ちょうどいい私は、無理めの宮久土先輩のくるぶしをかじりたい

KUMANOMORI(くまのもり)

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「っ」

「ほぉら。嫌だね、すぐ泣いた真似してさ。そういうのはね、若くて可愛い子がやるからいいんだ。いい加減分かれよ。お前は俺に捨てられたんだよ」

「やぁだ。健ちゃんたらひどぉい」
「でもさ、察しの悪い女にはちゃんと引導を渡してやらないとなぁ」
「ストーカーになられても困るもんなぁ」

 楽し気にあげつらう声に、莉子は今夜自分がここに呼ばれた理由を理解した。
 もう、何をどう言おうとも無駄なのだということも。

 ここで涙をみせる訳にはいかなかった。

 こんなことになるまで、自分が婚約した男の本性に気づかなかったという後悔と。
 こんな頭のおかしな男と結婚しないで済んで良かったという安堵と。

 騙されていたという恥辱と、最後の最後に晒し者されてこれから先ずっと嘲笑われる存在として貶されたのだという悔しさが渦となって莉子の心を圧し潰した。

 婚約破棄についての話し合いをしようにも、酔っぱらい共多数と莉子一人では太刀打ちできる気がしなかった。

 後日にしようと心に決め、毅然とした態度で、店を出たい。
 出ようとしたが、けれど足に力が入らない。

 震えだす体を、押さえつけるのが今の莉子には精一杯だった。

 崩折れそうになった莉子の身体が、抱き寄せられた。

 がっしりとした腕と程よく鍛えられた胸筋。
 莉子の後ろに立っている男はかなり背が高い。

「捨てたなら、僕が貰っちゃおっと」

 聞き覚えのない低い声が、耳元に響いた。知らない男の声だ。

「え?」

 あっけに取られている間に、腰を掴んでいた右手が、男が腰を掴んでいたせいで前へ突き出されていた莉子の胸の頂をするりと掠めながら喉元を通って、顎が持ち上げられた。

 そうして初めて莉子は男と視線を合わせた。

 揺れる黒髪の隙間で、黒い瞳が、笑っていた。

 切れ長のその瞳には、欲情が燈っていた。妖しく光る瞳に魅入られるように、莉子は求められるまま唇を薄く開いて男を招き入れた。

 ぬるりとした熱く湿ったものが、莉子の熱い口腔内を蠢く。
 縮こまる舌を絡め取り、ずにゅずにゅと擦り合わせる。唾液を捏ね、貪る。

 これは、……これが、キスなのだろうか。

 健司としていたキスと、それは同じようでまったく違っていた。

 顎を持ち上げていた指が、反った喉をかすかに触れながら何度も滑っていく。
 上へ、下へ。鎖骨を掠め、また上へと動き、耳たぶを擽る。

 その度に熱が生まれ、身体が震える。

 莉子は、男に食べられる、と感じた。
 食べられてもいい、とも。

 周囲の目などもうどうでも良かった。
 舌を絡め合う度に背中へ電気が走り、それは腹の奥に溜って熱を生んだ。


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