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第一部
フィア・リウゼンシュタイン
しおりを挟む遠ざかっていく馬車を見つめながら、俺の敗けだ、とゼクス・シュレーベンは思った。
5年前、モントリフト公国立のスクールを首席かつ、他を一切寄せ付けずに卒業した者が騎士団に入団すると聞き、ゼクスは期待に胸を膨らませていた。
リウゼンシュタインという姓であると、リュオクス国立のアカデミーの連中から聞き及び、期待していたのだ。しかし、入団式の際現れたリウゼンシュタインは、シルバーブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、身分ある令嬢と思しき麗しい娘だった。
ゼクスは落胆した。
なんだ女じゃないか、と。
聞けばフィア・リウゼンシュタインはヴォルモント公爵の後ろ盾のある娘で、噂によればヴォルモント公爵の婚約者でもあるという。
貴族の遊びか、くだらないな、というのが真っ先に出た感想だった。王立総督府の総督を父に持つゼクス自身への自嘲もこもっている。
爵位ある者が、見聞を広めるために子息を騎士団に送り込むことは少なくない。とりわけ女性ならば、補佐役につき婚姻相手を探すことも多い。
退屈な遊びだ、とゼクスは思う。
王都や周辺の公国出身の者はみな、顔を見知っていることも多く、政略的に内部で婚姻関係を結び合っているため、大きな発展や変化は見込まれない。寧ろ変わることこそが、恐怖の対象で安寧という名の惰性こそが、望まれるものなのだ。
自身もアカデミーを出て騎士団に所属した後に、国の軍部を司る総督府で官吏になり、総督になることを嘱望されていた。宰相か王の縁戚の娘と婚姻関係を結び、王政に絡めとられる。そんな人生が見え透いていた。
よってゼクスは非常に、退屈していた。
王都は退屈だが、一方で西方地域は未開な部分も多い。その点にゼクスは魅力を感じていた。だからこそ、西方出のリウゼンシュタインには勝手な期待を向けてしまったのだ。
結果として、リウゼンシュタインは期待以上の人物だった。
同じく首席でアカデミーを出たゼクスは、入団当初からリウゼンシュタインとペアを組まされることが多かった。公爵令嬢の世話係にさせられてはたまらない、とゼクスは思ったが、
「初めまして、ゼクス・シュレーベン。私はフィア・リウゼンシュタイン。よろしく」
と気安く握手を求めてくる彼女の振る舞いは、同性の友人と何ら変わりない。
新鮮な驚きとともに、ゼクスは握手に応えた。
ただでさえ女性の少ない騎士団内で、さらに王都ではあまりにかけないエメラルドグリーンの瞳を持つフィア・リウゼンシュタインはとても目を引いた。
口さがない同僚たちが、
「リウゼンシュタイン嬢はどんな婚姻相手をお探しですか」
「よろしければ、今後我が家主催のレセプションにでも一緒に参りませんか?」
「リウゼンシュタイン嬢のような方がいると、風紀の乱れが気になりますね」
と明らかな好奇の目で水を向けた折りに、
「私のことは、田舎出の冴えない男とでも思っていただければよろしいかと。ご安心ください、騎士団や王都の関係者には絶対に手を出しませんから。ただ、退団したらいくらでも相手してさしあげます」
と言い、同僚たちを黙らせたのは伝説化していた。
フィアは明るく朗らか、誰に対してもそつがなく、軽やかで媚もない。恐らくそれは、彼女が騎士団や王都の人間に多くを期待しないからだ、とゼクスは思った。西方地域出身の彼女には、王都において利害の関わる関係はほとんどないようだ。
フィアが意見を真っすぐに伝え、誰に対してもユーモアをもって接する姿に、女性だからと好奇の目を向けていた騎士団の面々はフィアを正当に評価していった。
ただ、ゼクスはそれがフィア・リウゼンシュタインの正体だとは思えない。社交に長けた女性ならば、縁戚者にもサロンにもいくらでもいた。
はるばる西方地域からやって来て、騎士団に入団できるほどの何かがあるはずだ、と思う。
入団間もなく、「お手並みを拝見したい」と声をかけたところ、フィアはとても驚いた顔をする。
そんな風に声をかけられたことがなかった、というのだ。
訓練時に剣を抜いた瞬間に、ゼクスはフィアがなぜ、フィアが他を寄せ付けずにスクールを卒業したのかを知る。
ゼクスが一度剣を向ければ、フィアの明朗な瞳は好戦的な瞳に変わった。フィア自身が剣を抜けば、瞬時にその場を戦場にするかのような、気迫をまとうのだ。
その瞬間に、ゼクスは息を吐くのを忘れていた。こんなに呼吸を乱す相手には初めて出会った、とゼクスは瞬時に思う。
「どんな風に始めたらいい?」と言われ、
「リウゼンシュタインの好きなように」
と言えば、フィアは容赦のない力で剣を振るって来た。
フィアは鋭い視線でゼクスの瞳を射抜く。
能力値を測るだけの簡易試合にもかかわらず、まるで射抜かんばかりの視線を向けられたとき――――
この女が欲しい、とゼクスは思った。
エメラルドグリーンの瞳が闘気を帯びれば、こちらは命の危険すら感じる。女性のものとは思えない力で剣をぶつけられたとき、背筋を駆けあがる衝撃を感じ、ゼクスは今までに経験のない喜びを覚えた。その日から、そのフィアから目を離せなくなる。
フィア・リウゼンシュタインはゼクスに鮮烈な感情を植えつけてくれたのだ。
強烈に心惹かれる相手ではあるが、それは生涯を共にする者としてか、切磋琢磨する好敵手としてかを、測りかねていた。
両面から試せたなら、自身の感情を見極められるとゼクスは思ったが、フィアは自らが言った通りに、騎士団内や王都関係者に対しては身持ちが固い。
「内部関係での婚姻も珍しくない。そこまで避けることか?」
とやや探りぎみに問えば、
「女を利用して地位を得たと思われたら、ダサいでしょ」
と言う。
もっともな理由だが、方便だなとゼクスは思った。フィアの剣の腕を見れば、実力で上りつめたのは一目瞭然だ。
他に絶対に内部関係者と深い関係を結びたくない理由があるのだ、とゼクスは思った。
一方フィアは、休暇日に逢瀬の痕をあちこちにつけ、消灯時間ギリギリに帰宅する放蕩な姿も隠さない。
「後朝待たずのリウゼンシュタイン」
逢瀬の朝を待たずに去ってしまう、麗しの第二師団長様。
そんな噂はどこからともなく流れていた。
消灯間際で寮の廊下ですれ違うときに、やや気まずそうにするフィアを見ると、多少なりとも嫉妬心が煽られる。
「お盛んだな」
と皮肉を述べれば、
「ゼクスだって人肌が欲しいときがあるでしょ」
と一言ですませて、風のように去っていく。
とらえどころがない、と言うよりも上手くかわされている印象が強い。
人肌、の言葉が当てつけのように聞こえるのは、期待しているからだろうか、と思う。
お前とは絶対に肌を交わさない、と言われているように聞こえたのだ。感情を煽られるのには十分だった。
騎士団内にフィアの出自を知る者はほとんどおらず、彼女のことを知る術はない。
唯一彼女が王立研究所にて強化剤を手に入れている話を聞きつけ、同じアカデミー出身のルインに探りを入れてみたことがある。
彼はヴォルモント公の縁戚でもあるため、
「公言しないようにとは、言われているんだけれど」との前置きをつけて、
「フィアの強化剤は、抑制剤だよ。騎士団や王都では不要な能力は、封じるように言われているらしい」
とルインは言った。
それ以上のことは、自分も知らないと言う。
ゼクスは驚きを隠せない。今でさえ女性とは思えない剣の重みや、覇気だ。
それでいて、抑制剤を用いている?
闘志や嫉妬がない交ぜになり、余計とフィアへの興味が高まったのは事実だ。
同僚として、あるいは仲間として訓練を行い、また任務を遂行する中で、フィアからは好かれている感覚がある。だが、こちらから具体的に近づこうとすると、上手くかわされるのだ。
立場上、遠征や視察で帯同することも多かったし、同じ宿舎やテントで寝泊まりすることも多かった。ある種の権力を行使して、機会を作ったこともある。
組み分けの際に、意図的にフィアと組んでも、ゼクスはフィアとのペアが最良と認定されていたのか、内部での不満は出ない。
環境が整っていても進展がまったくないのは、ご愛敬だ。
とはいえ、近隣の小国へ災害の支援に駆け付けた際に、土砂災害にて分断された土地に二人取り残されたときには、さすがのフィアもガードが緩んだらしい。
その時はじめて、彼女の出身地域の話を聞いた。王都からほど遠い西方地域は、いまだ神話のいわれの残る地域だ、とフィアは言う。
フィアは本来スクールへの入学許可を得ることは出来ない立場だったが、ヴォルモント公爵の後ろ盾により、入学し卒業。
首席の成績を認められ、例外的に騎士団に入団したようだ。
フィアの話には具体的な土地名や、家族の話は一切出てこない。家族は?と問おうとしたのに勘づいたのか、
「私の出身よりも、ゼクスの出身を聞かせて」
と明らかに話を逸らして、逆に出身を問われる。
ゼクスが王都の生まれであり、かつ、リュオクス国総督を父に、王の従妹にあたる母を持つことを語れば、正当な血統をしめすこととなる。
王都では身分や出自を語る必要もない。
現在の騎士団員のほとんどがそうであるように、王立のアカデミーを出て騎士団に入った。それだけの経歴は見劣りするような気がした。
ゼクスは面映ゆい気持ちになる。
「退屈なことしか話せない」
とゼクスが言えば、
「単純な事実より、誰が語るかが大切。私はゼクスが語る、あなた自身の話が聞きたいけど」と言う。
「自分のことに興味はないな」
「退屈で興味がないのは、変化の予感がしないから?この先ずっと、これまでしてきたことや同じことが続くと思うから?」
急に言い当てられ、感情が波立つ。
「とはいえ、同じことを続けることが望まれることもある。そう思うと余計に、退屈すぎてあえて語ることもないんだ」
「私と同じね。これまでの人生にさほど、興味はないの。護られ過ぎていて退屈、道が決められてしまっている。王都に来てみて良かった。ゼクスに会えたし」
とフィアは何気なく言ってから、言葉のニュアンスに自ら気づき、
「深い意味はないけど」
と訂正を入れた。
通路の復旧作業がなされるまでの間、互いにジャブのような会話を続ける。剣を打ち合わせる時の、鮮烈なまでの覇気とはまた種類を異にした、飾り気のない好意をフィアから感じた。
気を使わせないように言葉を選び、急な接近は回避する。
それでいて、好意は隠さない。フィアのやり口は獲物をキープするにはもってこいだ。
この瞬間に、もし多少力任せにフィアを組み敷いたら、どんな風にその好意が変化するだろう、とゼクスは思う。
白金の髪が岩場の床に広がって緑の瞳が自分を見すえる想像をすれば、逢瀬帰りのフィアの気怠い表情が思い出され、自分の中に燻ぶるものを感じた。
しかし、色香にほだされて、フィアが剣を突き合うときだけに見せる、あの冴えが消えることがあれば、それではまったく意味がないとゼクスは思った。
通路が復旧し災害支援が完了したことにより、王都に帰れば、その日のうちにフィアは出かけていく。
ゼクスは父から呼び出され総督府に行った帰りに、逢瀬帰りのフィアに間が悪く鉢合わせた。
髪は濡れそぼっており、整えることなく無造作に散らかしたままの姿だ。
通りすがりに目が合えば、逸らすのも難しく、
「第二師団長のお眼鏡にかなう、お相手のことを聞いても構わないか?」
と皮肉の一つも言いたくなる。
もし「関係ない」と言われたら、今日は唇の一つも奪ってやろうと思った。父の話に苛立っていたのだ。
「スクール時代の友人よ」とフィアは簡潔に言い、おやすみなさい、ゼクスと言って去って行った。
恋人でもパートナーでもなく、友人。ゼクスにとっては、その言葉がなぜかそのとき、とても気に入らなかったのだ。その夜ゼクスは、公娼を抱いた。
翌日正式にゼクスと宰相の娘であるアリーセ・アドラースヘルムとの婚約が発表される。
同僚たちからは羨望の声が上がった。フィアからは肘を小突かれ、
「おめでとう」
と眉を下げた柔らかな表情で、祝いの言葉を受ける。
このとき、ゼクスは心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。祝いの言葉によって、僅かながらに繋がっていた希望が断絶された気がしたのだ。
事実フィアはゼクスの婚姻発表以降、更にあちこちへと通い始める。
見かければ無視を決め込むことも難しく、
「どこへ?」
と声をかけざるを得ない。
「ミット」
「ヴォスト」
「オスト」
「ノスト」
「ズリュード」
と場所だけ告げて、おやすみなさい、と去っていく。それは、心より求めている逢瀬か?と問う権利はゼクスにはないように思えた。
フィアにも婚約者がいるとの噂だが、相手と目されるフランツ・ヴォルモント公爵はかねてより変わり者として有名で、彼の治める地域は王政の息がかかっていない。
蝶のように飛び回る婚約者を諫めもしないと言えば、たしかに変わり者に違いない。そして彼には不思議な噂がある。
王都の人間はあまり語りたがらない、前戦争の噂だ。
前戦争でフランツ・ヴォルモントは、近隣地域を戦禍から護ったと言われていた。
噂の真偽に関しては、フィアに水を向けても「彼は単なる協力者だから、詳しいことは知らない」と片づけられてしまうのは目に見えていた。
婚約発表がなされて間もなく、遊離騎士団の人材派遣の話が出る。真っ先に申し出たのが、フィアだった。遊離騎士団は王都を離れた各所の紛争を治めたり、災害復旧に当たったりする役目を担っている。
フィアが名乗り出た理由は、「見聞を深めてみたい」ということだったが、口さがない団員の中からは、ゼクスの婚約が原因では、との声もあった。
フィアはその声を否定も肯定もせず、淡々と任務をこなし休暇日には、出かけていく。
フィアへ退団の理由を尋ねれば、既に聞き飽きた理由を口にして、更に出立日を早めるという話をしてきた。理由を聞けば、
「もう、騎士団ですべきことは終わったから」
とフィアは言う。
その口ぶりからは、本音かどうかは見えない。
フィアは完全に心を閉ざしてきた、とゼクスは感じた。ただどのような理由を口にされても、恐らくゼクスは納得できないだろう。
もしゼクスの婚約を持ち出せば、
「くだらない、政略婚であることは百も承知だろう」と言いたくなるし、職務や立場を持ち出したなら、「配置換えすればいいだけだ」と言いたくなる。
いずれにしても、理解しがたかった。そして、フィアにとって「終わった」ものの中に、自分も含まれている可能性が高いという事実には、焦燥感が増す。
元より、何一つ始めさせてもらえない関係だ。
フィアは女性団長としての誇りという詭弁を駆使して、上手く逃げているが、好意をにじませつつ関係を結ばない理由にはならない、とゼクスは思う。
これまで執念や執着とは無縁だったが、フィアに関しては今取り逃がしたら、何一つ残らないように思った。
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