38 / 58
第四章 三谷隆弘のキスでは誰も目覚めない
第六話
しおりを挟む
「遊びに行かない?」
「無理」
「じゃあ、ちょっとコーヒーでも」
「飲まない」
別れてからの俺たちの会話はこんな感じだ。杏子の好きな人を見習うのは納得できないが、とにかく諦めずにアプローチし続けた。これまでの俺は捨てる。当分合コンも遊びもナシだ。自分で納得がいくまで、杏子を想い続ける。そう決めた。
何度誘っても断られる。でも、めげずに何度も誘った。
三窪は化け物だ。こんな状態で、よくバイトに勉強に励めたものだ。今までの俺には見えなかったものが、今はハッキリくっきり浮かび上がって見えた。
三窪は最近機嫌がいい。たぶん、邑子さんとなにかあったんだろう。付き合っているなら俺にも教えてくれるはず。でもその報告がないとすると、付き合うほどの大事ではないが三窪にとってはいいことが起こっているんだろう。
卒論は無事終わり教授に提出した。卒業も確定だ。こういうときほど、遊びたくなる。でも我慢だ。バイトがない日や、きょうみたいに夕方からのシフトの日には暇で退屈な時間がだらりと流れる。杏子がいてくれたら。一緒にいろんなところへ行けたし、どこへでも連れて行く。
卒業旅行はパーッと海外へ! なんて触れ回っていたけれど、結局行くのはやめた。友達はヨーロッパのツアーや、タイやインドネシアへ行くと言っていた。誘われたが、なんだか行く気がしなかった。
海外へ行って杏子に旅行の写真やおみやげを買って帰ろうかとも考えたが、今の杏子は俺がダイヤの指輪を買って贈ったとしても喜ばないだろう。
暇つぶしに、本屋でも行くか。
自分のバイト先へは行きたくないので、避けて別の書店を目指す。確か、駅前のショッピングモールの中にある書店がリニューアルオープンしたはずだ。うちの小さな本屋と比べたらだいぶ大きいだろうから、暇つぶしにはもってこいだ。その後でゲーセンにでも行こう。
平日の昼間は子連れの主婦が目立つ。こんなにも優雅な時間は、今だけだ。働いたら、平日の真昼間にショッピングモールをうろつくなんてできない。これからずっと、社畜人生が待っている。
リニューアルオープンした書店は、近未来的だった。あちこちに椅子があり、座って本が読めるし、カフェと隣接している。これまでの本屋とは全然違う。
ふと新刊コーナーが目に入る。うちと同じで、店員の手書きPOPがずらりと並んでいた。本屋大賞の受賞作品。今SNSで人気の作品。新人賞を受賞した小説。歴史、ファンタジー、エッセイなどなど、ジャンルはいろいろだ。
そういえば、三窪はこのPOPに邑子さんへ宛てた文章を書いていた。店長に怒られていたっけ。
本当にバカだな。でも、本好きの邑子さんならPOPに気づいたかもしれない。俺なら絶対やらないが。
確か、うちで最近よく売れるミステリー小説が面白いと三窪が言っていた。暇だし、俺も読んでみるか。
本の表紙を眺めながら、売り場をうろうろする。新刊だから、目立つところにあるはずだ。
あった。
新刊コーナーとは別で、その本だけが山積みにされ作者のサインが飾られている一角を見つけた。
さすが人気の本だ。女の人が本を手に取り、眺めている。
あれ、どこかで見た人だ。そう思っていると、向こうが顔を上げ俺に軽く会釈した。邑子さんだった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」
俺が三窪なら、飛んで喜んだだろうな。
三窪の様子が手に取るようにわかる。想像しやすい奴だ。
話しかけてから、邑子さんが極度の人見知りだと思い出した。しまった。
俺も4人でランチビュッフェに行って以来、話していない。あとはバイト先でレジ対応したときくらいしか、会ってもいない。
無視されるか。
ちょっとドキドキしながら、反応を待つ。
「実は……」
小声で、神妙な顔をしている。きょうは平日だ。邑子さんって確か事務員じゃなかったか。まさか、仕事を辞めた? 一瞬身構える。
「代休なんです」
なんだ、びっくりさせるな。
目が泳いでいる。本当に、人と話すのが苦手なんだろう。嘘をついているみたいに挙動不審だが、これが邑子さんの普通だろう。三窪、この人の一体なにがお前をそこまで掻き立たせているんだ。教えてくれ。
確かに、美人だ。長く黒い髪に、姉妹ともども切れ長のぱっちり二重でうるっとした瞳。薄い唇に白く滑らかな肌。ただ、姉の邑子さんはにっこりとも微笑まない。コミュニケーションさえ取るのが難しい。外見に一目惚れしたのなら、同じ男として十分理解できる。でも、会話してずっとこんな感じだったら俺ならすぐに諦める。どう見ても、恋なんてする気がない。
「この本、三窪くんに勧められて」
俺と同じ本が目当てだったのか。
「これ、人気ですよね。俺も買おうと思ってたところです」
邑子さんの前に山積みされた本をさっと一冊取る。
「あの……杏子は元気ですか?」
「杏子?」
「はい。最近、どうしてるのかなって思って」
邑子さんは「たぶん、元気にしてると思います」と言った。
「杏子とは最近、連絡を取っていなくて」
「そうですか……」
邑子さんに杏子のことを聞いても、大して話は続きそうにない。邑子さんも俺と話すのは苦痛だろう。
「それじゃ、俺はこれで」
会話を終えるタイミングが邑子さんにはわからないようだったので、俺の方から終了させた。邑子さんはまた軽く頭を下げて、本は手に取らず、もともと持っていた本を持ってレジの方へ歩いて行った。
「無理」
「じゃあ、ちょっとコーヒーでも」
「飲まない」
別れてからの俺たちの会話はこんな感じだ。杏子の好きな人を見習うのは納得できないが、とにかく諦めずにアプローチし続けた。これまでの俺は捨てる。当分合コンも遊びもナシだ。自分で納得がいくまで、杏子を想い続ける。そう決めた。
何度誘っても断られる。でも、めげずに何度も誘った。
三窪は化け物だ。こんな状態で、よくバイトに勉強に励めたものだ。今までの俺には見えなかったものが、今はハッキリくっきり浮かび上がって見えた。
三窪は最近機嫌がいい。たぶん、邑子さんとなにかあったんだろう。付き合っているなら俺にも教えてくれるはず。でもその報告がないとすると、付き合うほどの大事ではないが三窪にとってはいいことが起こっているんだろう。
卒論は無事終わり教授に提出した。卒業も確定だ。こういうときほど、遊びたくなる。でも我慢だ。バイトがない日や、きょうみたいに夕方からのシフトの日には暇で退屈な時間がだらりと流れる。杏子がいてくれたら。一緒にいろんなところへ行けたし、どこへでも連れて行く。
卒業旅行はパーッと海外へ! なんて触れ回っていたけれど、結局行くのはやめた。友達はヨーロッパのツアーや、タイやインドネシアへ行くと言っていた。誘われたが、なんだか行く気がしなかった。
海外へ行って杏子に旅行の写真やおみやげを買って帰ろうかとも考えたが、今の杏子は俺がダイヤの指輪を買って贈ったとしても喜ばないだろう。
暇つぶしに、本屋でも行くか。
自分のバイト先へは行きたくないので、避けて別の書店を目指す。確か、駅前のショッピングモールの中にある書店がリニューアルオープンしたはずだ。うちの小さな本屋と比べたらだいぶ大きいだろうから、暇つぶしにはもってこいだ。その後でゲーセンにでも行こう。
平日の昼間は子連れの主婦が目立つ。こんなにも優雅な時間は、今だけだ。働いたら、平日の真昼間にショッピングモールをうろつくなんてできない。これからずっと、社畜人生が待っている。
リニューアルオープンした書店は、近未来的だった。あちこちに椅子があり、座って本が読めるし、カフェと隣接している。これまでの本屋とは全然違う。
ふと新刊コーナーが目に入る。うちと同じで、店員の手書きPOPがずらりと並んでいた。本屋大賞の受賞作品。今SNSで人気の作品。新人賞を受賞した小説。歴史、ファンタジー、エッセイなどなど、ジャンルはいろいろだ。
そういえば、三窪はこのPOPに邑子さんへ宛てた文章を書いていた。店長に怒られていたっけ。
本当にバカだな。でも、本好きの邑子さんならPOPに気づいたかもしれない。俺なら絶対やらないが。
確か、うちで最近よく売れるミステリー小説が面白いと三窪が言っていた。暇だし、俺も読んでみるか。
本の表紙を眺めながら、売り場をうろうろする。新刊だから、目立つところにあるはずだ。
あった。
新刊コーナーとは別で、その本だけが山積みにされ作者のサインが飾られている一角を見つけた。
さすが人気の本だ。女の人が本を手に取り、眺めている。
あれ、どこかで見た人だ。そう思っていると、向こうが顔を上げ俺に軽く会釈した。邑子さんだった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」
俺が三窪なら、飛んで喜んだだろうな。
三窪の様子が手に取るようにわかる。想像しやすい奴だ。
話しかけてから、邑子さんが極度の人見知りだと思い出した。しまった。
俺も4人でランチビュッフェに行って以来、話していない。あとはバイト先でレジ対応したときくらいしか、会ってもいない。
無視されるか。
ちょっとドキドキしながら、反応を待つ。
「実は……」
小声で、神妙な顔をしている。きょうは平日だ。邑子さんって確か事務員じゃなかったか。まさか、仕事を辞めた? 一瞬身構える。
「代休なんです」
なんだ、びっくりさせるな。
目が泳いでいる。本当に、人と話すのが苦手なんだろう。嘘をついているみたいに挙動不審だが、これが邑子さんの普通だろう。三窪、この人の一体なにがお前をそこまで掻き立たせているんだ。教えてくれ。
確かに、美人だ。長く黒い髪に、姉妹ともども切れ長のぱっちり二重でうるっとした瞳。薄い唇に白く滑らかな肌。ただ、姉の邑子さんはにっこりとも微笑まない。コミュニケーションさえ取るのが難しい。外見に一目惚れしたのなら、同じ男として十分理解できる。でも、会話してずっとこんな感じだったら俺ならすぐに諦める。どう見ても、恋なんてする気がない。
「この本、三窪くんに勧められて」
俺と同じ本が目当てだったのか。
「これ、人気ですよね。俺も買おうと思ってたところです」
邑子さんの前に山積みされた本をさっと一冊取る。
「あの……杏子は元気ですか?」
「杏子?」
「はい。最近、どうしてるのかなって思って」
邑子さんは「たぶん、元気にしてると思います」と言った。
「杏子とは最近、連絡を取っていなくて」
「そうですか……」
邑子さんに杏子のことを聞いても、大して話は続きそうにない。邑子さんも俺と話すのは苦痛だろう。
「それじゃ、俺はこれで」
会話を終えるタイミングが邑子さんにはわからないようだったので、俺の方から終了させた。邑子さんはまた軽く頭を下げて、本は手に取らず、もともと持っていた本を持ってレジの方へ歩いて行った。
2
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる