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欲求不満物語
♨欲求の行き先
しおりを挟む「もう一回言って」
ソラは部活を終えて、いつものように、紫藤の作業部屋、もとい、第二美術室へやって来た。けれど、そこで、常時と違う紫藤の反応に驚きを隠せない。その反応とは――
「わかった。もう一度言うよ。ソラ、お前暫くここに来るな」
さらりと、ちょっと紅茶入れてよ、とでも言うような口調でいわれたその一言だった。
「先輩、来るなって……。でも、先輩、出品する絵には、おれをモデルにって言って――」
「それはそうだけどさ。お前、家のこととか色々ごたごたしてるっぽいだろ?」
「でも……先輩だって、絵の搬入日がどんどん近づいてるし、放っておけないよ」
紫藤はゆらりと、振り返ると、しんとした目でソラを見つめる。
「俺は平気だよ。それにな、俺は、お前にだけは家族関係でごたごたして欲しくないんだよ。仮にも血が繋がっている者同士が、いがみ合うなんてのは勘弁して欲しい。辛いだけだからな」
「先輩……」
「まーお前んちのことを、俺んちのことに置き換えてもしょうがないんだけどさ……。とにかく、お前が家のひととちゃんと話し合って、落ち着くまで、俺はお前に頼るわけにはいかないってことだ」
「判ったよ……」
「じゃあ、早速、今日はもう帰れ」
「え、今日から?」
「そうだよ。俺がソラ断ちするには、予行演習が必要だからな」
紫藤はソラの髪を撫でて言う。
「何それ。でも、判ったよ。ありがとう先輩」
「ああ、気をつけて帰れよ」
まだ真っ白なキャンバスに向かい合ったまま、紫藤はヒラヒラ手だけ振ってみせる。
「うん。先輩も頑張ってね」
そう返事する。紫藤の心配は痛み入るけれど、ソラはちょっとしたうら寂しさを覚えていた。
肩透かしをうけた気分だった。
紫藤が自分を必要としてくれるから、ここに居なくちゃいけない、とソラは母さんに言い訳して戻ってきたのだ。けれど――それは本当に正しかったんだろうか?
折角気を使ってくれた紫藤の為にも、さっさと母さんとの攻防の決着をつけてしまおうと、ソラは帰宅すると早速実家へ電話した。
けれど、母さんは身の程を知ったでしょう、帰ってらっしゃいの一点張りで、交渉はあっさりと決裂した。美術室に通わない日々が何日か続き、郵便で父さんの仕事関係の読本が何冊か送られていた。
これはまるでソラが家に帰って、さっそく父さんの仕事を手伝うかのような、地固めに思えてならない。母さんは昔から強引なところがある。あくまでもそれは、ソラに対してだけ発揮されて、父さんに対しては全きおしとやかな女性だけれど。ソラはそれに結構振り回されてきた。
いずれにしろ、今回ばかりは、素直に教授してはいられない。ソラの人生が丸々かかっているのだ。
その一式は明日ゆっくりと返送することにして、ソラはれみの作ってくれたチャーハンとチャーシューと、サラダの夕飯を一人で食べた。部屋の時計を見る。帰ってからごたごたやっていて、もう八時を回っている。
れみは例によってイベントのお仕事で夜通しパーティに参加することになっているらしい。紫藤はまだ帰って来ない。ここ数日がそうであったように、きっと今日も帰って来ないだろう。作業は進んでいるんだろうか。
(先輩、倒れてないといいけど……)
前例もあるし、紫藤にはあまり無理をして欲しくない。出来るなら紫藤の傍に居て、ストッパーになれればいいのだけれど、紫藤が平気、といっているから、取り付く島がない。
(先輩は、……本当は何が描きたいんだろう?)
ソラをモデルにしたいと紫藤は言っていた。でも、実際素描したのは未完成のあのヌードも含めて二回だけだ。
ひょっとすると、紫藤が描きたいものは、ソラの姿じゃないかもしれない。紫藤が物思いに耽ったかと思うと、何かに駆り立てられるように描く下書きはみな、抽象画で、ソラの姿をしたものではなかった。
紫藤の描きたいウェヌスというものは、ソラの中にはいないのかもしれない。ソラの中には本当は無いものを、ソラの中から捻りだそうとして紫藤は苦労しているのかもしれない。
そう思うと申し訳なくなる。
モデルが悪くて何も描けないのだとしたら、それこそ、宝の持ち腐れになってしまう。
(おれに出来ることって……まさか。先輩の邪魔をしないこと、とか?)
こういうことを深く考えるととんでもなく落ち込んでしまいそうなので、ソラはさっさと夕飯を食べて、眠ってしまうことにした。
朝起きても、紫藤とれみは帰ってきた様子がなかった。れみはどこかのオニーさんだか、パパさんだかと十分楽しんで帰ってくることが用意に想像できるけれど、紫藤には――そういった想像は決してしたくない。きっと絵を描いていて、こっちに帰るのが面倒になったから、寮のほうに泊まることにしたんだ、とソラは自分を納得させることにする。
それに紫藤には家族のごたごたを片付けるように、言われているのだ。ともかく、母さんとちゃんと話し合う機会を設けないといけない。
(おれは、まずおれのしなくちゃいけないことをやろう)
そう気合を入れて、手軽な朝御飯をつくり、それを全部平らげた。さくさく支度を済ませ、送られてきた本を梱包された時のままカバンにつめて、家を出た。昼休みにでも学校を抜け出して返送してしまおうと思ったのだ。
それにしても、なんだか拍子抜けするくらい、静かな朝だった。良く言えば平穏、悪く言えば平凡、実家に居たときにはこうした朝は珍しくもなかった。でも、どうしてだろう、今、そのときの平穏に戻ろうとしたら、何かが決定的に足りない気がする。にぎやかしの紫藤に、それに便乗するれみ、そんな図式が当たり前になっていたのだ。
クラスに着くと、ソラが実家に戻った次の日から慣例になっているように、秋本が真っ先に、そばに寄ってきた。
「おはようございます、天晴さん!」
鬼気迫った勢いで、駆け寄ってきて、挨拶すると、すっと手を差し出す。
「お、おはよう……秋本」
「はい!お荷物をお持ちします!」
「え、う、うん……」
ソラが狼狽しながら、カバンを差し出すと、恭しく受け取って、ソラの席まで運んでいく。
ソラの母さんの手先だということがバレて、ソラがほんの少し、手痛いお仕置きをしてから、秋本はすっかりソラの舎弟に成り下がってしまった。
「ねえ、秋本。こういうのいい加減やめてくれる?」
ソラが席に座ると、秋本はサイズの小さめの椅子を他のクラスメイトの机から拝借して座る。まるで割れ物に注意、みたいな反応の秋本にソラは居心地の悪さを感じずにはいられない。
「そーゆうのやってて、疲れるでしょ?」
「滅相もございません!とんでもねぇです!」
「もう……」
ソラは溜息をつく。
秋本のあの奇妙奇天烈な報告書は少し気味が悪いと思ったけれど、後からしっかり確認してみると、問題があるのは母さんの方なのだ。
ソラが入学する高校に事前に探りを入れて、同じクラスになるメンバーの名簿を手に入れ、片っ端から連絡を入れていったらしいのだ。そんな容易に名簿が洩れるのには学校にも問題があるけれど、その辺は多分、母さんの強引な話術の賜物なのだろう。秋本は母さんにのせられて、ソラを見張る役目を与えられたらしいのだ。
「ねえ、秋本。おれは秋本のことを友達だと思ってるんだよ?そんな風に対応されたら、なんか、余所余所しくて悲しいよ」
「天晴……さん」
「さんってつけるなよ」
「で、でも……」
「秋本は母さんに変な役目押し付けられて困ってたんでしょ?」
「まあ、困ってなかったといえば、嘘になりますけど……て言うかむしろ天晴さん見張ってるのって楽しいっていうか……ドキドキするっていうかモンモンするっていうか」
「その辺は、秋本は真性のストーカーっていうことで納得するよ。だからさ、普通に戻ってよ。さん、なんて付けないでよ」
「天晴……ちょっと気になるところもあったけど……。まあ、天晴がそう言ってくれるなら、オレは喜んで、これからも天晴を見張らせてもらうことにするよ!」
「はあっ?おれが言ったのはそういうことじゃ――」
予想外の秋本の立ち直りの速さと、その方向性にソラは危険を感じる。さっと秋本はソラの手元にケータイを差し出してくる。
「丁度良かったぜ、天晴。お前の日々の行動を綴ったブログの人気が上々でさ、このまま打ち切るのは忍びないな、って思ってたんだ」
――オレの心ど真ん中日記――
スマホのディスプレイには、メルヘンな丸文字に加工されたブログのトップページが写されている。
「語呂悪……」
(いや、そんなこと言ってる場合じゃなくて……)
「紫藤先輩にも協力してもらっててさ、天晴のイラストとかも盛りだくさんでお送りしてるんだ。天晴も一度はアクセスしてみてくれよ」
「せ、先輩も協力っ?な、何それ……そんなの聞いてないよ!」
「いやー、だって、『ソラには内緒にしとけよ、絶対反対するから』って先輩に言われちゃったしさ。強力な助っ人にはこっちとしても逆らえないっていうかさ」
ソラはスマホ上の秋本の日記を捲る。試しに、四月十五日のところを指定して、決定ボタンを押してみる。
まず画面に映し出されたのは、ソラのイラストだった。
制服の前がはだけて、床に背中を預けるソラの姿を描いている。画面を下へ下へと進んでいくと、それはコマ送りのように、ソラが少しずつ脱衣をしていく仕組みになっているようだ。下へ下へ――ソラははだけるだけに済んでいた制服の上を完全に脱がされ、今度はズボンの前が開いていく。チャックが開いて、ズボンの位置がどんどん下に下がっていく。しまいには下着以外全て脱がされ、今度は残った下着まで――
「こんなの……、こんなの、許すもんかー!」
ガッと起立すると、ソラは頭を抱える。その手にあったスマホは教室を飛び、後ろの壁にぶつかって落ちた。
「ぎゃあ!オレのスマホっ!新調したばっかなのに!」
「そんなブログ、抹消されれば良いんだ!」
「天晴……そんなことになったら、がっかりする奴が大勢出るだろ」
「大勢って誰だ……よ」
ソラが問うまでもなく、至極丁寧なことに、クラスメイト全員が挙手していた。
「……」
「ほらな、みーんな天晴の日々の生活を知りたくて知りたくて仕方ないんだよ。特に、紫藤先輩との関係をピックアップした回なんか、アクセス数がハンパじゃないんだぜ?」
「……みんな、除き趣味の変態ばっかってことでしょ?」
「そうじゃねえよ。皆天晴のことを心配してだなぁ……」
「はあ、……もういいよ。もう、判った。おれが心休められる場所はないんだってことがよーく判ったよ」
「何言ってるんだよ、先輩の隣が天晴の定位置だろ?」
「はあ……」
秋本が言うほど、ソラと紫藤との関係はシンプルなものじゃない。それに、ソラが思う限り、とんとん拍子に関係が深まっているってわけでもない。右往左往状態で、いつも不安でいっぱいなんだ。
「とにかく、これ以上おれのことをブログに書き込んだりしたら、おれもそれ相応の対処をするからね。秋本の観察日記とかを作ったりとかするから!」
「え、マジで?(そういうのもドキドキしなくもないけど……)」
「マジだよ。だから、今はせめてその……なんていうか、この……変な絵だけは消してよね!」
「先輩が折角描いてくれたのに……」
「消してよね?」
ソラは軽い笑みを浮かべて、秋本に念を押す。秋本はこれに弱いことをソラは最近知った。
「……はい」
秋本は気圧されるようにして、そう返事した。
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