上 下
5 / 14
苦くて苦い

2

しおりを挟む



 オレは半ば逃げ腰で、椅子を立つ。帰ろうと思った。後で藤堂さんには説明すればいい。
 リビングのソファの上にあったショルダーバッグを取りに戻ったところで、雨に手を引かれ、ソファの上に引き倒された。のしかかって来た雨は、オレのスウェットを引きずりおろすと、チューブから手にジェルとしぼる。オレの身体を腿の間にはさんで固定し、強引に足をあげさせた。足をバタつかせれば、腿の裏の体重をかけられて動けなくなる。
「何すんだよ!変態!」
「変態ってマジで思ってる?」
「思ってるよ、離せよ!」
 声をあげて足をバタつかせて暴れてみても、体格差で抑え込まれてしまう。
「嘘だね。目が潤んでるし、本気では抵抗してない」
「それは、だって、あんたがあんまりも」
 兄貴に似ている?それを言ったら、逆におかしい話だ。
「黎、ずっとこうしたかった」
 オレは目を見開いて、硬直したと思う。その名前をその口で、その瞳で、その声で言ったらいけない。そう思った。

 同じようなことを何度も想像したし、想像の中ではもっとオレにとって都合のいいいセリフを言っていたと思うけど、それをリアルな世界で言っちゃいけない。そのときには、何かが終わってしまうから。
「兄ちゃん」
 オレもまた言ってはいけない単語を、言ってはいけない状況で言っている。ジェルのついた指が入り込んできて、身体が緊張した。湿った音が中で響き、信じられないような声があがる。ブルブルブルッと背筋を駆けあがってくる仄暗い熱が、下腹部に溜まっていくのだ。目の前で高まるそれから目をそらしたくて、オレは顔を手で覆った。
「健気じゃん、黎」
 と白けたように言って、ぐいぐいとえぐって来る。自分でも信じられないような甘い声があがり、驚いた。これは罠だと思う。こいつは兄貴じゃない。こんなことをしても、何かが変わるわけじゃないし、完全ななぐさめ行為だと思った。
 けど、
「黎、好きだよ」
 とそう明らかな嘘を言われても、なぜか腰がうずいてしまう。

 指が抜かれて替わりにグイッと入り込んできた雨の高まりに、自分の内部が絡みついていく感覚が分かった。雨は眉を寄せ吐息を漏らす。当たり前だけど、兄貴のそんな顔は見たことがない。
 こんなのは異様で、倒錯している。雨がピアスの穴を舌が舐めてきて、オレの高まりは絶頂に達した。吐き出した液を手にとり、見せしめのように、腹部に塗りたくってくる。
「やめろよ!」
 と言う声は弱弱しい。打ち込まれる刺激や、雨の表情にすっかり気持ちが向かってしまっていた。
「黎、気持ちいい?」
 と雨は言う。
「ダメだ、そんな風に呼ばないで」
 とオレは言った。
「黎」
 雨はなおも呼ぶ。
「イヤだ……!」

 兄貴に彼女が出来たのを知った日、オレは仲のいい女の子を誘って初体験をした。兄貴のことを思いながら、「黎」と呼ばれることを考えながら。オレのことを好きだという子を抱いた。最低だ。
 だから今、こんな罰を受けているんだと思う。打ちつけのテンポが速くなり、ぐりぐりと半ば強引に最奥をついて、雨は達した。


 終わった後、雨はすぐにオレの上から降り、スキンをゴミ箱に投げ捨てた。腹部を汚していたオレを見て、片眉をあげて「片しとけよ」と言ったきり、椅子に座ってテレビをつけて見始める。オレはベッドわきのティッシュで腹部を拭いて下着やスウェットを穿いた。

 それから間もなく、藤堂さんが帰って来る。身体がむやみにほてっていたから、椅子に腰を落ち着けるのも微妙だ。「ちょうど帰ろうと思ってて」と方便を言ってカバンを手に取れば、藤堂さんは「送るよ」と言うのだった。


 車を発進させてから、藤堂さんは、
「創にそっくりだけど、まったく創じゃないな」
 と言う。オレはうん、と頷くだけに留めた。藤堂さんはどこまで気づいたんだろう?と思ったからだ。ゴミ箱に適当に捨てられたスキンやティッシュ、位置の動いているジェル。綺麗に片付いている部屋の中では、きっと悪目立ちするものばかりだ。
「創は奔放に見えたかもしれないけど、自制心を働かせてる奴だったよ。大切なものを守るためなら、欲をしっかりと抑えるような奴だ」
 急に兄貴の話をし始めたので、オレは驚いた。藤堂さんがこうやって兄貴の話をするのを見たことがない。
「なんで急に、そんな話してるの?」
「雨が出てきたから。それに、あいつは創とは違って、剥き身の好奇心と欲望で動く奴だって分かったからだね。創とは違う」
 剥き身の好奇心と欲望、の単語を口にした藤堂さんの視線は、オレのピアスの穴に向かっていた。湿ってるよ、と言う。目の中にポッと熱が宿るのが見えた。オレは耳を触り、指で拭きとる。
「あいつは、兄貴とは全然似ていないよ」
 とオレは言った。でも、あいつの声や表情に、心がぐしゃぐしゃに乱されていた罪悪感とあいまって、あまりにもその口調は弱弱しい。
「そう思うよ。黎をそんな風にするなんて、創じゃない」
「そんな風にって、藤堂さんは、つまり」
「ごめん、黎。想像よりも、自分に腹が立っているんだ。それに雨にも」
「何のこと、意味分かんないんだけど」
 オレがそう言うと、藤堂さんはポツリと言った。
「黎の気持ちも創の気持ちも、俺は知っていたんだ。仲介人みたいなものだったから。もし、俺が協力していれば、黎も創も傷つかずにすんだかもしれない」
 それは罪の告白のように聞こえる。オレの気持ち、兄貴の気持ち?
 オレの気持ちはともかく、オレには兄貴の気持ちは分からない。それがどうして、藤堂さんのせいになるのかも、分からなかった。


「黎はしばらく、雨と付き合うのはどうかと思ったんだ」
「な、何言ってんの。オレがいつあいつと付き合いたいなんて言った?」
「言ってない。でも、創にそっくりだ」
「それは、つまり藤堂さんは……」
 オレが兄貴を思っていたことを知っているってことだ。藤堂さんは頷いた。
「けど、さっきも言ったように、腹が立っている。黎を乱暴に扱うのも、それを雨にけしかけたのも」
「藤堂さんが、雨に?どうしてそんなこと」
「創の声や創の表情は、俺じゃ与えられないものだからだよ。黎は優しさや愛情を俺からもらいたいわけじゃない、だからだよ」
 ああ、と声が漏れてしまう。藤堂さんにはすべて見透かされていたんだ、と思った。兄貴への気持ちも、藤堂さんへの気持ちも。でも、最後の言葉だけは間違っていた。藤堂さんはの掛け値なしの愛情を、いらないと思ってるわけじゃない。藤堂さんが優しさや理性を取り崩すほどの熱を、オレに向けて欲しいだけだ。
「全部気づいてたなら。じゃあ、今までオレといてくれたのは、同情?好きな人に残されて、可哀そうだから?」
「違うよ」
「兄貴と顔や声が似てるだけの、別の奴をあてがっとけばいい。そんな風に思う程度なら、やっぱり同情だよ。そんな同情なら、いらない」
 オレの言葉は全部、間違っている。雨と兄貴とを重ねて、倒錯した思いで熱を吐き出した自分。身体の芯から感じていた自分への罪悪感を、藤堂さんにぶつけているだけだ。
「もし同情だけなら、どんなにいいか分からない」
 藤堂さんはそう言って、それ以降は口をつぐむ。オレもまた、心が波打ってしまい、何を口にしても上手くいかない気がして、押し黙っていた。


 アパートに車がついたとき、オレは藤堂さんとの関係の終わりを予感する。思いが食い違っている付き合いが、上手くいくはずない、と思った。でも車を駐車した藤堂さんは、オレの身体を抱き寄せる。オレにとってはそれが一番の驚きだ。
「黎にどう見えているか分からないけど、俺は優しくもなければ紳士でもない。利用できるものがあれば、利用しようとしているだけのズルい奴だよ」
「唐突過ぎて、意味が分からないよ」
「最終的に黎がそばにいてくれるなら、どんな手でも使おうと思っている。創がいなくなってしまって責任が取れないなら、雨が代わってくれればいいと思っている」
「責任なんてもの、兄貴と関係ないよ」
「黎の心はいつも、創に繋がってる。なのに、先に逝ってしまったのは罪深いよ。雨が最悪な方法で、黎の中の創を壊してくれればいいって思ってる」
「なに言ってんの、藤堂さんっぽくない」
「これが俺だよ。黎はきっと、俺のことをそんなに知らないんだ」
 そう言って藤堂さんは身体を離した。理知的な顔立ちの中で、少し熱でうるんだ瞳が印象的だ。顔を寄せてきてキスの気配がしたので、
「雨と、さっき」
 と言う。
 でも藤堂さんは構うことなく、キスをしてきた。むしろいつも以上に深く、強引で驚く。ビリビリっと腰がうずく気配がして、自分でも驚いた。
 でも、藤堂さんはそれ以上続けずに、
「今日はこれで。これ以上したら、これだけで収まりそうにない」と言って、離れていった。
 とてつもなく名残惜しくなったけれど、オレも頷いて、藤堂さんに気づかれないように、腰を引く。そして助手席から降りた。窓を開けて、「おやすみ、黎」と言って手を振るので、オレも手を振り返す。

 この先どうなるのか分からなかった。ただ、兄貴に似た雨が来たことで、オレと藤堂さんの関係に変化の機会が訪れたのはたしかだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

ジョージと讓治の情事

把ナコ
BL
讓治は大学の卒業旅行で山に登ることになった。 でも、待ち合わせの場所に何時間たっても友達が来ることはなかった。 ご丁寧にLIMEのグループ登録も外され、全員からブロックされている。 途方に暮れた讓治だったが、友人のことを少しでも忘れるために、汗をかこうと当初の予定通り山を登ることにした。 しかし、その途中道に迷い、更には天候も崩れ、絶望を感じ始めた頃、やっとたどり着いた休憩小屋には先客が。 心細い中で出会った外国人のイケメン男性。その雰囲気と優しい言葉に心を許してしまい、身体まで! しかし翌日、家に帰ると異変に気づく。 あれだけ激しく交わったはずの痕跡がない!? まさかの夢だった!? 一度会ったきり連絡先も交換せずに別れた讓治とジョージだったが、なんとジョージは讓治が配属された部署の上司だった! 再開したジョージは山で会った時と同一人物と思えないほど厳しく、冷たい男に? 二人の関係は如何に! /18R描写にはタイトルに※を付けます。基本ほのぼのです。 筆者の趣味によりエロ主体で進みますので、苦手な方はリターン推奨。 BL小説大賞エントリー作品 小説家になろうにも投稿しています。 

手作りが食べられない男の子の話

こじらせた処女
BL
昔料理に媚薬を仕込まれ犯された経験から、コンビニ弁当などの封のしてあるご飯しか食べられなくなった高校生の話

【完結】スーツ男子の歩き方

SAI
BL
イベント会社勤務の羽山は接待が続いて胃を壊しながらも働いていた。そんな中、4年付き合っていた彼女にも振られてしまう。 胃は痛い、彼女にも振られた。そんな羽山の家に通って会社の後輩である高見がご飯を作ってくれるようになり……。 ノンケ社会人羽山が恋愛と性欲の迷路に迷い込みます。そして辿り着いた答えは。 後半から性描写が増えます。 本編 スーツ男子の歩き方 30話 サイドストーリー 7話 順次投稿していきます。 ※サイドストーリーはリバカップルの話になります。 ※性描写が入る部分には☆をつけてあります。 10/18 サイドストーリー2 亨の場合の投稿を開始しました。全5話の予定です。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

世話焼きDomはSubを溺愛する

ルア
BL
世話を焼くの好きでDomらしくないといわれる結城はある日大学の廊下で倒れそうになっている男性を見つける。彼は三澄と言い、彼を助けるためにいきなりコマンドを出すことになった。結城はプレイ中の三澄を見て今までに抱いたことのない感情を抱く。プレイの相性がよくパートナーになった二人は徐々に距離を縮めていく。結城は三澄の世話をするごとに楽しくなり謎の感情も膨らんでいき…。最終的に結城が三澄のことを溺愛するようになります。基本的に攻め目線で進みます※Dom/Subユニバースに対して独自解釈を含みます。ムーンライトノベルズにも投稿しています。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

処理中です...