生きてたまるか

黒白さん

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09:ほろ馬車

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「あれ?」
 久しぶりの、都心のターミナル駅前。
 大きな書店からの帰り道、目ぼしいものがなく、落胆した気持ちを抱えて通る道すがら、しばらく拠点にしていたデパートの前を通った時に、違和感を覚えた。
「……あんなの、なかったよな?」
 デパート前の路肩に、いわゆるキャンピングカーというやつが止まっている。あんなものはなかった。
「どこから湧いた? あれ」
 車を止めて、近づいてみる。
「……え、あれ?」
 乗車している人間はいなかったが、エンジンがかかったままなのだ。周囲を見回しても、誰の姿もない。
「誰かが、どこかから乗ってきて、降りたばっかりなのか? これ」
 クラクションを鳴らしたり、しばらく待ってみたけれど、誰も戻ってくる様子はない。
 キャンピングカーの中に乗り込んでみる。
「わ、広い」
 アメリカ人がトレーラーハウスに使うような、トイレやキッチンまで付いている本格的なものではないが、それでもワンボックスなどよりもはるかに天井が高く開放的で、ハシゴで登る後部の上段は、広くて立派なベッドになっていた。
 車内やベッドには服が散らばり、車内は何かいい匂いがした。何か月ぶりかにかぐわう、消えた日々の名残りに思えた。
 車外へ出て、ナンバーを見ると、京都ナンバーだった。
 しばらく考え、カーナビを調べてみる。

 トシキが死んでから、一ヶ月が過ぎた。
 トシキの遺体は、小林邸から少し離れた公園の、大きな木の下に埋めた。
 当初、泣き続けるばかりだったアヤカは、やがて以前に戻ったようにふさぎ込み、体調が戻りきっていないのかどうか、ずっと寝てばかりいた。
 ……トシキのばか。僕よりも先に、お前が逝ってどうするんだよ……。
 姉弟三人で暮らしていたような賑わいが消え、落胆と喪失感は、僕に再び、死への欲求を強めていったけれど、やはりできなかった。
 アヤカのことを、トシキに託された。それを裏切り、アヤカをひとりにはできなかった。したくなかった。
 せめて、アヤカの具合を治そうと、ひとりで情報を求めて、本屋などを探し続けた。今日は大きな書店のある都心に、久しぶりに足を伸ばしてみた。
 そこで見つかった、新たな生き残りの痕跡。
 ひとの温もりを残したままのキャンピングカーの、車内に残る生活の痕跡から、その人物は女性のように思えた。
「へえ、そうなの」
 小林邸に戻り、アヤカにそこまでの情報を伝えても、特に興味も示されなかった。
 想定していたその反応を受け、決めていたことを空元気を出して、アヤカに伝える。
「アヤカ、旅行へ行こう」
「はい?」
 人形のそれのような、長い睫毛を瞬かせて、アヤカは訝しげな表情になる。
「その車がやって来たとこまで行こう。場所は京都だ」
 カーナビを調べたら、走行履歴が出てきて、出発地は京都市内のある場所だった。
 四月にひとが消えてから、七カ月以上経っている。それまでの長期間、人間が生存していた小林邸のような拠点が、京都にあるのだろう。
 そこにはここよりも、多くの人間が集まっている可能性はないだろうか。その中にあわよくば、医者が残ってくれていたら、アヤカを診てもらうことができる。少なくともできることはずっと増える。
「……いいよ。ひとがいっぱいいたら、また同じことをされるし、怖いもん」
 アヤカの当然の懸念だろう。法の消えた世界だ。モヒカンにして肩パットをつけた、わかりやすい悪人が待ち構えているかもしれない。
 けれども僕は、なんとなくそれはないような気がしていた。
 キャンピングカーの運転手は女性だった。そして車内には、対人用の武器も防具も見当たらず、危険への恐れや備えが感じられなかった。
 すなわちそれは、目的地も、ここまでの道中も、女性がひとりででもやって来られるくらいには、安全だという傍証になるのではないか。
「大丈夫、心配しなくてもいいよ。僕がアヤカを守るから」
「…………」
 なにやら目を泳がせるアヤカに、頭を掻きながら言う。
「あ……、いやその、僕なんか全然たよりにならないのはわかってるけど、ほら、トシキの形見がある」
 トシキが肌身離さず持っていた、なんだかあまり強そうには見えない、リボルバー式の拳銃を出して見せる。小さな銃身には、どういう意味か名前なのか、サクラと書いてあり、さらにはかなく弱そうな感じがするのだけれど。
「弾だっていっぱいある。野犬でも猛獣でも、なんなら悪者でも、こいつでぶっ殺して、アヤカには近づかせないよ」
 気が進まなそうな様子のアヤカに、僕は口調を改めて言う。
「アヤカ、僕はさ、他に人間が残っている場所があるならば、そこに行ってみたいんだ。それまで僕には、アヤカが必要なんだ。一緒に来て、一緒にいて欲しい」
 その理由は、この先アヤカを抱えて、死にたいのを我慢して生き続ける自信がないからであり、そいつらにアヤカを預けたいからだったが。
 アカヤはうつむいて黙っていたけれど、やがてそっぽを向いたまま、いいよ、とだけ答えてくれた。
 よかった。これでまた、ひとりに戻れて、心置きなく死ねる。京都のどなたかにアヤカを送り届けるまで、もう少しだけ死ぬのを我慢しようと思う。

「わ、すごい」
 エンジンをかけてもいないのに、エアコンが動いて効く。普通車とは違い、サブバッテリーを装備する、キャンピングカーならではの機能だという。
「車内広いし、この先寒くなるけど、これならかなり心強いな」
 小林邸の前でキャンピングカーを停め、出発前の支度を整える。カーナビの履歴を確認する必要もあるので、京都までこれを使うことにした。
「なんか色々あるよ」
 車内後部には、用途不明な機械が数台、コンセントを繋がれて置かれていた。電源を入れても、何のためのものかわからない。
「なるべく、そのままにしておこう。京都で持ち主に返すことになるかもだし」
「タブレットもあるよ」
「つかないんだ」
 電源を入れると起動はしたが、パスワードがかかっていてOSまでは入れなかった。
「後ろに、テーブルもソファもあって、上のベッドも大きいのね。ふたりで寝られるじゃん」
「ね、寝るのは、別でだぞ」
 着替えや毛布や食糧などの荷物を車内に運ぶ。何泊するかわからないので、多めに積み込んでおく。
「また練炭積むの? カセットコンロでいいじゃない」
「いざとなればこれ、暖房にもなる」
 いざとなればこれで、天国まで行ける。
「京都って、どのくらいかかるんだろう」
「高速道路は使わないから、わからない。使いそうなものは、みんな持ってきてといてね。戻ってくるかもしれないけれど」
「え? 戻ってくるでしょ?」
 そうだな、と適当に言葉を濁す。戻ってくるのは、僕だけであって欲しい。
 準備を整い終え、ふたりでキャンピングカーに乗り込む。出発前に、トシキの眠っている公園に寄り、お墓になっている大きな木に、ふたりで手を合わせる。
 大きなキャンピングカーの運転にもそこそこ慣れ、都内を脱出し、西へと向かう。
「ねえ、なんで高速道路使わないの?」
「カーナビの履歴が、下道だけでここまで来てる。それを遡って行けば、安全なルートで京都まで着けるだろ。迷うことも危険もないだろうし」
 助手席でふうんと、興味無さそうに頷くアヤカ。細い身体は、以前よりもさらに痩せさらばえたけれど、血色は良く、体調は持ち直したように思える。
「アザ、出てないか?」
「おにいちゃんみたいに? ない」
 食欲は細いながらも戻っていたが、すぐに疲れて横になってしまうので、無理はさせられない。
「辛かったら、後ろで寝てていいぞ」
「やだ。大丈夫だからここでいい。景色、すごくいいもん」
「そうか。わ、びっくりした。何だ今の」
「タヌキさんだよ。親子連れ。タヌキは車避けないから、飛ばさないでね」
 たまに飛び出す動物もそうなのだが、路上で放置されているトラックなどを避けようとする時に、今までよりも車が重くて急には止まれず、ひやっとすることがあり、あまり速度は上げられない。まあ、急ぐ旅でもないのだけれど。
「世界、終わっちゃったのね」
「何だ、今さら」
「こんな景色見てると、改めて思う」
 人間だけが消えた街。ビルの谷間には、緑が生い茂り、自然が戻り始めている。
 アスファルトのあちこちや、ビルの壁や屋根などにも、雑草は生え、虫が鳴き、鳥が囀り、小動物が駆け抜けてゆく。街は森に還ろうとしている。
 車窓を流れてゆく美しい景色に、大きな瞳をけだるそうに向けていたアヤカが、標識を見てつぶやく。
「この先って、箱根だよね」
「そうだな。あ、この前の温泉、入ってく?」
「……いい」
 ごめんと謝る僕に、でも、湯船にはつかりたいなと言うアヤカ。
 少し地図を探すと、この近くには箱根の他にも、著名な温泉地がいくつかあったので、寄ってみることにする。
「あったあった」
 湯河原の温泉街の一角で、湧きっぱなしの立派な露天風呂を見つける。
「待ってるから、入っておいでよ」
「…………」
「あ、大丈夫だったよ。きれいだし、野犬も猿もいない」
「晶、あたしのこと守る気ある?」
 抗議を受けて、はたと気がつき、どうしたものかとあたふた戸惑う。
「一緒に入れとか言わないわよ。呼んだら聞こえるとこいて」
 古い旅館の浴場の外、脱衣所で本を読みながら、アヤカの声に耳をそばだてる。
「いいお湯だよー」
「そ、そうか」
 怖いので近くで返事をしていてと言われる。甘えん坊の妹や弟がいたら、こういうものだったのかな、と思わされる。
「ねー」
 自分には兄弟はいなかった。小さな頃に片親になり、病弱な母に育てられた。
「ねえー」
 以前はASDなどと呼ばれていたアヤカの障害は、今ではさらに多岐に分類されており、僕はそのいくつかをコンプリートしていた。多くの診断を賑やかに出されていたのも、同じだった。
 普通ができなかったからか、家庭環境が普通ではなかったからか、どちらが理由だったのかはわからないけれど、この世の人間の半分は、僕のような存在に、悪意を持つようにできている気がした。半分いれば十分だった。
 けれどもそれを、深刻に悩んだりしたことは、あまりなかった。さっさと消えたい世の中に、希望もなければ、絶望もなかった。
「ちょっとー? 晶ー?」
 真面目に向き合う気持ちが持てない、くそったれの社会や人間そのものを、トシキは妙な例えで表してくれた。
 プログラム。
 なぜか、その単語が、ずっと頭の中でひっかかっている。
「返事ーいい、してよおー!」
 タオルをかけただけのアヤカが、脱衣所に飛び込んできて、こんな声が出たのかと思うような怒声を上げ続ける。ひたすらごめんと謝る僕の腕を握り、やっぱり来てと引かれる手を、拒むことはできなかった。

「さ、寒くない?」
 暗くなる前に、熱海の温泉街の駐車場でキャンピングカーを止め、そこを初日の宿泊場所と決めた。
 上段のベッドは広く、子供ふたりで並んで寝ても余裕があった。
「少し。晶は?」
「わりと寒いな。真冬の車中泊、舐めてたわ。エアコンつけるか」
 当初、僕は下段のソファで寝ると主張したところ、アヤカは怒ったのち、泣きそうな顔になり、おにいちゃんと違う、もういい、とスネてしまい、仕方なく、一緒に寝てという要求を受け入れた。
 誰かと一緒に寝たような経験などないため、どう距離を取っていいのか、くっついていいのかわからず、寒さばかりに気が行ってしまう。
「明日、どこかで探して、毛布や布団増やそう」
「うん。そうして」
「あ、いい方法があるぞ」
「何?」
「車内で練炭焚くの。暖気が逃げないように、ちゃんと閉め切って」
 くすくすと笑いながら、冗談を言ってみるが、アヤカは笑いも馬鹿にもしないで答える。
「いいよ」
「え?」
「え? だから、練炭焚くんでしょ? やろ」
 ベッドから降りかけるアヤカに、ウソだよと引き止め、死んじゃうんだぞと言う。
「知ってるよ、それくらい。一緒に死んじゃおうよ」
 アヤカの目は本気だった。
 正直なところ、こんなにありがたい申し出もない。願ったり叶ったりではないか。
 すぐにそうしましょうと、請け合いかけた僕の胸に、トシキの声が響いてくる。ふざけんなよ、アヤカを頼むと言っただろと。その通りだ。いくらなんでも、それは違う。
「何言ってんだよ。死んじゃだめだよ」
 死ぬことばかりを考えていた僕が、何を言い出すのか。白々しい。
「別にいいじゃん。生きてたってもう、仕方がないよ」
 それは、僕も同感だが。
「その……、アヤカも、死にたいの?」
 こくりと頷き、なにを当たり前なことを、といった目つきで言う。
「あたし、普通ができないの。それが迷惑だったならさ、死なせてくれるか、ほっといてくれればいいのに、ヘンなのがヘンな目つきでじーっと見てから、ヘンな顔して近づいてくるの」
 その目つきは知っている。うんざりするくらいに覚えている。
「毎回必ず、それから始まるの。その後あたしが、どんなことをどれだけされてきたか、聞きたい?」
 僕もそうだし、大体わかります、と言おうとしてやめておいた。
「そういう奴らももう、みんないないじゃん」
「でもね、そういうことと、死にたい気持ちは、なんだかもう別になっちゃったみたいなの。ひとがいなくなってから、それがはっきりわかったの」
 色々と気が合うなと、肩を叩きたかったけれど、それも我慢する。
「今まではさ、お兄ちゃんがいたから、生きてた。あたしを守ってくれるお兄ちゃんを、悲しませたくなかったから、死ぬのをやめてた。今だってそうだよ。晶が一緒にいろって言うから、生きてる」

 翌日は静岡県をずっと西へと向かう。
 事故を起こしたらアウトなので、のんびりした速度で走ってゆく。人が消え、緑に覆われた世界を辿るには、このくらいのペースがちょうどよく思えた。
「わあ」
 田園風景の広がる道沿いを走っていると、アヤカが窓から身を乗り出して声を出す。
「危ないよ……あ」
 車の速度に合わせるように、多くの鹿が並んで走っていた。その数は驚くほど多く、数十頭もいるだろうか。
「鹿がこんなに」
「すごい」
 野生化したものが群れを作っているのだろう。壮観なまでの大群が、車と並んで走る光景は、アフリカのサバンナにでもいるようだ。
「すごいよ、ねえ、ほら」
 走り去る鹿の姿に、いつまでも目を奪われ、しばらく興奮冷めやらぬ様子のままでいるアヤカ。
 それに応える自分の顔に、微笑ましげな表情が浮かんでいることに気づき、妙な気分になった。こういうのは、何か違う気がした。
「あ、……ちょっと、いい?」
「何?」
 地平の先に、見事な夕映え広がり、そこに踏切が現れた。
 アヤカに断りを入れ、車を止めて外に出て、線路の先を眺める。
「きれい」
 次第にシルエットに変わってゆく、電線や支柱の景色の切り絵を、僕の隣で眺めるアヤカも、声を漏らして見とれていた。
「こういうのを見ている時は、生きてるのも悪くないなって思う」
「あたし、どういう時だろう……」
 考え始めるアカヤのそばに、犬が近づいてきた。一匹だけで、威嚇や攻撃してくる様子はない。尻尾を振りながら、僕らの隣に並んで、一緒に鉄路の先を眺める。
「趣深い犬だな」
 そそくさと逃げるように、車の中に入ってしまうアヤカ。こいつは大丈夫だよと声をかけても、すげない返事が返ってきた。
「犬、怖い」

 その日は温泉は見つからず、入浴は諦め、身体を拭くだけにした。
 夜寝る前に、上段のベッドで本を読んでいると、なにやら運転席でカーナビをいじっていたアヤカが声をかけてくる。
「晶、ねえ」
「うん?」
「この車の、走行履歴を見たんだよね?」
「うん、見たよ。京都から来てるでしょ?」
「そうだけど、全部見た?」
「え? 全部って?」
「だから、前回とか、前々回とかの履歴」
 そういうの見れるの? と聞くと、ちょっと来てと言う。
「ここで操作するの。……五月くらいから、なんか日本中回ってる、この車」
 本当にその通りだった。過去の履歴によると、何回にも渡って、あちこちに遠征を繰り返していた。
「……西日本は、全部行ってるな」
「みんな、ひとがいなくなってからの履歴だよ」
 東日本にも来ているけれど、なぜか関東あたりには近づいておらず、東北の日本海側は通っているが、東の太平洋側の走行記録はない。
「青森のはじっこで、……しばらく動いてないな。最後に、東京に来て、そこで車を残して消えちゃったわけか」
「この車に乗ってたひとって、なにをしてたのかしら?」
 翌日、変な女に会った。
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