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第二章 三窪恭介は全力で恋をする

第七話

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「すみません、バカにはしてません。ただ、気になって。……恋ってなんですかね」
「人間の感情はわからん」
「邑子さんのこと、よく考えたら俺、なにひとつ知らないんです。だけど、めちゃくちゃ好きなんです」
「どういうところが?」

 俺は初めて会った日の、邑子さんの横顔を思い出した。儚げで、悩ましい表情。寂しさ、虚しさを感じた。

「悲しい目をしていたんです、初めて会ったとき」
「つまり、悲愴に満ちた女が好きってことか」
「違います」

 邑子さんは、哀しそうな表情で本を見ていた。きっと、この人には誰か好きな人がいる。いつだって、どんなときだって思い出してしまうくらい、大好きな人が。俺には絶対に越えられない大切な人が。そんな気がして、目が離せなかった。

「俺が悲しみをなくしてやるとか、そんな大それたことは言えないです。俺、男前じゃないし」
「わかってんじゃねぇか」
「邑子さんの悲し気な顔が、ずっと頭から離れなくて。笑ってほしいなって思ったんです」
「笑ってほしい、ねぇ。……きょうは、酒ないの?」
「ないです。買って来ましょうか?」

 猫神様は大きなあくびをすると「いや、いい」と言って、また横になった。もうチャーハンが消えている。

「どうしてその邑子じゃなきゃダメなのか、オレにはわからねぇな。女なんて、世界中いくらでもいるだろ」

 自分の気持ちを、うまく言葉にできなかった。邑子さんは、確かに美人だ。一つ一つの仕草が丁寧で、まるでハープを奏でる天使のように見える。大した話はしていない。なにが好きで、なにが嫌いか。今までどんな経験をして、なにが嬉しかったのか悲しかったのか。俺はなんにも知らない。

「邑子さんは高嶺の花で、俺なんかが頑張ったところで手は届かないのかもしれませんね」
「だから、人間はオレに願うのさ。神様、仏様ってな。誰かに願いを叶えてもらおうなんて、ちゃんちゃらおかしい」

 僕はびくっとして、猫神様を見た。相変わらず、柔らかそうなお腹を見せて毛づくろいに集中している。

「誰かがなんとかしてくれるなんて、期待するな。誰かに幸せにしてもらおうなんて考えてねぇで、自分で自分を幸せにしろ」
「かっこいい……。名言、いただきました!」
「お前、本当にバカだよな」

 へへ、と笑うと鼻水が出た。手で拭い、湯気が立ち込める山盛りのチャーハンをスプーンですくう。
 ひとりじゃないって、いいな。そんなことを思いながら、口にチャーハンを放り込む。
 田舎から都会に出て来てひとり暮らしをはじめたばかりのとき、この部屋でご飯を食べていると寂しくて、泣きそうになった。ずっと、ひとりの世界に憧れていたはずなのに。
 幼い頃、父さんは仕事で事故に遭い亡くなった。それ以来、母さんが必死に働いて俺たち3人の子を育ててくれた。母さんは看護師だ。夜勤もあるし、不定休なので、祖父母の家によく預けられていた。妹弟の世話もあり、いつも誰かと一緒だった。鬱陶しいなんて思ったことはないが、ひとり暮らしがどんなものか憧れていた。でも、全然いいものじゃない。生活する大変さを身に染みて感じる。

 大学も2年目になり、友達はできた。でも、大学とバイトと家を行き来するだけで、遊びとは無縁の生活をただ繰り返している。だから部屋に誰かを呼んだのも、きのうの杏子ちゃんが初めてだった。
 時々、漠然と田舎に帰りたいと思う。自分がなにを目指しているのか、よくわからなくなる。都会は息もしづらい。大学の学生たちともなんとなく話が合わなくて、地元の友達が懐かしいときもある。
 母さんは、俺が県外の大学を志望しているのを知っていた。志望していたけれど、行かないと決めていた。母子家庭の俺が、しかも3人も子がいる家庭の俺が、大学なんて望めない。高校を卒業したら働くのが親孝行だとわかっていた。でも、理解はしていても本音は行きたいと願っていた。

「自分が進みたい道へ行きなさい」

 母さんの一言で、家族を置いて飛び出した。
 俺の家は裕福な家庭ではなかったが、家族の繋がりは強い。父さんがなくなってからも父方の祖父母、母方の祖父母がいつもよくしてくれた。だから、幼い頃から寂しさなんて感じたことが一度もなかった。
 それなのに、都会は寂しい。
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