31 / 51
第三部
幻の記憶をおって
しおりを挟むフィアはあまりの驚きに、目を見張る。
綺麗に割れた腹筋や引き締まった胸元が見えて、息を飲んだ。
そして、ぼんやりと見ている場合じゃない、と思う。
目の前の相手であるゼクスもまた、同じく驚いた様子だった。気づけば、二人してベッドの上にいたのだ。ゼクスの視線が泳ぐので、フィアは何?と尋ねる。
「隠していただかないと、色々差支えがあるな」とゼクスは言い、フィアに掛布を差し出してきた。
「え?」
フィアは即座に自分の姿を確認して、悲鳴をあげそうになる。何も、着ていないのだ。そして即座に渡された布を身体に巻きつける。状況を把握するために懸命に頭を働かせた。
二人で地下国に降りたったはずだ。夜空しか見えない、地下の国に降りたち、そして、青銅の門をくぐった。そこまでは覚えているが、その先の記憶がない。
「な、なにこれは?私の願望なの?」
「願望?」
「ごめんなさい!私、何かいけないことを、したの?まさか、私が無理やり服を剥ぎ取って?」
フィアが慌てながら聞けば、ゼクスはなぜか吹き出すのだ。
「フィアは自分が何かする側だと、思っているんだな」と言う。
「だって、あなたのような人が、私に何かするようには思えない」
「それは、信頼か?それとも、男としてあなどっているのか?」
「そ、そんなことは。でも、紳士的だし、強引に相手をどうこうするとは思えない」
「随分と評価が甘いな」
とゼクスは言う。彼が身体を動かせば、おのずとその全身が見えて来てしまうので、フィアは思わず、
「あ、あの、隠してもらってもいい?」と言わずにはおけない。
「何か、差し障りがあるのか?」
「あるでしょ!」
「まとえるものがないんだ」
と言うので、フィアは自分の身体を包んでいる掛布の一端を差し出し、覆うように言う。おのずと距離が近づき、フィアは気恥ずかしい心地になった。
なぜこんな状況になっているの?とフィアは思う。そして、辺りを見回した。
ここは、どこかの部屋だ。思えば騎士団の寮に似ているようにも思えた。窓の外を見れば、夜の帳が降りている。
同じようにゼクスも窓の外を見た。
「まだ、夜だな。リウゼンシュタインが去る前夜だ」
「なぜ、それが分かるの?」
「リウゼンシュタインがここにいたのは、その夜だけだからだよ」
「ここにいるのは、なぜか、私だけど」
「そうだな。そして」
フィアの首元を見て、ゼクスは、自身の口元を手で覆う。「事は起こった後、か?」と自問自答するように、呟くのだ。
そのとき、何が目の前を走り抜け、二人で同じように視線を走らせた。ドアの隙間から部屋の外へ逃げていったのは、狼のようにも見える。
見つめ合い、「追おう」と合図を送り合う。
「十秒で着替える」とゼクスが言い、咄嗟に「それは厳しいでしょ」と答えるのだが、散らばっていた服を確認する。身体はすでに動いていた。
最後の上着だけは、「逆だ」と言って、交換される。袖を通して、部屋を出た。
「十五秒だな」と告げられ、「善処したと思うけど」と言い訳する。こんなやり取りをゼクスとした記憶はない。けれど、なぜか身体が自然と反応するのだ。
「白銀の狼に心当たりは?」
「分からない。本当の獣か、あるいは、私のような異形かもしれない」
ひょっとしたら、あの姿は?と思い当たる節はある。ただ、現実的な発想ではない、とフィアは思う。
廊下の外には人の気配はない。廊下を走り抜けていくと、そのうちに景色が変わって来る。どこかの屋敷に行きついた。煌びやかなドレスを身にまとったご婦人方と、紳士たちがタンスをしている光景が広がっている。
「ここは?」
「レビー家の婚約パーティだな。シュレーベン家としても懇意にしていた家だが、恐らくこのときは騎士団の任務で来たときだろう」
「あなたの言いぶりからすれば。これは、過去なの?」
「恐らくは。フィアは覚えていないようだが。着替えているようだ、ちょうどいいな」
とゼクスが言う。
「え?」
見れば、自分の服装が変わっているのに驚く。若草色のドレスを身にまとっていた。
「よろしければ、私と踊っていただけませんか?」と、お辞儀をしてうやうやしくゼクスが言う。
「え?これは、どうして?」
面を喰らっているフィアをよそに、手を重ね、ダンスホールにエスコートしていく。
「あ、あの。私、ダンスはそんなに得意ではないの」
「いや、身体は覚えているはずだ」
と言って、ゼクスは身体を寄せてきた。二人がフロアに入っていけば、周囲の目が釘付けになる。フィアはなぜか、どこに手足を動かせばいいのか、分かるのだ。
「ダンスって心地いいのね。不思議、身体が自然と動いた」とフィアは言う。
「それならよかった」
とゼクスが言ったそばから、再び二人の視界をなにかが駆け抜ける。
今度こそハッキリと目視したそれは、白銀の狼だ。狼は、ホールを抜け、屋敷の出入り口から、外に出て行った。あ、と二人して声をあげる。
「まるで誘い出されているみたい」
フィアはドレスの裾をたくし上げた。動こうとすると、絨毯にヒールが引っかかるように感じる。
「誘い出された先には、何があるんだろうな」
「それに。過去を見せて、どうしたいのかも、分からない」
「ビュンテ団長は本物の王が、ライア・ニュクスだと言っていた。それが関係しているのかもしれない」
「お母様が?」
「ああ。しかし、いずれにしても。まずは、追う」とゼクスは言う。そして、その靴では無理だな、と言い、フィアを抱きかかえた。
「ちょっと、ゼクス!?」
「急ぎたい。悪いが、その靴ではあてに出来ない」と言って、出入り口へと走り抜ける。屋敷から出たところで、再び場所が変わった。
高い天井には、天井画が描かれている。天井画には、人間を始めとして、有翼の人、そして巨大な姿の生き物から、不思議な姿の生き物、そしてなど、様々な生き物が描かれている。ホール上のその建物では、足を踏み入れれば石畳の床に足音が響き渡った。
「ここは?」
フィアにとっては、見覚えのない空間である。
「王都の聖堂だ。王の一族を祭っているとされている」
にわかに誰かが入ってくる気配があり、フィアとゼクスは顔を見合わせた。どこか隠れられる場所はないか、と思い、上階へと登る螺旋階段の影へと潜んだ。
身体を寄せ合い、即座に距離が縮まった。
「子どもの声がする」
とゼクスが囁くので、フィアも耳をそばだてる。
入り口から数名の子どもたちが入って来た。そして殿を務めていた人物が祭壇の前にやって来る。その人物は神官のような衣装を身につけていた。子どもを一人一人見つめていき、
「リオス、ルテナ、ロン、レア、ルミナス、ストイス、テルメス、ティアス、セオドア、マルキュリア、ゼクス」と名を呼んでいくのだ。
馴染みのある名が呼ばれるのを聞いて、フィアは思わず声をあげそうになり、ゼクスの手のひらで押さえられた。
視線を交わし合い、状況を把握する。ゼクスもまた、首を横に振るのだ。
「記憶にない」
と囁くように言う。
「お前たちに、託される。ただし、陛下は非常に気まぐれだ。誰に権利を託すのかは、誰にも託さないのかも、誰にも分からない」
陛下と呼ばれる人物は一体誰なのだろう?と思う。
子どもたちはそれぞれ、王から「神具を与える」と告げられて、剣や槍など武器の形をした神具を受け取っていく。
「この神具に光が宿った者が、次の王位を得ることとなる。陛下の期待を背負う者となるからだ」と告げられるのだ。
「王位?そのような不要な役割を背負いたくはありません」と口を挟むものがいた。灰褐色の瞳を持つ少年だ。
「ゼクスか。不要な役割とはなんだ?」
「王位です。私の代わりに他の候補者を入れてはいかがでしょうか。神具もお返しします」と言い、剣を王へと、返そうとするのだ。
「なぜだ?」
「何一つ欲しくはないのです。まったく、これっぽっちも心揺さぶられない」
「なるほど、王位は欲しくはないと?」
「そうです。あなたの行いも退屈だ。陛下のお伺い?そのようなもので、なぜ王位を決めるのです?相まみえたこともない陛下に、なぜ委ねるのか、私には理解できません。国民に、広く伺いを立てた方がよほど懸命かと」
周りの子どもたちは、またゼクスのイヤイヤが始まった、と口々に言いはじめる。
「陛下は圧倒的な力を持っておられる。どこにでも潜み、どこからも生まれる。一見魅惑的な姿を持ち、惑わせもする」
「それが、なにか?」
「惑わされない者に、可能性がある。惑わされた者は、ただの罪人になるのみだ」とその者は告げる。
「ゼクス、辞退は許されない。お前には力があるだろう?判断は陛下のみが行う」と言うのだ。
幼い少年は長々とため息をついた。
「選ばれないことを願います。」と言う。そして、子どもたちと、人物は去って行った。
残された二人は、螺旋階段の影から出て行く。
「あなたの名前が呼ばれていた」とフィアが言えば、「そうだな。しかし、なぜかまったく記憶にはない」と言うのだ。
「神具を渡していたあの神官は、現在のリュオクス国王だな」とゼクスが言うので、フィアは驚く。
「名前を呼ばれていた子どもたちに、覚えはある?」
「ない。ただ、これが過去であるならば。前戦争で消されていた記憶の可能性がある」
「前戦争は、お父様とお母様の。その」
喧嘩と言ってしまうのは、身内の恥のようにも思えたので、口に出来ずにいたら、ゼクスが口にする。
「家族喧嘩か?」
「え、ええ。エアハルトはそう言っていた」
「だとして、なぜ記憶を消すのだろうな。誰が記憶を消したのか。ビュンテ団長の言っていたことは、事のすべてだろうか」
「というのは?」
「フィアの母君は、一体どんなお人なんだ?」
「お母様?お母様は、九つの姿を持っているの。自分の身体を九人まで分割して、異形の姿、人の姿、他にも色々な姿になれる。ノインがそれを受け継いでいるわ」
フィアにはたしかな母の記憶はなかったが、父はフィアにそう言って聞かせていた。
「色々な姿になれるのか。例えば、リュオクス国王はフィアの母君の可能性は?」
「先ほどの?お母様の気配はなかったけれど」
と言いかけて、フィアは不意に、ゼクスを見つめる。
魔法を使える者からは、エネルギーが湧きあがって来る気配があって、すぐに分かるものだ。ゼクスから魔法が感じられるのはたしかだが、その気配には、どこか懐かしい香りが交じっていた。
「そういえば。今まで気づかなかったけれど、仄かに」と言って、香りに引き寄せられるようにして、ゼクスの肩口に顔を寄せていく。
「お母様の気配がある。どうして?どこかで、お母様に会ったの?」
と顔を上げて尋ねれば、「覚えはない」とゼクスは告げる。思いがけずに抱き合うかのような距離感になり、「ごめんなさい」と飛びのいた。
その様子をしげしげと眺めながら、ゼクスは、
「たしかに、不用意に近づくのは危険だな」と言うのだった。
「危険?」
「俺はときに強引な手をとるかもしれない、気をつけた方がいい」と言う。
「気をつける?」
「ああ。不貞を何とも思わない男だと思って、気をつけておいてくれ。踏み外せば、とことんまで行くだろうな」
と冗談とも本気とも取れないことを言うので、フィアは吹き出す。
「とことんまでって、何のこと?」
「幻の朝にまで」と言うのだ。
フィアは何のことだか分からなかったが、ゼクスがいつになく柔らかい表情だったので、思わず見つめ返してしまう。
「幻の、朝?」
8
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

あなたが「消えてくれたらいいのに」と言ったから
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
「消えてくれたらいいのに」
結婚式を終えたばかりの新郎の呟きに妻となった王女は……
短いお話です。
新郎→のち王女に視点を変えての数話予定。
4/16 一話目訂正しました。『一人娘』→『第一王女』

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる