チョコレート味のかき氷があるって知ってた?」
真一が突然話題を切り替えた。
「チョコレート味のかき氷? 何それ、美味しいの?」
そんなもの、聞いたことがない。
「それが、マジでチョコレートの味するの。知ってた? かき氷のシロップって、実はみんな同じ味らしいよ。色がついてるから、グレープ味とかいちご味とかレモン味って思い込んで、脳が錯覚するんだって」
急にうんちくを語り出したので、美佳が「知ってるし」と言った。美佳が「知ってるし」と言うときは、大抵知らない。
「僕も一度だけ食べたことあるよ。確かに、美味しいよね。懐かしいなぁ、もうずいぶん小さい頃だったから。翔も一緒に、よく行った海だったんだよね」
「翔も海好きだったから。俺もよく翔の家族と一緒に連れてってもらった」
「昔は、お互い家族連れでよく行ったよね」
昔話に、花が咲いているようだ。私はそんなこと全く知らなかった。確かに、翔と真一は小学生の頃からの親友だと言っていた。
翔は、どんな子どもだったんだろう。私が出会ったときだって、十分子どもみたいなものだったけれど。でも、きっと小学生のときの翔と、中学生のときの翔と、高校生のときの翔は、ちょっとずつ違うはず。そんな姿を知っているのは、真一や大智さんしかいない。
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