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カエル化姫と好きだった人
傷だらけの恋心
しおりを挟む毎朝ベッドの上で目を覚まして、天井が自分の家のものでないことに気づいて落胆する。
それから手を上にあげて毎朝薬指を確認して、あの日のことが夢でなかったことを確認するのだった。
つまりそれは、ママがもういないということだ。
瑠璃也から改めて指輪をもらってから数日経つ。
瑠璃也は学校や仕事終わりに、毎日サロンまで迎えに来てくれる。そして、瑠璃也はしつこいくらいに、毎朝言ってくるのだ。
「逃げるなよ、ちゃんとここに帰ってこい」と。
私は抵抗することも反抗することも面倒になっていた。
だから、
「逃げないよ」と投げやりに答えるだけだ。
瑠璃也に迎えに来てもらい、そのまま一緒にご飯を食べて帰る。
「夜は何食べたい?」
と言われて本当は何も食べたくないけれど、適当にお菓子の名前を答えると、瑠璃也は分かったと言って、ご飯屋さんに連れて行ってくれるのだった。
「アイス」
と答えれば、ラーメン屋に連れて行ってくれて、
「チョコレート」
と答えればイタリアンに連れて行ってくれる。その関連性は不明だけれど、心配してくれているのだけは、分かった。
ママがいない現実は、ある日サロンで身につまされることになる。比較的最近入って来てくれたスタッフが二名やめると言って来た。
ママの施術に感銘を受けていたから、ママがいない今、サロンに残る意味を感じないし、やりがいを感じないというのだ。残念だと思ったし、私の人望のなさを痛感したけれど、どこか他人事でぼんやりと対応している自分がいた。
私もまた、ママのいないサロンに意味を感じられないのは、確かだったからだ。けれど、ある人物の来訪により、私はぼんやりと日々を過ごすことも不可能になる。
その日は予約客が途切れたので、備品のチェックやベッドメイクをしていると、店の入り口ノベルが鳴った。誰かがやって来た気配があり、私は入り口に向かう。
基本的には飛込客は受け入れていないけれど、空き時間には短い施術を受け付けることもある。
受付に行き、来訪客を目の当たりにしたときに、全身が総毛立つのが分かった。
いらっしゃいませ、と本来なら反射的に口に上る言葉が、全く出てこない。目が合い、その人物は私に言う。
「久しぶり、白那」
その人は色素の薄い瞳は好奇心で光っていて、口元はいつも笑みを浮かべている。ツンっと上を向いた鼻や、上がり眉を持つ、やんちゃな顔つきをしているのだった。
口調も仕草も、そして容姿も、当時の面影がしっかりと残っていて、五感からその人の記憶が蘇って来る。
私が高校卒業して本格的にここで働きだしてからは、あまり来なくなっていた。
「驚いた。しばらく来ないうちに白那、めちゃくちゃ綺麗になったじゃん」
峰蒼真(みね そうま)はそう言って来て、受付越しに私の髪に触れてきた。慌てて、身体を後ろに退くけれど、
「避けんなよ」
と低い声で言われ、手首を掴まれる。身体がサッと冷えていくのを感じた。
「離して」
と歯の根が合わない状態で言うと、蒼真は笑う。悪びれる様子もなく、
「朱那さんと似てんな」
と言うのだ。
ママの名前を出されたことに動揺してしまった。だから、次の瞬間に蒼真が顔を寄せてきて、唇に噛みつくようなキスをしてきたときも、棒立ちのまま、抵抗するのを忘れてしまう。
角度を変えて強引に深く入り込んでこようとするのが分かり、腕で手を押すけれど、離れない。やめて、と声にならない声で言い、舌を噛む。ビクっと身体を離した蒼真は、こちらを睨みつけてきた。
「何すんだよ」
と言うけれど、別れているのに、出会いがしらにこんなことをしてくる方がおかしいのだ。私は受付から逃げて施術室に戻る。そして、追って来た蒼真にあっさりと捕まり、施術ベッドに引き倒された。
「朱那さんが亡くなったって聞いた」
と言う。
その言葉に少しだけ悲しみが含まれているのを感じたから、抵抗しにくかった。
蒼真のお父さんはサロンの出資者だ。その関係でかつては蒼真がサロンにやって来ることも多かったのだ。長い休みには、サロン併設のカフェにバイトに来ることも多かった。
一緒に働く中で、私は彼に好意を抱いて、彼から告白されて付き合うことになる。当時は、蒼真の明るい笑顔や屈託のない仕草が好きだった。
でも最近は、蒼真が来れば、「早く帰って欲しい」といつも思う。
蒼真に組み敷かれて、服の上から胸を揉まれた。
「なんかエロ。でかくなってない?」
スタッフウェアのお腹側の裾から、蒼真の手が入り込んできた。身体はすっかり固まってしまい、抵抗力を失う。素肌の胸に触れられた瞬間、どうにでもなればいいと思った。
蒼真はママが信頼していた人の息子だから、どんなことをされても、ママだけは知られたくなかった。だから別れてから、蒼真がこうやって来ているのもずっと隠していたのだ。
でも、ママがいない今、蒼真に何をされてもどうでもいい。
蒼真の肩から、黒いもやがたちのぼっているのが見えた。
このもやは蒼真が来るときには、いつも、ある。
ベッドの上で無抵抗になっている私に退屈したのか、蒼真は舌打ちをして、今度は私のボトムスのボタンを外し、今度は足のすき間に手を這わせてきた。下着の縁から指を入れる感覚に、身体が反射的に跳ねる。
「まだ処女?不感症だもんなー」
不躾なことを言われるのも、貶されるのも慣れている。蒼真からすれば、私は期待外れの奴なのだろうから。私が首を横に振ると、蒼真の目つきが変わった。
「え、マジで?」
と小さく声をあげる。
どうしてそうなったのか、忘れてしまったけれど、瑠璃也としてしまったことがあった。私はお酒も入っていて感情が高まっていたから、前後の記憶は曖昧だ。ただ、そのとき、瑠璃也に触れたらいけないと思ったのを覚えている。
触れたら、綺麗な瑠璃也が汚れてしまうような気がした。追い払おうとしたのに、結局は、とことんまで触れつくされたように思う。
瑠璃也は蒼真みたいに、胸や足の間をすぐに触ってこようとはしないし、まるでケーキ作りでもするように、丁寧で柔らかなタッチで身体を確かめていった。
何度も私の名前を読んでいて、心配そうな顔をしていた気もする。いつもの不愛想な雰囲気とは一変して、最後まで、優しすぎて、甘かったのだ。
翌日自宅で目覚めて、気怠だとともに前日の行為を思い出したとき、ああ、きっと瑠璃也はこれが目的だったんだな、と私は思った。
優しかったのは、目的に手が届いたからだ。
すごく悲しくなった。こんなことしなければ、関係が曖昧なままならば、瑠璃也は綺麗なままで、好きな顔の人のままでいられたのに。
私に触れたから、瑠璃也は汚れてしまった。
好きだった蒼真が、思い通りにならない私に幻滅したように。してしまえばきっと、瑠璃也も私に幻滅する。嫌われる。
だから、嫌われる前に、嫌いたい。
その後しばらくは、瑠璃也の連絡を無視してしまった記憶がある。
「マジかぁ。今度こそ初めてもらってやろうと思ったのに、ビッチになっているとは。不感症に手間かけようなんて、物好きいるよなぁ」
ふざけた口調で平気で貶してくる。下着の中の手をどけて欲しくて、私が手をおさえると、蒼真は、わざと敏感な部分を触れてきて、
「そんじゃ、ちょっとは感じるようになった?」
と言ってくるのだ。ゾッと背筋が寒くなる。
嫌で、嫌でたまらない。今の蒼真は、私のことが好きなわけじゃなくて、気まぐれに遊びたいだけだ。
私の反応を見たいだけで、興味本位で触れてきているのが分かる。元々好きだった人に、バカにされているのは分かるのは辛い。
「触らないで」
「あのさ、そんな物欲しそうにして、触らないでっていうのは、やりたいって前振りじゃん?」
「違う」
「白那の触らないでは、誤解する奴が多いこと、自覚した方がいいと思うけど。誘ってるみたいに見える」
蒼真は好き放題言っているけれど、私をからかうためだけに、来たとは思えなかった。何かして欲しいことがあるときは、導入抜きに、「してよ」と言ってくるのだから。
「何しに来たの?」
「店の権利をもらいに来た」
まさに青天の霹靂で、私は蒼真の顔を思わず凝視してしまう。
「朱那さんと親父は事実婚関係だったんだよ。共同出資で、事実上は共同経営者だったんだ」
「それ、お父さんが言ってたの?」
「そう。親父は昨年死んでるから。店のことは頼むって言ってた」
「だとしても、今ここはママのお店だから、あげるわけにはいかない」
「そんじゃ話は少し面倒になるけど、俺が権利を買い取る。白那はこれまで通りスタッフとして働けばいい」
「そんなの無理だよ。蒼真の下で働くなんてイヤ」
私がそう言ったら、蒼真は一度唇を噛んで、ほんの少しだけ恥ずかしそうにするのが分かった。高校生の頃に、告白されたときにも、蒼真はこんな顔をしたな、と思う。ただ続いて出てきた言葉は、私の想像の上をいっていた。
「じゃあ、俺と結婚すれば」
「は?」
「そしたら、白那を共同経営者にしてやるよ。今まで通り自由に店を運営すればいい」
「何言ってるの、結婚なんかしない」
「いいじゃん、俺のこと好きだったんだろ。中でするのは、無理だったけど、色々してくれたじゃん。割と最近まで」
蒼真の言葉に息が苦しくなる。
仲がいい友達だったのに、付き合うことになったとたん、「しよう」と迫って来た蒼真を前に、私の身体は石のように固くなった。
好きだったけれど、どこを触られても痛くて、蒼真がしたい「人並みの行為」は無理だったのだ。
最初は「初めてだから仕方ねぇよな」と言っていた蒼真も、何度試しても無理だと分かると、苛立ちを露にしてくる。
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と言われて焦りと苛立ちをぶつけられるから、
「分かってるよ、蒼真がどうしたいかは分かってる、でも……」と告げるだけだ。
会えばすぐに脱げよって言われて、ダメだと分かると、舐めろになる。どんな方法を取ろうとしても無理だと分かると、代わりに蒼真が求める「マッサージ」をすることになった。
これまでは、一緒に話をするだけで嬉しかったし楽しかったのに、付き合ったとたんに、いつも、「マッサージ」をしなければいけなくなる。
そして結局、「期待外れ」と言われてフラれた。
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