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第三章 池谷杏子は白雪姫にはなれない
第六話
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恭介から会って相談がしたいと言われたのは、10月も終わる頃だった。また姉の話を聞かされるのかと思うと気が重かったが、きょうは三谷と会う予定もなく暇だったので、仕方なく会うことにした。
駅前で待ち合わせて、なんとなく相談に乗ってさっさと切り上げる。その後は今度三谷とデートするための服を買いに行く。きょう出かける理由は、恭介の相談よりむしろ後者だ。
家にいても退屈なので、恭介との待ち合わせよりも早くに家を出た。目的もなく、ただ駅前周辺をぶらぶらしていた。すると、突然背後から呼び止められた。
「ねぇ、ひとり?」
ああ、ナンパか。ナンパされるのはちょっと久しぶりだ。
振り返り、声の主の髪の先からつま先まで念入りに見る。
ダボっとしたデニムにグレーのパーカー。白いスニーカーを履いている。かなりシンプルな恰好だ。顔は……ナシ。あたしのタイプではない。
「今はひとりだけど、待ち合わせしてるから」
タイプではないので、遊ぶ価値もない。しっし、と野良猫でも追い払うようにあしらった。しかしこの男、なかなか食い下がらない。
「ちょっとでいいからさ、俺とどっかいかない? 待ち合わせって何時?」
いや、待ち合わせの時間まで余裕はあるけれど、あんたとは遊ばない。
こういうタイプの男は、一見遊んでいると見せかけて意外と恋愛経験が少ない。遊びがしたいなら、ナンパなんていまどき古い。もっと賢くやりなよ、とアドバイスしたくなる。
「ごめんね、待ち合わせに遅れちゃうから」
「俺、一目惚れしちゃったんだよ。名前教えてくれない?」
は? 一目惚れ?
そんな使い古された言葉をあたしが信じるわけがない。
どいつもこいつも、本当におとぎ話が好きだ。特に女は、心のどこかでいつか自分だけの王子様が表れると思っているんだろう。だから、バカな男に騙されるのだ。でもあたしにはそんな言葉、効果なんてない。むしろ逆効果だ。
「一目惚れ、信じてないから」
あたしは笑いを堪えるのが精いっぱいだった。
恭介もだ。そのうち、一目惚れから目覚めるときが来る。特に、あの姉では恋愛になんて1ミリも発展しないだろう。いい加減、さっさと諦めてちゃんと恋愛できる子を探したらいいのに。
「名前くらい、いいじゃん。教えてよ」
名前なんて聞いてどうするんだ。もう二度と会わないのに。SNSで検索でもかけるつもりなのか。気持ち悪い奴だ。
男の手があたしに伸びて来る。
「やめて」
タイプじゃない男に執拗に迫られるほど、吐き気のすることはない。好きだと言われても、やっぱりタイプじゃない人とは付き合えない。それか、許容範囲内の人でなければ。どんなに想いを寄せてくれたとしても、受け取れない想いもある。まあ、こいつの場合あたしを落とすための嘘なんだろうけれど。
通りすがる人たちがジロジロと見ていく。みんな、見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。この男も、よくこんなに人通りの多い駅前で、しかも白昼によくナンパしようと思ったものだ。ある意味勇者かもしれない
「やめてもらえますか。俺の彼女なんで」
一目惚れしました、よりもっと古臭いセリフで現れたのは恭介だった。あたしに向かって伸びた男の腕をぐっと掴んでいる。
男は小さく舌打ちすると、さっさと人ごみに消えてしまった。
「ごめんね、俺が彼氏だなんて嘘ついて」
恭介は両頬を赤くして、茶髪の髪を掻いている。今まで一度も、こんなセリフを言ったことがなかったんだろう。
待ち合わせの時間まで、まだあるはずなのに。どうしてこんなにも早くにやって来たのか。
「気を付けてね。変な人、たくさんいるから」
恭介も、あたしにとっては十分変な人だ。姉に恋をしている時点で、ある意味ヘンタイだ。だけど、恭介はバカみたいに純粋でまっすぐ。あたしが知っている男たちとは違う。
「ちょっと早めに着いたんだけど、杏子ちゃんはどこか行く予定があった?」
「あたしも早めに来たんだ。特に用事はないよ」
「じゃ、そこのファミレスでも入ろっか」
にぃ、と笑う恭介が遠くにいるみたいに感じた。あたしと恭介の間には、薄い膜がある。近いようで、でも直接触れられない。
恭介はあたしと全然違う。三谷やあたしのように、恋愛をゲームだと思って暇つぶしだと考えていない。恭介にとって恋愛は、いつだって真剣なものなんだろう。真剣に恋するなんて、自分が傷つくだけだし、あれこれ悩む羽目になる。恭介を見ていたらそれが十分わかった。かつてあたしに好きな人を取られた、中学時代の友達もそうだ。
恭介は姉が好きだろうけど、姉なんかに恭介はもったいない。姉は、恋なんてしないのだから。恭介のことは、嫌いでもない、どうでもいい人だと言った。恭介と姉は、絶対に付き合うべきじゃない。恭介が毎日姉を想って悩んでいるとは知らず、姉は自分の世界に閉じこもっているんだろう。
ファミレスに入るなり、すぐ姉の話に切り替わった。恭介の口から「邑子さん」と言われるたび、心の中でなにかが蠢いた。黒くてドロドロした、なにか。それはぐるぐるとあたしの身体の中を這いずり回って、外へ出たがっているようだった。
恭介には痛いかもしれないが、フラれて現実を見た方がいい。そうすれば、きっと姉を諦めるだろう。変な期待をさせるから、いけないのだ。さっさとフラれて、次へ行った方がいい。
「もう気づいてると思うんだけどね、恭介くんの気持ちには」
「ってことは、俺には望みなし?」
その一言に否定するわけでも肯定するわけでもなく、あたしはカフェオレを飲んで告白して玉砕するプランを恭介に提案した。
恭介にはとても「告白して玉砕しよう!」とは言えない。姉も恭介が自分に関心があるとすら考えていない。なので、もうはっきり想いを伝えてしまった方がいいんじゃないかと提案した。告白してフラれたら、きっと恭介もいかに自分が無謀な恋をしているか思い知るだろう。
この計画は、猪突猛進タイプの恭介には十分効果があった。
恭介はあたしの計画に瞳をキラキラ輝かせて、真剣に聞いてくれた。この物語の結末は、あたしにははっきり見えている。恭介はフラれるのだ。あたしの姉、池谷邑子に。きっと、恭介はあたしにフラれた報告をしてくるだろう。泣きながら。
その光景があたしにはまるで現実のように目の前に広がった。
駅前で待ち合わせて、なんとなく相談に乗ってさっさと切り上げる。その後は今度三谷とデートするための服を買いに行く。きょう出かける理由は、恭介の相談よりむしろ後者だ。
家にいても退屈なので、恭介との待ち合わせよりも早くに家を出た。目的もなく、ただ駅前周辺をぶらぶらしていた。すると、突然背後から呼び止められた。
「ねぇ、ひとり?」
ああ、ナンパか。ナンパされるのはちょっと久しぶりだ。
振り返り、声の主の髪の先からつま先まで念入りに見る。
ダボっとしたデニムにグレーのパーカー。白いスニーカーを履いている。かなりシンプルな恰好だ。顔は……ナシ。あたしのタイプではない。
「今はひとりだけど、待ち合わせしてるから」
タイプではないので、遊ぶ価値もない。しっし、と野良猫でも追い払うようにあしらった。しかしこの男、なかなか食い下がらない。
「ちょっとでいいからさ、俺とどっかいかない? 待ち合わせって何時?」
いや、待ち合わせの時間まで余裕はあるけれど、あんたとは遊ばない。
こういうタイプの男は、一見遊んでいると見せかけて意外と恋愛経験が少ない。遊びがしたいなら、ナンパなんていまどき古い。もっと賢くやりなよ、とアドバイスしたくなる。
「ごめんね、待ち合わせに遅れちゃうから」
「俺、一目惚れしちゃったんだよ。名前教えてくれない?」
は? 一目惚れ?
そんな使い古された言葉をあたしが信じるわけがない。
どいつもこいつも、本当におとぎ話が好きだ。特に女は、心のどこかでいつか自分だけの王子様が表れると思っているんだろう。だから、バカな男に騙されるのだ。でもあたしにはそんな言葉、効果なんてない。むしろ逆効果だ。
「一目惚れ、信じてないから」
あたしは笑いを堪えるのが精いっぱいだった。
恭介もだ。そのうち、一目惚れから目覚めるときが来る。特に、あの姉では恋愛になんて1ミリも発展しないだろう。いい加減、さっさと諦めてちゃんと恋愛できる子を探したらいいのに。
「名前くらい、いいじゃん。教えてよ」
名前なんて聞いてどうするんだ。もう二度と会わないのに。SNSで検索でもかけるつもりなのか。気持ち悪い奴だ。
男の手があたしに伸びて来る。
「やめて」
タイプじゃない男に執拗に迫られるほど、吐き気のすることはない。好きだと言われても、やっぱりタイプじゃない人とは付き合えない。それか、許容範囲内の人でなければ。どんなに想いを寄せてくれたとしても、受け取れない想いもある。まあ、こいつの場合あたしを落とすための嘘なんだろうけれど。
通りすがる人たちがジロジロと見ていく。みんな、見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。この男も、よくこんなに人通りの多い駅前で、しかも白昼によくナンパしようと思ったものだ。ある意味勇者かもしれない
「やめてもらえますか。俺の彼女なんで」
一目惚れしました、よりもっと古臭いセリフで現れたのは恭介だった。あたしに向かって伸びた男の腕をぐっと掴んでいる。
男は小さく舌打ちすると、さっさと人ごみに消えてしまった。
「ごめんね、俺が彼氏だなんて嘘ついて」
恭介は両頬を赤くして、茶髪の髪を掻いている。今まで一度も、こんなセリフを言ったことがなかったんだろう。
待ち合わせの時間まで、まだあるはずなのに。どうしてこんなにも早くにやって来たのか。
「気を付けてね。変な人、たくさんいるから」
恭介も、あたしにとっては十分変な人だ。姉に恋をしている時点で、ある意味ヘンタイだ。だけど、恭介はバカみたいに純粋でまっすぐ。あたしが知っている男たちとは違う。
「ちょっと早めに着いたんだけど、杏子ちゃんはどこか行く予定があった?」
「あたしも早めに来たんだ。特に用事はないよ」
「じゃ、そこのファミレスでも入ろっか」
にぃ、と笑う恭介が遠くにいるみたいに感じた。あたしと恭介の間には、薄い膜がある。近いようで、でも直接触れられない。
恭介はあたしと全然違う。三谷やあたしのように、恋愛をゲームだと思って暇つぶしだと考えていない。恭介にとって恋愛は、いつだって真剣なものなんだろう。真剣に恋するなんて、自分が傷つくだけだし、あれこれ悩む羽目になる。恭介を見ていたらそれが十分わかった。かつてあたしに好きな人を取られた、中学時代の友達もそうだ。
恭介は姉が好きだろうけど、姉なんかに恭介はもったいない。姉は、恋なんてしないのだから。恭介のことは、嫌いでもない、どうでもいい人だと言った。恭介と姉は、絶対に付き合うべきじゃない。恭介が毎日姉を想って悩んでいるとは知らず、姉は自分の世界に閉じこもっているんだろう。
ファミレスに入るなり、すぐ姉の話に切り替わった。恭介の口から「邑子さん」と言われるたび、心の中でなにかが蠢いた。黒くてドロドロした、なにか。それはぐるぐるとあたしの身体の中を這いずり回って、外へ出たがっているようだった。
恭介には痛いかもしれないが、フラれて現実を見た方がいい。そうすれば、きっと姉を諦めるだろう。変な期待をさせるから、いけないのだ。さっさとフラれて、次へ行った方がいい。
「もう気づいてると思うんだけどね、恭介くんの気持ちには」
「ってことは、俺には望みなし?」
その一言に否定するわけでも肯定するわけでもなく、あたしはカフェオレを飲んで告白して玉砕するプランを恭介に提案した。
恭介にはとても「告白して玉砕しよう!」とは言えない。姉も恭介が自分に関心があるとすら考えていない。なので、もうはっきり想いを伝えてしまった方がいいんじゃないかと提案した。告白してフラれたら、きっと恭介もいかに自分が無謀な恋をしているか思い知るだろう。
この計画は、猪突猛進タイプの恭介には十分効果があった。
恭介はあたしの計画に瞳をキラキラ輝かせて、真剣に聞いてくれた。この物語の結末は、あたしにははっきり見えている。恭介はフラれるのだ。あたしの姉、池谷邑子に。きっと、恭介はあたしにフラれた報告をしてくるだろう。泣きながら。
その光景があたしにはまるで現実のように目の前に広がった。
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