生きてたまるか

黒白さん

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14:Around The Secret

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 僕は少し考える。
 食糧難といったサバイバル要素もあろうが、僕らにとってはやはり、今さっき遭遇したばかりでもある、フリーハンドを得た悪人からの危害だろう。
 桐生にそう言うと、否定はしないがと、ひとつ首を振る。
「放射能による被爆だ。これは、暴力とは違い、逃げようも、避けようもない」
 思わぬ答えに、僕もアヤカも表情を歪める。
 確かに前世紀、世界の終わりは、必ず核戦争によってもたらされ、生き残った人類は死の灰のフォールアウトに、身体を蝕まれてゆくのが定番の設定だった。だが、少なくとも今は、その危険はないように思えるが。
「核兵器ではない。原発さ。世界中に存在する、原子力発電所だ」
「……原発が、どう関係するんですか?」
「電気を作る発電所であろうと、運用に必要な電力は外部供給に頼っている。それは人間が消えればやがて止まる。非常用電源は一日分くらいだ。発電以外の用途の原子炉や、再処理工場も全て同じだ。外部からの電気が止まると、循環ポンプが止まり、冷却水が止まる。そうなれば水素などによる爆発か、メルトダウンが起き、炉心は崩壊する。これは必ずそうなる」
 ちなみにこの爆発は、核爆発ではなく、また原発が核爆発する可能性はほぼ無いとも、桐生は付け加えた。
「過去、原発で発生した重大事故は、みんなこれだ。電源を喪失しても冷却可能な、モジュール型小型原子炉への転換などが模索されていたが、実用的ではなかった。なだめすかして使っていた神の火の制御を、人類は結局できなかったんだ。まあ、こんな事態は、想定を通り越していただろうが……。人間が消えてから、九ヶ月が経つ。稼働していた世界中の原発は、全て崩壊しているだろう。むき出しの核燃料を野ざらしに、放射性物質を放出し続けた状態でだ」
 トシキとアヤカほどではないけれど、本好きだった僕には、理解の及ぶ話だった。と言うよりも、なぜ今までそのことに思い至らなかったのか。
「これが、人間という責任者が消えた社会が、地球にもたらす災厄だ。昔ながらのSFなどで、人類が消えた後の、理想郷めいた世界が描かれたりするが、原発がある限り、そんなものは実現し得ないのさ。世界の終わりのその先を、ささやかに夢見ていた好事家たちにとって、あれはその夢を根こそぎぶち壊す、嫌な存在なんだ」
 原発は、よそからの電力があることを想定して作られ、運用している。
 電力が完全に無くなることはないという前提は、当然至極の安全保障となっているので、本当に電気が止まった時のシミュレーションなどは、一切行われていなかっただろう。
 だが、実際にそれが起こった今、どうなっているのか。
「電気が消えた世界で、崩壊原発が出す放射性物質は、人類にどのくらいの影響をもたらすのか……、過去の情報を調べても、予測は全くされていなかった。それほど心配することもない程度のものなのか、場所によっては、危険もあるのか……」
 桐生が机の上に置かれていた紙を取り、僕らに渡して見せる。
「私とアカリ、そして数人の調査班が、日本中を車で回っていた主目的は、生き残りの捜索だが、もうひとつは放射線量の計測だった。あの車の中にも計測器があったはずだ。それらを使って計測した結果がこれだ。先月までのものになるが、日本中の線量を図にしたものだ」
 月ごとにプリントされた日本地図に、色分けされて数値が表記されている。かなり精緻で、細かく測定された結果であることがわかる。
「八月あたりから、ここ京都でも、加速度的に線量が増加し始めた」
「……この数値って、その、どのくらいのものなんですか?」
「平時であれば、とっくに避難勧告なり、退去命令が出される数値だろうな。特に、関東近辺から東北の太平洋側は、近づくことも躊躇させられるほどに、線量が高い。どこかの原発が、よほどひどい崩壊をしているのかもしれない。他にも、日本のあちこちに、高線量のエリアが存在しているのがわかるだろう。ホットスポットというやつだ。国内の原発はもとより、大陸、世界中からもたらされる、放射性廃棄物の降下も、影響しているのだろう。……もうどこにも、安全な場所は無いよ」
 僕らのいた都内は、未計測で数値は書かれていないが、その周囲がとんでもない線量であることが見て取れる。
「私たち生き残りにも、徐々にその影響は出始めていた。九州と山陰のホットスポット地域から移ってきていたメンバーが、先々月と先月、相次いで亡くなった。症状は典型的な放射線障害だ。水晶体への影響で目が見えなくなり、消化器官からの出血による下血が起こる。衰弱の末にやせ細って、やがて息を引き取る。……精神的なものもあろうが、不調を訴える者も増えてゆき、私たちは追い詰められていった」
 放射線障害。過去の事故のニュースでしか用いられることのなかった単語が、トシキとアヤカの症状に繋がる。そうか、そうだったのか……。
「海外の拠点とは、相互に連絡を取り合っていたが、どこも同じように危機的な状況が伺えた。そのうちのひとつ、EUから重要な情報が入ってきた。地球上はもう、今後も増え続ける死の物質によって、ほとんどが人の住めない場所になるが、原発の位置と拡散の予測によれば、南半球の一部のエリアでのみ、汚染はほぼなく、今後も影響のないレベルで収まり続ける可能性があるので、生き残った人類皆で、そこへ移住しようという計画が動いていると。ついては私たちにも、それに参加して欲しいとの打診があったんだ。先月のことだ」
「移住? どうやって、ですか?」
「人口五億のEU地域でも、生き残りは二千人強だが、その中にクルーズ船の乗組員や、航海士などが生き残っていた。彼らが操縦する大型船と貨物船が、人類存続に必要な資材を満載して、現在地球上を回り、各地に寄港して生き残りを収容している。向かう先はさしあたって豪州ニュージーランドだが、汚染状況によってはさらに先の離島を予定しているという話だ。言わば、ノアの箱舟というところだな。少しの議論はあったが、ここの生き残りの全員が、それに参加することでまとまった」
 なるほどと頷く。人類に残された希望のような船旅には、聖書からの引用が相応しく思えた。その船はいつ日本に来るんですかと聞くと、もう来て出港したよと、桐生は答える。
「予定通りであれば、おととい大阪港に到着し、昨日出港しているだろう。ここの生き残りは全員、三日前までにここを引き払った」
 誰もいないのは、そういうことか。ここはすでに、捨てられた拠点だったのか。
 けれどもなぜ、桐生は残っているのか。
「箱舟が来る前に、危険で近づかなかった関東地域やそれ以北へ、一度だけ捜索しに行ってくると、アカリはひとり出かけた。残された者がいるかもしれないからと。……そのままアカリは、帰って来なかった。私はひとり、ここに残った。アカリを置いて、どこへも行く気はなかった」
 僕らにまっすぐに目を向けて、機械的に話を続けていた桐生が、そっと視線をそらして言う。人間臭い感情が、初めて伺えた気がした。桐生とアカリはきっと、特別な関係だったのだろう。
「皆を送り終えた、その日の深夜に、友井だけが戻ってきた。暗視ゴーグルを着け、所持を禁止していた対人武器、テーザー銃を構えてだ。アカリの帰りを待ち続けていた私は、監視モニターを起動させていたので、事前にそれを発見できた。こっそり忍び込んでくる友井の意図を、私はすぐに察知し、部屋のドアを開け放って、見つからないよう姿を隠した」
 さっきの男の名前が出てきて、僕もアヤカも表情が硬くなる。
「……友井は、私と同世代の、フリーターをしていた男で、精神的に不安定だった。平時から異性との関係がうまく作れず、ここで結ばれた友人や恋人たちに悪意を持っていた。目つきや言動が次第に険悪になり、近づかれるのを恐れる女性もでてきた。私もずっと懸念していたが、箱舟への乗船が決まり、世界中の生き残りたちとの新しい暮らが始まれば、変わってくれると思った。……けれども彼は、ひとり戻ってきた。おそらくは、黙って姿をくらましてきたのだろう」
 生き残りたちは、平和に穏やかに、黄昏の時を過ごしている、そんな印象を抱きかけていたけれど、やはり人間の本質は、どこへ行っても変わらないのだろう。
 むしろ友井の行動は、あるべきプログラム通りの動作を全うしたとも……。
「新天地での暮らしよりも、法も秩序も消えたこの場所で、アカリの自由を奪い、己の慰み者として独占する方を、友井は望んだのだろう。私のことは、その前に始末するつもりだったのだろうが、細工が功を奏し、発症して消えたと思ったようで、探されることはなかった。……そこに、君たちがアカリの車に乗り、やって来てしまった」
 ひとつ息をつき、机の上に置いている拳銃に目をやる桐生。友井を殺めたそれは、僕が持ってきた回転式のものとはずいぶんと違い、大きく重そうだった。
「隠れて様子を伺いながら、私は友井を止めること、話し合うこと諭すことを、ギリギリまで考えた。……結局、あの形でしか、友井を止めることはできないとわかったが、あのタイミングまで、君の叫び声を耳にするまで、それをためらってしまったのは、本当に、申し訳なかった」
 もう一度、僕とアヤカに、小さく頭を下げる桐生。
 助けてもらった感謝はあっても、謝られる理由は何もないですと僕が言うと、桐生は首を振る。
「私はここの責任者だった。唯一武器の所持を認められた、リーダーと呼ばれる存在だった。責任は、私にある」
 桐生はここを、大きな生き残りのコミュニティにまで育て上げた創始者だった。それだけの信望を持ち、皆に慕われていたのだろう。最後までその責任を全うした、ということか。
「そういうわけで、ここにはもう、私以外の誰も残っていない。もう数日来てくれるのが早かったら、箱舟に乗ってもらうことができたんだが……」
 桐生の言葉に、そうか、と思う。そういう選択肢もあったのかと。
 僕は乗らなかっただろう。そんなのに乗ったら、そこでも、その先でもまた、これまでと同じことが始まる。
「そんな船、乗りたくないです」
 アヤカが言った。僕の気持ちを代弁するように。
「どこへ行っても、ずっと、こう。もっとひどくなるかもしれない。あたしは晶について来ただけ。もういい。生きていられなくても、いい」
「そうか。私も、同感だよ」
 桐生が言う。
「私はただ、アカリが喜ぶから、ずっとこうしていただけだ。アカリは人間と社会の再生を望み、名前そのもののように、生き残りの皆を明るく照らし、励ましてくれていた女性だった。そのアカリも、もういない」
 都心まで来て、生き残りを探し、僕らに呼びかけていたかもしれない、アカリという女性。
 もう少し早く、僕が車を見つけていたら、会えていたような気がする。なんだかそれが、ひどく悔やまれた。
「アカリの代わりにやって来た君たちを、友井から守ることで、私の役目は終わりだ。どうあれ私は、仲間を手にかけてしまった。その責任を取るのも、私の義務だろう。……車内に、タブレットは無かったか?」
 ありましたと答える。桐生は席を立ち、立てるか? と聞いてくるので、僕は頷く。
「調査で得られたデータが、そこに保存されている。アカリの最後の仕事だ。見ておきたい。説明したいこともあるから、私と一緒に車まで来てくれ。……その間に、小さい子の方はシャワーを使ってくるといい。上がったら、少し休みなさい」
 アヤカは頷き、僕は桐生と二人で外に出て、キャンピングカーに戻る。
 タブレットを起動し、パスワードを入力してOSを立ち上げる桐生。地図アプリを開くと、後の席にかけなさいと僕を促す。
「……これの説明の前に、大事なことを話そう。さっきの子のことだ」
「はい」
「あの子の兄は、亡くなったそうだな。君と東京で合流するまで、どのあたりに居た?」
 トシキとアヤカを拾った、茨城の高速道路ICのあたりを、画面上で指差し、その道沿い、ずっと北の方から来たと言っていたと伝えると、桐生の眉根が曇る。
「いわゆる原発銀座だ。そのあたりは東京よりも、はるかに高い線量が渦巻いていただろう。あの子とその兄が侵されたのは、病気ではなく、被爆による放射線障害だ」
 ここまでの話の内容で、予想はさせられていた。
「たとえ医者がいたとしても、治療法はない。今後はなるべく、汚染の少ない場所で暮らすくらいしか、できることはない。とは言え、日本にはもうどこにも、そういう場所はないんだが……ちょっと待て」
 タブレットを操作していた桐生が、驚いたように表情を変える。
「データがアップデートされてる。……関東全域の計測どころか、……北海道まで渡ってる。信じられない。青函トンネルを踏破したのか……? 最後に、都内の計測を済ませたのか……」
 東京のどのあたりで暮らしていた? と聞かれ、このあたりですと画面を指差す。
「ホットスポットの逆かな。ココさんの住処と同じで、線量が比較的低い。ここだけで留まって暮らせば、あるいは……」
「ココさんと会ったことがあるんですか?」
「無い。ただいつも、アカリが、いい友達ができたと自慢していた。あなたにも会わせたいと……」
 ひとつ咳払い、話を切って、タブレットを手渡してくる。
「ここで使っていた端末のひとつだが、ローカルにデータが保存されていて、オフラインで世界中のインターネット百科事典を見ることができる。違う言語のものは翻訳ソフトを使えばいい。ネットが消えた今、人類が残した情報を得るための宝物になっていた。名物のウソやデマも、そのままだけどな」
 他にも桐生は、車に積まれていた携帯型高性能GPSや、放射線量計測器の使い方を教えてくれ、今後は居場所も水も食べ物も、必ず線量を計測してから口に入れるようにと助言してくれた。
「他にも、ここの施設に残っているものは、道具でも車でも、好きに持ってって使ってくれ。私たちからの、せめてものお詫びだ」
「あの、桐生さん」
 話の終わりに、ようやく僕は、情けない本音を伝える。伝えずにはいられない。
「色々と、本当にありがとうございます。……でも、僕は、無理なんです。これまでもずっと、死にたかった僕は、もう生きていられないんです。だから、アヤカをここの誰かに、預けに来たんです」
「でも、預けられなかったんだ。だったら、まだ生きられるだろう。あの子のために、生きろ」
 思わぬ強い口調で、桐生は言う。
「君には、守る者がいる。最後までそれを全うしろ。……ふふ。ずっと、自分に言い聞かせてきた言葉なんだがな」
 小さく笑って言う桐生。このひとはずっと、言葉のひとつすらも律し続けているように、目は笑っていなかったのに、今は背負う全てを降ろしたような、穏やかなまなざしが優しげに浮かんでいた。
「……あの、桐生さん」
「何だ」
「いえその……、桐生さんは、どうするんですか」
「とりあえず、アカリの最後の仕事を確認する。それが終わるまでもうしばらく、このタブレットは預からせてくれ。渡す時にはパスワードも外しておくよ」
 桐生はそう言い、別の部屋に入っていった。アカリの部屋だろうか。
 僕は桐生の部屋に戻り、アヤカを待つ。やがて長いシャワー終え、アヤカはどこかで覚えのある匂いをさせて戻ってきた。
「キャンピングカーの……」
「うん?」
「アカリさん、ってひとの使ってたシャンプーかな、それ」
「そうかもね。すごくいい匂い」
 きっと、こういう長いシャワーを、アヤカは何度も浴びて生きてきたのだろう。洗い流せないものを、それでも流そうとして。僕にも覚えがある。
 ベッドの上に座る僕の隣に、アヤカも上がってきて、膝を抱えてくっつく。たまに細く息を吐いている。心の痛みにぐったりと消耗している。こういう痛みも、僕は知っている。知らないままで生きていられたならば、どんなに違っていただろう。
 自分に、何かできることがあるだろうか。誰かを癒したことはないし、誰かに癒されたこともない。どうしたらいいのかわからない。
「守れなくて、ごめんな。僕、うそつきだ」
「お兄ちゃんと、同じこと言ってる」
 笑ってそう答えるアヤカ。ねえと聞いてくる。
「やめろって、誰に言ったの? 友井って男にじゃないでしょ」
「……その、なんて言うか、もっと上の奴に」
「そうだよね。わかったよ」
 ふたりで笑い、珍しく届いたじゃんと、性格の悪い神だかなんだかを褒める。
「あの男、友井も、自分のプログラムに苦しんでたのかな……」
「なにそれ」
「ごめん、なんとなく」
 友井だって、漫画を読んで、アニメを観て、正義を知って成長した世代なのだ。
 欲望や誘惑に流され、誇れるはずのない行為をできてしまう、ザコキャラそのものの己の姿に、戸惑い、迷い、うんざりし、心を入れ替えようとしたことも、時にはあったのかもしれない。
 それでも決して書き換えられない、悪事を嗤うプログラムに、泣きながら操られる愚かな人間たちに、友井に、僕たちに、
 法を無くし、
 秩序を無くし、
 恐れる者を全て無くし、
 アヤカのような獲物を差し出されたら、
 古い快感を呼び起こさせずにいられるだろうか。それに抗えるように、僕らは作られているだろうか。
 しばらくふたりで、話のオチをつけようとするけれど、なにも見つからない。せっかく関西にいるのだから、オチないんかーいと、誰かに拾って欲しくなる。桐生でもいい。似合わなそうだが。
「桐生さんは?」
「車にあったタブレットを持って、部屋に入ってった。調査結果のまとめとか」
「そんなのもう、誰もいないのに、何に使うんだろう」
 言葉の途中で、ぱあんと音がした。それはさっき、聞いたばかりの音だ。アカヤと顔を見合わせ、桐生のいる部屋まで向かう。
 桐生はベッドにもたれ、自分で自分のこめかみを撃ち、亡くなっていた。
 机の上には、桐生と女性が並んだ写真が置かれていた。女性はアカリだろうか。
 写真の中で桐生は、アカリとふたりで幸せそうに、穏やかな笑顔を浮かべていた。
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