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2年前(キスの始まり)
約束違反
しおりを挟む不思議なことがあると思う。
付き合うことを意識していなかったはずなのに、付き合うということになってしまうと、何かが変わるらしい。
クラスメイトとして接すること、友達として接することと、付き合うことにどんな差があるのだろう、とわたしは考え始める。
好きな人と付き合うという理屈は分かっていたけれど、その好きな人というのは、話すのが嫌ではない人というのと同義でもあり、特に差別化はできない気がした。
ただ変わったことがあるとするなら「途中から一緒に登校しよう」という石関くんの提案くらい。
といってもわたしの家と石関くんの家は、方向が違うから合流地点は、ほとんど学校の近くだ。学校の近くで待ち合わせをしていると、クラスメイトや部活のメンバーに見つかって茶化されることもあった。
そして、わたしはこれが付き合うってこういうことなんだ、と知る。
対外的な証明。
証明する中身をわたしたちは特にもっていなかったけれど、(キスしたことがあるくらい?)付き合っていることを話題にされると石関くんは、どこか誇らしげに振る舞うようにわたしには見えていた。
付き合っている証明は、何か権力があるのかもしれない。
石関くんと手をつないで登校することが日課になった。ときどき、手をつないでいると、ぞわっとすることがあったのだけれど、それを石関くんにいうことはできなかった。
そうした日は、大抵家に帰るとうつがやってくるのだ。
うつと、石関くんに接触したときのわたしの違和感は関係があるようだった。でも、キスをしなければ、あの恐ろしいものは見えない、と思うことで、わたしは安心していたのだ。
石関くんの手に触れること自体はいやじゃなかったし、女友だちと手をつなぐのと何も違いはないと思った。付き合うというのは、別に友達と変わらないのは本当だと思っていたのだ。
ただ、石関くんはそんなわたしの気持ちは知る由もなかったのだと思う。
うつがやってきたことで、わたしの身体は少し変わった。
単純に言えば重くなった、と自分で感じるようになったのだ。
細くて軽いということを自分の特徴だと思っていたわたしには、ちょっとした驚きだった。
ただ、周りを見渡せば、女性的といわれるような体形に変貌を遂げている同級生はたくさんいて、華麗なる変身を目の前にした男子に影でその特徴をささやかれている子は少なくないようだ。
男子からすれば、同じように育ったはずの女の子が、実は自分たちと同じじゃなかった、ということへの驚きを隠せないからなのかもしれない。
見かけ上はあまり見せなかったけれど、石関くんもその類だったみたいだ。女子の変化への話題にはこっそりと混ざって、好きとか嫌いとか以前に、変化の度合いの大きい女の子への興味を示す。
こういうのは、好奇心からくる自然な反応なのかもしれないけれど、わたしは見てみぬふりするしかない。
なにも、自分で決めて変化するわけじゃない。
保健の授業のように、女性ホルモンが子どもを産む準備をしているとかいわれても、実際準備できたからって今子どもを産んだら、本人も周りが困るよね、というのがわたしの感想だ。身体に柔らかいお肉がついて、胸が大きくなっても、腰が丸くなっても、ファッションを楽しんだり、グラビアアイドルで活躍したりする以外に、お得なことがあるとは思えない。
身体の変化はきっと、今のわたしたちの生活に合ってない。もう少し男子と変わりのないままでいいのだと思う。学校に何個かいって、就職して子どもが欲しいと思ったときに初めて、別の身体になればいいのに、と思うのだ。ホルモンが勝手にわたしの身体を作り替える権利ってどこにあるの?とも思った。
夏の大会では、自己ベストを更新したけれど、部活のメンバーの中では中の下の成績だったわたしは、すっぱりと切り替え受験勉強をすることにした。学校から配布されている問題集を何度となく解き、飽きたら本屋で新しい問題集を探す。
そんなサイクルが出来ていた中で「一緒に勉強しよう」といってきたのが、石関くんだった。
放課後や休みの日に図書館の自由室や駅前の自習スペースで一緒に勉強することが増えたのだ。ときどき瀬能くんや寧々が一緒になることもあったけれど、休みの日はふたりきりになることも多かった。
休みの日は、平日の一緒にいって勉強して解散するというスケジュールから、カフェやファストフード店での多少の息抜きの時間も増えて、少しデートみたいな雰囲気もある。ただ、していることは友達としている遊びとあまり変わりがない。
浪速さんは新しい彼氏ができるたびに、ショート動画投稿アプリで、キスショットや動画をアップしているらしい。彼女の場合には、日常の投稿の一環として投稿しているみたいだ。ただ、彼氏ができたとたんに投稿が増えたり、逆に別れたとたんに投稿が減ったりするなんていうのは、よくあることらしい。
付き合っていることの証明には色々な方法があるんだな、と思う。
石関くんは、手を繋いだり一緒にいる時間を作ったりすることに、証明を求めているようだった。
一人っ子であることもあるのか、ひとりの時間が苦ではないわたしは、石関くんから誘われなければ、自分からはこれほど一緒にいようとはしないだろうな、と思う。
自習室での勉強を早めに切り上げた休みの日に、カラオケに寄ろうと石関くんが言い出したことがあった。クーポンがあるし、ワンドリンクで2時間だけ遊ぼうということになったのだけれど、その日わたしは決定的に自分と石関くんとの感覚の違いを目の当たりにしたのだ。
最初は新曲をどんどん入れて歌っていた石関くんだったけれど、途中からスローテンポになり、妙に身体を寄せてきて、密着するようになった。
後30分くらい、というときになって、カップルっぽいことをしたい、という。
「カップルっぽいこと?」
とわたしがいうと、石関くんは覗き込むようにして、わたしを見つめてくる。
ハッとするような眼力があることに本人の自覚はないと思う。
ただ、わたしはそのとき彼の眼力で停止したのは間違いない。
石関くんの腕が背中に回ってきて、胸と胸とがくっついた。石関くんのシャツ一枚の胸は温かかくて、心地いい。
子犬たちが一つのところに集まって眠るように、何かに触れていることには安心できるし気持ちがいいのだと思った。
けれど、石関くんの手のひらが胸に伸びてきたことで、何か別の気配を感じとる。
わたしたちは見つめ合って同時に息をのんだ。
わたしは、これはどうなるの?
と問いかけた。石関くんは自分のしたことがどんなことなのか、分かっているけれど、戸惑っているような顔をしている。
そして、顔を寄せてきたので、わたしはハッとした。難しいことをしようとするときに、いったん経験したことのあることを一度迂回させる。石関くんがしようとしたことはそれだ。
唇に湿ったものが当たり、わたしは石関くんの目を見る。これは約束違反だった。
ぎゅうっとお腹の奥が絞り込まれる感覚があって、血管がぐいっと広がる気配がする。どくどくと強く脈打つのを感じた。
いくつもの手がやってきて、欲しい欲しいといううめきながら、左右から引っ張り合ってわたしの身体を半分に割こうとする。
苦しいとか痛いとかそういう感覚ではなくて、気を抜けば眠りの前の意識を手放してしまいそうなコントロールを失う感覚に近い。
けれど、こんな怖い生き物を前にして、気を抜いて眠ってしまうわけにもいかないのだ。
「うらぎりもの」
わたしの口から出たのは、ものものしい言葉だった。手をたくさん持つ石関くんは、きょとんとしてわたしの顔を見ている。
そのとき、終了10分前を知らせる電話が鳴った。石関くんの何本もの手は消え去り、うめき声は消る。わたしは転がるようにして電話にでて「はい、オシマイにします」といった。
そしてオシマイにするのは、石関くんとの関係かもしれない、とも思っていたのだ。
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