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3章 混線×混戦
●キス×キス
しおりを挟む目覚めるとそこには白い天井があった。
少しだけ身体を動かすと、衣擦れがして、布団の上に寝ていることを知る。
えーと、一体何がどうなったんだっけ?
少しだけ頭が覚醒してくると、ひりひりとした顔の痛みと額の上の冷たい感覚が意識される。
ボールが顔に当たって、それからどうしたんだろう?
ぼんやりした頭を抱えながら、布団の中で身体をよじると、
「目が覚めた?」
近くから優しい声がかかる。
「え?」
わたしが声のするほうに顔を向けると、
「幸い鼻の軟骨は折れてなかったみたいだよ」
穂波君がそこにいた。
座っていた椅子から立ち上がると、わたしの側に来て、少しずれていた額の上のものを直してくれる。
多分、タオルで包んだ保冷剤だと思う。
「穂波君、どうして?」
「本田さん、ボールに当たって気絶しちゃったんだ。それで俺が看病を任されたってわけ」
「そうなの?」
身体を起こそうとすると、少しだけ腿の辺りがつきん、と痛んだ。
わたしが眉を寄せたのに穂波君は気づいたのか、
「無理はしないほうが良いよ。本田さん、その場で倒れて体打っているから」
そう声をかけつつも、手を貸して起こしてくれる。
「俺が間に合えば良かったんだけど。あのボール、男子部の奴が軌道外しちゃって。ごめんね、女の子なのに……」
とても申し訳なさそうに穂波君は言う。
「大丈夫だよ。だてに運動部してないし、ドッジボールだと顔面はセーフだしね」
「でも……」
「穂波君悪くないんだもん。元はといえば……」
とここまで言いかけて、大事なことに気が付いた。
「火恩寺君をどうにかしなくちゃ!」
いきり立ったら、ピキピキッと腿の筋肉が痛んだ。
「ぎゃああ!も、腿が!」
「ほ、本田さん、落ち着いて。タツヒコには俺が言っておいたから、大丈夫だよ」
「言っておいたって……穂波君、火恩寺君と親しいの?」
と掛け布団の上から腿をさすりながら尋ねると、
「まあね。同じ中学だったし、高校入ってからは、1年生の初めの頃、タツヒコが着ていたあの学ランの刺繍を頼まれてしたんだ。それから割と親しいよ」
そう穂波君は言う。
「そ、そんな繋がりが……」
「タツヒコの後輩にも帰ってもらった。あそこまでの強面が揃うとさすがにみんなの精神衛生上良くないしね」
穂波君は笑いながらそう言うけれど、笑い事ではなかったりする。
「何より、本田さんを怪我の原因をつくった奴らを残しておく気にもなれなかったしね」
ほのかに、穂波君の言葉が険を帯びるのを感じた。
「ま、まあ、鼻も折れてないし、わたし元気だし大丈夫だよ」
そう言って額の保冷剤を外そうとすると、額に予想外の手触りがあった。
編み込み独特のあのでこぼことした手触りが。
「ほ、穂波君。まさか……」
穂波君を仰ぐと、彼は苦笑いをしている。
「ごめん。我慢できなかったんだ。今日の本田さん、いつも以上にキューティクルが素晴らしくて……」
「寝ている間についつい編み込んでしまった、と」
「良くないよね、そういうの……」
「まあ、何だか穂波君らしい気がするから、いいけどね」
「ありがとう本田さん」
そう言ってから、穂波君は保健室の壁にかかった時計を見る。
「それじゃ俺は一旦体育館に戻って、本田さんのこと伝えてくるね」
「え?わたしも一緒に行くよ」
「さっきも足、痛がっていたでしょ?無理しないほうが良いよ」
「平気だって」
とわたしは布団をはぐと、足元に揃えられていたスリッパに足を置く。
側に体育館履きも並べられていたけれど、ここからそれを履いていくわけにもいかないので、持っていくことにする。
立ち上がると少しだけ目眩がした。
穂波君の手前平気と言ったけれど、ひょっとしたら、まだ全快じゃないみたいだ。
すると、穂波君が側に寄ってくる。
「ん?」
何だろう、とわたしが顔を見上げると、
「お願いだから、大人しくしていて。本田さん」
そう呟いて――――
わたしの額にキスをした。
すとん、と腰が抜けて、わたしはベッドの上にお尻をつく。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、心よりも身体が先に動いて、腰を抜かした。
わたしがハッとして顔を見上げると、穂波君は笑顔のまま、
「お昼まで休んでいて。お弁当作ってきたから、椎名さんも呼んで一緒に食べよう」
と言う。
それから踵を返して、保健室から出て行った。
残されたわたしは、その様子を見送りながら、頬が熱くなっていくのを感じていた。
キス、された。
唇ではないけど、初めてキスされてしまった。
額に触れた感触がまざまざと思い出されて、心音がにわかに速くなっていくのが分かる。
穂波君はわたしを止めるために、仕方なくその方法をとっただけのような気がするし、そんなに深い意味はないのだと思う。
額のキスは友愛の証って聞いたことあるし。
頭ではそう思うのに、頬がちりちりと焦れるのは、止まないのだった。
「ああーもう、何これ!焼きが回ったのかなわたし!」
そう言いながら頭を抱えていると、カツンカツンという音が背後から聞こえた。
「ん?」
音の聞こえるベッドわきの窓に視線をうつしよくよく見てみると、窓の向こう側で何かが跳ねている。
白い何か。
目を凝らしてみると、白い何かは二本の手のようなもので窓を引っかいているようだった。
白い毛並みの中央にある二つのつぶらな瞳が現れては消える。
しまいには、
『キャンキャン!』
という鳴き声が聞こえてきて、わたしはやっと気が付く。
「コータロー!?」
慌てて鍵を開け、窓を開くと、幸太郎が跳ねた勢いで飛び込んで来て、ベッドの上にのる。
『ミサキ!平気か!?怪我は!?』
「だ、大丈夫だけど、何で知ってるの?」
『体育館中大騒ぎなのが、グラウンドまで聞こえてきた。その後カズシがミサキ抱えてくのが見えて、追いかけてきたんだよ』
「そうなの?穂波君が……」
『それより、マジで平気か?どっか痛いとこないか?』
幸太郎は跳ねてわたしの肩に跳び、それから顔を覗きこんでくる。
「平気だって。ちょっとだけ顔がひりひりするけど……」
『マジ!?ちょっと見せてくれ!』
そう言いながら肉球がわたしの頬に触れる。
『ホントだ、顔、ちょっと赤いな』
頬に触れる肉球がぷにぷにして気持ちが良いなあ、でも土足だし、ひょっとしたら汚い?なんて呑気に思っていると、
『わっ、落ちる落ちる!』
と肩の上でバランスを崩した幸太郎がわたしの顔にへばりついてくる。
「か、顔にくっつかないで!」
幸太郎を引き剥がすとベッドの上にのせた。
『悪い!やっぱ、このカッコだと色々無理があるよな』
「まあ、犬だしね」
わたしがそう言うと、幸太郎はふて腐れたようにして、
『……犬じゃなかったら、あんな役カズシに譲ってなかった』
そう呟く。
「あんな役って?」
わたしが尋ねるとものすごく驚いたようにして幸太郎は身体をビクーッとさせる。
『き、聞こえてたのか?』
「だって、十分聞こえる声でしゃべってたよ?」
『そ、そうか、気をつけよう』
「うん?」
変な幸太郎。
今に始まったことじゃないけれど。
『ところでミサキ』
「ん?」
『その前髪の編み込みからカズシの匂いがするんだけど、何で?』
少しだけ戸惑いがちに、つぶらな瞳が見上げてくる。
「前髪?ああ、穂波君がわたしの寝ている間に髪の毛編んじゃったらしくて。だからじゃ――――」
いや、待てよ。
まさか、額に唇が触れたから前髪にも匂いがついたんじゃ?
そう考えた瞬間、
『く、唇が触れたあああ!?』
犬の叫ぶ声を聞いた。
幸太郎の黒い目がぐりん、と一回り大きくなる。
まずい、と判断したわたしは、
「ば、バカだなあコータローそんなわけないじゃん!手がくちっと触れたって考えただけ」
そう言い訳をするけれど、
『くちっと触れるってなんだ!無理があるだろ!』
逆に幸太郎に突っ込まれてしまう。
『つまり、カズシにキスされたんだな?』
小さな犬がずいずいとわたしに詰め寄ってくる。
愛らしい犬に詰め寄られても本来なら怖くはないけれど、目の前にいる犬はどどめ色の変な雰囲気を出して近づいてきているので、正直怖かった。
「しょ、しょうがないじゃん!されたものはされたんだから!それに額へのキスなんて、多分、深い意味なんてないよ!」
『ひ、開き直ったな』
「いやらしく考える方がいやらしいんだよ!やーいコータローのえっち!」
さっきまですっかり動揺していた自分を棚に上げて、こういうこと言ってしまうあたり、我ながら図太いと思う。
『ミ、ミサキ、そこまで言うのか……』
「分かったなら、ちょっと離れてよね。昼まで少しだけ休むから」
わたしは掛け布団を整えると、横になれるように準備する。
『分かった』
と言いながらも、幸太郎はなぜか枕の脇にやって来る。
「コータロー、わたし横になりたいんだけど」
『横になれよ。そしたら、俺が額にキスするから』
「は、はああ!?何バカなこと……」
『バカなことじゃねーよ!カズシがキスしたなら俺もする!』
幸太郎は一足飛びに肩に飛んでくる。
「何その理屈!?ないない、通らないからそんなの!」
わたしは片手で幸太郎のわきに手を入れて引き剥がそうとするが、しぶとくしがみつかれて中々離れない。
『なんでカズシは良くて俺は駄目なんだよ!』
「あれだって、キスするよ、って言われてたら避けてたもん」
『じゃあ今からキスするとは言わないからな。勝手にする!』
ぴょーんと今度はわたしの頭の上にのり移る。上から仕掛けるつもりらしい。
「そうはさせるか!」とわたしが手を伸ばすと、幸太郎は髪の毛に爪を引っかけて落ちないように防御する。
何この攻防。
何が悲しくて頭の上に犬をのっけて、キスさせないように頑張らなくちゃいけないんだろう。
加えて、重いわ折角編み込みをしてもらった髪はボサボサになるわ……。
『悪いなミサキ!』
そう言いながら、わたしの頭頂部の方から犬が顔を寄せてきたのが分かった。
「甘いよ!」
そう言って頭を揺すると、
『え?』
思いのほか勢いをつけて、幸太郎が飛んだ。
さすがにやりすぎた!と思い手を伸ばすけれど、手が届かず自分自身も体勢を崩してベッドわきの床にうつぶせに落ちた。
また顔面を強打するかと思えば、そんなことはなく、逆に柔らかい感触がそこにあった。
まず意識されたのは唇に触れた湿った感触だった。
瞬間的に瞑ってしまった目を開くと、黒いボタンのようなものがそこにあった。
「え?」
『な!?』
目の前で黒い瞳が光る。
まさか、鼻にキスしちゃったの?
そう認識したとたん、異変が起こった。
淡い光が幸太郎の身体を包み込む。
そして、まるで木々が生い茂る過程を早回しで見ているかのように、見る見るうちに幸太郎の白い体毛がそのかさを増していったのだ。
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