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第一部
7年越しの嫉妬心
しおりを挟む氷の角に乗せられて、王の間に連れていかれる。その間に兵士や使いの者たちがフィアに視線を向け、恭しく頭を下げるのだ。
「おかえりなさいませ、フィア様」
と声をかけてくる者たちの顔色は冴えない。本来ならば、フィアの帰国は国民にとって喜ばしい出来事のはずだ。
「お逃げになった方がよろしいのでは」
と声をかけてくる者もおり、事態がひっ迫していることを感じさせる。
城の中の者たちは一様に、テオドールに対して、怯えや恐れを抱いている気配を感じるのだ。
王の間の扉は開いていた。
フィアが氷の上から降り、王の間に入ったとき、フィアは一つの時代が終焉したことを知る。
王座の上で、四肢を杭で打ちぬかれた父の姿を見たとき、フィアは一種の敗北を感じた。
「お父様」
とフィアは父に声をかける。父は顔を上げ、
「よく帰ったな、フィア」
と言うのだが、声には一切の覇気が感じられない。父の白金の髪や髭は発光しており、魔法が強制的に放出されているようだ。
杭は魔法を封じる素材で作られているのかもしれなかった。フィアが駆け寄って杭を外そうとすると、
「来るな」
と止められた。杭に触れれば魔法が封じられる、と父は言う。
「テオですか?」
とフィアが言えば、父は少し返答に迷ったようにして、それから頷いた。
「テオドールの行いは、前戦争の罪だ。愚かな争いに巻き込んでしまったことで、私がその罰を受けただけだ」
「だとしても、やりすぎです。こんなのは……」
フィアは父の静止を振り払い、父の元へ近づいていく。
「お父様、ごめんなさい。私がもう少し早く来ていれば」
父は首を横に振る。
「私の言う通りに動くようでは、大した器ではないな。お前の自由を求める精神は稀有なものだ。そして、仲間を大切にする心も」
「私では、国を治めることなんて出来ません」
「出来る出来ないではないだろう。お前は王女であり、間もなく女王になる。己の役割として、国を治めるのだ」
ゴツゴツとした父の手に触れて、その手が想像以上に冷えていたのを感じ、フィアは息を飲んだ。恐らくは、もう長くはない。
「この7年間の振る舞いに関して、フランツから報告は上がっている。お前は、出自のいかんに関係なく、等しく友好関係を結べるようだ。そして自由な発想を持っている。その点を評価して、第一継承者だと思っていた。使えるものは全て使え。そして、国を治めるのだ」
父が母への思い入れや、フィアの力を評価して後継者にしていたわけではないことを知り、フィアは驚いた。怪力姫だから評価されたわけではなかったのだ。
「お父様、お任せください」
と言ったとき、背後に圧倒的な冷気を感じた。
来た、と思い、身構えたときには、すでに首元に氷のナイフを翳されている。辛うじて手刀で振り払った。距離を取り、冷気の持ち主の姿をとらえる。
当然それは、テオドール・フェルンバッハだった。フィアの国の正装とは正反対の、全身黒衣に身を包んだテオドールがこちらを見すえている。
深遠な黒い瞳には何の感情も見えない。
「遅かったな、怪力姫。いや、フィア・ティアトタン」
低く耳に残る声で、テオドールは言った。目に見える程の冷気をまとい、こちらへ向けて放ってくる。極寒の地に放り込まれたように感じ、手の先から凍えていくようだ。
すぐに手首に氷の爪が刺さり、足首には氷の帯が巻きついてくる。王の間に近づいてくる複数者の足音が聞こえていた。
父や他の城の者たちにこの冷気をぶつけられては困る、とフィアは思う。
「久しぶりね、テオ。私への文句なら、別の場所で聞くわ」とフィアは言い、場所の移動を提案した。
「端からそのつもりだ」
テオドールはフィアの腕をきつく掴んだ。
腕に呪詛の文様が浮かび上がり、魔法をかけられたことを知る。
7年前に取り逃がした権利を、再び掴みなおすつもりなのね、とフィアは思った。
※※※
テオドールに大きな天蓋のある部屋へ連れ込まれる。
王の後継者たちが初夜を過ごしてきた部屋だ。訓練施設でも決闘場でもなく、この場を選ぶということは、テオドールがフィアを自分と同等の立場としては見ていない証拠だ。
テオドールは自分を女として、もっと言えば利用価値のある女としてしか、見ていないのだろう、フィアは思う。
扉が閉まった瞬間に、テオドールが扉に封印の魔法を施すのを見て、
「私を殺すわけじゃなさそうね」
とフィアは嫌味の一つでも言いたくなる。
テオドールはフィアの顎に手を当て、自分の方を向かせた。
「随分と遊んだようだな。何人と寝た?」
テオドールの黒い瞳には、嫉妬の炎が燃えている。
テオドールは昔からフィアの交遊関係にうるさいのだ。テオドールとフィアは恋愛関係にあったこともなければ、契りを結んだこともない。
にもかかわらずテオドールは、フィアが誰かと親しくなるたびに、ふさわしくない、と言い張り、あの手この手を使い破局に持ち込むのだ。
その度に、トロフィーワイフを自分好みに調教するためね、とフィアは内心思っていた。
「それを言わなければ、この部屋から出さないということ?とても悪趣味ね」
「世間知らずのお姫様がガルドに出て、まさか娼婦になって帰って来るとは、王も思わなかっただろうな」
フィア・リウゼンシュタインの奔放な噂はテオドールまで聞き及んでいるのね、とフィアは思う。少しばかり、苛立ちが生まれた。
「娼婦と姫は類義語だったと思うけど?」
嫌味をこめれば、
「相変わらず、生意気な女だ」
と言うのだ。
テオドールはフィアのことを女、と強調したがる。テオドールがフィアを自分に敵わない存在に位置づけたいたからだろう、とフィアは思っていた。
テオドールはフィアの腕をねじりあげてくると、フィアの前身を壁に押し付ける。フィアのドレスの襞をめくりあげた。
挨拶もそこそこに、早々にことを運ぼうとするのが分かって、
「生意気な女がお好きなようで、なりより」
皮肉を言わずにはおけない。
ただし、この体勢はフィアからすれば天啓だ。テオドールに見つからないように、袖口に隠し持っていた抑制剤を口に含み、再びビンを袖口に隠した。
テオドールの思惑の全てが分かるわけではないが、良くない事態になっているのは確実だ。部屋の外が慌ただしくなっているのを感じた。
父の事が気がかりだが、こうしてテオドールがここにいるうちには、他の被害は広がらないという安堵感もある。
「外が随分と騒がしくない?」
「しっかりと封じてある。お楽しみに邪魔は入らない」
「何が目的なの?」
「躾だよ。地下国の奴らの暴動で目を離した隙に、ヴォルモント公の口添えで、まんまとガルドへ出ただろう?婚姻の話がまとまりかけたところで、水を差された気持ちが分かるか?」
7年前、フィアの婚約者候補は、テオドールだった。高い魔力を持つという点において、テオドールはラヌスから高く評価されていたからだ。一方で、テオドールは決して、フィアの力を認めない。
フィアが自身の能力を高めるために訓練の必要性を唱えれば、「女が闘う必要はない」と一笑に附してしまう。テオドールからすれば、フィアは父の威光を笠に着ている生意気な女に他ならないようだ。
「素直に、権力を手に入れ損ねて悔しかった、と言えばいいのに」
そう言えば、首の後ろに噛みつくような口づけがやって来た。
当たった場所が痺れて、呪詛の魔法を打たれた、とフィアは思う。事実、身体が思うようには動かなくなる。
「間もなく王は崩御する。見ただろう?あれでは助からない。この国で次に力を手にするのは恐らく、お前を手に入れた者だ」
「そう言われて、大人しく指をくわえてみているわけがないでしょ」
「指?」
くわえこむのは、とテオドールは淫靡なことを述べる。そして、テオドールの強引な振る舞いから、フィアは身体を揺すって逃れようと試みた。
フィアと呼ぶ、かの声を思い出して、涙がこぼれそうになる。もう二度と会うことは敵わないかもしれないけれど。あれは、夢。だとしても、甘くて素晴らしい夢だった。
もう一度会えたら、と思うのは、愚かな願望かもしれないけれど。
「淫らな女だ。強引に奪われても、声一つあげないのか」
フィアを取り崩そうとして煽って来るテオドールに、フィアは首を振る。
「私を殺せばいいじゃない、こんな真似をしないで。私を殺して、あとはお兄様やお姉様を懐柔して乗っ取ればいい。そっちの方がよっぽど楽よ?」
「うるさい」
「これじゃ、女を抱きたいために反乱を起こしたみたい。それじゃ、駄々っ子でわがままなテオのままね」
「黙れ、フィア」
テオドールはフィアの髪を掴み、乱暴に身体を揺する。フィアは手を噛んで声を堪えた。
例え、痛めつけられようが、心を渡すことは絶対にしない。父の娘としての誇りはある。
「こんなもの、いくらでもあげる。でも、心は絶対にあげない」
「どうとでも言えばいい。お前はオレのものだ、フィア」
乱暴に抱かれた後で、寝台に突き落とされるようにして、寝かされた。見せしめのようにドレスをナイフで引き裂かれる。
「あなたのストーリーは、ティアトタン国の怪力姫を凌辱し、傀儡の妻にする。大義名分を得て、強引に権力を手に入れるって感じ?最高に趣味がいいわね」
負けられないと、フィアが言葉を紡いでいけば、テオドールは不敵に笑う。相変わらず、負けず嫌いな女だなと呟くのだ。
「お前は傀儡の妻ではない、正妻にしてやるよ」
「妻の座に何の意味があるの?娼婦でいいわ。お呼びだていただければ、いつでも参りますよ、テオドール様」
「フィア、オレの子を産め。かの王から強い力を引き継いだお前が産んだ子となれば、国民からの信頼、各方面からの信用も盤石となる」
言うと思った、と心の中で毒づく。
位ある女性達の身の振り方については、フィアももちろん知っている。夫を立てて器用に立ちまわれる貞淑さがあればいいが、フィアは自分がそんな従順でいられるとは、思えなかった。
テオドールの意図がどうであれ、抑制剤を口にしている間は、無事だろうと思う。抑制剤は肉体の能力全般を制御するからだ。
しかし、抑制剤がなくなったその先に、ビアンカの魔法をも受けられない状態であれば、困ったことになる。
テオドールの言う通り、彼の子どもを産むことになれば、ティアトタン国は完全に乗っ取られる可能性が高い。
テオドールが寝台の上に乗ってきて、フィアの唇へと口づけをしようとする。手束ねたテオドールの黒髪がフィアの頬に落ち、互いに目が合った。その瞬間だけテオドールの瞳に、迷いのような光が揺れる。
子どもの頃、ダイヤモンドのバラが欲しいと言い、癇癪を起して周りの家臣を慌てさせ、無理やり他国から取り寄せさせていた、テオドールを思い出す。
たった今、テオドールが求めているものは、フィアにも分かる。
それでいい、と言って欲しいのね?
して、と言って欲しい。
でもね――――。
わがままなテオ、言うわけないでしょ。とフィアは心の中で言う。
フィアが顔を背け避ければ、テオドールは舌打ちをして、再びフィアの元へと身体を沈めてくるのだ。
慣れていると思われているのは、分かった。
テオドールがフィアの皮膚に残っていた痕を、自分の肌で上書きしようとしているのも分かる。
実はほとんど経験がない、と言ってもきっと信じてもらえない。
何度も繋がってから、その日はやっと解放された。
大丈夫、しばらくは誤魔化せるはず、とフィアは思う。
しかし、間もなくしてフィアに懐妊の兆候が表れたことで事態は一変した。
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