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第二章 三窪恭介は全力で恋をする
第十三話
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駅前で9時集合。邑子さんとの初めてのデート。デートと呼んでいいのか? いや、俺と邑子さんふたりだけで会うんだ。立派なデートだろう。
小学生が遠足前の晩に興奮して寝付けないのと同じ現象が、大学生の俺にも起こっていた。眠い。元旦にはバイトを休みたかったので、大晦日まで必死に働いた。身体は疲れているはずなのに、ほとんど一睡もできず朝を迎えた。それでも俺は元気だ。
猫神様は、元旦は雑煮に限るとうるさかったので仕方なく雑煮を作った。ひとり暮らしをはじめてから、餅なんて食べなかった。久しぶりの餅はおいしい。
猫が餅なんて食べられるんだろうか、と疑問に思い小さく切っておいた。猫神様のお口サイズだ。間違って喉を詰まらせてはいけない。
猫神様は餅を吸い込むように次々飲み込んだ。お腹がだいぶ膨れている。3杯も雑煮をおかわりし、重そうな大きなお腹で外へ出て行った。きょうは、どこへ行くのか。
いつも猫神様がどこへ行っているのかは知らないが、朝晩は必ず俺の家にいる。日中はたぶん、野良神社へ行っているはずだ。さすがにあそこの神様だから、よそで遊んでいるわけはないだろう。
ほとんど眠れなかったわりに、ずいぶん早くに目が覚めてしまった。待ち合わせの時間までまだ早いが、ここで時計の針を睨んでいても全然進まない。一分がとてつもなく長く感じた。
遅刻するよりはいい。早く行こう。デートと言えば男が早く待ち合わせ場所で待っていて、彼女が来たときに「今来たばっかり」という顔をするものだ。そうだ、そうしよう。
初デート。待ち合わせ場所へ向かうまでの道中、何度も口ずさんでしまった。周囲の人間が、俺をどう思おうとどうだっていい。きょうは、最高の日になる。絶対に。
初デートで身体が地面から浮き上がりそうになるのを堪えて、駅前で缶コーヒーを買った。温かい。待ち合わせ時間までまだ一時間もあるが、やって来る相手が邑子さんなら一生待っていられる。
邑子さんは、時間ぴったりにやって来た。待ち合わせの9時に、邑子さんは着物姿で現れた。邑子さんは、福袋を持った大勢の人間の中で、異様な輝きを放っていた。スポットライトを上から当てられて歩いているようにしか、俺には見えない。他の人間がへのへのもへじに見えてしまう。
邑子さんの着物は赤色で、花模様がいくつも描かれている。花には詳しくないが、これはたぶん梅の花だろう。いつもは下ろしている黒髪も、きれいにまとめてお団子になっている。赤い珠がついた簪が光を受けてきらりと輝いた。
着物も身に着けたアクセサリーもみんなキラキラしている。だが邑子さんには負ける。どんなものも邑子さんの前では劣る輝きだ。
「……!」
「かわいいです!」「最高です!」「めちゃくちゃ似合ってます!」「付き合ってください!」どの言葉も声にしたかったけれど、あまりの衝撃で言葉を失った。それに、またドン引きされてしまうのは嫌だ。
可愛すぎる。いや、美しすぎる。尊い。
もう俺、今すぐ死んでも後悔しない。あれ、鼻血出てないよな?
思わずそっと鼻を触る。代わりに鼻水が出ていた。一時間も待っていたのだ。でも今は寒さなんて微塵も感じない。むしろ、身体中が熱い。
着付けも時間がかかるだろう。それなのに、わざわざ着て来たというのは俺のためだろうか。俺が邑子さんの着物姿が見たいと、なぜわかったんだろう。
「あけまして、おめでとうございます」
邑子さんが後ろ髪にそっと手を添えながら言った。
「あっ、あけましておめでとうございます!」
なんてすばらしい新年の幕開けだろう。今なら、どんな困難さえも超えていけると強く確信できた。
あんまり邑子さんをじろじろ見てはいけない。そうわかってはいるものの、ついくぎ付けになってしまう。美しいのだから、仕方がない。
邑子さんのうなじが見える。うなじが……見える。やっぱり俺、きょう死んでも絶対に後悔しない。
だけど、うなじを見て喜んでいるのがバレたら、もう二度と俺とは話してくれないだろう。とにかく、嬉しさを堪えて冷静を保つ。
「和服が好きなんだけど、あんまり着る機会がなくって。毎年、お正月には着ているんです」
……俺のためではなかった。当たり前か、とつい自分に笑ってしまう。
「そうなんですね! めちゃくちゃ似合ってますよ! 毎日着てもいいと思います!」
毎日はちょっと……と邑子さん。また髪に手をやり、視線が泳いでいる。
困らせてはいけない。きょうは、きょうだけは。ただ、邑子さんにとって楽しい日にしたい。
「着付け、できるんですか?」
とっさに話題を変えた。
「はい。母が着付けできるので、教わりました」
すごい。さすが邑子さん。俺も練習したら、着られるようになるだろうか。帯の結びを見て、難しそうだなと思う。
一輪の花が咲いているような、邑子さんの存在感。邑子さんが、ますます好きになる。
邑子さんの話し方。仕草。雪がゆっくりと溶けていくような優しさを感じた。おまけに、いい匂いがする。他の人たちが霞んで、俺には邑子さんただひとりだけしか見えない。眩しい。眩しすぎる。
小学生が遠足前の晩に興奮して寝付けないのと同じ現象が、大学生の俺にも起こっていた。眠い。元旦にはバイトを休みたかったので、大晦日まで必死に働いた。身体は疲れているはずなのに、ほとんど一睡もできず朝を迎えた。それでも俺は元気だ。
猫神様は、元旦は雑煮に限るとうるさかったので仕方なく雑煮を作った。ひとり暮らしをはじめてから、餅なんて食べなかった。久しぶりの餅はおいしい。
猫が餅なんて食べられるんだろうか、と疑問に思い小さく切っておいた。猫神様のお口サイズだ。間違って喉を詰まらせてはいけない。
猫神様は餅を吸い込むように次々飲み込んだ。お腹がだいぶ膨れている。3杯も雑煮をおかわりし、重そうな大きなお腹で外へ出て行った。きょうは、どこへ行くのか。
いつも猫神様がどこへ行っているのかは知らないが、朝晩は必ず俺の家にいる。日中はたぶん、野良神社へ行っているはずだ。さすがにあそこの神様だから、よそで遊んでいるわけはないだろう。
ほとんど眠れなかったわりに、ずいぶん早くに目が覚めてしまった。待ち合わせの時間までまだ早いが、ここで時計の針を睨んでいても全然進まない。一分がとてつもなく長く感じた。
遅刻するよりはいい。早く行こう。デートと言えば男が早く待ち合わせ場所で待っていて、彼女が来たときに「今来たばっかり」という顔をするものだ。そうだ、そうしよう。
初デート。待ち合わせ場所へ向かうまでの道中、何度も口ずさんでしまった。周囲の人間が、俺をどう思おうとどうだっていい。きょうは、最高の日になる。絶対に。
初デートで身体が地面から浮き上がりそうになるのを堪えて、駅前で缶コーヒーを買った。温かい。待ち合わせ時間までまだ一時間もあるが、やって来る相手が邑子さんなら一生待っていられる。
邑子さんは、時間ぴったりにやって来た。待ち合わせの9時に、邑子さんは着物姿で現れた。邑子さんは、福袋を持った大勢の人間の中で、異様な輝きを放っていた。スポットライトを上から当てられて歩いているようにしか、俺には見えない。他の人間がへのへのもへじに見えてしまう。
邑子さんの着物は赤色で、花模様がいくつも描かれている。花には詳しくないが、これはたぶん梅の花だろう。いつもは下ろしている黒髪も、きれいにまとめてお団子になっている。赤い珠がついた簪が光を受けてきらりと輝いた。
着物も身に着けたアクセサリーもみんなキラキラしている。だが邑子さんには負ける。どんなものも邑子さんの前では劣る輝きだ。
「……!」
「かわいいです!」「最高です!」「めちゃくちゃ似合ってます!」「付き合ってください!」どの言葉も声にしたかったけれど、あまりの衝撃で言葉を失った。それに、またドン引きされてしまうのは嫌だ。
可愛すぎる。いや、美しすぎる。尊い。
もう俺、今すぐ死んでも後悔しない。あれ、鼻血出てないよな?
思わずそっと鼻を触る。代わりに鼻水が出ていた。一時間も待っていたのだ。でも今は寒さなんて微塵も感じない。むしろ、身体中が熱い。
着付けも時間がかかるだろう。それなのに、わざわざ着て来たというのは俺のためだろうか。俺が邑子さんの着物姿が見たいと、なぜわかったんだろう。
「あけまして、おめでとうございます」
邑子さんが後ろ髪にそっと手を添えながら言った。
「あっ、あけましておめでとうございます!」
なんてすばらしい新年の幕開けだろう。今なら、どんな困難さえも超えていけると強く確信できた。
あんまり邑子さんをじろじろ見てはいけない。そうわかってはいるものの、ついくぎ付けになってしまう。美しいのだから、仕方がない。
邑子さんのうなじが見える。うなじが……見える。やっぱり俺、きょう死んでも絶対に後悔しない。
だけど、うなじを見て喜んでいるのがバレたら、もう二度と俺とは話してくれないだろう。とにかく、嬉しさを堪えて冷静を保つ。
「和服が好きなんだけど、あんまり着る機会がなくって。毎年、お正月には着ているんです」
……俺のためではなかった。当たり前か、とつい自分に笑ってしまう。
「そうなんですね! めちゃくちゃ似合ってますよ! 毎日着てもいいと思います!」
毎日はちょっと……と邑子さん。また髪に手をやり、視線が泳いでいる。
困らせてはいけない。きょうは、きょうだけは。ただ、邑子さんにとって楽しい日にしたい。
「着付け、できるんですか?」
とっさに話題を変えた。
「はい。母が着付けできるので、教わりました」
すごい。さすが邑子さん。俺も練習したら、着られるようになるだろうか。帯の結びを見て、難しそうだなと思う。
一輪の花が咲いているような、邑子さんの存在感。邑子さんが、ますます好きになる。
邑子さんの話し方。仕草。雪がゆっくりと溶けていくような優しさを感じた。おまけに、いい匂いがする。他の人たちが霞んで、俺には邑子さんただひとりだけしか見えない。眩しい。眩しすぎる。
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