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「あれから例の彼は見かけた?」

 講義が終わった後に、別の講義を取っていた美佳が私を見つけて追いかけてきた。

「ううん、全然」
「もしかして、もう学校にいなかったりしてね。あたしの元々彼、もう学校辞めちゃったみたいだし」

 元々彼って一体なんだ。一瞬わからなくなる。元々彼がこの大学の人だったか、別の大学の人だったか思い出せない。

「もう辞めちゃう人がいるんだね。せっかく大学に入ったのに」
「他に何かやりたいことが見つかったのかもしれないよ、その彼も。勉強なんて、つまんないし」

 もしかしたら、そもそも最初から彼はこの大学に通っていないのかもしれない。私の見間違いという可能性もある。いくら受験の時に遅刻で目立っていたからといっても、頭の中でははっきりと彼の顔を思い出せなかった。



 人違いをしてから二週間ほど経ったが、彼を同じ講義で見かけることはなかった。やっぱり私の勘違いか、美佳の言う通り辞めてしまったのかもしれない、そう思いはじめたころ、私はなぜ彼をそんなに真剣に探しているのかと急に我に返った。彼を探して彼を見つけて、この間の人違いのように声をかけたとする。それから何と言うんだ?「ずっと探してました」と言うのか。それとも「受験の時、遅刻してましたよね?」か。一度も話したことのない人間から突然言われたら、ずいぶん怖いだろう。
 そう考えていたら、私は知らない間に彼を探さなくなっていた。彼を探したところでなんの意味もない、と馬鹿馬鹿しく思えた。仲良くなりたいわけではないし、一目惚れでもなんでもない。ただなんとなく、あの時美佳と話していて「いい人いた?」という問いに対し彼が出てきただけ。それだけだ。
 美佳は、また新しい彼氏と付き合いはじめた。今回の人は、同じ大学の天体サークルの部長で、二つ年上のユージといった。ユージ先輩は他の学生のように髪を茶色に染めたり、チャラチャラした格好をしたりしなかった。いつもダーク系の服を着ていて、かなり落ち着いた雰囲気の人だった。今までの美佳の彼氏たちは、ズボンがかなり下がっていて下着丸出し状態で、明るく染めた髪をツンツンに立たせ、きついにおいの香水を振りかけたような人ばかりだった。ズボンのポケットから、財布が今にも飛び出しそうになっている感じの人。なぜ財布を落とさないのかいつも不思議に思っていた。
 今回は長続きするのではないだろうか。ユージ先輩を初めて見たとき、ただ漠然と思った。いつもとタイプが違うからだろう。

「ユージ先輩って、美佳が今まで付き合ってきた人と全然タイプが違うよね」
「そうなの。ユージって、全然今までの人と違う。見た目は最高にカッコいいのに、中身はしっかりしてるって言うか、大人なんだよね。あたしのことちゃんと大事にしてくれるし」

 そんなことを言う美佳を初めて見た。美佳の誉め言葉の中に、外見以外の中身について語られているところに感動さえ覚えた。

「そう言えばさ、前言ってた彼ってどうなったの?」
「彼? 誰のこと?」
「いい人がいるって言ってた彼のこと。話した?」
「あー、彼ね。あれから全然見かけてないんだ。やっぱり学校辞めちゃったのかもしれない。それか、私の勘違い」
「そうなのかなぁー」

 美佳は少し残念そうだった。多分、私のいい人というのが、一体どんないい人なのか気になったのだと思う。
 私たちは学生がざわざわと集まるロビーで、四人掛けのテーブルに座った。ちょうどお昼の時間で、隣に座っている女子四人組は手作りのお弁当を机に広げながら楽しそうに話をしている。
 きょうは美佳も私も食堂では食べるつもりはなかった。お互い、朝におにぎりを買っていたからだ。きょうはここでのんびり食べる。たまに、コンビニで買ったお昼ご飯を持って、外で食べる日もある。外にもたくさんベンチがあるから、この季節、外で食べる学生も多い。きょうは雨だから無理だけど。
 胸のあたりが痒い。服の上から掻きむしった。今朝大学に着くまでの道で雨で濡れたせいだろうか。瘡蓋(かさぶた)ができかけた傷口のように、痒くて痒くてうずうずする。
 自然と耳に入って来る女子四人組は、彼氏の話題で盛り上がっている。この前彼とデートで行ったどこかがすごく楽しかったとか、この前紹介された人とうまくいきそうだとか、好きな人がいるんだけどその人には彼女がいてどうしようか悩んでいるとか、そんな話。これが、本来の女子大生というものなのだろうか。
 横目でチラッと彼女たちを見た。その時、少し向こうの人影が目に入った。白いシャツに黒いデニム。赤いスニーカー。鞄も何も持っていない。手ぶらですたすたと歩いて行った。
 彼だ。
 今、走って追いかければ……。
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