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第六章 長谷川公子が愛した人

第一話

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 赤いランプが見えた。チカチカする。眩しい。

「大丈夫ですか?!」

 誰かが私の手を握っている。柔らくて、優しい手だ。
 温かい。なんて、温かい手なんだろう。
 それに、懐かしい声。薄っすらと目を開けてみると、夫がいる。私の手を握っているのは、夫だ。もうずいぶん前に亡くなったはずなのに。ついに迎えに来たんだろう。私もだいぶ年を取った。
 交際を始めた頃のように若々しい夫が、私を覗き込んでいた。ああ、やっぱり私の夫はイケメンだったのね。久しぶりにその愛しい顔が見られた。あの日、私が恋をしたときと同じ夫の顔――。

 きょうは何月何日だったっけ?
 ぼんやりした記憶の中で、きょうを探す。
 そうだ。大変だ。きょうは長男隆司の小学校の入学式じゃないか。
 どうしよう。きょう着るはずの着物は、まだクリーニングに出したままだ。夫の服はどうしよう。出たいと言っていた。楽しみだと言っていた。スーツ、あったかしら。

 いいや、違う。夫はもう、亡くなっている。隆司の入学式を楽しみにしていたのに。その日を夫婦一緒に迎えられなかった。
 悲しみに浸っている時間はない。私には、まだ幼い子どもが3人もいるのだから。長女の恵美。次女の彰子。それから、長男の隆司。みんな、いい子だ。手はかかるけれど、いい子ばかりだ。
 長男と一緒に撮った小学校の入学式の写真を大切にしていた。いつか夫に見せたくて。だけど、どこに閉まったんだっけ? 思い出せない。どうしよう、大切な写真なのに。手帳に挟んでいたんだったか。それとも財布に閉まっていたのか。

 またしばらくぼんやり考える。するとぐにゃぐにゃと視界が歪み、景色が変わる。目の前に見えたのは、次女の彰子だ。ウエディングドレス姿で泣いている。
 やだ。きょうは彰子の結婚式じゃないの。3人の子のうち、一番早くに結婚した。ああ、夫はきょうこの日も、きっと出席したかっただろう。夫婦で娘の晴れの日を見たかった。
 スパンコールやビーズが刺繍された美しいウエディングドレスを着て、彰子は輝いていた。彰子の目元は、夫にそっくりだ。
 あなたの娘は、立派に育ちましたよ。心の中で夫にそっとつぶやいた。
 もし今、夫がいたら絶対に私より泣いて喜んでいただろう。

 また視界が歪み景色が変わった。
 長女恵美が息絶え絶えに踏ん張る姿が現れる。恵美が最初の子を出産したときだ。
 ベッドの上でのたうち回る恵美の汗を拭い、私は必死に腰を摩った。
「大丈夫、きっと元気な子が産まれて来るから」
 私の言葉に恵美は一瞬だけ笑みを浮かべた。
 なかなか出てきてくれず、難産だった。丸一日陣痛に耐え抜いた末、赤ん坊の産声を聞いたとたん、私は思わず泣いた。
 私と夫にとって、初孫だ。孫はかわいいと言うが、本当だった。かわいくて仕方がない。
 産まれたての初孫を抱いた瞬間、恵美が産まれたときを思い出す。真っ赤な顔で小さな口を開け、泣いている。そっと手を触ると、小さな指で力強く私の指を握りしめた。
 命はこうやって、巡り巡っていくんだなぁ。私や夫の命から、新たな命がずっとずっと続いて行く。

 場面がどんどん変わっていき、いくつもの思い出たちが無数の風船のように現れる。私が辿ってきたたくさんの思い出。もう忘れてしまったような思い出もある。些細な日々。愛しい日々。私はなんて、すばらしい人生を送って来たのだろう。

 ――お母さん。

 恵美の声がした。
 恵美はもう立派な大人で、3人のかわいい孫たちを産んでくれた。
 そうだ。私はもう、8人の孫がいる立派なおばあちゃんだ。恵美と隆司はそれぞれ3人、彰子は2人の子宝に恵まれた。恵美の一番上の子は、もう大学生。他の子たちも中学高校と大きくなった。
 小さかったのは、ほんの一瞬だったなぁ。
 生まれたばかりの瞬間を、今この時のように思い出す。

 夫が生きてくれていたら。我が子の成長を共に見守り、孫の誕生を共に喜びたかった。心残りは、それだけだ。
 職場で事故に遭い、夫は突然この世を去った。夫の死を知らされたとき、身体中が死んでいくのを感じた。
 でも、それでも私がきょうここまで生きて来られたのは、子どもたちがいてくれたからだ。たったひとりこの世に取り残されていたら、私は生きていけなかっただろう。

「お父さんは戻って来ないの? 物語だったら、生き返るのに」

 子どもたちによく読み聞かせていたおとぎ話。夢は叶う。いつか必ず、運命の人が現れる。諦めてはいけない。諦めなければ願いは叶う、と。
 一番末っ子だった隆司は、父の死をなかなか受け入れられなかった。私だって、受け入れられない現実を、こんなにも小さな子どもにどうやって理解してもらうというのだろう。
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