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第二章 三窪恭介は全力で恋をする

第二話

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 邑子さんは、俺が務めるバイト先の常連客だった。俺のバイト先はレンタルDVDや書籍を取り扱う店だ。
 邑子さんに出会ったのは忘れもしない、今年の春。桜はもう散り、青い葉だけが残る季節だった。
 今でも鮮明に覚えている。書店に入った瞬間から、邑子さんはひとりだけスポットライトを浴びていた。
 このとき人気絶頂だった『いとしく想う』が店に大量入荷され、邑子さんはその本を手に取っていた。本を持つ彼女の、指の一本一本が美しかった。

 書店員が、本の感想を書いて客の購買欲を高める。『いとしく想う』のPOPには〈こんな純愛、今はない。あなたも誰かのことを想ってみたくなる一冊!〉と目を引くよう大きく書いてあった。彼女はじぃっと、穴が開くほど見つめていた。
 彼女が手に取って戻した本を、俺が買った。大量に山積みにされた本の中でも、邑子さんが触れたただ一冊だけ、大粒のダイヤモンドのように輝いて見えた。鉱山から宝石を掘り当てたような気分だった。
 本を立ち読みしていた邑子さんの横顔が、忘れられなかった。本を見つめる儚げな視線と、黒く長い漆黒の髪。黒髪をより強調したのは、しっとりとした白い肌だ。まるで、現世の白雪姫のように見えた。桜の花びらのような爪先も、脳裏に張り付いて離れない。

 邑子さんが去った後、俺はどうしても彼女にこの胸の高鳴りを伝えたかった。思い切って、POPに付け足した。〈この前立ち読みしていたお姉さん。横顔がとても素敵でした〉と加えたら、店長に「次やったらどうなるかわかるな」と言われてしまい、しぶしぶ元に戻した。さすがに、バイト先を失うわけにはいかなかった。

 一目惚れなんて、絶対にしないと思っていた。一目惚れとはつまり、外見に惹かれただけだから。でも実際は違う。邑子さんに一目惚れしてよくわかった。彼女の美しさは、外見だけではない。彼女の内面からにじみ出る美しさが、外見をより輝かせているのだ。あんなに美しい人が、性格ブスなはずがない。おしとやかで、上品で、きっと誰に対しても優しい。地上の天使とはまさに、彼女だ。
 俺は話したこともない邑子さんに、絶対的な、根拠のない自信を持っていた。

 邑子さんは、週に数回バイト先に現れた。最初は、見ているだけでよかった。きょうは来るかな、あしたはどうかな、と毎日そればっかり考えていたくらいだ。
 でも次第に、見かけるだけでは不満になっていった。
 声をかけたい。話したい。近づきたい。
 夏休みが始まる前、俺は邑子さんにどうやって声をかけようかとうずうずしていた。居ても立っても居られない。日に日に増していく自分の中の想いを、もう留めておけなかった。しびれを切らし、担当でもないのに邑子さんがレジに立ったとき、すかさず俺が横入りをしてレジを打った。

「この前『いとしく想う』を立ち読みしてましたよね?」
「そう……でしたっけ……?」

 小さい声でそう言って、お金を払うと逃げるように帰ってしまった。

「ナンパしてんじゃねぇぞ」

 三浦さんにコツンと頭を叩かれる。あれは結構痛かった。本気だったと思う。
 三浦さんは社員さんだ。大学を卒業後、2年働いている。

「……すみません。でも、どうしても声かけたくて」
「俺もやったことあるけど、男性店員が女性客をナンパするのは結構難易度高いぞ」

 今度は三谷先輩が言う。その言葉に、三浦さんはため息をついた。

「お前らがそういうことするから、俺もバカ呼ばわりされるんだよ」

 三窪、三浦、三谷。俺たちは通称、バカ3トリオと呼ばれている。

「でも俺、彼女が好きなんですよ」
「一目惚れだろ。結局顔じゃん」

 三谷先輩に、痛いところを突かれた。思わず「うっ」と胸のあたりを押さえる。

「でもでも、一目惚れって実際は内面からこう、ぐっとなんか。ぐっと来るもの、あるじゃないですか」
「……お前、なんか変態っぽいよな」

 三浦さんは、彼女がいない歴=年齢な人らしい。女性スタッフに囁かれているのを聞いた。本人には、怖くて本当のことかどうか聞き出せていない。

「今度、俺の大学の後輩と合コンやるんだけど、お前も来いよ」
「遠慮します。三浦さんを誘ってください」
「彼女、だいぶ年上だろ? もっと若くていい子、いるって」

 このとき三谷先輩はまだ就活中だった。就活が終わったらバイトで稼いだお金を使って、卒業旅行は優雅に海外へ行くらしい。学生最後、パーっと遊ぶための女も必要だと言っていた。

「年上とか年下とか、関係ないですよ」

 年齢を引き合いに出すなんて。恋愛は、年齢ではない。好きという気持ちがすべてだ。

「はい、目の前で堂々とさぼるな。しゃべるなら、休憩時間。合コンとか遊んでばっかりいたらダメだからな」

 三浦さんは休憩へ行った。本当は、合コンに誘ってもらえなかったことが悔しかったのだろう。普段はふざけていても怒られないのに、恋愛が絡む話になると注意してくる傾向がある。現に、この後しばらく口を利いてもらえなかった。合コンの主催者は俺じゃないのに。とんだとばっちりだ。

「お前、今いくつだっけ」
「20です」
「仮に、あの人が35とかだったらどうするんの?」
「なにがいけないんですか。いいじゃないですか、35」

 三谷先輩は「マジかよ」と身震いしていた。
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