26 / 72
26
しおりを挟む
「あの……それじゃあ、俺、帰りますね」
ようやく切り出してきた言葉に苦笑してしまった。しかし、翔は「待った! 行くなよ! 夏芽ちゃんと友達になれって!」と呼びかけている。
「夏芽ちゃん、止めてくれよ!」
「え、なんで……」
一生懸命、がつがつとから揚げ定食と戦う姿を横目で見られるのは嫌だ。早く帰れ真一、と思っていたのに。
「あいつ、大学に入ってからひとりも友達できてないんだ。……というより、作らないんだ。俺とのことがあってから、変わっちまって。本当の真一は、こんな奴じゃないんだ……」
誰にも触れられないその手で、翔は真一に手を伸ばしている。呼びかけても返事はない。こんなにも近くで、いつも真一を思っているのに伝えられない。それでも、翔は……。
「……まだ、座っててください」
ドアの方へ歩いていく真一にまとわりつく翔を見ていたら、思わずそう声に出していた。
真一も、翔も、振り返り私を見る。
「え?」
「ですから、隣に座ってください。私が食べ終わるまで」
顔から火が出るほど恥ずかしい思いとは、まさに今この瞬間だ。恥ずかしくて死にそう。
真一は、本当に不思議そうな顔をしていた。不思議を通り越して、怪訝そうな顔で私を見ている。それもそうだ。見知らぬ女に、食べ終わるまで隣にいてくれなんて言われたら、そんな顔にもなるだろう。
逃げるか、と一瞬思った。逃げられたら、追いかけるなんて恥ずかしすぎて、私にはできない。逃げたら、そのまま見届けようと思った。
しかし、真一は逃げるどころか大人しく隣に座った。それに、私も「え」と驚く。
目の前に出された唐揚の山をぼんやり眺めた。アツアツで、湯気が見える。
「早く食べないと、時間過ぎますよ」
真一はそう言って、私に割り箸を手渡した。
「……ありがとう」
時間なんて、この際関係ない。デカ盛り唐揚定食を注文し、今こうして真一と隣に並んでいる。これこそ、翔が望んでいたやり残した願い、だ。
翔は私の右隣に座り、私を挟んで真一が座る。
唐揚の山の頂上のひとつを端で取り上げると、口に運んだ。非常に、食べづらい。このデカ盛りも、雰囲気も。
「うまい? いーなぁ、俺も食いてぇ!」
翔が隣ではしゃぐ。いいなぁいいなぁ、と何度も煩い。翔の口の中に唐揚を突っ込んでやりたい。一言もしゃべれなくなるくらい、いや、その息の根を止めるくらいぎゅうぎゅうに。もう、死んでいるのだけれど。
「あの……」
無言で唐揚を貪り食う私の横で、真一はそう声を出した。どこか、勇気を振り絞ったような感じがして嫌だった。
「何」
思わずぶっきらぼうに答えてしまい、真一は一瞬身体を小さくびくつかせた。
「唐揚ほしいの?」
「いや……そうじゃなくて……」
目の前に唐揚をひとつ突き出す。真一はさらにおどおどしていた。
「この前、会ったよね。大学の教室で」
「……会ったっけ?」
会った、と言われても、今目の前にある真一の顔を私の大学生活の中から見つけ出せなかった。同じ講義を取っていたとしても、覚えているはずもない。
「この前、ひとりで教室にいたでしょ。あの教室、大学が始まってからいつも行くんだけど、四限後はいつも人気がなくて誰も来ないから。本、読むにはもってこいで」
「本?」
ぼんやりと、あの誰もいない教室を思い出した。翔とはじめてまともに話したときだ。外のグラウンドが、もの寂し気だった。
あのとき、後から入ってきた眼帯男が真一だったのか。全く覚えていなかった。
「ああ、眼帯の」
今は付けていない。もう治ったのか。
「ちょっと、入院してて。でももう、大丈夫」
入院するほどひデカったのか。それなら、物貰いとかではなさそうだ。
「いつもあんなところで読書してるの? ひとりで?」
「……うん、まぁね。ひとりが好きなんだ」
えへへ、と笑うその顔は、無理に作ったものだとわかる。真一もまた、翔と同じで傷ついている。
「えっと、俺は……」
「真一でしょ?」
「……え?」
はっと我に返り、唐揚を自分の口に突っ込んだ。大きな口を開けたので、唇が切れそうだった。
「なんで、名前知ってるの?」
翔は隣でずっとにやにや笑っている。こいつ。
私は唐揚をさらにもう一個口の中に放り込んだ。もうパンパンである。ハムスターが両頬にヒマワリの種を詰め込んだ時のように、愛らしい姿に見えればいいのだが。
「小林真一。よろしく」
きっと絶対に、真一は気味悪がっているに違いない。でも真一はにこっと優しく笑って、私の方を見た。
「……谷口夏芽」
もごもごと答える。
唐揚は、全然減らなかった。結局一番大きいタッパーを購入し、大きな出費となってしまった。きょうの収穫はてんこ盛りの唐揚と、持ち帰る以外使い道がなさそうなタッパーと、真一の連絡先。
次の日、山のような唐揚を弁当箱に詰めて来た私を見て、美佳がドン引きしたのは言うまでもない。
ようやく切り出してきた言葉に苦笑してしまった。しかし、翔は「待った! 行くなよ! 夏芽ちゃんと友達になれって!」と呼びかけている。
「夏芽ちゃん、止めてくれよ!」
「え、なんで……」
一生懸命、がつがつとから揚げ定食と戦う姿を横目で見られるのは嫌だ。早く帰れ真一、と思っていたのに。
「あいつ、大学に入ってからひとりも友達できてないんだ。……というより、作らないんだ。俺とのことがあってから、変わっちまって。本当の真一は、こんな奴じゃないんだ……」
誰にも触れられないその手で、翔は真一に手を伸ばしている。呼びかけても返事はない。こんなにも近くで、いつも真一を思っているのに伝えられない。それでも、翔は……。
「……まだ、座っててください」
ドアの方へ歩いていく真一にまとわりつく翔を見ていたら、思わずそう声に出していた。
真一も、翔も、振り返り私を見る。
「え?」
「ですから、隣に座ってください。私が食べ終わるまで」
顔から火が出るほど恥ずかしい思いとは、まさに今この瞬間だ。恥ずかしくて死にそう。
真一は、本当に不思議そうな顔をしていた。不思議を通り越して、怪訝そうな顔で私を見ている。それもそうだ。見知らぬ女に、食べ終わるまで隣にいてくれなんて言われたら、そんな顔にもなるだろう。
逃げるか、と一瞬思った。逃げられたら、追いかけるなんて恥ずかしすぎて、私にはできない。逃げたら、そのまま見届けようと思った。
しかし、真一は逃げるどころか大人しく隣に座った。それに、私も「え」と驚く。
目の前に出された唐揚の山をぼんやり眺めた。アツアツで、湯気が見える。
「早く食べないと、時間過ぎますよ」
真一はそう言って、私に割り箸を手渡した。
「……ありがとう」
時間なんて、この際関係ない。デカ盛り唐揚定食を注文し、今こうして真一と隣に並んでいる。これこそ、翔が望んでいたやり残した願い、だ。
翔は私の右隣に座り、私を挟んで真一が座る。
唐揚の山の頂上のひとつを端で取り上げると、口に運んだ。非常に、食べづらい。このデカ盛りも、雰囲気も。
「うまい? いーなぁ、俺も食いてぇ!」
翔が隣ではしゃぐ。いいなぁいいなぁ、と何度も煩い。翔の口の中に唐揚を突っ込んでやりたい。一言もしゃべれなくなるくらい、いや、その息の根を止めるくらいぎゅうぎゅうに。もう、死んでいるのだけれど。
「あの……」
無言で唐揚を貪り食う私の横で、真一はそう声を出した。どこか、勇気を振り絞ったような感じがして嫌だった。
「何」
思わずぶっきらぼうに答えてしまい、真一は一瞬身体を小さくびくつかせた。
「唐揚ほしいの?」
「いや……そうじゃなくて……」
目の前に唐揚をひとつ突き出す。真一はさらにおどおどしていた。
「この前、会ったよね。大学の教室で」
「……会ったっけ?」
会った、と言われても、今目の前にある真一の顔を私の大学生活の中から見つけ出せなかった。同じ講義を取っていたとしても、覚えているはずもない。
「この前、ひとりで教室にいたでしょ。あの教室、大学が始まってからいつも行くんだけど、四限後はいつも人気がなくて誰も来ないから。本、読むにはもってこいで」
「本?」
ぼんやりと、あの誰もいない教室を思い出した。翔とはじめてまともに話したときだ。外のグラウンドが、もの寂し気だった。
あのとき、後から入ってきた眼帯男が真一だったのか。全く覚えていなかった。
「ああ、眼帯の」
今は付けていない。もう治ったのか。
「ちょっと、入院してて。でももう、大丈夫」
入院するほどひデカったのか。それなら、物貰いとかではなさそうだ。
「いつもあんなところで読書してるの? ひとりで?」
「……うん、まぁね。ひとりが好きなんだ」
えへへ、と笑うその顔は、無理に作ったものだとわかる。真一もまた、翔と同じで傷ついている。
「えっと、俺は……」
「真一でしょ?」
「……え?」
はっと我に返り、唐揚を自分の口に突っ込んだ。大きな口を開けたので、唇が切れそうだった。
「なんで、名前知ってるの?」
翔は隣でずっとにやにや笑っている。こいつ。
私は唐揚をさらにもう一個口の中に放り込んだ。もうパンパンである。ハムスターが両頬にヒマワリの種を詰め込んだ時のように、愛らしい姿に見えればいいのだが。
「小林真一。よろしく」
きっと絶対に、真一は気味悪がっているに違いない。でも真一はにこっと優しく笑って、私の方を見た。
「……谷口夏芽」
もごもごと答える。
唐揚は、全然減らなかった。結局一番大きいタッパーを購入し、大きな出費となってしまった。きょうの収穫はてんこ盛りの唐揚と、持ち帰る以外使い道がなさそうなタッパーと、真一の連絡先。
次の日、山のような唐揚を弁当箱に詰めて来た私を見て、美佳がドン引きしたのは言うまでもない。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
去りゆく彼女と、どこにもいけない僕の話
白河 夜舫
ライト文芸
幼なじみの美羽と誠は学年が一つ違うが、生まれた時からほとんど一緒に過ごしてきた。
美羽が高校3年生の夏、ある落とし物を拾う。
その落とし物をめぐって、二人の関係は静かに動き出していく。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
ずっと君のこと ──妻の不倫
家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。
余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。
しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。
医師からの検査の結果が「性感染症」。
鷹也には全く身に覚えがなかった。
※1話は約1000文字と少なめです。
※111話、約10万文字で完結します。
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる