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「真一くんは、きょうは仕事なの?」

 目の前に座った翔の兄、橘大智さん。顔はそっくりでも、物言いは柔らかで丁寧だ。翔みたいに煩くないし、落ち着いている。
 ビールはあんまり得意じゃないといい、大智さんはウーロン茶を頼んでいる。私と美佳は当然生だ。生以外、最初の一杯は考えられない。

「真一、きょうは仕事が忙しいみたいで。来たがってたんですけどね」

 美佳はビールを一口飲んで、私の方をちらっと見た。
 見られているのがわかっているけれど、私はムスッと黙ったまま、ビールを飲んで大根のサラダをパクパク食べる。

「えっと……やっぱり、一度会った気がするんだけど……気のせいだったのかなぁ」

 あはは、と頭を掻きむしりながら笑っている大智さんを見て「勘違いじゃない、あれは私だよ」と心の中でつぶやいた。だけど、それを言ったらいろいろとややこしくなりそうだ。

「いや、人違いですよ」

 美佳はどうして私がこんなにもテンションが下がっているのか、不思議そうにしている。でも、美佳は無理にでも私たちをくっつけようとしているようだ。

「大智さんって、何のお仕事してるんでしたっけ?」

 美佳の言葉のひとつひとつが気になった。おそらく、私の興味を引く作戦だろう。
 そんな手に、引っかかるもんか。

「僕は、えっとその、一応高校教師なんだ」
「学校の先生! 何の担当科目?」

 やっぱり知っていたな、美佳。「知らなかった、すごい」という顔をしているけれど、バレバレである。

「国語担当だよ。昔から本の虫で、気づいたら国語教師になってた」

 へへ、とこめかみのあたりをこちょこちょ掻いて笑う。なんだか優しいを通り越して情けない、頼りない人に見えてきた。

「確かに、読書好きそう。夏芽、昔小説家の先生のところのゼミ、入ってたじゃん」
「そうなんだ」

 私はじぃっと美佳の顔を睨んだ。でも美佳は構わず「先生かぁ、すごいですねぇ」と褒めている。

「夏芽も、本の虫なんですよ」
「でも最近、あんまり本なんて読んでないよ」

 本当だった。学生時代は毎日毎日飽きるほど本を読んでいたのに、今じゃ月に一冊も読んでいない。これじゃあ、ただのアルコール中毒者だ。

「最近、どんな本を読みました? おすすめの本ってありますか?」

 さすがに何も話さないのはまずいかと思い、そう訊いてみた。

「うーん、僕も最近はなぁ」

 なんだろう、この人は。これじゃあ全く会話が続かない。
 ウーロン茶を飲んで、店員さんが運んできた刺身の盛り合わせを見てぱああと目を輝かせていた。なんだか、掴みにくい人だ。
 兄弟とはいえ翔と全然違って、何か人を踏み込ませないものがある、と感じた。この感じは、なんだろう。

「話し、合うんじゃない? 今は読んでなくても、今までたくさん読んできたわけだし、今度ふたりっきりで会ったらいいじゃん」

 美佳だけは乗り気だった。「イケメンだしさ、いいじゃん」とこそっと耳打ちしてきた。
 確かにいい人だろう。優しそうだし、顔もそこそこ。仕事も安定しているし、真面目そうだ。どちらかと言えば、学校の生徒たちにいじられていそうな先生に見える。でも。

「これ美味しいね、食べた?」と大智さんは焼き鳥を差し出してきた。
「ちょっと、お手洗いに」

 私が立ち上がると、美佳も「私も」とついてきた。大智さんはにっこりほほ笑んで「どうぞ」と言った。

「何怒ってんの? せっかくセッティングしたのに」
「セッティングも何も、これはどう考えたって失敗でしょ」

 大智さんはきっと、私に興味はない。会話は弾まないし、私に対して質問もない。ここへは食事をしに来ただけのように見える。

「何? 夏芽に興味がないと思ってるの?」
「そうでしょ。どう考えたって、私になんて興味ないよ」
「まぁ、落ち着きなよ」

 美佳は鏡に向かって、髪の毛を整えながら私の顔を見て笑っている。

「何がおかしいの」
「大智さんってね、ああいう人なんだって。昔っから。真一が言ってた」
「じゃあ、彼女なんて作る気がさらさらないんでしょ」
「亡くなった親友はね、すごく活発で、明るくって、人見知りもしない子だったんだって」

 そんなこと、よく知っている。
 翔がいつも馬鹿みたいに笑って、嬉しそうにしているその様子は、今でもすぐに思い出せた。犬みたいにしっぽがあったら、いつもブンブン振り回してしまっていただろう。きっとそういう人なんだ、翔は。

「でも、お兄さんは正反対の性格で。地味で大人しくて、内気で、勉強だけは得意だったから、早稲田に行って。愛知から出て東京で一人暮らししてる時に、弟が亡くなって、ショックを受けたみたい」
「……ふぅん」

 それだけ言って、美佳は口を閉じた。丁寧に口紅を塗りなおしている。どうせこれからたくさん飲むくせに。

「それで?」
「……え?」

 チークを塗りなおしている鏡越しの美佳に、話の続きを催促する。まさか、それで終わりなのか。

「それで、おしまい」
「何それ。さっきの話と、何の関係があるの?」
「気になるなら、自分で本人に聞けばいいじゃん」

 くそ、やられた。
 勝ち誇ったように笑う鏡の向こうの美佳に、白旗をあげた。

 三人で居酒屋から駅まで歩いた。店から出ると、私は夜の匂いを深く吸い込んだ。雨は止んでいる。そろそろまた、あの季節がやって来る。夏が。
 お互いに連絡先を交換して、改札口の前で別れた。みんな帰る方角がバラバラだったのが、唯一の救いだったかもしれない。もし、大智さんと同じ方面の電車だったら、私は翔のことが聞きたくて仕方なかっただろうから。
 どこか翔に似たその面影に、私はすぐには慣れそうにない。大智さんの後ろ姿が人混みの中に消えるまで、私はじぃっと見つめていた。
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