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彼が行った先を見ながら、追いかけようかどうしようか迷った。もしかしたら、また人違いかもしれない。でもやっぱり、好奇心の方が勝ってしまった。
「ちょっと、トイレ行って来る」
ユージ先輩とのLINEのやり取りに夢中になっている美佳にそう言い、思わず立ち上がった。美佳は「ん」と短い返事をした。
彼だという確信はない。でも、私には確信のない自信があった。なぜかはわからないが、彼だとはっきりわかっていた。
数メートル先の階段をトントンと降りていく彼の姿が見える。慌てて階段をドタドタと駆け下り、追いかけた。
雨に濡れた学生たちが、入口前で傘を畳んでいた。結構雨脚が強い。それなのに、彼は全く気にせず、傘も何も持たないまま外へ出てしまった。
この間は人違いだった。あれは恥ずかしい間違いだったので、もう二度と人違いはしたくない。でも、このままでは彼は行ってしまう。滝のように降る雨の中、私はためらいがちに追いかけた。
「あの、すみません」
少し消え入りそうな声だったが、すぐ前にいる彼には届く声だと思った。しかし彼は振り返らなかった。自分に声をかけられているとは思っていないのかもしれないと思い、私はもう一度、さっきより大きな声で呼び止めた。
「すみません!」
それでも彼はこちらをちらっとも振り返らず、すたすたと雨の中歩いていく。私は仕方なく、小走りで彼の真後ろまで駆け寄り「そこの白いシャツの人!」と声をかけた。
「……え?」
彼は振り返ると、目をまん丸にして私をじっと見つめた。ひどく驚いているように見える。
「……俺に話しかけてる?」
なんでそんなことを聞くのだろう。私は、それには答えずに「こんなに雨が降っているのに、傘をささないんですか」と逆に訊き返した。
「いや、だって……」
彼は、ずっと私に驚いた表情を見せたまま口をもごもごさせた。なぜそんなに驚くのか。私はそんな彼の姿をただじっと見て、首を傾げた。
雨は私の服に染み込んでいく。生暖かい雨だった。思わず目に雨が入り、瞬きしつつ顔をしかめる私に対し、彼は全くどうってことないという感じで雨の中立ち尽くして、私を見て、こう言った。
「……俺、ちゃんと見えてる?」
自分自身に人差し指を向けて、間抜けな顔をした。
「え? ちゃんと見えてるって?」
「俺、多分さ……」
雨脚はどんどんと強くなった。地面に叩きつけるように降り注ぐ。
彼は、なぜか濡れていない。髪の毛も、着ている服も、晴れた日のままだった。
「……死んでるんだと思う」
死んでるんだと思う。言葉が頭の中でこだまする。
言葉の意味がわからず、私はそのまま硬直した。
「俺、死んでるはずなんだ」
馬鹿にしている。絶対そうだ。だって、誰がそう言われても、そう思うに違いない。まず、死んでいるんだと思う、という言葉が理解できない。ならなぜ、目の前にいるのだ。
「それ……どういう意味?」
「そのままの意味だよ。俺、死んでるんだ」
初対面の人間を揶揄うものじゃない。「ふざけるな」と言ってやろうとした。でも、彼の表情は本物だった。真面目で嘘のかけらもない。
急に寒気がした。雨のせいかもしれないけれど、背筋がぞくっとして身震いが止まらない。
怖くなって、逃げるようにその場から立ち去った。「待てよ!」と声が聞こえてきたけれど、とても振り返れなかった。
確かに、間違いなく、こんなにも私は全身ぐしょ濡れになったのに、彼は濡れていなかった。まるで、雨が彼を通り抜けているみたいに。死んでるってことは、幽霊? だから雨にも濡れないのか。
ずぶ濡れで戻ってきた私を見て、美佳は「トイレに落ちた?」と笑った。
「ちょっと、トイレ行って来る」
ユージ先輩とのLINEのやり取りに夢中になっている美佳にそう言い、思わず立ち上がった。美佳は「ん」と短い返事をした。
彼だという確信はない。でも、私には確信のない自信があった。なぜかはわからないが、彼だとはっきりわかっていた。
数メートル先の階段をトントンと降りていく彼の姿が見える。慌てて階段をドタドタと駆け下り、追いかけた。
雨に濡れた学生たちが、入口前で傘を畳んでいた。結構雨脚が強い。それなのに、彼は全く気にせず、傘も何も持たないまま外へ出てしまった。
この間は人違いだった。あれは恥ずかしい間違いだったので、もう二度と人違いはしたくない。でも、このままでは彼は行ってしまう。滝のように降る雨の中、私はためらいがちに追いかけた。
「あの、すみません」
少し消え入りそうな声だったが、すぐ前にいる彼には届く声だと思った。しかし彼は振り返らなかった。自分に声をかけられているとは思っていないのかもしれないと思い、私はもう一度、さっきより大きな声で呼び止めた。
「すみません!」
それでも彼はこちらをちらっとも振り返らず、すたすたと雨の中歩いていく。私は仕方なく、小走りで彼の真後ろまで駆け寄り「そこの白いシャツの人!」と声をかけた。
「……え?」
彼は振り返ると、目をまん丸にして私をじっと見つめた。ひどく驚いているように見える。
「……俺に話しかけてる?」
なんでそんなことを聞くのだろう。私は、それには答えずに「こんなに雨が降っているのに、傘をささないんですか」と逆に訊き返した。
「いや、だって……」
彼は、ずっと私に驚いた表情を見せたまま口をもごもごさせた。なぜそんなに驚くのか。私はそんな彼の姿をただじっと見て、首を傾げた。
雨は私の服に染み込んでいく。生暖かい雨だった。思わず目に雨が入り、瞬きしつつ顔をしかめる私に対し、彼は全くどうってことないという感じで雨の中立ち尽くして、私を見て、こう言った。
「……俺、ちゃんと見えてる?」
自分自身に人差し指を向けて、間抜けな顔をした。
「え? ちゃんと見えてるって?」
「俺、多分さ……」
雨脚はどんどんと強くなった。地面に叩きつけるように降り注ぐ。
彼は、なぜか濡れていない。髪の毛も、着ている服も、晴れた日のままだった。
「……死んでるんだと思う」
死んでるんだと思う。言葉が頭の中でこだまする。
言葉の意味がわからず、私はそのまま硬直した。
「俺、死んでるはずなんだ」
馬鹿にしている。絶対そうだ。だって、誰がそう言われても、そう思うに違いない。まず、死んでいるんだと思う、という言葉が理解できない。ならなぜ、目の前にいるのだ。
「それ……どういう意味?」
「そのままの意味だよ。俺、死んでるんだ」
初対面の人間を揶揄うものじゃない。「ふざけるな」と言ってやろうとした。でも、彼の表情は本物だった。真面目で嘘のかけらもない。
急に寒気がした。雨のせいかもしれないけれど、背筋がぞくっとして身震いが止まらない。
怖くなって、逃げるようにその場から立ち去った。「待てよ!」と声が聞こえてきたけれど、とても振り返れなかった。
確かに、間違いなく、こんなにも私は全身ぐしょ濡れになったのに、彼は濡れていなかった。まるで、雨が彼を通り抜けているみたいに。死んでるってことは、幽霊? だから雨にも濡れないのか。
ずぶ濡れで戻ってきた私を見て、美佳は「トイレに落ちた?」と笑った。
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