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追ってきた強敵

♨昔の強敵と今の強襲

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 ソラには、中学時代強敵がいた。
 強敵と言っても、出会ったときから宿命のライバルのような存在だったわけじゃない。
 始めは仲の良い友達で、とある出来事から敵になった。という青春ドラマなんかでありそうな存在だった。
 その強敵は、敵になったソラに、卑劣な手を使って何度も、嫌がらせをした。それに、学年中に顔が利く男だったので、学年総出で、ソラは、とことん嫌がらせさせ尽くされた。助けてくれる人間なんて誰もいない。強敵に逆らうと面倒だとみんな判っているから。
 強敵は、喧嘩の強い暴君だった。
 要するにただの乱暴者だったのだけれど、ソラが恐れていたのは、殴られたり、蹴られたりすることじゃない。ソラが恐れていたのは、過剰で……。
 執拗な。
 愛情表現だった。

 ソラは当時、今よりも太っていて、背も低かった。色が白くてその上当時はぽちゃっとしていたから、まるでマシュマロのようで、ソラにとってそれはコンプレックスだった。
しかし強敵は、そんなソラの容姿をひどく気に入っていたらしい。ひどく、いやそれじゃたりない。狂乱するほど、気に入っていたのだ!
 ソラの頬や腹の肉をつかんでは、
「これはオレの肉だ。誰にもやるな。痩せたら、ぜってえ許さねェからなっ」と言ってくるほど。
 強敵のことは、少し気が短いけれど気の良い友達だとソラは思っていたから、笑ってそれをやり過ごしていた。

 けれど、ソラに好きなひとが出来てしまってから、その関係は崩壊の一途をたどった。そりゃあ中学生にもなれば、恋の一つや二つするのが普通だ。
 しかもその子はクラスでも指折りの美少女だったので、ソラは、この恋は到底叶うわけがないと思っていた。ただ、どーしても諦めることができずに、ダイエットをすることにしたのだ。
 今よりも痩せて少しでもカッコよくなれば、ふり向いてもらえる可能性は増えるんじゃないかと純情なソラは考えた。

 しかし、ソラの肉を愛している強敵がそれを黙って見ているわけもなく、ソラの大好物のいちごケーキや、いちごプリン、いちごカスタードシュークリームなんかを毎日山ほど学校に持ってきては、ソラに無理やり食べようとするようになった。
ソラが少しでも拒絶するものならば、全クラスに召集をかけて、ソラを捕獲して、無理やり食べさせた。そんなこんなで、ソラは痩せるどころか、益々太り、中学卒業の頃には90キロを超える巨体になっていた。

 ソラは今でも忘れることが出来ない。
 いちご味のお菓子を手に抱えた同級生が、軍団になって自分を追いかけてくるその恐ろしさを。考えただけで、全身の毛穴が開く感じがする。
 とにかく是が非でもその強敵から離れたいがために、ソラは、実家から程遠いこの学校に入学したのだ。





 入学式から一週間経ち、ソラは大分高校に慣れてきた。
 ついでに、強敵がいるかもしれないという危惧もだんだん薄れてきていた。一週間、一度もやつとは顔を合わさなかった。
ひょっとしたら、やつはこの学校には居ないのかもしれない。入学式の日のあれは、見間違えだったのかもしれない。と、結構都合のいいことを考え始めていた。
 これで、紫藤の強襲がなければ、もっと幸せな気持ちに浸れたに違いない。


「ソラ。また描かれてるぞ。天才紫藤クロウ画伯のご登場」
 移動教室のあと、教室に戻ってクラスの誰かがそう言ったなら、ソラは呆然としなければならない。
《美術はいいぞ。深いことなんていらない。ただ、そこにキャンバスがあるから描くのだ!そこに木があるから削るのだ!愛するソラよ。いざ給え!我が美術部へ!》
 どこから仕入れてきたのか、ソラが見たこともない、銀やら金やらのチョークを使って、それは毎度毎度、ソラのクラスの黒板全面に描かれている。

 美術部への勧誘の言葉と、ソラの似顔絵、いや、似姿が、《歯軋りをするソラ》、だとか、《脱衣のソラ》だとかが、一々題目付きで、描かれているのだ。
それがまた、チョークで描いたとは思えないほどの見事な線捌きなので、ソラが黒板に飛びかかるみたいに走り寄って真っ先にそれを消そうとすると、勿体ないよ、と数々のクレームが浴びせられる。
 そんなこと言われたって、ソラは困る。
 紫藤がクラスの黒板に描いては去っていくのは、他ならぬソラのポルノだ。
 しかもそこに、
《焦らすようなスピードで脱ぐソラ》。
――脱げ、と世界中が叫んだ瞬間――だとか。
《すぴすぴ寝言を言うソラ》。
――嗚呼、君の石竹色の口唇は、僕の心を惑わしてやまない。彼が目覚めたら、さあ、こう叫んでソラにキスして貰おう。キッスミー・プリーズ!――
だなんて、決して要らないコメントが書いてあるのだ。これは消さないわけにいかない。というか積極的に抹消したい内容だ。
 こうした紫藤のラブコールの所為で、ソラはすっかりクラスの中で人気者というか、からかわれ者になってしまっていた。殊に、ノリの良い男子なんかは、

「よ、マイハニーソラきゅん★」
 なんて言っては、ソラの反応を楽しんでいる。
 これでは、中学にいた時と、状況は対して変わっていない気がしてならない。唯一ましなのは、皆がこぞって追い回して来ないことぐらいだ。


「はあ。秋本お~。おれ、転校しようかなあ……。するなら、どこがいいと思う?薪蒔高校なんてどう思う?あそこ、進学校だっけ。勉強も、今から入れば追いつけるかな」
 四時限目の科学室の実験から帰ると案の定、黒板には紫藤の愛の囁きが残されていた。ソラは、やっとのことで全てを消し終えて、机にぐったりとなだれ込む。
「まだ入学したてのピッチピチの一年生がなーに言ってんだよ」
 秋本は擬態語がいちいち古い。
「お前がおれの立場になってもそのセリフが言えるか……?おれがどれだけ高校生活に希望を託していたと思ってるんだよ……」
「順調な滑り出しだと俺は思うけどな。紫藤先輩に気に入られる奴なんて、男も女も中々いないって話だぜ?美術部に入部するにも、先輩がゴーサイン出さない限り、入れないらしいさ。狭き門ってわけだ。お前は、その門を何の苦労なくくぐれる果報者ってわけ」
「そんな果報、捨ててやる……」

 家でも紫藤は、れみの目を憚ることことなく、靴の裏のくっついたガムのようにしつこくソラに付きまとってくる。
肝心のれみが、文句を言うどころか、二人の様子を寧ろ楽しそうに、見守っているから、益々紫藤はそこにつけ込んでいる感じだ。
「……なあ秋本。せめて、宿を貸してくれない?秋本ってここの寮入ってるんだろ?おれ一人くらいおくスペースないかな」
 我ながら良いアイデアだとソラは思う。れみには、懇親を深める友達同士の集まりで、しばらく泊まりだ、とでも言っておけば良い。れみは、遊びに関しては寛容だから。
「いいけど。襲うぞ」
 秋本は神妙な顔して言う。ソラは拍子の抜けた声をあげてしまう。
「は?」
「一年と三ヶ月、二週間と五日ご無沙汰な俺。寝ぼけてお前を襲う自信は少なくとも九割九分九厘あるな。残りの一厘に賭けるっていうんなら、喜んで泊めるけど?」
「い、いや、良い。喜んで遠慮するよ」
 ご無沙汰期間、そんなの数えているなよと、思う。

「そうか、残念。俺さ、お前なら正気でもイケる自信結構あるんだけどなあ」
「そんな自信、一刻も早く捨てろよな……」
「ま、とにかくさ。ソラ、今ここでそんなに悩んでてもしょうがないだろ。ってことで、気分転換がてら、俺にクリーム・スパイシー・カレーパン買って来てくれよ。二個な」
 秋本は、じゃらじゃら十円ばかりの小銭をズボン横のポケットから出して、渡してきた。クリームかつスパイシーなカレーパンとはどんなものだろう、と思う。
「おれは、秋本の小間使いじゃないんだからな……」
 ソラは渋々受け取る。
 でも、秋本のいうとおり、お使いも気分転換くらいにはなるかもしれない。

 だが、そのお使いが運の分け目でもあった。

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