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第四章 三谷隆弘のキスでは誰も目覚めない

第六話

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「遊びに行かない?」
「無理」
「じゃあ、ちょっとコーヒーでも」
「飲まない」

 別れてからの俺たちの会話はこんな感じだ。杏子の好きな人を見習うのは納得できないが、とにかく諦めずにアプローチし続けた。これまでの俺は捨てる。当分合コンも遊びもナシだ。自分で納得がいくまで、杏子を想い続ける。そう決めた。
 何度誘っても断られる。でも、めげずに何度も誘った。
 三窪は化け物だ。こんな状態で、よくバイトに勉強に励めたものだ。今までの俺には見えなかったものが、今はハッキリくっきり浮かび上がって見えた。
 三窪は最近機嫌がいい。たぶん、邑子さんとなにかあったんだろう。付き合っているなら俺にも教えてくれるはず。でもその報告がないとすると、付き合うほどの大事ではないが三窪にとってはいいことが起こっているんだろう。

 卒論は無事終わり教授に提出した。卒業も確定だ。こういうときほど、遊びたくなる。でも我慢だ。バイトがない日や、きょうみたいに夕方からのシフトの日には暇で退屈な時間がだらりと流れる。杏子がいてくれたら。一緒にいろんなところへ行けたし、どこへでも連れて行く。
 卒業旅行はパーッと海外へ! なんて触れ回っていたけれど、結局行くのはやめた。友達はヨーロッパのツアーや、タイやインドネシアへ行くと言っていた。誘われたが、なんだか行く気がしなかった。
 海外へ行って杏子に旅行の写真やおみやげを買って帰ろうかとも考えたが、今の杏子は俺がダイヤの指輪を買って贈ったとしても喜ばないだろう。

 暇つぶしに、本屋でも行くか。
 自分のバイト先へは行きたくないので、避けて別の書店を目指す。確か、駅前のショッピングモールの中にある書店がリニューアルオープンしたはずだ。うちの小さな本屋と比べたらだいぶ大きいだろうから、暇つぶしにはもってこいだ。その後でゲーセンにでも行こう。

 平日の昼間は子連れの主婦が目立つ。こんなにも優雅な時間は、今だけだ。働いたら、平日の真昼間にショッピングモールをうろつくなんてできない。これからずっと、社畜人生が待っている。
 リニューアルオープンした書店は、近未来的だった。あちこちに椅子があり、座って本が読めるし、カフェと隣接している。これまでの本屋とは全然違う。
 ふと新刊コーナーが目に入る。うちと同じで、店員の手書きPOPがずらりと並んでいた。本屋大賞の受賞作品。今SNSで人気の作品。新人賞を受賞した小説。歴史、ファンタジー、エッセイなどなど、ジャンルはいろいろだ。
 そういえば、三窪はこのPOPに邑子さんへ宛てた文章を書いていた。店長に怒られていたっけ。
 本当にバカだな。でも、本好きの邑子さんならPOPに気づいたかもしれない。俺なら絶対やらないが。
 確か、うちで最近よく売れるミステリー小説が面白いと三窪が言っていた。暇だし、俺も読んでみるか。
 本の表紙を眺めながら、売り場をうろうろする。新刊だから、目立つところにあるはずだ。
 あった。
 新刊コーナーとは別で、その本だけが山積みにされ作者のサインが飾られている一角を見つけた。
 さすが人気の本だ。女の人が本を手に取り、眺めている。
 あれ、どこかで見た人だ。そう思っていると、向こうが顔を上げ俺に軽く会釈した。邑子さんだった。

「こんなところで会うなんて、奇遇ですね」

 俺が三窪なら、飛んで喜んだだろうな。
 三窪の様子が手に取るようにわかる。想像しやすい奴だ。
 話しかけてから、邑子さんが極度の人見知りだと思い出した。しまった。
 俺も4人でランチビュッフェに行って以来、話していない。あとはバイト先でレジ対応したときくらいしか、会ってもいない。
 無視されるか。
 ちょっとドキドキしながら、反応を待つ。

「実は……」

 小声で、神妙な顔をしている。きょうは平日だ。邑子さんって確か事務員じゃなかったか。まさか、仕事を辞めた? 一瞬身構える。

「代休なんです」

 なんだ、びっくりさせるな。
 目が泳いでいる。本当に、人と話すのが苦手なんだろう。嘘をついているみたいに挙動不審だが、これが邑子さんの普通だろう。三窪、この人の一体なにがお前をそこまで掻き立たせているんだ。教えてくれ。
 確かに、美人だ。長く黒い髪に、姉妹ともども切れ長のぱっちり二重でうるっとした瞳。薄い唇に白く滑らかな肌。ただ、姉の邑子さんはにっこりとも微笑まない。コミュニケーションさえ取るのが難しい。外見に一目惚れしたのなら、同じ男として十分理解できる。でも、会話してずっとこんな感じだったら俺ならすぐに諦める。どう見ても、恋なんてする気がない。

「この本、三窪くんに勧められて」

 俺と同じ本が目当てだったのか。

「これ、人気ですよね。俺も買おうと思ってたところです」

 邑子さんの前に山積みされた本をさっと一冊取る。

「あの……杏子は元気ですか?」
「杏子?」
「はい。最近、どうしてるのかなって思って」

 邑子さんは「たぶん、元気にしてると思います」と言った。

「杏子とは最近、連絡を取っていなくて」
「そうですか……」

 邑子さんに杏子のことを聞いても、大して話は続きそうにない。邑子さんも俺と話すのは苦痛だろう。

「それじゃ、俺はこれで」

 会話を終えるタイミングが邑子さんにはわからないようだったので、俺の方から終了させた。邑子さんはまた軽く頭を下げて、本は手に取らず、もともと持っていた本を持ってレジの方へ歩いて行った。
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