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第一部
奇跡の結晶
しおりを挟むリュオクス国側の進行による被害状況はそれほど深刻ではなく、立て直しは容易だと、軍や騎士団を前に、テオドールは簡潔に述べる。開門し前線を引き上げる、と言うのだった。更に地下国の者たちを解放し、戦力にするという。
指示や通達を行った後で、テオドールは産屋のフィアの元へやって来る。全て知っているはずだが、
「すべて、産み落としたか?」とテオドールは不思議なことを聞くのだ。
「ええ」
とフィアが答えれば、テオドールは首を横に振った。
そしてフィアの手を取り、地下室へと連れていくのだ。そして、寝台へフィアを拘束した。
「何をするの」
「空に稲妻が走った。あれは恐らく王都の者の魔法だ、古の。そして非常に強い」
テオドールが言い、フィアは肝を冷やした。
「なぜ、今そんなことを」
「王都の者に心当たりがあるだろう。証拠は身体に残っているはずだ」
とテオドールは言って、寝台に拘束されたフィアの下着をはぎ取り、下腹部を強く押す。骨に響くような鈍い痛みがあり、脚の間から何かがこぼれ落ちる気配があった。フィアの角度からは何も見えない。テオドールが、低く、なるほど、お前の母は地下国出身だったな、と呟く声を聞き、フィアはハッとする。
テオドールが抱えていたのは、仮死状態の赤子だ。数時間ほど前に産み落とした子よりもはるかに小さい、そして、褐色の肌をしていた。
フィアは思わず叫び出したい気持ちになる。ああ、護り切れないかもしれない、と思ったのだ。
「テオ、お願い。その子に蘇生の手当てをさせて」
声が震えているのが分かる。どう考えても分が悪い。赤子の状態も悪ければ、テオドールに頼むしかない状況も、最悪だ。テオドールが少し手を捻れば、赤子を完全に絶命させるのは簡単だ。
テオドールの瞳がスッと悲しい色に染まる。
「お前が、俺に何かを懇願するのは初めてだな」
と言いフィアの口元を指で撫でてきた。
「懇願する女は、特に子のために懇願する母親は嫌いだ」
テオドールはフィアを見ているようで、どこか遠くを見るような目をする。
「お母様のことを言っているの?」
テオドールは王の縁戚であるリンドルド侯爵の愛妾の子として生まれた。
政略婚にて結ばれた正妻との間には、子がなく、テオドール誕生後に間を悪くして正妻が懐妊する。正妻の子は魔法力も弱く、腕っぷしも弱い病弱な男児だったため、正妻の子を差し置いてテオドールが後継者となった。以降、口さがない者たちの噂が立つ。
しかし、正妻がその後男児を産み、魔法力もそこそこであることが分かったとたんに、伯爵はテオドールと母に屋敷を与え、伯爵家から追い出した。テオドールの母は、彼をフェルンバッハ家に引き取ってもらうことを懇願したのだ。フィアの耳に届いていたのは、テオドールの母が彼の実力を発揮させるために、フェルンバッハ家に懇願しに通い詰めたという逸話だった。
「母は何かの罪を犯したのか。それゆえに、誰かにものを懇願しなければならず、自分の処遇も決められなかったのか。純粋な王族のお前には、分かるか?」
テオドールの言葉に、フィアの胸は苦しくなる。前戦争のとき、もしも彼の母がフェルンバッハ家の屋敷にいたならば、命を落としてはいなかっただろう。
テオドールの母は、屋敷ではなく都の端に追いやられており、それゆえに前戦争で命を落とすことになったのだ。
「前戦争に関して、お母様にもあなたにも、何の罪もない。お母様を護れなくて、本当にごめんなさい」
幼いフィアが見たのは、窓の外の閃光だ。そしてその後、轟音を聞いた。
記憶にあるのは、それだけだ。どこか記憶にもやがかかっているようにも思う。
その後、ティアトタン国は瓦礫だらけの国となる。フィアの言葉に、テオドールは顔をしかめた。
「お前はいつもそうだ。与える側としてものを言う」
「私に出来ることがあったのかもしれない。ただ、何も知らずに城の中にいたの。あなたのお母様が亡くなった瞬間に。私にこそ罪がある」
テオドールは頭を振る。
「フィア、お前は愚かだよ。全てのものを己の手でどうにか出来るに違いない、と過信する。どうにもできないことがあると知った方が賢明だ」
「出来ないことがあるのは、知っている、今がまさにそうでしょ。その子を助けたいの。私だけでは無理。あなたの手を借りなければどうにもできない」
赤子の皮膚は変色しかけており、手を施さなければ間もなく絶命する。フィアの魔法だけではどうにもできないだろう。
「当然、取引があることは覚悟の上だろうな」
とテオドールは言った。
フィアはごくりと唾を飲み込む。想定はしていた。命を取られるか、あるいは、王権の完全な譲渡だろうか。しかし、テオドールが口にしたのは、フィアの想定したものの、どれでもなかった。
「記憶を消せ、この7年間の」
フィアはテオドールの顔を見る。その意図を知りたかった。なぜ、そんなことを言うの、と思ったのだ。
「お前の悪事一つがこの赤子であるならば。もう一つは7年前からこれまでの記憶だ。赤子を残すのなら、記憶は捨てろ」
「7年間の記憶……」
モントリヒト公国立のスクールを出て、騎士団に入り、そして退団したこれまでの記憶をなくす?
「お前は7年前に国を出ていない。そして、あのとき、フィアは俺と婚約したことになる。フィア・リウゼンシュタインは存在しなかった」
「そんな、それはつまり……」
フィアは言葉を飲み込む。ゼクスとの出会いも、すべて消せということだ。
「選べ、フィア・ティアトタン」
テオドールの瞳は静謐さをたたえている。
これは揺るぎのない問いで、一度返答すれば、覆られないものなのだと、フィアは感じた。
ただ、覚悟は決まっている。
テオドールに屈しないと決めたときから。
ずっと隠して誤魔化して来たのに、好きな人と一度だけ結ばれてしまった。
どんなからくりだったのかは、分からないけれど、きっとあれは奇跡だ。
だとすれば、この子は奇跡の結晶にほかならない。
「私の」
ずっと、ずっと、大好きだった。言葉に出来るわけもない。
けれど、剣を交わして会話をしていた。あの剣の重み、息継ぎの間合い、すべて目をつむれば思い出せる。
愛してる。
あの笛の音が耳に残った。
テオドールの手のひらが、フィアの額に触れた。涙が頬を伝う感覚がある。
――――さよなら、ゼクス。
「記憶を消して」
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