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雪の夜の参拝者

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 ふわり、ふわりと羽毛のような雪が降りて来た。空を泳ぐように舞い、遊んでいる。小さなひとつひとつに、命が吹き込まれているみたいだった。
 目の前に漂う雪に、つい手を伸ばしてしまった。触れたら消えてなくなる。一瞬だ。わかってはいるけれど、やっぱり触らずにはいられない。もどかしい。
 どおりで寒いわけだ。そうか、初雪か。
 あくびをすると、雪よりも濃く白い息が目の前に広がった。
 雪がそっと鼻先に乗る。白い姿を確かめる前に、オレの体温であっという間に溶けて消えた。でも、まだ鼻先にあるみたいに冷たい。オレの尻尾が微かに揺れる。

「恋なんて……」

 女の声がした。耳元で囁かれたみたいに、ゾクっとした。全身の毛が逆立つ。
 びっくりして、声の方を見る。人間の気配なんて、さっきまでなかったのに。

「恋なんて、いらない」

 女は覚束ない足取りでゆっくりと鳥居を超え、やしろの方へ近づいて来る。
 雪は静かに降り注ぐ。世界中の音をかき消していくようだ。ただ、女だけを置き去りにして。
 女は身体を小刻みに震わせながら、賽銭をそっと投げ入れた。そして言った。「もう二度と、恋はしません」と。

「だからどうか……お願いします」

 賽銭箱の前で、女はしゃがみ込み空を見上げる。雪はさらに勢いを増し、あらゆるものを白で染めていった。女の吐く息が見える。もう日暮れなのに、明るく見えるのは雪のせいだろうか。
 黒い髪に、腫れた瞳。頬には涙の跡。ここに来るまでにずいぶんと泣いたようだ。
 女にそっと近寄ると、オレの首輪の鈴が揺れた。

 ――リン。

 女と目が合う。

「あなたが……猫神様?」

 自分でそう言っておいて「そんなはずないよね」と悲しそうに微笑んだ。
 女は震える指先をオレに伸ばす。
 触らせてなるものか。
 オレは尻尾をゆらゆら揺らして、警戒している素振りを見せた。
 女はなにを思いついたのか、肩から下げていた鞄の中に手を入れる。カサカサと音がした。すぐに、小さな小袋を取り出す。煮干しだ。
 若い姉ちゃんのカバンから煮干し。なんで、そんなもの。
 バカにしたところで、どうせ女には聞こえない。女は笑顔で「ほら」と煮干しをオレに差し出して手招きしている。心の中で散々バカにしてから、煮干しを口に咥えた。
 女から、小さな光の玉が踊るように飛び出す。雪とじゃれ合いながら漂うと、オレの首輪の鈴の中へと消えて行った。

「雪みたいに、真っ白だね」

 煮干しを食らうオレを見て言い、女は立ち上がった。
 さっきとは別人のような軽々しい足取りで、神社に背を向け歩いていく。オレはただじっと、女の後ろ姿を見送った。
 煮干しが口いっぱいに広がる。うまかった。

* * *

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