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2章 蒔かれたよ、変の種
●帰って来たタテガミ、そのとき何かが吸われた
しおりを挟むそのとき、
――――ドオォォォン。
まるで大砲が打たれたかのような大きな音がした。
振動で身体全体がぶるぶる振るえる。
一度ならず幾度もその音は空間を穿つようにして、響きわたる。わたしは思わず手を止め、幸太郎と目を合わせる。
「この音、何?」
『上の方からする……』
幸太郎は鼻先を上にあげるようにして、天井を仰ぐ。ほどなくして木のかすがちらちらと降ってくる。
「ミサ、ちょっとだけ避けたほうが良いかも?」
向いにいるまほりが少しだけ緊張した面持ちで、そう言う。
「どういう――」
とりわけ大きな音が響いたかと思うと、天井を見上げていたわたしの視界がパーッと開けた。
「え?」
天井の合間から青い空が顔を出していたのだ。
一体どんな状況なのか、と考える余裕もなく、青空から黒い影が降ってくるのが見えた。
思わず幸太郎を抱き寄せ、わたし自身も身を守るようにして自分の体を抱きしめる。
黒い影は中央のテーブルの上に激しい衝突音を立てながら落ちてきた。
あまりの音にわたしは目を閉じ身体を強張らせる。
「この日を待っていた……」
轟音が消えたしじまの中で、小さな呟きが聞こえたとき、わたしは目をゆっくりと開けた。
同じタイミングで幸太郎とまほりも目を開けたようで、わたし達の視線はテーブルの上に降り立ったそれに集中した。
「げ」
『げ』
まほりと幸太郎の声が重なる。わたしはまじまじとそれ、いやその人を凝視した。
金色の短い髪に日に焼けた肌の、ド派手なタンクトップにうちの学校の制服のズボンを合わせている青年だ。
そういった造形の男子に心当たりはないはずなのに、ど、ど、ど、と胸が高鳴っている。
その青年はわたしを見下ろすと、すぐさまその場に膝をついた。
「姐御、この通りチンピラ風情からはしっかり足洗って参りました。実家の山で修行も積んですっかり――」
「あの、ご挨拶してくれているところ大変申し訳ないんですか。あなた誰ですか?」
いかにもわたしを知っている風だし、わたしもどこか引っかかりがないわけじゃないけれど、どうにも名前が出てこない。
『ミサキ、覚えてねーのか?』
「うん。コータローは覚えてるの?」
『俺は、さっきの瞬間思い出した。思い出したくなかったけどな……』
「わたしも同じく。ミサ、この人は今朝話してた『仲間さん』の席の主だよ」
「え、この人が?」
頭の中で、ぐるぐるぐるっと2年の今から1年の入学したてのときまでの記憶が巻きもどっていく。
1年の秋くらいまで遡ったころから、ぱっぱっぱとコマ送りになり一つ一つの思い出が頭にあらわれては消えていく。
夏休みに入るか否かの7月の頃まで遡ったとき、タテガミのように逆立てた金髪の人物が思い出された。
その人に何か言われ、わたしは戦慄した!
そんな記憶だ。
その瞬間、今朝から感じていた嫌な予感が、一気に怯えへと姿を変えた。
「姐御、忘れちまったんなら、今覚えてください。俺の名前は――」
「か、火恩寺龍彦(かおんじ たつひこ)……!」
『ぎゃあ!首が首が締まる……!』
思いがけず手に力を入れてしまったようで、腕の中の幸太郎が悲鳴を上げる。
「ご、ごめん」
と言いながら力を緩め、目の前のその人物に視線を戻すと、きらきらした笑顔でわたしを見つめている。
「覚えていてくれたんですね!やっぱり俺と姐御は焔の縁。結ばれる運命なんですよ!」
『勝手に結ばれる運命にしてんじゃねーっつの!』
幸太郎がそう言うと、その人もとい火恩寺君がじろりっと鋭い眼光で幸太郎を睨み飛ばす。
そして顔をぐいぐいと幸太郎に寄せていく。
つまりそれは、わたしの近くに顔を寄せてくるっていうことでもあるわけで、
「ひぃぃ……」
とわたしはすくみあがってしまう。
「なんだあ、この犬はぁ。ああ、さっき姐御と接吻かまそうとしやがったふてぇ犬か」
「盗み聞き趣味悪いよ、火恩寺君」
まほりが声をかけると、
「ああ?」
今度はそちらの方を睨み飛ばさんとするように、顔をそちらに向ける。
けれど、まほりを見ると、
「ああ、姐御のご学友の椎名さんじゃないですか。お久しぶりです」
たちまち相好を崩して頭を下げる。
「はいはいどうもね~」
まほりはいかにも適当なあいさつをすると、ひらひら手を振ってみせる。
この肝のすわり具合、尊敬に値するな。
「しかし椎名さん、盗み聞きとはご挨拶じゃね――ないですか」
『今、ご挨拶じゃねぇか、って言おうとしたな』
「……だね」
幸太郎が突っ込みを入れるのに同調するくらいしか、今のわたしには出来なかった。
出来るだけ火恩寺君の注意を引かないように壁の花になる、それしかわたしには出来なかったのだ。
「俺は姐御の身辺を警戒しているだけです。こんな薄汚れた犬に姐御が接吻するなんてとんでもない!」
火恩寺君が話す度に、鼓膜がびんびん震える。
「でも、火恩寺君。話を聞いてたなら分かるんじゃないかな。ミサがキスしないとコータロー君は元に戻れないんだよ?」
「ま、まほり!そんな簡単にばらしちゃうの!?」
「こぉたろぉ?」
巻き舌でそう発音すると、火恩寺君は幸太郎へと視線を向ける。
「ああ、あのいつも姐御の側をちょろちょろと付きまとっていやがった野郎か」
『舎弟勢ぞろいでストーキングするような奴に言われたくねーな!』
「そ、そういえばそんなことも……」
幸太郎のその言葉でわたしの記憶の扉がまた一つ開かれてしまう。
1年生の頃、何を間違ってか、火恩寺君に好かれたわたしは、火恩寺君、他校からわらわらと集まった火恩寺君の舎弟ともどもに、追い回されたことがあったのだ。
あの頃のことは思い出すだけで恐ろしい。
だからこそ、奥底に沈んでいた記憶なのだ。
毎日毎日、仮装大会さながらに奇抜な頭をしたガラの悪い連中が、常に視界に入る心臓の悪さったらない。
しかも皆口々に、火恩寺君の血みどろの武勇伝を聞かせてみせるのだ。
その武勇伝は、血のり、血しぶき、血の雨を抜きにしては語れないものたちだった……。
『わ、ミ、ミサキ!白目!白目!』
「あ、姐御!?犬、姐御に何しやがった!?」
「何かしたのは過去の火恩寺君だよ。とにかくね、火恩寺、コータロー君を元に戻すチャンスなの、邪魔しないで」
まほりは火恩寺に臆することなくそう言い放つ。
その姿はいつになく頼もしく見える。
その安心感から、どこか別の世界に行きかけたわたしの意識は現実に舞い戻ってきた。
「それじゃあ、こぉたろぉの野郎を元に戻すのが、姐御の願いなんですか?」
火恩寺君は眼力のある瞳でわたしをまっすぐ見つめてくる。
ああ、瞳を逸らしたいけれど、逸らせない。
逸らしたとたんに切って落とされるかのような錯覚がするからだ。
わたしはそんな葛藤の中、
「う、うん、そう。元に戻したいんだ」
ようやく返事をしぼりだす。
すると、
「そうか分かりました」
と火恩寺君は言うと目にもとまらぬ速さで、わたしの腕の中の幸太郎を奪うと、自分の右手の平に乗せた。
『え?』
「な、何を……」
「それなら姐御の手をわずらわせるまでもありませんよ。こうすりゃあ」
火恩寺は手の平の幸太郎を自分の方に引き寄せると、その唇を――吸った。
『!?』
「な、な、な……なにー?」
「うわ」
ぢゅぅぅぅぅ、ととんでもない威力で吸引する音が響く。
わたしは自分の顔が青ざめていくのを感じた。
まほりを見ると目を閉じて読経を始めている。
そのくらい、この光景は非常に気分が悪いものだった。
見ると、幸太郎を見ると白目をむいて気絶していて、その白いふわふわの毛並みはかぴかぴに干からびていた。
このままだと、元に戻るどころの話じゃなくて、幸太郎はどこか違う世界に旅立ってしまう。
「か、火恩寺君!ストップストップ!」
「はい?」
わたしの声に動きを止めた火恩寺君の手から、幸太郎がこぼれ落ちる。
わたしは何とか床すれすれのところでキャッチした。
さっき抱っこしたときよりも大分質量が減っている気がするけれど、一体何が吸い取られたっていうんだろう。
わたしの腕の中に落ちた幸太郎は半目を開け、
『ベルガモットのほうがまだ優しいぞ……』
と言い残して再び気を失った。
ああ、幸太郎が未知なる扉をどんどん開いていく……。
「何をしているんだ?すごい音がしたぞ!?」
「な、東屋の天井に穴が……!」
何人かの先生が、音に驚いて駆けつけたようだった。
一階の窓からこちらをうかがっているのが見える。
「あ、やべぇ」
火恩寺君は姿勢を整えると、天井を標的として見定める。
まさか、開けた穴から天井に飛び乗る気?
なんて思っていると、
「ミサ、逃がしちゃ駄目ー」
とまほりの声が飛ぶ。
え、でも、逃がさないためにどうしたらいいの?
おたおたしているうちにも、火恩寺君は飛びのろうとして膝を曲げた。
ああ、もう!
「火恩寺君、待って!」
「姐御?」
わたしがそう言うと火恩寺君は行動を止める。
「こ、ここで逃げて良いの?悪いことしたのに逃げちゃうんじゃ、1年の頃と何も変わらないね!修行とか言ってもそんなの口だけだったんじゃないの!」
足をがくがくさせながら、わたしは言う。
ああ、殴られたらどうしよう、怒鳴られても怖いな、ああ、あああ。
そんな心を抱えているのを火恩寺君は気づいているのかいないのか、わたしの言葉に表情を引き締める。
神妙な面持ちで火恩寺君は口を開いた。
「分かりました、姐御。そうですよね、ここはしっかり折檻を受けてまいります。それでこそ漢だ」
「う、うん。せっかん?」
「俺は漢になって来ます。姐御にふさわしい奴になれるように」
そう言うと、わたしの前にひざまずいて一礼した後、先生達のほうへと駆けていった。
それはもうものすごい勢いで。
「先生達、倒されそうな勢いだね」
「だ、大丈夫かな」
「でもま、とりあえず、わたし達は逃げよっか」
「え?でも……」
「ミサは、今日すでに絞られちゃってるし、器物破損したのは火恩寺君だしね。逃げるが勝ち!」
そう言ってまほりは重そうな手さげをいとも簡単に持ち上げると、さっさと東屋から出て行ってしまう。
「え、まほり!」
わたしもお弁当箱入れと幸太郎を抱えながら、後を追った。
何なの、この出来事のごった煮状態!?
穂波君に告白されるわ、幸太郎にキスしようとしたら火恩寺君は帰って来るわ……。
明日学校に来るの、すごく嫌だな……。
それもこれも魔法のせいなの?
今まで気づかなかった誰かの思いに、わたしが気づく魔法がかかってしまったから?
だとしたら、そんなの余計なお世話だ。
でも、今までの恋愛のれの文字も意識しなかった日常が正しいのか、今のわたしには正直分からない。
何にしても、たぶんもう、わたしの周りに『変』の種は蒔かれてしまった。
現場から逃走しながら、わたしはそう思っていた。
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