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「あの……それじゃあ、俺、帰りますね」
ようやく切り出してきた言葉に苦笑してしまった。しかし、翔は「待った! 行くなよ! 夏芽ちゃんと友達になれって!」と呼びかけている。
「夏芽ちゃん、止めてくれよ!」
「え、なんで……」
一生懸命、がつがつとから揚げ定食と戦う姿を横目で見られるのは嫌だ。早く帰れ真一、と思っていたのに。
「あいつ、大学に入ってからひとりも友達できてないんだ。……というより、作らないんだ。俺とのことがあってから、変わっちまって。本当の真一は、こんな奴じゃないんだ……」
誰にも触れられないその手で、翔は真一に手を伸ばしている。呼びかけても返事はない。こんなにも近くで、いつも真一を思っているのに伝えられない。それでも、翔は……。
「……まだ、座っててください」
ドアの方へ歩いていく真一にまとわりつく翔を見ていたら、思わずそう声に出していた。
真一も、翔も、振り返り私を見る。
「え?」
「ですから、隣に座ってください。私が食べ終わるまで」
顔から火が出るほど恥ずかしい思いとは、まさに今この瞬間だ。恥ずかしくて死にそう。
真一は、本当に不思議そうな顔をしていた。不思議を通り越して、怪訝そうな顔で私を見ている。それもそうだ。見知らぬ女に、食べ終わるまで隣にいてくれなんて言われたら、そんな顔にもなるだろう。
逃げるか、と一瞬思った。逃げられたら、追いかけるなんて恥ずかしすぎて、私にはできない。逃げたら、そのまま見届けようと思った。
しかし、真一は逃げるどころか大人しく隣に座った。それに、私も「え」と驚く。
目の前に出された唐揚の山をぼんやり眺めた。アツアツで、湯気が見える。
「早く食べないと、時間過ぎますよ」
真一はそう言って、私に割り箸を手渡した。
「……ありがとう」
時間なんて、この際関係ない。デカ盛り唐揚定食を注文し、今こうして真一と隣に並んでいる。これこそ、翔が望んでいたやり残した願い、だ。
翔は私の右隣に座り、私を挟んで真一が座る。
唐揚の山の頂上のひとつを端で取り上げると、口に運んだ。非常に、食べづらい。このデカ盛りも、雰囲気も。
「うまい? いーなぁ、俺も食いてぇ!」
翔が隣ではしゃぐ。いいなぁいいなぁ、と何度も煩い。翔の口の中に唐揚を突っ込んでやりたい。一言もしゃべれなくなるくらい、いや、その息の根を止めるくらいぎゅうぎゅうに。もう、死んでいるのだけれど。
「あの……」
無言で唐揚を貪り食う私の横で、真一はそう声を出した。どこか、勇気を振り絞ったような感じがして嫌だった。
「何」
思わずぶっきらぼうに答えてしまい、真一は一瞬身体を小さくびくつかせた。
「唐揚ほしいの?」
「いや……そうじゃなくて……」
目の前に唐揚をひとつ突き出す。真一はさらにおどおどしていた。
「この前、会ったよね。大学の教室で」
「……会ったっけ?」
会った、と言われても、今目の前にある真一の顔を私の大学生活の中から見つけ出せなかった。同じ講義を取っていたとしても、覚えているはずもない。
「この前、ひとりで教室にいたでしょ。あの教室、大学が始まってからいつも行くんだけど、四限後はいつも人気がなくて誰も来ないから。本、読むにはもってこいで」
「本?」
ぼんやりと、あの誰もいない教室を思い出した。翔とはじめてまともに話したときだ。外のグラウンドが、もの寂し気だった。
あのとき、後から入ってきた眼帯男が真一だったのか。全く覚えていなかった。
「ああ、眼帯の」
今は付けていない。もう治ったのか。
「ちょっと、入院してて。でももう、大丈夫」
入院するほどひデカったのか。それなら、物貰いとかではなさそうだ。
「いつもあんなところで読書してるの? ひとりで?」
「……うん、まぁね。ひとりが好きなんだ」
えへへ、と笑うその顔は、無理に作ったものだとわかる。真一もまた、翔と同じで傷ついている。
「えっと、俺は……」
「真一でしょ?」
「……え?」
はっと我に返り、唐揚を自分の口に突っ込んだ。大きな口を開けたので、唇が切れそうだった。
「なんで、名前知ってるの?」
翔は隣でずっとにやにや笑っている。こいつ。
私は唐揚をさらにもう一個口の中に放り込んだ。もうパンパンである。ハムスターが両頬にヒマワリの種を詰め込んだ時のように、愛らしい姿に見えればいいのだが。
「小林真一。よろしく」
きっと絶対に、真一は気味悪がっているに違いない。でも真一はにこっと優しく笑って、私の方を見た。
「……谷口夏芽」
もごもごと答える。
唐揚は、全然減らなかった。結局一番大きいタッパーを購入し、大きな出費となってしまった。きょうの収穫はてんこ盛りの唐揚と、持ち帰る以外使い道がなさそうなタッパーと、真一の連絡先。
次の日、山のような唐揚を弁当箱に詰めて来た私を見て、美佳がドン引きしたのは言うまでもない。
ようやく切り出してきた言葉に苦笑してしまった。しかし、翔は「待った! 行くなよ! 夏芽ちゃんと友達になれって!」と呼びかけている。
「夏芽ちゃん、止めてくれよ!」
「え、なんで……」
一生懸命、がつがつとから揚げ定食と戦う姿を横目で見られるのは嫌だ。早く帰れ真一、と思っていたのに。
「あいつ、大学に入ってからひとりも友達できてないんだ。……というより、作らないんだ。俺とのことがあってから、変わっちまって。本当の真一は、こんな奴じゃないんだ……」
誰にも触れられないその手で、翔は真一に手を伸ばしている。呼びかけても返事はない。こんなにも近くで、いつも真一を思っているのに伝えられない。それでも、翔は……。
「……まだ、座っててください」
ドアの方へ歩いていく真一にまとわりつく翔を見ていたら、思わずそう声に出していた。
真一も、翔も、振り返り私を見る。
「え?」
「ですから、隣に座ってください。私が食べ終わるまで」
顔から火が出るほど恥ずかしい思いとは、まさに今この瞬間だ。恥ずかしくて死にそう。
真一は、本当に不思議そうな顔をしていた。不思議を通り越して、怪訝そうな顔で私を見ている。それもそうだ。見知らぬ女に、食べ終わるまで隣にいてくれなんて言われたら、そんな顔にもなるだろう。
逃げるか、と一瞬思った。逃げられたら、追いかけるなんて恥ずかしすぎて、私にはできない。逃げたら、そのまま見届けようと思った。
しかし、真一は逃げるどころか大人しく隣に座った。それに、私も「え」と驚く。
目の前に出された唐揚の山をぼんやり眺めた。アツアツで、湯気が見える。
「早く食べないと、時間過ぎますよ」
真一はそう言って、私に割り箸を手渡した。
「……ありがとう」
時間なんて、この際関係ない。デカ盛り唐揚定食を注文し、今こうして真一と隣に並んでいる。これこそ、翔が望んでいたやり残した願い、だ。
翔は私の右隣に座り、私を挟んで真一が座る。
唐揚の山の頂上のひとつを端で取り上げると、口に運んだ。非常に、食べづらい。このデカ盛りも、雰囲気も。
「うまい? いーなぁ、俺も食いてぇ!」
翔が隣ではしゃぐ。いいなぁいいなぁ、と何度も煩い。翔の口の中に唐揚を突っ込んでやりたい。一言もしゃべれなくなるくらい、いや、その息の根を止めるくらいぎゅうぎゅうに。もう、死んでいるのだけれど。
「あの……」
無言で唐揚を貪り食う私の横で、真一はそう声を出した。どこか、勇気を振り絞ったような感じがして嫌だった。
「何」
思わずぶっきらぼうに答えてしまい、真一は一瞬身体を小さくびくつかせた。
「唐揚ほしいの?」
「いや……そうじゃなくて……」
目の前に唐揚をひとつ突き出す。真一はさらにおどおどしていた。
「この前、会ったよね。大学の教室で」
「……会ったっけ?」
会った、と言われても、今目の前にある真一の顔を私の大学生活の中から見つけ出せなかった。同じ講義を取っていたとしても、覚えているはずもない。
「この前、ひとりで教室にいたでしょ。あの教室、大学が始まってからいつも行くんだけど、四限後はいつも人気がなくて誰も来ないから。本、読むにはもってこいで」
「本?」
ぼんやりと、あの誰もいない教室を思い出した。翔とはじめてまともに話したときだ。外のグラウンドが、もの寂し気だった。
あのとき、後から入ってきた眼帯男が真一だったのか。全く覚えていなかった。
「ああ、眼帯の」
今は付けていない。もう治ったのか。
「ちょっと、入院してて。でももう、大丈夫」
入院するほどひデカったのか。それなら、物貰いとかではなさそうだ。
「いつもあんなところで読書してるの? ひとりで?」
「……うん、まぁね。ひとりが好きなんだ」
えへへ、と笑うその顔は、無理に作ったものだとわかる。真一もまた、翔と同じで傷ついている。
「えっと、俺は……」
「真一でしょ?」
「……え?」
はっと我に返り、唐揚を自分の口に突っ込んだ。大きな口を開けたので、唇が切れそうだった。
「なんで、名前知ってるの?」
翔は隣でずっとにやにや笑っている。こいつ。
私は唐揚をさらにもう一個口の中に放り込んだ。もうパンパンである。ハムスターが両頬にヒマワリの種を詰め込んだ時のように、愛らしい姿に見えればいいのだが。
「小林真一。よろしく」
きっと絶対に、真一は気味悪がっているに違いない。でも真一はにこっと優しく笑って、私の方を見た。
「……谷口夏芽」
もごもごと答える。
唐揚は、全然減らなかった。結局一番大きいタッパーを購入し、大きな出費となってしまった。きょうの収穫はてんこ盛りの唐揚と、持ち帰る以外使い道がなさそうなタッパーと、真一の連絡先。
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